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悩み

「ん…。朝か。」


カーテンのすき間から光が差し込み、ヴァイオレットは自然と目を覚ました。時計は六時五十分。目覚ましより少し早いのも、もう習慣になっている。


身支度を整えると、ヴァイオレットは学び舎の門へ向かった。そこに立ち、登校してくる子供たちに「おはよう」と声をかけるのが毎朝の日課だ。


この学び舎ができて数か月。十歳から十三歳の子供たちが通い始め、すぐににぎやかな場所になった。ヴァイオレットも教師としてすぐに子供たちに受け入れられ、今ではすっかり頼られる存在だ。


担当は魔法の授業。そして魔法学校を目指す特別組の担任でもある。九月の入学試験に向けて、日々子供たちを導いていた。


「明日は入学試験だ。十三歳になる子にとって、魔法使いへの最初の一歩になる日だ。教えられたのはわずか二か月あまり…それでも君たちならきっと合格できる。」


彼女がストックを訪れたのは、シズクとララの師となるためだけではない。学び舎の管理と魔法教育の普及。それこそがヴァイオレットに課された本来の任務だった。


そのためヴァイオレットは、全ての子供に魔法を教えている。力の大きさこそララやシズクには及ばないが、どの子も同年代の子供より確かな実力を身につけていた。名門ランダ魔法学校は難しくても、他の学校なら十分に狙えるだろう。


そもそも彼らは幸運だった。現役で、しかも超一流の魔法使いに直接教わるなど、本来あり得ないことなのだ。


皮肉なことに、すべてはDの引き起こした事件がきっかけだった。あの惨事の後、ストックの魔法教育は飛躍的に進歩したのだ。


「私たちも三年後、受けるんだよね。」


「うん。でも僕たちの目標は合格だけじゃない。師匠が言ってただろ?」


シズクとララも三年後に入学試験を迎える。その二人に、ヴァイオレットはある課題を与えていた。それはただの合格ではなく、圧倒的な実力で合格を勝ち取ること。


名門ランダ魔法学校に、主席と次席で同時に入学する。それがヴァイオレットの示した目標だった。


「うん。そのためにもっと頑張らないとね。」


教室の一角で、二人は小さく頷き合った。


「さて。」


ヴァイオレットが短く声を発すると、ざわめいていた空気が一瞬で引き締まる。子供たちの視線が一斉に前に向けられた。


「十三歳組は今日は特別授業を行う。明日の試験に向けて、最後の総仕上げだ。それ以外の子たちは、いつも通りの授業を受けなさい。」


「はい!」


声が重なり、教室に元気な返事が響いた。緊張と期待が入り混じる中、それぞれが席を立ち、授業が始まっていく。


──そして、長い一日が終わった。


放課後の学び舎。子供たちの声も次第に遠ざかり、教室には夕焼けの光だけが満ちていた。


シズクとララは並んで窓辺に立ち、校庭を見下ろしていた。そこでは十三歳組の生徒達が、試験前の最後の追い込みとばかりに魔法を繰り返している。火花が散り、水が飛沫をあげ、風が草を揺らす。必死さがにじむその姿は、不格好ながらも眩しかった。


「…頑張ってるね。」


ララがぽつりと呟いた。その声には憧れと緊張が入り混じっている。シズクも小さく頷いた。羨望ではない。けれど胸の奥がざわつく。あれは三年後、自分たちの姿だ。そう思うだけで拳に力がこもった。


「ずいぶん真剣に見ているね。」


不意に背後から声がかかる。振り返ると、ヴァイオレットが柔らかな笑みを浮かべて立っていた。


「もう先輩方はいいんですか?」


「うん。質問攻めにあって大変だったけどね。でも、もう大丈夫」


苦笑しながらも、その表情には希望の色がにじんでいた。


「さあ、いつもの公園に行こうか」


そう言った次の瞬間、彼女の顔にふと影が差した。背中に漂うわずかな緊張を、ララとシズクも感じ取る。


歩きながら、ヴァイオレットはためらいながらも口を開いた。


「少しだけ、悩んでいることがあるんだ。普段ならこういうときに相談できる相手がいるんだけど、今は遠くにいて話せなくてね。十歳の君たちに聞かせる話じゃないかもしれない。でも、今の私には弟子である君たちくらいしか頼れる人がいないんだ。聞いてくれるかい?」


二人は黙ってうなずき、ヴァイオレットに視線を向ける。その静かな反応を同意と受け止め、ヴァイオレットは言葉を続けた。


「人に教えるのは、これが初めてなんだ。だから明日を考えると、どうしても怖くなる。もし教え子が失敗したら、とか。もし私の教え方そのものが間違っていたら、とか。魔法使いとしての力には自信があっても、指導者としてはまだまだ未熟だからね。」


その声には、いつもの凛とした強さではなく、一人の若者としての等身大の弱さがにじんでいた。


シズクとララは驚いた。普段は誰よりも凛としている彼女にも、こんな迷いがあるのかと。けれど同時に、それだけ真剣に自分たちや生徒に向き合ってくれているのだと思うと、胸の奥が少し温かくなった。


「……ごめんね。こんな個人的な悩みを聞かせて。」


申し訳なさそうに語るヴァイオレットに、シズクが真っすぐな声で返す。


「謝らないでください。僕たちになら、いくらでも悩みをぶつけてくれていいんです。だって弟子ですから!」


隣のララも小さく首を縦に振り、同意を示す。その様子にヴァイオレットは一瞬目を丸くし、やがてふっと笑った。


「あはは。ありがとう。じゃあ、これからも頼らせてもらうよ。」


そうして他愛のない会話を交わすうちに、公園へと辿り着いた。


先ほどまでの迷いや弱さは、もう微塵も見えない。ヴァイオレットの表情は引き締まり、背筋は凛としている。


「さあ、訓練を始めよう。」


彼女は振り返り、シズクとララをまっすぐに見据えた。


「十三歳組は明日の試験に向けて全力を尽くしている。君達も私の弟子として負けてはいけない。今日はいつもより厳しくするよ。覚悟して挑みなさい。」


その言葉に、シズクとララの胸が自然と熱を帯びる。


先ほどの弱さを吐露した師の姿も、今ここに立つ揺るぎない導き手の姿も、どちらも本物なのだと理解できたから。


二人は深く息を吸い込み、師の前に立った。次の瞬間、公園にいつもの魔法訓練の気配が満ちていくのを二人は感じ取っていた。

次回は9/20(土)に投稿いたします。

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