チェルシーとマリエッタ
「それで、どうなったの?」
「どうって? 何が?」
マリエッタに聞かれて、チェルシーは首を傾げる。
とある伯爵家の夜会だ。兄モンタギューのエスコートでチェルシーは参加していた。両親が領地にいるため、エスコートが必要な場では兄が付き添ってくれる。しかし、特別仲良くもないので、行きと帰りだけ一緒で会場内では別行動していることが多かった。
マリエッタはディーシープ男爵家の次女で、王都の貴族向けの基礎学校で同級だった友人だ。入学当初から気が合って、卒業してからも仲良くしていた。
「ハイウッド子爵令息よ。先月の夜会で声をかけられていたでしょう? デートはしたのよね?」
「ああ……その話……」
チェルシーが顔を曇らせると、マリエッタは察して、
「うまくいかなかったのね……」
「ええ、そうなの。夜会の後日、カフェに誘われて出かけたのだけれど……」
「話が合わなかった、と?」
「だって自慢話ばっかりなんですもの」
しかも、誰それと知り合いだとか、どこぞの侯爵家の夜会に出ただとか、自分のことでもない。
「そんなのは、にこにこ笑って相槌打っていたらいいのよ」
「その場ではもちろんそうしたわ。一時間二時間くらいなら耐えられるもの。でも、結婚して一生なんて無理でしょう?」
「まあ、それはそうだけれど」
マリエッタが同意してくれたから、チェルシーは続ける。
「もちろん話題を振ってくれたり、こちらの話を聞いてくれたりもしたわ。でも服飾やお菓子の話くらいだもの。令嬢らしい話題は微笑ましく受け止めてくれていたけれど、魔道具の話にちょっと触れたら戸惑っていたわ」
政治や経済ってわけでもないのに、とチェルシーは憤慨する。
「次のお誘いはなかったから、ハイウッド様も違うって思ったんでしょう」
「そうがっかりしないで、別の出会いがあるわよ」
「出会い……」
なんとなく繰り返すと、マリエッタは「え? 何かあったの?」と身を乗り出した。
「何かってほどではないんだけれど……お兄様が高等専門学校の同期の方とのお見合いを画策してね……」
チェルシーは、兄の連絡不足のせいで見合い相手の代わりに別の人が来たことを話した。それから、後日、下町で会ったことも。
ミンティア通りの十日市は、メイドのリズに連れて行ってもらった。リズは下町の出身で、幼いころ出かけた十日市の話を彼女から聞いてチェルシーが強請ったのだ。
慣れない人混みを歩いているうちにリズとはぐれ、慌てている間にひったくりに遭ってしまった。追いかけている最中にミックと再会したのだ。
彼の計らいで、警備団の事情聴取に家名を出さずに済んだ。
ミックは警備団の詰め所での事情聴取にも付き合ってくれて、その場で約束通り服の汚れを落としてくれた。
彼は携帯用の石板に水ペンで細かな魔術陣を描く。
チェルシーは実家の書庫にある魔術書を読んでいて魔術陣をいくつも知っているけれど、ミックが描いたのは見たことがない魔術陣だった。
「これは?」
「洗濯屋や古着屋なんかで使ってる染み抜きの魔道具があるんすけど、その元になってる魔術陣です」
彼が呪文を唱えると陣が光る。柱のように上方に向かって光が立ち、ほんのりと明るい。ミックは断ってから、その光をチェルシーに向けた。光が当たると汚れはさぁっと消えてなくなる。
チェルシーも、隣で見守っていたリズも目を瞠った。
「まあ、すごいわ! どうもありがとう」
「いえいえ、悪いのは俺っすからね」
綺麗になってよかった、とミックは笑ったのだ。
――一連の出来事を話すと、マリエッタは「けっこうな出会いじゃないの!」と盛り上がったあと、眉を下げる。
「でも、王立魔術院の魔術師でも平民だと難しいわよね」
「別にそういう相手として見ているわけではないわよ」
「え、良い方だったんでしょう? 魔道具の話もできるし」
「それはそうだけれど……」
彼を恋愛相手の候補に入れてしまうと、偶然の出会いが一気に打算的なものに落ちてしまう気がして、チェルシーは言葉を濁す。
「お見合い相手のエイプリル伯爵からお断りのお手紙をいただいたのだけれど、わたくしが魔術師でないことが理由ではないとはっきり書いてくださったの。兄とは別にわたくし宛てにいただいた手紙によると、ミックさんが気にしていたって……」
「彼がエイプリル伯爵に進言してくれたってこと?」
「そうみたい」
「ますます良い方じゃない!」
「そうよね。改めてお礼をしたいのだけれど……」
チェルシーが頬に手をあてて首を傾げると、マリエッタは扇をパンっと手で打って、
「ご実家の食堂をリズが知っているんじゃない? 行ってみたらどう?」
「ええ? 迷惑じゃないかしら?」
「会えなかったらお食事して帰ってくればいいのよ。それじゃなかったら魔術院は? 確実に会えるわ」
「魔術院はダメよ! 職場なんてそれこそ迷惑だわ!」
「じゃあ、食堂で決定ね。結果はまた聞かせてね」
マリエッタは楽しそうに笑う。チェルシーは、お礼だけ置いてくればいいわ、と考えて、しぶしぶうなずいた。
チェルシーの話が終わったところで、マリエッタは扇を開くとチェルシーに顔を寄せた。内緒話の合図に、チェルシーも黙って耳を貸す。
「私、婚約が決まりそうなの」
「まあ! おめでとう!」
「ありがとう。お父様の仕事の関係でね。十も年上なのだけれど、男爵で将来有望な方ですって。今度顔合わせするのよ」
この国の男性の適齢期は二十代半ばだ。将来有望な人が二十八か九まで未婚でいるかしら、とチェルシーは心配になる。
「あなたのお父様って官吏よね」
マリエッタの父は農林水産省に勤めている。
相手もそうなのかと聞くと、マリエッタは首を振った。
「ふふっ。驚くわよ。――王立魔術院の魔術師なのよ」
「ええっ!」
「あなたの話を聞いて私も驚いたのよ。あなたのおうちは魔術師貴族だから縁があってもおかしくないけれど、タイミングがね」
農林水産省が魔術院に依頼した仕事でやりとりしているうちに、マリエッタの父が相手を気に入ったらしい。
「ヘンリー・ダンタウン男爵っておっしゃるのだけれど、あなた、知っている?」
チェルシーは首を振る。
「わたくし、身内の魔術師しか知らないの。……魔術師貴族の本家ではない、くらいしかわからないわ。分家の家名までは覚えていないわ」
「魔術師貴族ではないそうよ」
「まあ、そうなの? 優秀な方なのね」
そう言ってしまってから、この発言は兄や叔父に毒されていると自嘲する。
多少の羨望が混ざっている気がする。魔術師と結婚するマリエッタに、ではなく、王立魔術院の魔術師のダンタウン男爵に、だ。
そんな葛藤に気づかずにマリエッタは朗らかに笑った。
「あなたが知り合った方だって、同じでしょう?」
チェルシーは曖昧に笑って視線を逸らす。
ミックの魔術にも、感心しながら、うらやましいと思ってしまう自分がいる。
やはり自分は魔術師と関わらないほうが精神衛生上良い気がしてきた。
「あら?」
気まずくて視線を逸らした先に、珍しい人を見つけてチェルシーは声を上げた。マリエッタも気づき「クリスティ様だわ」と喜色を浮かべる。
数人の若い女性が集まって談笑している中に、すっきりとしたデザインのドレスを纏ったクリスティがいた。
クリスティ・ドアーズ伯爵令嬢は第一王女の近衛騎士だ。
高位貴族や王族の女性の近衛騎士の需要があるため、女性騎士は少なくない。しかし伯爵家のような高位貴族出身では滅多におらず、クリスティは有名だった。
凛とした見た目で、その辺の男性騎士よりもよほど女性たちから人気がある点でも有名だ。
「いつもの騎士服も素敵だけれど、ドレスも素敵ねぇ」
「ええ、本当」
チェルシーもマリエッタも直接の面識はないけれど、同じ基礎学校で一つ先輩だった彼女は見知っている。近衛騎士になってから訓練を見学に行ったこともある。
「クリスティ様はご結婚されないのかしら」
「そうね、聞かないわね」
彼女のように仕事を持っていたら、家族から結婚を急かされることもないのだろうか。
いろいろな「うらやましい」が積もって、今日の夜会はチェルシーを疲れさせたのだった。




