ウォーター劇場での出会い
ブラッドにもらったチケットは、王都でも格式の高いウォーター劇場のものだった。間違いなくドレスコードがある。ミックは迷った末に、王立魔術院の制服のローブを着てきた。
これでダメなら大人しく帰ろうと思っていたけれど、追い返されることなく、中に入ることができた。
人が集まるホールを抜け、大階段を上がる。席は二階席だ。
通路を進みながら緞帳の降りた舞台を見やる。いったいどんな魔道具なのか、わくわくしながら座席についたところ、
「え?」
隣から声が上がった。
ああ、普通は挨拶くらいするものだったか。
ミックはそう思いながら振り返り、できるだけ丁寧に頭を下げた。
「お隣に失礼します」
「あ! いいえ!」
隣は紅色のドレスを身につけた、同い年くらいの若い女だった。金茶の巻き髪が揺れ、薄水色の石が連なった髪飾りが光る。それが何の宝石なのかミックにはさっぱりだ。宝石じゃなくてガラスだったとしても自分には違いがわからないな、と思う。
派手すぎない上品な化粧。指先を頬に当てる角度まで完璧に計算されていそうな仕草。どう見ても貴族の令嬢だ。
そこまで考えてから、ミックは気づいた。
――これってもしかしてお見合いじゃないのか?
ブラッドは魔術科の同期生にもらったチケットだと言っていたではないか。一枚だけもらうなんて、あまり一般的じゃない。
ミックは隣を見たまま固まってしまった。
令嬢は鳶色の瞳を瞬かせ、少し考えるようにしてから、
「王立魔術院の方ですよね?」
「はい」
「エイプリル伯爵では……?」
「ないです! すんません、あ、いや、申し訳ありません。俺、じゃなくて僕は代理で」
「代理……」
顔を曇らせる令嬢に、ミックは慌てて言葉を重ねた。
「エイプリル主任は研究が忙しいため来られず、無駄にするよりは照明魔道具に興味のある僕にって譲ってくださってですね……。あなたが来るって知らなかったんだと思います」
そこで声を潜めた。
「お見合いでしたか?」
「……はい……」
俯いた令嬢に、ミックは泣き出すのではないかと焦った。しかし、彼女は膝の上でぎゅっと拳を握ると、「お兄様……」と唸るような低い声を出した。先ほどまでの模範的な貴族令嬢らしさが一気に消える。
「どうしてこう中途半端なことばっかり! どうせやるならきちんと最後までお膳立てしてほしいわ。いいえ、そもそも余計なお世話なのよ」
「は?」
恨み言のようなつぶやきが聞こえ、ミックは耳を疑った。
令嬢ははっと顔を上げると、上品に微笑んで、
「失礼いたしました。わたくし、チェルシー・イブニングと申します。イブニング子爵家の長女です。兄がエイプリル伯爵と面識があるご縁でこの場を設けていただいたのです」
「俺、じゃなくて僕は、エイプリル主任と同じ課のミック・サンドコリスと申します。主任はあなたが来るってご存じだったら、絶対に僕には譲らなかったと思います。本当、すみません」
「いえ、謝らないでください。悪いのはエイプリル伯爵にお伝えしていなかった兄ですから」
チェルシーは首を振る。
「わたくしも兄から押し付けられたようなもので、気乗りしていなかったのでほっとしました」
それから「あ、これは伯爵には秘密にしてくださいね」と笑った。そうすると親しみやすさを覚える。
爵位を名乗らなかったことや言動で平民だとわかっただろうが、嫌な顔をされなかったことにミックはほっとした。
王立魔術院でも学生時代も、話したことがある貴族は全員魔術師だ。だいたいがヘンリーのような貴族らしくない者だった。
「僕もこのまま見て行っていいでしょうか。特注品の魔道具がどんなものか見たくて、チケットをもらったんですよ」
「魔道具?」
「そっす。劇の演目なんて今入り口で初めて確認したくらいで……です」
とってつけた丁寧語にチェルシーは「いつもの話し方でどうぞ」と笑った。
「魔道具を研究されているのですか?」
「いえいえ、俺は光系統の魔術陣が専門っす。特注品は照明だって聞いたんで見てみたくて……。まあ、見ただけで中身の陣がわかれば苦労しないんすけどね」
ミックは茶化して肩をすくめた。こんな話は貴族令嬢は聞いてもおもしろくないだろうと思い、話を終わらせるつもりだった。けれど、チェルシーは「わたくし、聞いたことがありますわ」と続けた。
「人が操作しなくても自動で色や光量を変えてくれる照明らしいですわ」
「ええっ、自動で?」
「台本に沿って事前に決めておくんだそうです」
「事前にっすか。何分後に光って、その何秒後に色を変えて……というような? うーん、誰かとちって時間がずれたらどうするんすかね」
「あら、わたくしはセリフに合わせてだと思っていましたわ」
「それこそ、間違ったセリフを言ったらアウトじゃないっすか!」
「確かにそうですわね。……それなら、役者が照明に合わせている可能性はありません?」
「演劇っすよね? 照明に合わせてどうするんですか」
魔術院の先輩と話しているような調子で話していたミックは、令嬢相手に魔道具談義を繰り広げていたことに気づき、口をつむぐ。
チェルシーは気にした様子もなく、「やっぱり多少は操作しているのかしら」と首を傾げる。
「魔道具、いや魔術に詳しいんすか?」
「え? ……ええ、そうですわね。魔術師貴族の家柄と言えばわかりますかしら」
「エイプリル伯爵家と同じ?」
天と地ほど差がありますけれど、とチェルシーは苦く笑う。
魔術師の素質は身分や血筋とは関係なく現れるけれど、魔術師貴族の血筋は魔術師が多く生まれることで知られていた。五百年ほど前に廃止された宮廷魔術師を祖に持つ家系だ。近親婚の禁止などで近年はそうでもないそうだが、他に比べたら圧倒的だ。
「兄は魔術科で伯爵と同期でしたけれど、魔術院には入れませんでしたわ。わたくしは魔術師にもなれず……」
チェルシーはそう言って自嘲した。彼女の歪んだ笑顔を遮りたくなり、ミックはわざと明るく口を挟む。
「まあ、それが普通っすよ。魔術師じゃない人のほうが多いんですからね」
「それを、魔術師のあなたに言われても!」
チェルシーは大きな声を出しかけ、すぐに言葉を切った。
ミックは「ですよね」と笑ってうなずく。
「こういうときに自分を卑下する言葉って、言われ慣れている言葉が多いらしいっすよ。……愚痴とかあるなら聞きますよ。どうせ二度と会うことないんですから、気楽でしょ?」
ミックがそう言うと、チェルシーは首を振った。
「いいえ、愚痴なんてございませんわ」
そう言うチェルシーは魔道具のことを話していたときとは違う強張った表情で、ミックは失敗したな、と頬をかいたのだ。
それきり彼女は前を向いてしまう。横顔はミックを拒絶していた。
気まずい中に開演のベルが鳴る。
結局、照明魔道具の動作のタイミングはわからないまま、それをチェルシーと議論しあうこともできないまま。
送り届けるべきなのか悩むミックをよそに、劇が終わった早々にどこからともなくメイドが迎えに来て、チェルシーは会釈だけ残して去って行ってしまった。




