兄の結婚問題
――チェルシーがカフェ・グランドズでミックとブラッドに会う前のこと。
チェルシーの夕食が終わる寸前に食堂にやってきた兄モンタギューは、どことなく呆然としていた。
魔術師事務所に毎日出勤しているモンタギューは帰宅時間もまちまちで、チェルシーと夕食を共にすることはめったにない。
両親は領地にいるため、チェルシーは自宅では一人で食事をすることが多かった。
帰宅して着替えもせずローブだけ脱いだままのモンタギューは、どっかりと椅子の背もたれに身体を預ける。
何か問題でもあったのだろうか。
「お兄様、何かありましたの? 大丈夫ですか?」
「あ、ああ……すまない……」
気つけにと思ったのか執事が蒸留酒の水割りを差し出し、モンタギューはそれを一口飲んだ。
「事務所で問題でもありました?」
「いや、事務所ではなく……」
「事務所じゃないなら、領地のことですか?」
「いや、領地でもない。それが……プロポーズされたんだ」
モンタギューはテーブルに両肘をつき頭を抱えた。
「プロポーズ、された? した、ではなく?」
「そうだ。されたんだ……」
「えっ!? どなたに? お兄様、お付き合いしている方がいらっしゃったの?」
モンタギューももちろんチェルシーと同じく母から恋愛結婚の指令を受けている。
仕事で忙しくしている彼は、真面目にそれを達成しようとしているようには見えなかった。夜会に参加しても女性と親しくしているところを見たことがない。
「付き合っているというわけでは……ないつもりだったんだが……」
「はあ? 付き合っているつもりがないって、遊びやその場限りでということですか?」
「違う! 違うぞ! 友人だと思っていたんだ。私が相手にされるなんて考えもしなかった……」
こんな兄は初めて見る。
偉そうにしている姿しか知らなかった。
「それでどうなさったの?」
「考えさせてくれ、と……」
「その場でお答えしなかったの?」
チェルシーが咎めるとモンタギューはいっそううなだれる。
「お兄様もその方に好意を持っていらっしゃるんでしょう。お受けしたらいいじゃない。女性がプロポーズするなんてよほどのことですわよ」
そこでチェルシーは首を傾げる。最近似たような話を聞かなかっただろうか。
「改めて聞きますけれど、お相手は?」
「クリスティ・ドアーズ伯爵令嬢だ」
「まあ! クリスティ様! えっ! 本当に?」
それなら茶会で彼女が話しかけてきたのにも納得がいく。
チェルシーがモンタギューの妹だと知っていたのだろう。エイプリル伯爵とのお見合いの話も彼から聞いていたかもしれない。代理にミックが来たことはモンタギューに話さなかったから、それは初耳だったはず。
それにしても、あのクリスティがなぜこの兄を好きなのか全く理解できない。
次に会ったらぜひ聞いてみたいところだ。
「クリスティ様は弟君がいらしたんでしたっけ? そうするとクリスティ様がイブニング子爵家にお嫁にいらっしゃるの?」
「普通に考えたらそうなるが……」
モンタギューはやっと顔を上げた。
「クリスティ嬢は魔術師でも魔術師貴族でもない。叔父上が文句を言ってくるだろうな」
「また魔術師ですか……。魔術師じゃない人の方が世の中には多いのですよ」
そう言ってから、それはミックに言われた言葉だと気づく。
自然に出てきたことに自分でも驚いた。
「叔父上がお前にランドルフとの縁談を持ってきている。母上の意向を汲む父上は止めていたみたいだが、今度は私に話を持ってきた」
「ランドルフと縁談、ですか」
従兄弟のランドルフはチェルシーと同い年。魔術師でしかも王立魔術院の研究員。
チェルシーの嫁入り先としてモンタギューが考えている条件には合うだろう。
しかし、兄は難しい顔をしている。
「叔父様はわたくしをパスワイズ家の嫁に迎えると? それともランドルフを婿にしてお兄様を追い出すおつもりで?」
「もちろん後者だ」
「ですわよね」
「私がクリスティ嬢と結婚したら、叔父は強気で推し進めるだろうな」
「お兄様が好きな方と結婚すると、わたくしが政略結婚せざるを得なくなるってことですか? それも叔父様にいいように使われるだけの立場の?」
「わかっている。だから私も返事を保留にしたのだ」
決して逃げたわけではない、とモンタギューは言い訳のように付け加えた。
「お前は社交界にも顔を出しているだろう。令息と出かけたりしていると聞いたが、どうなんだ? 誰かいないのか? お前が先に嫁に行ってしまえば、私が誰と結婚しようと問題ない」
「わたくしは……」
思い浮かぶ顔は一つだ。
けれど、難しい。
「誰かいるのか?」
今までのように即座に否定しなかったことで察したのか、モンタギューは突っ込んで聞いてきた。
チェルシーは思わず答えてしまう。
「でも、身分が……」
「格上か? 格下なのか?」
「平民ですわ……」
「平民?」
「でも、王立魔術院の魔術師なのです」
「それは! ……いやしかし平民……。うーん、どこかの分家に養子に入れたらどうだ?」
腕を組んで考えていたモンタギューは改めてチェルシーを見た。
「それで結婚の話は出ているのか?」
「まさか! そんな話は一切ありません! 友人ですもの」
お兄様と同じです、とチェルシーは続ける。
「相手の気持ちもわからないし、わたくしだって……」
わからないのだ。
貴族の身分を捨てる覚悟もない。
兄が言うように彼を貴族社会に巻き込む覚悟もない。
好意はあるものの、そこまで好きかどうか自信がない。
クリスティのように自分から求婚なんてできない。
チェルシーは俯いてしまう。
モンタギューも再び頭を抱えた。
「僭越ながら、よろしいでしょうか」
ずっと食堂の隅で聞いていた執事が声を上げた。
「ああ、なんだ?」
モンタギューが促すと、執事は一歩前に出た。
「奥様をお呼びしてご相談してはいかがでしょうか?」
「母上に?」
「お母様……」
母はイブニング子爵家の恋愛の神様だ。
「そうだな」
「ええ、そうですわ」
兄妹はうなずきあったのだ。
兄はすぐに母に手紙を送ったようだ。
その返事が来る前に、チェルシーは別の相手から「会いたい」と手紙をもらった。
差出人は従兄弟のランドルフだった。




