表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/15

王立魔術院の新人研究員

「おっ! やっと終わった!」

 ずっと「実験中」の札がかかっている主任の研究室の前で魔術の展開が途切れたのを確認して、ミックは慌ててドアをノックすると返事を待たずに開けた。

「ヘンリーさん! これ、お願いします!」

 部屋の中央を陣取る大きな卓に向かっている三十歳手前の男が振り返った。ぼさぼさの長髪に魔道具の大きな遮光眼鏡をかけた怪しげな風体のヘンリー・ダンタウンは、王立魔術院の主任研究員で男爵でもある。ヘンリーが面倒臭そうに差し出した手に、ミックは持ってきた紙束を載せた。

「ヘンリーさんが確認して署名すればいいだけになってますからね」

「後で見ておく」

「今っすよ! 今! 後でって言っても全然やらないじゃないっすか。ほら、積み上げない! はい、まずはこれ。アマニーズさんの新しい魔術陣の申請書から」

 ミックはヘンリーが大卓の書物の山に重ねようとした書類を取り上げて、彼の前に一枚ずつ広げた。

 ミック・サンドコリスは王立魔術院の魔術陣・呪文研究課の研究員だ。専門高等学校魔術科を卒業して今年から魔術院に入った新人で、もうすぐ十九歳。就職してまだ一年経っていないのに、なぜか所属する研究班の主任の秘書のような立場になっていた。

 その主任であるヘンリーは、自分の研究に熱中すると寝食を忘れるタイプで、気がつくと数日研究室から出てこないこともある。いわんや事務作業をや、である。

 書類は溜めるし無くす。連絡事項や会議の予定は忘れる。役職付き以前にそもそも勤め人に向いていない。個人の事務所を開けばよかったのにと思う。

「主任なんて好きでやってると思ったら大間違いだからな」

 ミックの咎める視線を感じたのか、遮光眼鏡を外したヘンリーはサインしながら舌打ちする。全く貴族らしくない態度だ。

 ヘンリーが言うには、魔術院に十年勤めたら取得できる認定研究員の資格――魔術師協会で優遇措置が受けられたり市井での信頼度にも影響する資格だ――を取りたかっただけだそうだ。

 魔術師は免許などはなく、素質があれば誰でもなれる。職にしたいなら魔術師協会に所属する必要があるが、王立魔術院は高等専門学校魔術科の卒業生しか入れない職場だった。高等専門学校も誰でも入学できるものではない。

 そんな魔術院を腰掛け扱いなんて、と思うが、そういう人はそれなりにいる。王立魔術院では国や公的機関から依頼された案件が第一で、好き勝手な研究はできないし出張もある。官吏や騎士と連携した調査案件、市井の魔術師事務所の査察など、面倒な仕事も多い。魔術だけで生きていきたいタイプには向かないだろう。

 そうやって辞める人が毎年一定数いるからこそ、ミックのような新人が就職できるのだ。

 ヘンリーは今年で勤続十年。後継が現れたらいつでも辞めると公言している。

 しかしなかなかそうはいかなかった。

 役職付きは貴族だけという決まりがあるのだ。この光系統魔術研究班にはヘンリー以外に貴族がいない。ミックも平民だ。

「書類、署名、会議! そんなもの覚えてられるか?」

「覚えていてほしいっすけどね」

「去年まではスール氏がいたんだかな。退職だろ。今年、お前が入ってくれて助かったな」

 スールは魔術師らしくない好好爺で、辞めてからもときどき遊びに来る。どうして目を付けられたのかわからないが、ミックはその彼から直々に指名されて書類仕事の補佐の指導を受けた。本来、主任秘書なんて役割はない。新人のうちなら勉強にもなるが、このままずっとだと自分の研究が進まなくて困る。ミックにもやりたいことがあるのだ。

「はい、これで最後ですよ」

 ヘンリーが内容を確認する間、ミックは大卓に散らばった紙を見る。魔術陣の素案だろう。複雑な魔術がシンプルな陣で構成されている。魔術に関してはきっちりしているヘンリーは、欄外のメモまで丁寧な字で書いてある。

 ミックは目についた陣の構成を読む。

 ――強めの光を放つ魔術だ。それから……光を上に飛ばす?

 いくつかの陣を比べると、色で迷っているようだった。

「花火っすか?」

「ん? それか? 畑の鳥避けだ」

「鳥避け。ずいぶん庶民的な……」

「依頼仕事だからな」

 ほら、とサインした書類を渡されたミックはパラパラと確認しながら、

「ヘンリーさんは仕事を選り好みしないっすね」

 依頼案件は部下に押しつけて自分は好きな研究ばかりという主任もいるらしいが、ヘンリーはそういうことをしない。

「当たり前だ。魔術は何でもおもしろい」

「だったら、事務作業もやってくださいよ」

「それは魔術じゃないから、おもしろくない」

 ヘンリーは顔をしかめる。ミックは「事務作業も完璧ならもっと尊敬できるんですけどねぇ」と書類をまとめた。

「鳥避けなら、色じゃなくて音をつけたほうがいいんじゃないすかね」

 そう指摘すると、ヘンリーは「そうか、なるほど!」と大卓に向き直る。

「防音の魔道具を起動しておきますからね!」

「ああ、助かる。おっと、そうだ! ミック、気が利くついでに、そこの書類をエイプリルに渡してくれ」

 ヘンリーは顔も上げずに、ドアの横のキャビネットを指さした。

 その書類の日付を見て、ミックはため息をついたのだ。処理日はおとといだ。ミックの知らないところで滞っていたらしい。

 ミックはヘンリーの研究室を出たその足で二つ隣の研究室のドアを叩いた。

 同じく魔術陣・呪文研究課の特殊魔術陣研究班の主任研究員ブラッド・エイプリルの部屋だ。

 応えを待ってからドアを開けると、奥の執務机に部屋の主がいた。

 中央の大卓には魔道具が整頓されて並んでおり、本は全部書棚に収まっている。ヘンリーの部屋と同じ調度なのに全く雰囲気が異なる。ヘンリーの執務机なんていろいろなもので埋まっていた。

 ブラッドは二十五歳。主任研究員で、魔術師貴族の名門エイプリル伯爵を継いだばかり、と魔術師のエリート街道をまっしぐらに走っている。ミックからすれば雲上の存在でうらやましいと思う気持ちすら起こらない。

 そんなブラッドは肩書きと違って、いたって気さくだった。

「ヘンリーさんから書類を預かってきました」

「いつも悪いな。明日になったら直接ダンタウンさんに声をかけるつもりだったんだが、君がいてくれて助かるよ」

 執務机越しに書類を渡すとブラッドは穏やかに微笑んだ。彼はヘンリーと違って貴族紳士の見本のようだ。

「光系統で貴族の人って誰かいないっすかね」

 魔術は光、闇、火、水、風など系統がいくつかある。魔術陣と呪文さえ間違わなければ魔術師は誰でも使えるが、得意・不得意があり、生まれ持った魔力の質で決まる。

 他部署でも構わない。ダメ元で聞いてみると、ブラッドは顎に手をあてた。

「ああ、魔道具研究課でこちらに興味がある者がいたと思う。光系統で準男爵家の令息だ。君より何年も先輩だから知らないかな」

「おー、まじすか。ぜひぜひ主任候補としてうちの班に来てもらいたいっす」

「主任候補とは言わないほうがいいかもしれないね」

 苦笑したブラッドにミックは察する。ヘンリーと同じタイプなのだろう。そうなると騙し討ちだ。

 そういえば、とブラッドは続けた。

「とある男爵家の令嬢が魔術師の素質があるらしく、男爵から相談されたんだ」

「男爵令嬢? 魔術師貴族っすか?」

 貴族令嬢は素質があっても魔術師にならないことが多い。働く必要がなかったり、親が許してくれなかったりだ。例外がエイプリル伯爵家のような代々魔術師を多く輩出している魔術師貴族と呼ばれる家だった。

「いや、新興貴族だからか自由な家風らしくて、今は基礎学校の学生だけれど、本人が希望するなら魔術科に進ませたいと言っていた。彼女は光系統に強いようだった」

 平民からしたら簡単に入学できるものでもないのに、志望したら進学できる前提でいるのが貴族だな、とミックは思う。学費や学力の心配などないのだろう。ひがみではなく、単純に「違う」のがおもしろい。

「へー。どうです? 令嬢のご希望は?」

「簡単な魔術陣を教えたら興味を持ったようだから、エイプリル家門下の魔術師を紹介しておいたよ。魔術科に進学しないにしても魔力の制御は覚えたほうがいいだろう」

「おおっ、有望っすね。魔術科を卒業するとき教えてくださいよ。スカウトに行かないと」

 ブラッドと面識があるなら彼と同じ課に来てくれるかもしれない。まだまだ先の話だが、希望が見えてきたミックは顔をほころばせた。

 もちろん現在魔術科に通っている学生のスカウトも行うつもりだ。ヘンリーはミックから話を向けないと思い出さないから、卒業研究の中間発表会の予定は押さえてある。

「その男爵令嬢のことは私からもダンタウンさんに伝えておこう」

「ありがとうございます!」

 礼を言って出て行こうとすると、ブラッドは「そうだ、これを」とミックを呼び止めた。既視感に苦笑しながらミックが振り返ると、ブラッドは封筒を差し出した。

「今夜、暇かい? 演劇のチケットだよ。魔術科の同期生からもらったんだが、私は研究が大詰めなんだ」

 執務机に広げられた紙は魔術陣で埋まっていた。一枚に何パターンも描かれている。別の紙には魔術文字だけがずらずらと並んでいた。ブラッドの研究している圧縮魔術陣は癖があり、慣れないミックには全く理解できない。

「演劇っすか?」

「興味ないかな」

「はぁ……まあ、ないっすね」

 軽く返すとブラッドは笑った。

「はは、私も特に興味があるわけではないんだけれどね。舞台照明の魔道具が劇場の特注品らしい。他では見られない一品だそうだ」

「特注品! それは……」

 心惹かれる言葉に誘われてミックはブラッドからチケットを譲ってもらうことにした。

 ――そうして数時間後ミックは、貴族然としたブラッドも婉曲なやり取りを理解しない魔術馬鹿だったのだな、と悟ることになる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ