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今を生きる

シードはトリスの言葉を胸に、訓練場の片隅でひとり立っていた。


「考える…か。」


小さく呟きながら、手元の魔筒を握りしめる。火、水、雷。まだ使える属性は三つだけ。こんなままで、魔法使いたちにいつ追いつけるのだろうか。そんな悔しさと焦燥感が胸を締めつける。


だが、トリスの言葉がその焦りを少しずつ整理していく。


――普通の努力では追いつけない。だから、どうすれば追いつけるかを考え続ける。


一歩一歩、頭を巡らせながら体を動かす。魔筒の振り方、角度、速度、力の加減。わずかな変化でも魔法の性質が変わることをシードは既に体で覚えている。今までの失敗を今日の失敗をどう明日の糧にするか。


彼は短く息をつき、魔筒を前後に振りながら小さな火球を繰り返し発生させる。


「この角度だと炎が大きくなる…じゃあ、水の球は?」


魔筒を振るたびに、頭の中で計算と実験を繰り返す。ひとつの魔法を極めるための試行錯誤は、魔法使いたちの比ではない。しかし、それでも諦めるわけにはいかない。


「失敗してもいい。考え続ければ、必ず道は開ける。」


小さな火球が、次第に正確に想定通りの速度と軌道で飛ぶようになった。まだ完璧ではない。まだ三属性しか使えない。それでも手応えがある。この感覚が、シードにとっての唯一の希望だった。


「一歩ずつ…か。」


微笑みを浮かべ、彼はもう一度魔筒を振る。考えること、試すこと、失敗すること。すべてが積み重なり、それがいつの日か、天才たちに並ぶ力になる。まだ遠い未来だ。しかし、その最初の一歩を今、確かに踏み出したのだった。


そんな彼を見守っているのはトリスだけではない。


「頑張ってるな、シード。」


「シズク…。」


そう、シズクだ。彼もまた、シードを認めてくれた人の一人。ここまで成長できたのは、彼の影響が最も大きいだろう。


「少しずつだけど、魔筒の使い方がわかってきた。もう少しで、何かを掴めそうな気がするんだ。」


「そうか。」


希望に満ちた瞳で魔筒を握りしめるシードに、シズクは微笑む。しかし、ふと彼の掌を見ると表情を一変させ、両肩を掴んだ。


「シード。僕が言ったこと、覚えてるよな…?」


「えっと、いつも以上のことはしようとするな?いつも通りやれば…。」


「違う。」


シズクはシードの両手首を掴み、その掌を彼自身に見せる。


「”無理は禁物”だ。自分の手を見ろ。血だらけじゃないか。」


「あっ…。」


「全く。今日はもう終わりだ。その手じゃ少なくとも明日も休むべきだ。」


珍しくシードが抵抗する。


「でも――」


「でもじゃない。焦る気持ちはわかるが、体を壊したら元も子もない。違うか?」


「…はい、その通りです。」


ぐうの音も出ない正論に、シードは思わず俯いた。その姿にシズクは首を傾け微笑する。


「よし。そうと決まれば、明日は遊びに行くぞ。せっかくだし、ウォルフも誘おう。」


「いいの?」


「もちろんだ。そもそもお前らは真面目すぎるんだ。普段から努力してるんだから、試験明けくらいはぱぁっと遊ぶのも大事だぞ。」


その言葉には天才らしい余裕というより、先人の知恵のような落ち着きがあった。同じ子供とは思えない感覚に、シードは思わず笑みを零す。


「なんだよ。」


「なんか、シズクってすごく達観してるよね。大人っぽいっていうか。」


「それは…。」


シズクにはレイとしての記憶がある。それ故に、同年代と集団行動をとるときには所々で合わない部分も生じる。しかし、記憶があるだけで精神自体は十代の子供だ。大人びていると言われることはあっても、変だと言われたことは一度もない。


「あとララも。二人とも大人びてて尊敬するよ。」


そもそもララが素で大人びていることが、シズクの違和感を目立たなくしているのだろう。彼女には感謝するばかりだ。


「そんなこと言っても、訓練はさせないぞ。明日は遊びに行く。朝九時に寮の玄関に集合だ。」


「わかったよ。」


そして翌日。三人は予定通りの時間に寮を出発した。


「で、どこに行くんだ?」


「ん?まぁ、着いてからのお楽しみということで。」


ニヤリと笑うシズクに、ウォルフは眉をひそめて訝しげに見る。しかし、到着した場所を目にして、すぐに疑問は興奮へと変わった。


「ここって!?」


「ああ。円形闘技場だ。」


ダスターの中心部に堂々とそびえる円形闘技場。ここでは、魔法を用いた様々なスポーツ「魔法競技」が開催される。時には有名な魔法使いも参加し、常に満席状態だという。


「チケットは三枚手配してある。」


「え!?悪いよ。」


三枚のチケットを取り出したシズクに、シードは遠慮がちに声を上げた。その様子にシズクは肩をすくめる。


「ん?知らないのか?」


「何が?」


「特待クラスは、あらゆる面で優遇される。例えばこれだ。」


シズクはチケットを見せびらかすようにひらひらと揺らした。


「魔法を学ぶという名目で、魔法学校の生徒は優先的にチケットを手に入れられる。そして特待クラスなら、学校に申請すれば無料で手に入るんだ。」


「そうだったの!?」


「そうなのか!?」


シード共にウォルフも驚きの声を上げる。その二人にシズクは呆れたように笑みを浮かべる。


「お前ら。使える物は知っておかないと損だぞ。」


「いや、お前が知りすぎなんだよ。」


「そうだよ!シズクが物知りなだけだよ。」


シズクは二人に苦笑いしつつ、チケットを係員に渡し、慣れた足取りで席に向かった。


「もしかしてお前、もう何回か来てるのか?」


「当然。ここなら優れた魔法使いの魔法を生で見れるからな。たまにララと一緒に見に来てるんだ。」


魔法学校の生徒に用意された席は、いわゆるVIP席に相当する。競技場全体を見渡せる見晴らしの良さと、豪奢な装飾。未来を担う若者が、どれほど期待されているかが伝わってくる特等席だった。


「始まるぞ。」


シズクの言葉と同時に、競技場に魔法陣が浮かび上がり、観客席から大歓声が沸き起こった。


炎の矢が空を裂き、巨大な水蛇がうねりを上げて飛び出す。風の刃は光の残像を描き、氷の槍は鋭い音を立てて降り注ぐ。決闘戦に臨む魔法使いたちは己の限界を競い合い、ひとつひとつの攻撃が観客を熱狂させていた。


ウォルフは身を乗り出し、少年らしい興奮を隠せない。


「うわっ!今の見たか!?炎を一瞬で氷に閉じ込めたぞ!」


「落ち着けよ、まだ序盤だ。」


シズクは笑いながらも、その瞳は真剣に戦いを追っている。そんな頃現れたのが、魔道具使いだった。


「...魔道具使いもいるんだ。」


シードは思わず声を漏らす。


魔筒を握る姿は、魔法使いたちの華やかな所作とは対照的に静謐で、しかし不思議な威圧感を放っていた。対戦相手の魔法使いは、油断も嘲りもなく、容赦なく炎の竜巻を放つ。しかし、魔道具使いは一歩も引かない。


魔筒を振り抜いた瞬間、炎と相殺するように火球を放ち、その直後には水の波をぶつけて竜巻を切り崩す。さらに雷と風を織り交ぜ、次々と異なる属性の魔法を重ねて相手を追い込んでいく。


「同時にあんなに…!」


シードの目が見開かれる。


魔法使いが威力と勢いで押し切ろうとしても、魔道具使いは攻撃の角度と属性を次々と変え、巧みに相手の防御を崩していく。最終的に魔法使いは多重の攻撃に追い詰められ、ついには膝をついた。


「おおおーーっ!」


観客席が大きく沸き立つ。


「すごい…!」


シードは胸を打たれていた。火、水、雷、自分が扱える属性だけで手一杯なのに、この魔道具使いはそれを自在に組み合わせ、戦いを支配している。力でねじ伏せるのではなく、工夫で勝利をつかむ戦い方。そこに大きな可能性を感じた。


シズクが隣で小さく頷く。


「観察しろ。あれはお前が進むべき道に繋がっている。」


シードは自然と手元の魔筒を握りしめ、戦況を頭の中で何度も再現していた。自分もいつか、あのように多彩な魔法を操り、天才たちに引けを取らない存在になりたい。そんな夢が芽生える。


気づけば空は赤く染まり、夕方が迫っていた。


「どうだった?」


寮への帰り道、シズクが二人に問いかける。


「楽しかったし、すごく勉強になったよ。」


シードの声には力がこもっていた。


「ああ!特にあの雷の人、かっこよかったな~。俺もいつか真似してみたい!」


ウォルフも興奮冷めやらぬ様子で叫ぶ。


魔法競技は、ただの娯楽ではない。多様な魔法使い、魔道具使いが己の技をぶつけ合う場であり、観る者に刺激と学びを与える舞台でもあった。


三人の胸には、それぞれ違う形の火が灯っていた。


「それにしても、シズクは今日、あの魔道具使いが出るって知ってたの?」


「確かに。雷を操る魔法使いもいたし、俺らが気になりそうな人ばっかり出てたぞ。」


期待の眼差しを向ける二人にシズクは首を横に振る。


「いいや。あれは偶然だ。ただ、いろんな魔法使いが出場するから、もしかしたらいるかもな、とは思ってたけど。」


「なーんだ。」


がっかりする二人に、シズクも小さく肩をすくめる、三人の間に柔らかな笑いが広がった。そんなときだった。


──ふと、胸の奥に、静かな感情が広がる。


こうして同年代の友人と並んで笑い合うこと。それは前世では決して味わえなかったものだ。


生まれながらに天才と呼ばれ、六歳にして師匠のもとで錬金術を学び、十五歳で魔法を発見し、二十歳でその生涯を終えた。


ひたすら成果を求め続けた人生は濃密で有意義だったが、振り返れば、味気なく、孤独でもあった。


もし神が第二の生を与えてくれなかったとしたら――


シードやウォルフと肩を並べることも、マロンやバニラと日々を過ごすこともなかった。


そして、ララと出会うこともなかっただろう。


その思いに至った瞬間、シズクはほんの少しだけ胸が熱くなるのを感じた。彼にとって、今の一瞬一瞬が何より大切で、かけがえのないものに思えたのだ。

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