イブニング子爵家で
ミックの求婚を受けた翌週。
今日は両親が領地から王都の屋敷にやってくる。それに合わせてミックが挨拶に来ることになっていた。
チェルシーは朝からそわそわと落ち着かない。事情を知っているメイドのリズは呆れたように苦笑していた。
兄のモンタギューには両親より先にミックのことを話してある。モンタギューはミックをどこかの魔術師貴族家と養子縁組させようと言ったけれど、チェルシーは断った。兄は納得していないようだけれど、両親も揃ってから改めて話そうと保留にしている。
平民に嫁ぐと言ったら両親はなんて言うだろう。
恋愛至上主義の母は歓迎してくれるかもしれないけれど、父はどうかしら。
恋愛なんて無理だと思っていた自分が身分差婚だなんて、信じられない。
覚悟が決まらないと悩んでいたけれど、今はもう、ミックと一緒にいるためならなんでもがんばれる気がする。
そんなことを考えながら落ち着かない時間を過ごしていると、突然階下が騒がしくなった。
「お父様たちかしら」
チェルシーが下りていくと、玄関ホールには期待した両親でもミックでもなく、叔父とランドルフがいた。
出迎えたのか追い出そうとしているのか、兄と叔父が言い争っている。
兄の背後にクリスティ・ドアーズ伯爵令嬢もいた。兄はクリスティの求婚を受け入れるのかまだ決めていないようだった。
チェルシーはクリスティに近寄る。
「クリスティ様」
「ああ、チェルシー嬢。お邪魔しているよ」
「ええ……お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません」
「いや。恋愛って素晴らしいとモンタギュー殿が思ってくれたら、あなたの結婚の後押しになるかと思ったんだ。混乱を招いてしまったようですまない」
「いいえ、クリスティ様のせいではありませんわ」
二人で謝り合っていると、叔父がチェルシーに気づいた。
「チェルシー! お前はランドルフと結婚するんだ!」
「いやです」
「な、なんだと!」
「僕もいやだよ。他に結婚したい人がいるんだ」
「なんだと! ランドルフ!」
「まあ!」
これにはチェルシーも驚く。ランドルフに王立魔術院の女性魔術師を勧めたのは、ほんの一月ほど前だ。彼は結婚も恋愛も興味がなさそうだったのに、よほど素敵な出会いがあったのだろうか。
初耳だったのか叔父はランドルフに詰め寄る。
「何を勝手なことを! お前はチェルシーと結婚してイブニング子爵家を継ぐんだ!」
「父上こそ、おかしいよ。本家を継ぐのはモンタギューだろう?」
「ふんっ! 魔術師でも魔術師貴族でもない娘を娶るなど、本家の跡継ぎに相応しいとは言えん!」
「叔父上! ドアーズ伯爵令嬢に対して失礼だ!」
「そうですわ! クリスティ様のほうが格上なんですから、本家嫡男でもまだ足りないくらいですのに」
モンタギューが叔父を非難するのにチェルシーも参加する。当事者のクリスティは叔父の暴言を気にすることなく、
「騎士になったことで家族は私の結婚は諦めていたみたいだから、相手の家格なんて関係なく歓迎してくれるよ」
「それなら、ちょうどいいではないか!」
「いいわけないだろうが!」
味方のクリスティから矢が飛んできた形のモンタギューは大声を上げた。
こそこそと隅に逃れようとしたランドルフを叔父は捕まえ、チェルシーの前に突き出す。
「とにかくチェルシーはランドルフと結婚するんだ」
「いやですわ。わたくしも他に結婚したい方がいるんです!」
「それは誰だ! ここに連れてこい!」
――場は混沌を極めていた。
そのとき。
「あのー、お邪魔しても?」
開いたままだった玄関ドアからのんびりとした声がかけられた。それほど大きくもないのによく通る声はミックだった。
「ミックさん!」
待ちかねたミックの来訪に、チェルシーは駆け寄る。勢いあまって抱きつきそうになって、なんとか手前で止まったのに、ミックは残りの一歩を詰めてチェルシーの両手を握った。
「今日のチェルシーさんは令嬢仕様っすね! キラキラしててかわいいです」
「え、ええ……ありがとう」
笑顔全開で褒められて、チェルシーは頬を染めて俯く。ミックは今日も魔術院のローブが似合っていた。いつもと違って前髪を上げている。
「あ、あなたも素敵よ」
「ヘンリーさんちで髪やってもらったんすよ」
ミックは自慢げに胸を張った。
そこで咳払いがミックの後ろから聞こえた。
「あー、我々も中に入りたいんだがねぇ」
困ったような笑い声は父だ。隣には母もいて、チェルシーの恋愛の成果にハンカチを握りしめて感動している。
振り返ると、兄も叔父も従兄弟もぽかんと口を開けていた。笑顔なのはクリスティだけだった。
――皆で座れる食堂に移って。
イブニング子爵家の恋愛の神様である母の言葉はこうだった。
「恋愛のためなら爵位なんて不要ですわ」
「まあ、君がそう言うなら」
父が同意したため、叔父がまた騒ぐ。
「それなら、本家の跡継ぎはチェルシーと結婚したランドルフだ」
「だから、僕はチェルシーとは結婚しないって言ってるだろ」
「はい、静粛に!」
ミックの声が叔父とランドルフを黙らせた。
チェルシーはミックを紹介するタイミングがないままだったのだけれど、彼は当たり前のようにチェルシーの隣に座っている。
「一つ一つ確認していきましょう」
ミックが立ち上がると、自然に皆が注目した。
「まず、イブニング子爵夫妻は、令息と令嬢の恋愛成就のために爵位を失っても構わないということで、合ってます?」
「ああ、問題ないよ」
父は微笑んで、母とうなずき合う。
すぐに口を開こうとした叔父に、ミックは先んじる。
「パスワイズ卿は子息が次期子爵になるなら、子息の結婚相手は誰でも構わないっすか?」
「魔術師か魔術師貴族の娘に限る」
「あー、はい。そっすか」
ミックは今度はランドルフに顔を向ける。
「パスワイズが結婚したいのは魔術師だよな? なんか魔術院で噂になってたけど」
「そうだ。魔力の相性がいいんだよ」
「なるほど」
うなずいたミックは父と叔父に、
「イブニング子爵家には領地がありますよね。魔術とは関係ない産業があるとか。それはどうっすか。イブニング子爵はご自身で発展させたんですから、愛着あると思いますけど。パスワイズ卿は興味あります?」
「いや、あんな商売など魔術師貴族には相応しくない」
「では、パスワイズ卿は領地は要らない、と」
「ああ、そうだな」
ミックは笑顔を浮かべる。
「そしたらドアーズ伯爵令嬢。おうちに余ってる子爵位とか男爵位とか、ありません? それをもらって爵位を継いで、イブニング子爵令息を婿に迎えるってのはどうです? イブニング子爵家の今の領地を産業ごと買い取りませんか?」
クリスティは手を打って「それは名案だ!」と喜ぶ。
「父は取り計らってくれると思う」
「イブニング子爵令息は? 貴族は貴族でも、魔術師貴族じゃなくなってしまいますけど」
モンタギューは「魔術師であることは変わらないのだから、私は構わない」と言い切った。
チェルシーは兄の言葉に驚く。
「お兄様、いいのですか?」
「恋愛のためなら爵位なんて、だろう?」
モンタギューはチェルシーに肩をすくめてみせた。
なし崩しで結婚が決まったクリスティが「モンタギュー!」と抱きつくと、兄は目を白黒させて彼女を押し返した。――クリスティがどうしてそんなにモンタギューに惚れているのか、チェルシーには全くわからない。とりあえず兄は改めて自分から求婚したほうがいいと思う。
「ということで! イブニング子爵位はパスワイズ卿が継いで、次期子爵はランドルフ。イブニング子爵令息とドアーズ伯爵令嬢が結婚して、子爵領を買い取る。その子爵領は引退した現子爵が引き続き経営する。――こんな感じでいかがです?」
ミックがまとめると、皆それぞれ了承した。
イブニング子爵家の継承問題は一気に片付いてしまった。今まではなんだったんだろうと思う。しかし、父が叔父に譲ったのは母の神託のせいで、母はチェルシーたち兄妹の恋愛のためで、兄もクリスティがいなければ子爵位にしがみついただろうし、チェルシーもミックと出会わなかったら平民になろうなんて思わなかった。――きっと必要な過程だったのだ。
ほっとした空気が流れたところで、ミックは姿勢を正した。
「それでは、ここからが本題です」
「ん? 本題?」
顔を向けられた父が首を傾げる。
チェルシーも皆も同様だ。
「私は王立魔術院、魔術陣・呪文研究課の研究員、ミック・サンドコリスと申します。王都の下町、ミンティア通り近くの東方料理専門店ピーコック飯店の次男です。昨年、高等専門学校魔術科を次席で卒業。特許権を一つ持っています。この度、特許の使用料で定期収入を得ることが決まりました。だから、中流階級向けの住宅地に部屋を借りる余裕もあります。通いの掃除人くらいなら雇えると思います。あ、料理は私ができるので、任せてください。将来性の担保として、上司のダンタウン男爵と、親しくさせてもらっているエイプリル伯爵に推薦文を書いてもらってきました」
怒涛の勢いでしゃべったミックは父に手紙を二通渡す。
「どうか、チェルシー嬢との結婚を認めてください!」
ミックは頭を下げた。
「今さら、それ?」
ランドルフの呆れた声が皆の気持ちを代弁していた。




