逮捕
ドガンッ——
重い破裂音とともに、将軍の執務室の扉が大きく吹き飛ばされた。
「何事だ!」
驚愕の叫びが室内を満たす。将軍は立ち上がり扉の方を睨みつけたが、その視線の先に立つ人物を見て息を飲む。
「スイ…。」
「ご機嫌よう、マックス将軍。」
スイの鋭い視線に、マックスは一瞬たじろいだ。
「お、お前…何のつもりだ?」
震える声で問いかける将軍に、スイは冷たく切り込むように言った。
「ジャレクの婦女暴行について、お前はどこまで知っている?」
言葉は刃のように鋭い。訊かれた将軍の顔色がひどく曇る。
「なっ…お前、それを知らなかったのか!」
「知っているわけないでしょう。もし私が最初から知っていたのなら、関わった全員を野放しにするわけがない。」
スイの声には怒りが滲んでいた。マックスは狼狽し、机を叩いて声を荒げる。
「くそっ…!おかしいと思ってたんだ。こんな事件にスイが関係しているなんて!」
「ん?お前は誰に何を言われていたんだ?」
そう問い返すスイに、マックスは押し黙り、やがて震える声で答えた。
「学長だ。魔法学校の学長だ。あいつに、事件を揉み消せと言われた。もしそうしなければ、お前…スイに命じて、私の家族を皆殺しにすると脅されたんだ。」
その言葉に、スイは呆れと軽蔑の混じったため息を漏らす。
「ランダの将軍ともあろう者が、たった一人の人間を恐れていただなんて、情けない話ね。」
「仕方ないだろう。相手がスイだと思っていたんだから。」
弁解は虚しく響く。スイは冷ややかに続ける。
「で、これまでにいくつの事件を揉み消してきた?何人の女性がそのせいで犠牲になったんだ?」
問いかけに、マックスは顔を伏せて数字を告げる。返ってきた声は、想像を超える冷たい現実を含んでいた。
「十三人だ。そのうち八人は…ジェフィー夫人絡みで消えた。」
「十三人だと!?ふざけるな!」
スイの怒りが爆発する。微動だにせず俯く将軍の胸倉をスイは勢いよく掴み、鋭い声で告げた。
「私が関係者を全員捕まえてくるから、お前はそいつらを告発した上で、責任を取って辞職しろ。わかったな。」
「…わかった。」
低く震える声でマックスは応じる。そんな情けない将軍の姿にスイは一瞥さえしない。そうして何も言わずに執務室を出て行った。
一度、取調室へ戻ろうと足を止めかけたそのとき、廊下の向こうから高圧的な声が飛んできた。
「何で通さないのよ!ここに息子を刺した犯人がいるんでしょう!?」
ジェフィー夫人だ。慌てた様子で駆け込んでくる彼女を見たスイはためらわず腕を掴み、床に押さえつけた。
「な、何を──」
「おい、そこの君。手錠を貸してくれ。この者を拘束する。」
若い軍人は一瞬きょとんとしたが、スイの命令に素直に従い、腰の手錠を差し出す。スイは迷いなくそれを受け取り、ジェフィー夫人の両手にがちゃりと嵌めた。
「私を誰だと──」
「貴女こそ。私を誰だと思っている。」
スイの声が低く落ちると、空気が凍りついた。彼女の体からわずかに魔素が漏れ出る。その圧に数人の軍人が息を詰める。
傍にいるだけでそうなったのだ、魔素の奔出を正面で受けるジェフィー夫人には、強烈なプレッシャーとなって襲い掛かり、その表情を瞬時に萎ませた。やがて夫人は力なく崩れ、床に失神する。
「こいつは牢にでも入れておけ。私はこれからランダ魔法学校の学長、リガンを拘束しに向かう。」
ジェフィー夫人を床に残し、スイはさっさと歩を進める。すると二人の軍人が後についてきた。
「お供します。」
振り向くと、そこにいたのはスイも知る顔だった。
「ん?モウア中佐にラザリー少佐か。」
「認知されているとは光栄です。」
モウアは軽口を飛ばしつつも至って真剣な表情だ。
「どうして、私について来るんだ?」
「私たちはミラー中将の命で、婦女失踪事件を極秘に調べていました。関係者の目星はほぼついています。スイ様が動くなら、私達の情報が役に立つはずです。」
スイは一瞬考え込むが、すぐに静かに頷いた。
「わかった。協力を受け入れよう。ただし、私のやり方には口を出さないこと。」
「承知しました!」
モウアとラザリーは声を揃えて答え、三人は大通りを抜けてランダ魔法学校へと向かった。
「ランダ魔法学校には学長以外にも、関係者が二名おります。よろしければ我々が捕らえてきましょうか?」
「頼む。私はリガンを捕える。」
「かしこまりました!」
三方に散らばった彼女たちは、ためらいなくそれぞれの標的へと向かっていった。スイが学長室の扉を引くと、そこには諦めたような顔をしたリガンが座っていた。
「リガン。お前を証拠隠滅の疑いで逮捕する。」
「ああ。」
素直に両手を差し出す彼にスイは迷わず手錠をかけようと身を乗り出した。その瞬間、突如としてリガンの頭部が内側から大きく爆発した。
「スイ様!大丈夫ですか!?」
その爆発音にモウアが犯人を片手に抱えたまま駆け寄る。スイは冷静に答えた。
「私は大丈夫だ。しかし、リガンが──」
モウアが目を凝らすと、リガンの頭部は無惨に破裂していた。その様子は、ある装置を使用した自殺方法に酷似していた。
「グレイジャム…!」
「あのテロ組織か。」
「はい。まさか学長が…。」
グレイジャムは帝国内で暗躍する犯罪シンジケート。スパイ工作やテロ事件に手を染める組織で、かつて発生した魔法機関車の脱線事故や、ララが両親を失ったストック海賊襲撃事件にも関係が疑われている。
「モウア中佐、そっちは?」
「大丈夫です。体内に自殺装置は仕込まれていません。」
「ラザリー少佐はどこだ?」
辺りを見回しても、ラザリーの姿は見当たらない。しかし少し捜索すると、すぐに血で汚れたラザリー少佐と、頭が破裂した男が倒れているのが発見された。
「申し訳ありません、モウア中佐。抵抗があり交戦したのですが、突然、相手の頭が破裂しました。」
「そういう連中だ。問題ない。ですがスイ様、学長がグレイジャムの間者だったのは想定外です。もしかしたら、学内にまだ紛れ込んでいる可能性があります。」
「わかった。明日、私自ら粛清を行おう。」
スイの言葉に、モウアの体が小さく震える。
――かっこいい…!
瞳を輝かせるモウアを横目に、スイは冷静に指示を出した。
「だがまずは、他の関係者を押さえる。モウア中佐は私に付き合ってくれ。ラザリー少佐はここで事後処理を頼む。なるべく生徒に遺体を見せないように配慮すること。」
「かしこまりました。」
その後、二人はランダ庁舎や魔法協会ランダ支部など複数の施設を巡り、合計九名を拘束した。だが結果的に、確保した者たちはいずれもグレイジャムとは無関係。どうやら婦女失踪事件とグレイジャムの間に、直接的な繋がりはありそうにない。
「お疲れさま。待っていたわ、スイ。」
「ミラー中将。」
拘束した九名の容疑者を連れて軍本部に戻ると、入り口でミラー中将が待ち構えていた。
「既にマックス将軍の責任を追及し、牢に収容してあるわ。それに、内部で証拠隠滅に関与していた者たちも拘束済みよ。」
「用意周到だな。この時を狙っていたのか。」
「何のことかしら?私は正義の心をもって、あの少女のために動いただけよ。」
不敵な笑みを浮かべる彼女を警戒しつつも、スイは今だけは味方だと判断し、九名の容疑者を彼女の部隊へと引き渡す。
取調室へ向かう道すがら、ミラーが提案を口にした。
「それで、君はどういう結末を望んでいるの?あの少女、ローゼは、今のところ貴女にだけ心を開いている。私としては情状酌量の余地ありとし、貴女の監視つきという条件で釈放したいと考えているのだけれど。」
それは、最大限ローゼの立場に配慮した提案だった。彼女の性格を考えれば、本来あり得ない言葉。いったい何を企んでいるのか、そう思いつつも、スイの答えは揺るがない。
「それで構わない。彼女と妹は、私の家に迎え入れる。」
「そう、わかったわ。私の権限でそのように処理する。ただし…。」
「承知している。貴女を次の将軍として推薦しよう。」
ミラーはにやりと口角を上げた。
「流石ね。」
「利害の一致というやつだ。本来なら、貴女のような人間を推薦する気はないが…まあ、少なくとも今の将軍よりはマシだろう。」
その辛辣な言葉に、ミラーは思わず微笑んだ。
「ふふ、手厳しいわね。」
口元は緩んでいても、瞳は一片も笑っていない。そんな彼女をスイは心底苦手としていた。
「そういえば、どうして君はローゼにそこまで肩入れするのかしら?」
ミラーはにやぁと不敵に笑いかける。スイは胸の内で呟いた、こいつのこういうところが苦手だ、と。
「もしかして、昔の自分と重ねているんじゃない?」
「…。」
こうして、彼女はわざと相手の心を抉ってくるのだ。
「それ以上言及したら…お前を殺す。」
そんな彼女をスイは鋭く睨みつけた。その圧は、先ほどジェフィー夫人に向けたものよりも明確な殺意をはらんでいる。ミラーの言葉は、的確にスイの地雷を踏んでいた。
「あら、怖いことを言うわね。でもできないでしょう?私は一応、貴女の育ての親なのだから。」
その圧にも、ミラーは軽薄な態度で応じる。彼女は知っているのだ。どれほどの殺意が向けられようとも、スイが本当に自分を殺すことはないと。
何故なら、スイが両親を失った八歳のときから、女手一つで育て上げたのは、他でもないミラーだったから。
「わかっているなら、私の気持ちを踏みにじるのはやめろ。」
「はいはい。」
ミラーの挑発にスイは苛立ちを覚えつつも、育ての恩は消えない。彼女に強く出られないのは、少なからず恩義を感じているからだ。
「そうだ。そのままその子を連れて帰っていいわよ。あとは私たちに任せておけばいいから。」
「…感謝する。」
ミラーはひらひらと手を振り、取調室へ入っていくスイを見送った。
「あっ!お姉さん。」
ローゼは不安に揺れる瞳をしていたが、スイの顔を見た途端、ぱぁっと花が咲くような笑みを浮かべた。
「とりあえず、君の妹の事件を隠蔽した連中は全員逮捕した。あとは実行犯のジャレクだが、意識不明が続いていて…罪を償わせるのは難しいだろう。」
「いえ、大丈夫です。妹の…モニカの人生をめちゃくちゃにした人たちが、ちゃんと罰を受けているなら、それで…!」
ローゼの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。長い孤独の中で、ずっと必死に耐えてきたのだろう。
ここに戻ってくる途中、モウアから妹のことを聞いた。ジャレクに強姦されて以来、錯乱状態が続き、ほとんど寝たきりだという。しかも劣悪な病院に入院し、そのわずかな入院費でさえ、ローゼは自らを犠牲にして日銭を稼ぎ、払い続けていたらしい。
「もう大丈夫。君も、君の妹も…これからはお姉さんが守ってあげるから。」
スイはそっと彼女を抱きしめ、子どもをあやすように優しく声をかけた。
「え…?」
ローゼは困惑したように瞬きをする。スイは穏やかに言葉を重ねた。
「君の妹は、すでにダスターの大きな病院に移すよう手配してある。治療費も私が払うから、心配しなくていい。そして君自身のことだが…もしよければ、私の家に住んでほしい。私が監視役を務める条件で釈放が決まった。一緒に暮らした方が、外からも安心してもらえる。どうだろうか?」
その言葉に、ローゼの目からまた涙が溢れた。
「な、なんで…お姉さんは私に、こんなに良くしてくれるんですか…?」
スイは少し目を伏せ、静かに過去を語り始めた。
「八歳のとき、私の家に強盗が入った。両親は殺され、妹は凌辱された上で命を奪われた。私が帰ったときには、家中が血に染まっていて…どうして私は、あのとき家にいなかったんだろうって、今でも後悔してる。」
彼女の声は震えていたが、どこか優しい響きを帯びていた。
「だから、同じ痛みを抱えた君を放っておけなかった。君が背負ってきた孤独や、必死に妹を守ろうとした気持ち…全部、昔の私に重なったんだ。」
「…じゃあ、お姉さんも?」
「うん。私は君と違って、犯人を自分の手で殺してしまった。でも、あのとき私に手を差し伸べてくれる人は誰もいなかった。もし誰かがそばにいてくれたなら、どれだけ心が楽だっただろうって、今でも思う。」
スイはローゼの手をやさしく包み込み、穏やかに微笑んだ。
「だから、私は君を支える。もう一人で泣かなくていいように、ずっとそばにいるよ。」
ローゼはその言葉を聞くと、胸に押し込めてきた記憶がふっと蘇った。
生まれてから一度も「無償の愛」を感じたことはなかった。気づけば両親はいなく、路地裏で妹と二人、必死に生き延びていた。妹は彼女にとってただ一つの宝物だった。だがある日、その妹さえ権力者によって壊されてしまった。
それから彼女は心を閉ざし、妹を救うためにできることは何でもやった。盗みや詐欺を働き、時には体を売って金を作った。必死に金を集め続けたが、先日、医者に妹の余命が半年だと告げられた。その時、これまでの苦労がすべて無意味に思えて、深い絶望に沈んだ。
最後に妹を汚した者をこの手で裁こうとこの街にやって来た。出会ったときの怒りは覚えていない程で、ナイフもしっかりと深く刺した。けれど、最終的には相手を治癒魔法で助けてしまった。彼女は自分の弱さを突きつけられた。どれほど憎んでも、その命さえ奪えなかった自分を、彼女は許せなかった。
――手は黒く、体は汚れ、心は折れている。私は...妹を汚した奴らと同類の、最低な人間だ。
そんな自分が、こんなに優しいお姉さんに救われていいのだろうか。許されるはずがない。そう思いながら、彼女は震える声で必死に言葉を絞り出した。
「だ、大丈夫です。罪は…自分で償います。だから私のことは構いません。どうか妹だけを助けてください。」
その悲痛な笑顔を見た瞬間、スイの胸は強く締めつけられた。無理をしているのは明らかだった。けれど、覚悟を決めた彼女の手を無理やり引き上げることは、その決意を踏みにじることになる。
どう応えるべきか迷っていると、背後から聞き慣れた声が響いた。
「何?まだいたの、貴女たち。」
ミラーだ。二人を見下ろすように現れ、面倒くさそうに眉をあげる。
「さっさと出て行ってくれる?これから軍は忙しくなるのよ。」
その横柄な態度に、ローゼは勇気を振り絞って尋ねた。
「お姉さんは、ここの偉い人ですか?」
「うーん、今は一番偉いけどね。」
「じゃあ、私に罪を償わせてください。スイさんに迷惑はかけたくないんです!」
思いがけない言葉に、ミラーは一瞬目を見開いた。だがすぐに口元を歪め、不敵な笑みを浮かべる。
「なるほどね。貴女、怖いんだ。」
「ミラー!」
「スイ、黙ってなさい。ローゼ、貴女は怖いんでしょ?スイの手を取るのが。それも当然よね。スイの優しさにつけこんでるみたいに見えるもの。」
スイが止めようとしたが、ミラーはそれを制し、言葉を重ねた。
「でも、それでいいじゃない。何が悪いの?」
ローゼは戸惑い、言葉を詰まらせる。
「あの…。」
「答えられないでしょ。だって、いけないことなんかじゃないんだから。強い大人ってのはね、弱い子供を助けるためにいるのよ。スイは無条件で貴女を助けた。貴女はその優しさに甘えていればいいの。わかったらさっさと出て行きなさい。」
まくし立てられ、ローゼは反論できず、小さく「はい」と頷くしかなかった。やむなく、スイと共に軍本部を後にする。
この時ばかりは、スイもミラーに感謝せずにはいられなかった。おそらく、これまでにも、そしてこれからも、こんな気持ちを抱くことは二度とないだろう。
「それじゃあ、行こう。私たちの家に。」
「…はい。」
“私たち”。その響きにローゼは少し頬を赤らめながらも、ようやくその言葉をまっすぐに受け入れるのだった。




