イブニング子爵家の令嬢
チェルシーが帰宅すると兄のモンタギューが待ち構えていた。
「どうだった? エイプリル伯爵はお前のこと気に入ったか?」
挨拶も飛ばして詰め寄る兄に、チェルシーは眉を吊り上げた。
「お兄様! お見合いだって伯爵にお伝えしなかったんでしょう? 伯爵はいらっしゃいませんでした!」
「なっ! 来なかっただと?」
「残念ですわね!」
がっくり肩を落とすモンタギューにチェルシーは声のトーンを落とす。
「余計なことはしないでくださいませ。わたくしは魔術師貴族に嫁ぐつもりなんてありませんわ」
「お前は魔術師じゃないが、イブニング子爵家の血筋なんだ。引け目を感じる必要なんて全くないんだぞ」
チェルシーはため息をつく。
「魔術師貴族に嫁ぐくらいなら結婚しないほうがましですわ」
「結婚しないってお前……。私だっていずれは結婚するんだ。小姑に居座られたら迷惑だ」
「勘当してくださっても構いません。――パスワイズの叔父様がいつもおっしゃっているみたいに」
「叔父上の言うことなんか気にしなくていいと言っているだろう!」
トレイシー・パスワイズは、父の弟だ。
イブニング子爵家は宮廷魔術師を祖に持つ魔術師貴族だ。歴史は古く、現在でも魔術師が多く生まれるが、飛びぬけて才能がある者は数代遡ってもいなかった。父も叔父も高等専門学校魔術科には入学できたが、王立魔術院には就職できなかった。年功序列で父が家を継ぎ、叔父は分家の婿養子になったのだ。
兄モンタギューも同じく魔術科までだった。
王都にはイブニング家の魔術師事務所があり、モンタギューは今はそこの長を勤めている。父は領地経営の方が楽しいようで、モンタギューに所長を譲ってからは領地で過ごしている。
イブニング家は魔術師貴族としてはいまいちだけれど、封土貴族としては成功していた。単価の高い果物を栽培し、魔術を活かした特製の冷蔵庫に入れて国内のあちこちに出荷している。季節や天候に縛られないで栽培できるように、ハウス栽培の実験も始めている。初代から続く王都の屋敷も改修しつつ維持できており、使用人も多く抱えている。チェルシーも衣装や宝飾品は自由に買えるし、社交にも困らない。
もうイブニング子爵家は魔術師にこだわらなくても問題なくやっていけている。チェルシーの友人などは子爵家が魔術師貴族だと知らない人だっているくらいだ。
それなのに、兄や叔父は魔術師として大成することが最上だと思っている。
叔父は魔術師の素質がなかったチェルシーを昔から「本家にふさわしくない」と繰り返した。おっとりした父と一般の貴族家から嫁いできた母は「女の子だからいいんだよ」と的外れな慰めを言うだけ。
兄はかばってくれたけれど、魔術師になれないかわいそうな妹を守らなくては、と結局のところ魔術師に価値を置いているのが見えて、チェルシーは素直に受け止められなかった。兄は今どうにかしてチェルシーを魔術師貴族に嫁入りさせようとしている。
叔父からすれば、魔術科止まりの兄は本家当主にしておくにはふがいない存在だったけれど、自分も魔術科止まりだから大きなことは言えなかったのだろう。本家の事務所を継ぐことに反対はしなかった。
それが事情が変わったのだ。
叔父の息子でチェルシーたちの従兄弟のランドルフが今年王立魔術院に就職した。イブニング子爵家の分家まで入れても初めてなのだそうだ。
モンタギューよりもランドルフの方が出世した。それならば、本家の当主にふさわしいのはランドルフでは?
そう言って叔父は何度か父のところに押しかけている。この屋敷にも兄の事務所にもやってきた。
それから、兄は急にチェルシーの縁談に積極的になった。チェルシー自身に話はないが、叔父からランドルフの婿入りを提案されたのかもしれない。
「とにかく、エイプリル伯爵にもう一度見合いを打診してみる。今度はきちんと手順を踏む」
「やめてください。さきほどから言ってますけれど、魔術師貴族はうんざりですわ」
モンタギューの言葉にチェルシーは首を振る。
「エイプリル伯爵は血筋や身分にこだわりのない方だ。お前が魔術師でなくても気になさらないはずだ」
それはそうだろうと思う。
最初から持っている物には注意を払わない。手に入らないから価値を見出すのだ。
そこでチェルシーは劇場で出会った魔術師の青年を思い出した。暗灰色の短い髪が清潔感のある、社交的な人だった。同い年くらいだろうか。同年以上の男性で威圧感がない相手は珍しい。そのせいか話しやすくて……。
魔術師じゃないのが普通だと言われて、久しぶりにかっとなってしまった。
そんなことはわかっている。チェルシーの友人は皆、魔術師ではない。
でもこの家では魔術師が普通なのだ。
「伯爵はよくても、ご家族や分家の方は? 代々続く名門に叔父様のような方がいないわけがないですわ」
「……いや、それは……」
否定できないモンタギューは一瞬言葉に詰まるが、
「しかし、イブニング子爵家から嫁に出すのに魔術師貴族以外は考えられん。お前も由緒正しい血筋なのだから、子どもには素質が出るかもしれないだろう。そのためには一般貴族よりも魔術師貴族の方がいいに決まっている。子どもが魔術師として大成したら、叔父上もお前のことをとやかく言うこともない」
魔術師、魔術師とモンタギューはそればかりだ。
子どもが魔術師になったからって、自分が魔術師になれるわけではない。
そんなことで叔父を見返せたり、嫌味を言われた過去をなかったことにできると思っているなら、大間違いだと思う。
人を見てまず魔術師かどうかを聞くような家には絶対に嫁ぎたくない。
「エイプリル伯爵には謝罪だけしてくださいませ。わたくしはお見合いはしませんから」
チェルシーはそれだけ言うと、自室に向かう。
モンタギューは「エイプリル伯爵には打診するからな」と繰り返していたけれど無視した。
自室の扉が閉まって、チェルシーはやっと息をつく。
「お疲れ様です。お湯のご用意ができております」
劇場に付き添ってくれたリズがチェルシーに苦笑を向ける。兄と意見が合わずに疲弊するのはいつものことだった。
彼女に手伝ってもらって宝飾品を全て外すと身軽になる。ドレスも重かった。化粧を落として素顔に戻って、それでもまだ息苦しく感じる。
この家ではずっとそうだ。
基礎学校で友人ができ、卒業して社交界に出て、兄や叔父の価値観が特殊なのだとチェルシーも理解した。
兄や叔父を避けて、卒業したら領地に引っ込んでしまおうかと思ったチェルシーだったけれど、恋愛至上主義の母が「たくさんの人と知り合ってチェルシーも愛する人を見つけてほしい」と言ったことで、王都にとどまることになってしまった。それで三年を超えるが、愛する人には出会わない。
父が魔術とは無縁の母と恋に落ちて反対する家族を説き伏せて結婚したのは、二人の武勇伝らしい。子どものころは身近なロマンスとして楽しんで聞いていたけれど、同じような恋愛譚を期待されると非常に困る。
母からは二十歳までと期限をもらった。
母に報告をしないとならないため、茶会や夜会には定期的に参加する必要があるが、このままあと一年強を乗り切りたい。領地に引っ越して家の仕事を手伝うのでもいいし、母方の実家の伝手で一般貴族の政略結婚相手を探してもらうのでもいい。
湯舟に浸かって、天井を見上げる。湯気にかすんだ照明魔道具が目に入った。
「照明魔道具……」
劇場の照明が点灯するタイミングは結局わからなかった。最初は気にしていたものの、次第に劇に引き込まれてしまい、最後は照明なんて見てもいなかった。隣の魔術師――ミックは仕組みがわかったのだろうか。
チェルシーが会ったことがある魔術師はイブニング子爵家に関わりのある者ばかりだ。彼らはチェルシーを見下すにしても気遣うにしても、「魔術師になれなかった者」として扱う。何の気負いもなく魔術師と話したのは初めてだった。
子どものころ、勉強すれば魔術が使えるようになるのではと期待して、家の蔵書で基礎を学んだ。勉強しても魔術が使えるようにはならなかったから発動はできないが、描くだけなら魔術陣も描ける。魔道具の仕組みも一般人よりは理解していると思う。
父と兄の魔術の話に口を出しても「無理して勉強しなくてもいい」と気遣われ、叔父に見つかるものなら「魔術師でもないくせに」と鼻で笑われるのがオチだ。それがわかっていたから、チェルシーは成長してから家で魔術の話をしたことがなかった。
今日、ミックと話して、初めてわかった。
魔術の話は楽しかった。
自分は魔術が好きだ。使えなくても好きなのだ。
『こういうときに自分を卑下する言葉って、言われ慣れている言葉が多いらしいっすよ』
ミックにそう言われたとき、心臓を突かれたような気がした。
自分が一番「魔術師になれなかった私」と思っているのかもしれない。
もう開放されたい。
ため息はゆっくりと沈んでいくようだった。