開幕
「おい、お前。どうやってシズクに取り入ったんだ?」
「えっ…な、何のこと?」
「はぁ?とぼけてんじゃねぇよ。シズク君が、なんの取り柄もないお前なんか選ぶわけねぇだろ。」
昼間でも薄暗い、人気のない校庭のトイレ。そこでシードは五人の生徒に取り囲まれていた。
彼らは特待クラスでも下位に沈む十七位、十九位、二十位の面々。そして残りの二人は、すでに二度目の定期試験で第一クラスに落ちた者たちだった。
だからこそ、魔法も使えないのに特待クラスに居座り、しかも十五位にいるシードが気に食わなかった。
「ぼ、僕は本当に何もしてないよ!それにシズク君は、そんなことで選ぶような人じゃ――」
「はぁ?口答えかよ。」
ドンッ!
背中から洗面台に叩きつけられる衝撃。シードの肺から苦しい息が漏れる。
「ッ……!」
「生意気なんだよ。てめぇみたいな落ちこぼれが、口答えしてんじゃねぇ。」
一人が吐き捨てるように言い、もう一人がニヤニヤと笑いながら肩を押さえつける。
「シズク君に気に入られた理由?そんなもん、あるわけねぇよな。」
「だからよ。作れよ。テメェがどうやって取り入ったのか、俺たちが納得できる理由をな。」
シードは顔を歪め、痛みに耐えながら必死に首を振るしかなかった。
その時――
「…何をしているんだ?」
低く鋭い声が、薄暗いトイレに響く。
ぎろりと光る視線の主はシズクだった。たまたま通りかかった際に、中から聞こえた大きな衝撃音を耳にして駆けつけたのだ。
「シ、シズク君!ち、違うんだ、これは――」
「お前は喋るな。」
シズクの声は冷え切っていた。
「僕はシードに聞いている。」
その表情にこれまで見たことのない怒気を感じ、いじめっ子たちは一瞬で気圧される。
「な、何でもないよ。ただ話してただけで…。」
シードは、そんな場面ですら笑ってごまかそうとした。
「話してただけ、ね。じゃあ、その顔の痣は何だ?」
「こ、これ?さっき転んじゃって…本当に大丈夫だから!」
シズクは悟った。シードの心は、すでに踏みにじられている。救いの場面でさえ、自分を傷つけた相手を庇うほどに。
その姿に、シズクの怒りは頂点に達した。
「…ごめん。こんなになるまで気づけなくて。だが今、助けてやる。」
「待って、シズク君!」
シズクは五人を睨み据え、冷たく言い放った。
「表に出ろ。全員まとめて相手してやる。僕に負けたら二度とシードに手を出すな。」
「けっ…!いい気になるなよ。訓練場以外じゃ魔法は使えねぇ。ただの殴り合いなら、五対一で俺らの勝ちだ。」
リーダー格の男が下卑た笑みを浮かべる。
「優等生の泣き顔、たっぷり拝ませてもらうぜぇ…。」
そんな彼らをシズクは嘲笑う。
「魔法を使わなくても、お前ら程度、相手にもならない。喋ってないで、さっさとかかってこいよ。」
「待って!シズク君、魔法が使えないんだよ!?五対一だよ!僕のためにこんな危険を――」
「大丈夫だ、シード。」
そう言って見せた笑顔は、どこまでも優しく、力強かった。シードの胸を締め付ける罪悪感がさらに募る。
「おらぁっ!」
一人が雄叫びを上げ、拳を振り下ろす。
次の瞬間――
「ぐっ…!?」
宙を舞ったのは、シズクではなくいじめっ子の方だった。
「なっ…!」
続けざまにまた一人、また一人と叩き伏せられ、あっという間に五人は地に転がる。誰一人まともに抵抗できなかった。
「ど、どうして…。」
震える声に、シズクは平然と答えた。
「僕は軍人を目指している。師匠から近接格闘技を仕込まれているし、日々のウェイトトレーニングも欠かしていない。この程度の連中なら、何人来ようが相手にならないよ。」
言葉通り、シズクの体は無駄なく引き締まり、力強さを宿していた。魔法使いは近接戦に弱い。そんな思い込みを、彼は一瞬で打ち砕いてみせたのだ。
そして彼はふっと視線をシードに向ける。
「というか。それを言うなら君だ、シード。」
「え…?」
「こんなに体を鍛えているのに、どうしてあんな連中に好き勝手されてるんだ?」
ぽんぽん、とシズクがシードの両肩を軽く叩く。
「魔道具を使うために体を鍛えているんだろ?僕がジムで練習するとき、大抵先にいるのは君だ。ストイックだなって、いつも思ってた。なのに君ときたら…!」
シズクがやれやれと首を振ると、シードは返す言葉を失った。
「いいか、これは徹底的な意識改革が必要だ。」
シズクの目が真剣に光る。
「今度の連携戦、作戦の中心は僕じゃなくて君だ。攻撃は全部シード、僕は君の後ろで支える。わかったな。」
「えっ…攻撃を僕が?」
ようやく意味を理解したシードは、ぶんぶんと首を振る。
「無理だよ!僕にそんな――」
「無理じゃない!」
シズクが鋭く遮った。
「君はやれる。いや、やらなきゃ駄目だ。せっかくの才能を無駄にする気か?」
シードは唇を震わせた。シズクの言葉は厳しい。だがそこには、嘘偽りのない信頼と優しさが滲んでいた。
「でも、僕は怖いんだ。」
小さな声。その一言に、シズクはふっと口調を和らげた。
「怖いのは誰だって同じさ。でも、それを超えるために僕たちは戦うんだろ?シード。君には、その力がある。」
そう言って差し伸べられた手をシードは戸惑いながらも握り返した。
――そして翌日。
二人の姿は訓練場にあった。
「さあ、今日から徹底的に鍛えるぞ。まずは魔道具を使った模擬戦だ。」
「ええっ!?いきなり!?」
「当たり前だ。実戦は待ってくれない。僕が相手をする。遠慮はいらない、全力で来い!」
そうして始まったのは、シズクとシードの過酷な特訓の日々。
最初は守られるだけだったシードも、少しずつ確実に反撃の手を覚え、シズクの信じる「戦える仲間」へと変わっていった。
そうして――
ついに学年対抗戦、当日を迎える。
誰もが胸にそれぞれの思いを抱きながら、開幕戦となる三つ巴の陣地戦のフィールドに足を踏み入れる。
三十六名の生徒が並び立つ様は壮観だった。観客席に控える他の生徒たちの視線が一斉に注がれ、緊張が張り詰めていく。
「ルールを説明する。」
審判役の教員が声を張る。
「まず、制服について説明する。全ての制服には、魔法を無効化する効果が付与されている。校内にいる限り、魔法による直接的な損傷を受けることはない。ただし、その代わりに“無害な衝撃”として身体に伝わり、その累積が一定値を超えると、強制的に気絶状態に陥る。気絶した瞬間、その生徒は“死亡扱い”となり、教員の判断で安全な場所へ転送される仕組みだ。」
試合は安全に設計されている。しかし“気絶”とは、あくまで死の代替。制服がなければ命を落としていたということを意味する。そう理解した瞬間、生徒たちの背筋が自然と正された。
「次に、陣地戦についてだ。陣地戦では全学年が同時に参加することとなる。フィールドには三つの陣地があり、それぞれの陣地を奪い合ってもらう。各陣地には、参加者数と同じ十二本の旗が立てられており、敵陣地から奪った旗の数によって勝敗が決まる。ルールは以上だ。質問のある者は?」
一瞬、空気が張り詰める。誰も手を挙げなかった。
「いないようだな。それでは作戦会議に入る。持ち時間は十分。その後、開戦とする。各自、自分の学年の陣地へ移動せよ!」
教員の号令と共に、生徒たちは三方向へ散っていった。
一方その頃――
シズク、ララ、マロン、そしてシードは観戦席に並んで腰を下ろし、自分たちのクラスの仲間が作戦会議をしている様子を遠目で眺めていた。
「どうなると思う?」
ララがぽつりと問いかける。
「早々に、一年生の過半数が退場するだろうね。」
シズクの返答は冷徹そのものだった。
「力の差がありすぎる。二、三年生と正面からぶつかれば、持って十分だ。」
「ふーん。シズクにしては控えめね。」
マロンがくすりと笑い、毒を吐く。
「序盤でほぼ全滅するでしょ。残れるのはウォルフとバニラくらいでしょうね。」
シードは思わず眉をひそめた。
今挙げられた名前は学年内で四位と五位に位置する二人。順当な実力者だが、マロンの口ぶりには「それ以外は数にも入らない」と言いたげな冷酷さが滲んでいる。
しかし、シズクはすぐに首を横に振った。
「いや。ウォルフはまだしも、バニラは真っ先に脱落するだろう。」
その一言に、マロンの目が吊り上がる。
「…何ですって?バニラに力がないって言いたいわけ?」
「違う。むしろ逆だよ。」
シズクは静かに断言した。
「バニラは広範囲に影響を与えられる魔法を持っている。だけど先輩たちと比べれば、個としての力は弱い。つまり厄介でありながら、獲物として狙いやすい。そう、見なされるだろう。だから最初に集中攻撃を受けるんだ。」
「…あっ。」
マロンは口をつぐみ、少し悔しそうに視線を落とした。
「なるほどね。厄介者を真っ先に潰すのは戦場の常識。残念だけど、確かにそう考えると、バニラは標的になりやすいわ。」
「うぅ…。」
横でシードが心配そうに声を漏らす。
「じゃあ、バニラさんは…すぐにやられちゃうの?」
ララはそんな彼に視線をやり、淡々と口を開いた。
「簡単にやられるかどうかはバニラ次第。バニラはずる賢いから、狙われるのを承知できっと何か仕掛けてるはず。」
「そうだな。」
シズクも同意するように頷き、マロンも補足するように続ける。
「勝ち残るのは難しいかも知れないけど、バニラだったらきっと何か爪痕を残してくれるわ。」
マロンは祈るように目を瞑る。
その時、フィールド中央で鐘が鳴り響く。
――開戦の合図だ。




