体力強化合宿
春休み。シズクたちはランダの湖畔にある合宿所に集まっていた。
今は基礎体力がどれほどあるか、スイに試されている段階だ。
今回の合宿には決闘戦に参加した六人だけでなく、学年対抗戦で目覚ましい成長を見せたマロンやバニラ、ウォルフも呼ばれていた。しかしシードだけは呼ばれなかった。スイとしては招待したい気持ちもあったが、彼を呼べば周囲との軋轢が避けられない。まだ時期尚早だと判断したのだ。
合宿所の広場には二本の杭が立てられ、五十メートルの間隔を挟んで淡く光を放っていた。スイは全員を整列させると、冷たい声で説明を始める。
「これから行うのは往復走よ。杭から鳴る音に合わせて、向こう側の杭に走りなさい。音の間隔は常に一定。一度でも音に遅れたら脱落よ。何回まで走り続けられるかどうかで、体力と集中力を図るわ。」
「つまり、同じ速度を維持して走れってことですか?」
ウォルフが眉を上げる。
「その通り。単純だけど、楽ではないわ。ただ、魔法使いには体力が必要不可欠。これから先を目指すなら、魔法だけでなく体も鍛える必要があるの。」
誰も言い返すことなく、無言でうなずく。
スイが指先を弾くと、杭から澄んだ鐘のような音が響いた。ピン、ポン、ピン、ポンと規則正しく繰り返される音に合わせ、全員が走り出す。
最初は余裕の表情を浮かべていたが、往復が十回、二十回と重なるにつれ、徐々に呼吸が荒くなっていく。同じ速度を保つことが、ただ走るよりもはるかに苦しい。少しでも気を抜けば、音に遅れ、失格となるからだ。
「うぷ…もう無理!」
最初に脱落したのはマロンだった。杭に辿り着く直前で膝をつき、肩で息をする。
「マロン、そこまで。」
スイが即座に制止をかける。
残る面々は彼女を横目にしながらも気を抜けない。一定のリズムに合わせて走るだけの単純な課題だが、体力だけでなく集中力や精神力をも削っていく。
やがてバニラ、ウォルフと順当に一年生二人が音に遅れ、しばらくして、ミア、そしてシリルが力尽きる。二人とも必死に食らいついたが、普段から鍛えているレントにはわずかに及ばなかった。もっとも、そのレントもほどなく限界を迎える。
ララは懸命にシズクへと食らいついたものの、最後は力尽きて脱落。最終的に残ったのはシズクとアルベリオの二人。粘り強い攻防の末、わずか二往復の差でアルベリオが勝利を収めた。
「お疲れさま。よく頑張ったわね。個人差はあるけれど、今回の測定で私が基準にしていたラインは全員が超えていたわ。まずは汗を流して、今日はゆっくり休みなさい。後で何人か呼ぶかもしれないけれど、そのときは少しだけ付き合ってちょうだい。以上、解散!」
声を揃えて返事をした生徒たちは、仲間同士で言葉を交わしながら宿舎へと戻っていく。その背中を見送りながら、スイは一人残り、記録した往復回数を確認した。
結果はおおむね予想通り。ただし、一つだけ想定外があった。
――マロンが最初に脱落するなんて…。
スイは首を傾げる。
――高威力の魔法を放つには、大きな魔素の許容量と、それを支える体力が不可欠。マロンの魔法の規模を考えるなら、バニラやウォルフよりも体力があるはず...。
走っていたときの彼女の姿を思い返す。手を抜いている様子はなかった。むしろ必死で食らいつこうとしていた。それなのに結果は最下位。
――あの子は手を抜くタイプじゃない。だとしたら、別の理由がある。
スイはひとつの仮説に辿り着き、その検証のために歩を進めた。
その夜――
マロンはスイに呼び出され、宿舎の離れにある小さな訓練場へ向かっていた。
「私、最初に脱落したから叱られるのかな…。」
そんな不安を胸に扉を開ける。しかし、待っていたスイの顔を見た瞬間、その心配はすっかり消えた。あまりにも穏やかな笑みを浮かべていたからだ。
「来てくれてありがとう、マロン。早速だけど、あの的に向かって、威力戦で使ったのと同じ魔法を撃ってみてほしい。少し、確かめたいことがあるの。」
「え?…はい、わかりました。」
真意はわからなかったが、マロンは素直に魔法陣を展開し、集中する。あの日と同じように、全神経を研ぎ澄ませて――
カチッ。
歯車が噛み合うような、確かな手応え。
次の瞬間、地鳴りを伴って土の針が的を貫き、粉々に砕いた。以前よりも制御力が上がっているのか、マロンは的を破壊した直後、土の針をぴたりと停止させる。
「見事ね。」
スイは思わず手を打った。
「やっぱり…。マロン、あなたは極端に魔素効率がいい。少ない魔素で強力な魔法を撃てている。その理由は、天才的な魔素の流れを読む力。もしかして、何か”噛み合う瞬間”がわかるんじゃない?」
その問いかけに、マロンは顔をぱっと明るくする。
「はい!そうなんです!魔法陣を展開してると、カチッていう音が聞こえるんです。その音に合わせて撃つと、力が一気に溢れて、すごい魔法になるんです!」
普段は大人びた態度を見せるマロンが、子供のように目を輝かせて語る。その様子にスイは目を細め、温かい笑みを浮かべた。
「ふふ…なるほど。素晴らしい才能ね。でも、それはそれとして体力はちょっと少なすぎるわ。一緒に、少しずつ鍛えていきましょう。」
「はいっ!」
他の誰でもないスイに才能を認められたことが、よほど嬉しかったのだろう。マロンはぱっと花が咲いたような笑顔で頷いた。
――翌日。
体力測定の結果を受けて、スイはそれぞれに具体的な課題を示した。
「まずマロン、バニラ、ウォルフ。君たち三人は最初の基準を満たすこと。目標は五十往復。これを達成できなければ、次の段階には進めないわ。」
三人は顔を見合わせ、少し不安げに眉を寄せた。しかし、すぐに「やれるだけやってみよう」と笑みを交わす。
「ミア、シリル、レント。君たちは第二段階。五千メートルを十五分以内で走ること。」
ミアは胸に手を当てて小さく息を吸い込み、「大丈夫」と自分に言い聞かせるように頷く。シリルは疲労を隠しきれない顔をしていたが、その眼差しは真剣そのもので、レントは拳を握りしめ、「絶対にやり遂てみせます」と自信を込めて言葉を返した。
「最後にララ、シズク、アルベリオ。君たちは第三段階。魔法を発動し続けながら、三十往復を達成すること。」
三人の顔に一瞬だけ驚きが走るが、すぐにそれぞれの覚悟が滲む。ララは不安を抱きながらも真っ直ぐ前を見つめ、シズクは静かに決意を固めるように目を細め、アルベリオは淡々とした表情で深く頷いた。
誰一人として不満を漏らさず、課題を素直に受け入れる姿に、スイは小さく微笑む。湖畔に並ぶ生徒たちの背中には、それぞれの覚悟が確かに刻まれていた。
スイの合図とともに一斉に訓練を開始した一同。スイの目論見では、どの課題も最初に達成者が出るのは二日後、そう踏んでいた。だが、その予想はあっさり覆される。
初日から、シズクとララが第三段階を余裕でクリアしてしまったのだ。しかもララは不安そうな顔を浮かべながらも、結局は涼しい顔で三十往復を走り切っていた。
「すごいね、二人とも。」
驚きを隠せないスイに、シズクは肩をすくめて当然とばかりに答える。
「僕たちの師匠はヴァイオレットさんですよ。あの人、こういう訓練が大好物なんですから。」
「ああ…そうだったね。」
軍事訓練を由来とする「魔法を維持しながら走る」メニュー。現役軍人であるヴァイオレットは特に好んで取り入れ、シズクとララに無理のない範囲で反復させていたのだ。結果、三十往復程度なら既に慣れ切った課題にすぎなかった。
「ふふ、これは私の見通しが甘かったかな。君たちなら第四段階も簡単そうだし…じゃあ、いきなり第五段階に進もうか。」
楽しげに口元を緩めたスイの目は輝き、その瞬間、シズクとララの背筋に悪寒が走る。
「はい、これを着けて。」
差し出されたのは、見覚えのある黒銀のブレスレット。
「これって…スイ先生や、トリスちゃんがいつも着けてる…?」
「そう。”魔素分散装置”っていう魔道具よ。体内に取り込んだ魔素を無理やり分散させて、魔法の流れを乱すの。私やトリスちゃんみたいに、手加減しても威力を出し過ぎてしまう魔法使いには必須のアイテムよ。学校内だとこれを着けないと、周りが危ないからね。」
言葉の意味に二人は息を呑んだ。つまりスイやトリスは、魔素が乱され手加減した状態で、あの規格外の威力を発揮しているということだ。
カチリ、と金属音を立ててブレスレットを嵌めた瞬間、シズクとララの顔色が変わる。これまで身体の一部のように巡っていた魔素が、一気に散らされる感覚。力が体の外へと抜け落ちていくような、強烈な違和感に思わず体が震えた。
「その状態で五分間、魔法を維持し続けなさい。かなりしんどいと思うけど、頑張って。」
期待に満ちた笑みを浮かべるスイの顔が、シズクとララには悪魔そのものに見えた。




