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恋バナ

「五十八…五十九…ろ、六十…ああっ!」


シズクの悔しげな声が訓練場に響く。あれから三日。最初は魔法陣を展開することさえできなかった二人だが、今ではどうにか維持するところまでは辿り着いていた。


とはいえ、一分も持たずに魔法が霧散してしまう。目標とされる五分間など、まだ遠い夢のような話だった。


そんな中、アルベリオは着実に課題をこなし、第四段階を突破して二人に追いついていた。さらにミアやシリルも第四段階へと進み、すぐ背中まで迫っていた。


一方でレントは魔素の維持が苦手らしく、第三段階で足踏みを続けていた。その背後からは、第一、第二段階を順調に突破したウォルフが迫っており、ついに肩を並べられる。


二年生の自分が一年生に追いつかれるという、屈辱的な状況。にもかかわらず、からかってくれる仲間もおらず、レントの胸にはむしろ虚しさだけが広がっていた。彼はその悔しさを押し殺し、黙々と第四段階突破を目指す。


最後に残ったのはマロンとバニラ。二人はまだ第二段階に苦戦していた。体格で劣る彼女たちにとって、持久走や長距離課題はどうしても不利だった。だが、それでも小さな体で必死に足を動かして、額から汗を滴らせて食らいついていた。


――ララが一分強、シズクとアルベリオが一分弱…。上出来どころじゃないわね。


走り続ける彼らを見つめながら、スイは心の中で感嘆の声を漏らした。


本来、シズクとララに課した”五分間維持”という目標は、達成させることなど初めから想定していなかった。ただの挑発で、彼らを奮起させるための“無謀な数字”に過ぎなかったのだ。精々、一分半もてば御の字、そう見積もっていた。


ところが現実はどうだ。シズクとアルベリオは既に一分を射程に収め、ララに至っては今にも一分半へと手を伸ばそうとしている。


――三日でここまで伸びるなんて…。本当に、とんでもない子たち。


驚愕と同時に、胸の奥から込み上げてくる誇らしさをスイは抑えきれなかった。そんな時だった。


「十四分五十二っ…!」


マロンが限界ぎりぎりでゴールラインを駆け抜け、第二段階を突破した。全身から汗を噴き出しながらも、誇らしげに笑みを浮かべる。続いて、


「五十五!」


バニラも三秒遅れて到達。小さな体で必死に食らいつき、見事に目標を超えてみせた。これで第三段階に挑む者は五人となる。さらに、


「おっしゃあ!」


力強い声とともに、レントが第三段階を突破した。ミアやシリルに一日遅れての到達。悔しさをバネに、文字通り這い上がるように食らいついた結果だった。これで全員が二つの課題を突破したことになる。四日目で全員がここまで辿り着くのは、スイの想定よりも一日早い成果だった。


誰もが予想を上回る成長を見せている。だがここで無理をさせれば、積み上げてきた力が逆に崩れてしまう危険もある。


スイはパン、と手を叩いた。


「そこまで!今日はここまでにしましょう。」


走り続ける生徒たちの足が一斉に止まる。息を切らしながらも、全員の瞳がまだやる気に満ちているのを見て、スイは小さく笑った。


「もっとやりたいだろうけど、体はもう限界寸前よ。ここで無理をすれば怪我にも繋がるし、回復も遅れる。今日はしっかり休んで、明日に備えなさい。」


生徒たちは素直に頷き、互いに肩を貸し合いながら湖畔の宿舎へと戻っていった。夕焼けに照らされたその背中は、出会った頃よりも一回り大きく、頼もしく見える。


スイはその姿を見送りながら、ひとり静かに呟いた。


「…本当に、どこまで伸びるのかしら。楽しみね。」


その日の夜――


女子組は早々に入浴を済ませ、寝室のダブルベッドに集まっていた。昼間の凛々しい姿はどこへやら、布団に寝転びながら始まったのは恋バナだった。年頃の少女らしい、柔らかで賑やかな時間。


「シリル先輩って、彼氏とかいるんですか?」


ウキウキと問いかけたのはマロン。隣でバニラも興味津々といった様子で身を乗り出す。


「いるよ…。」


「えっ、いるんですか!?」


意外な返答に、一番に声を上げたのはミアだった。


「うん。でも彼氏っていうのとはちょっと違うかな。許婚とか、婚約者って呼ぶべきかも。お父さんが決めた相手なんだけど…すごく良い人なんだ。」


そう言ってふわりと微笑むシリル。その表情は、ただ親に決められただけの相手に向けるものではなかった。彼女自身が心から愛そうと決めた人に見せる、確かな眼差し。


これほどの美少女を自然に笑わせられる婚約者とは、一体どんな人物なのだろう。一同は思わずごくりと唾をのむ。そんな彼女らを横目にシリルはミアに目を向ける。


「それでいうと、ミアはどうなの?あなたも家柄的には婚約者がいてもおかしくないけれど。」


上級生二人、シリルとミアは共に富豪の娘。婚約者という言葉が自然に出てくる環境で育っている。


「いませんよ。お父様の方針で、結婚相手は私に一任されています。今のところ、良い人にはまだ巡り会えていませんけど。」


ミアの答えは落ち着いたものだったが、どこか品のある響きを帯びていて、恋バナというには上品すぎる。ミアもそれを感じたのか、私の話はいいんですよと流れを変える。


「それよりララ。実際のところ、シズクとはどうなの!?」


唐突な問いかけに、場が少し騒然となる。だが当のララは、きょとんとした顔で首を傾げた。


「どうなのって…何がですか?」


拍子抜けしたミアは、言葉を選び直す。


「じゃあ、質問を変えるわ。あなたにとってシズクってどんな存在なの?」


ララはベッドの端に腰を下ろし、ほんの少しだけ視線を落とした。思い返すように、言葉を探しながら口を開く。


「お兄ちゃん...?」


「お兄ちゃん?」


「はい。シズクには文字の読み方も、魔法のことも、いろいろ教えてもらいましたから。それに――」


言いかけて、ララは小さく口を閉じた。どう言葉にすればいいのか、自分でもわからない。胸の奥がじんわり熱くなるこの感覚を、ただ「兄みたい」と言い切っていいのかどうか――


「ごめんなさい。なんか、よくわからなくなっちゃいました。」


曖昧な微笑みと共にこぼれたその言葉に、ミアは何かを感じ取ったのか「いいのよ」と穏やかに返す。それ以上は追及せず、話題を切り替えた。


「じゃあ、バニラちゃん。あなたはどうなの?」


「えっ…!?」


唐突に振られて、バニラは間抜けな声を上げる。マロンもすかさず追撃した。


「そうよ。あんたもウォルフとは長い付き合いでしょ?何かあるんじゃない?」


実はシズクとララ同様、バニラとウォルフも幼馴染だ。幼い頃から一緒に悪戯や喧嘩ばかりしていて、地元では有名な悪ガキコンビだった。そんな二人に恋心など芽生えるはずもなく、関係も「悪友」といった方がしっくりくるほどだ。


「ウォルフと?ないない。あいつが鼻たれ小僧だった頃から知ってるのよ。そんな奴を好きになるわけないじゃない。」


もし本人が聞いていたら、間違いなく反論するだろう言葉を吐きながら、バニラはきっぱりと否定する。そしてすかさず皆の視線をマロンに集める。


「それよりマロン。あなたこそシードと何かあったんじゃないの?あの時の反応…絶対、何かあったでしょ。」


バニラの目ざとさに、マロンは思わず頭を抱える。


「な、何もないわよ…。」


「本当に~?」


疑いの眼差しを向けるミアが、わくわくと身を乗り出す。観念したように、マロンは頬を赤らめて口を開いた。


「ただ…ちょっと。その…ふわっと笑った顔が、可愛いなって思っただけよ。」


恥ずかしそうに視線を逸らす彼女に、ミアとバニラは顔を見合わせ、にやにやと笑みを浮かべる。


「でもそれだけ。本当にそれだけだから!恋とかそういうんじゃないわよ。それに、私の理想の人は、スイ先生みたいに背が高くて…スラッとしてて…カッコいい人なんだから。」


「スイ先生かぁ~。」


スイは百八十センチ近い長身に、キリッとした雰囲気をまとった王子様系の美貌の持ち主。同性でさえ惚れる者が後を絶たないと噂されるほどだ。そんな人物を理想に掲げるマロンは、言ってしまえば”普通”だろう。


「なんか、つまんない理想ね、あんた。」


「何よ…!いいでしょ、別に!」


ぷいと顔を背けるマロンを横目に、ひととおり話題が巡ったところで、ふと場が落ち着く。だが、結局のところ具体的な恋愛めいた話を口にしたのはシリルだけだった。そのため、一同の視線が自然と彼女に集まる。


「え、えっと…あの…。」


一斉に注がれる期待のまなざしに、シリルはたちまちタジタジとなる。その後、彼女が質問攻めに遭ったのは言うまでもない。


翌日――


夜更かししたわりには、皆の顔に疲れは見えなかった。むしろ、昨夜の恋バナがよい気分転換になったのか、どこか晴れやかである。


そんな彼らを見渡して、スイは一言。


「よし。それでは本日の訓練を始めようか。」


張りつめた空気が戻り、再び過酷な訓練の一日が幕を開ける。

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