序
男が二人。
互いに得物を握り、相対して動きはない。
空は鉛色に染まり、大地には弱い風が戦ぐ。
二人を囲むように、多くの人々が固唾を呑んでいるかのようにただ立ち尽くしている。
ある者は、顔を歪ませながら、ある者は涙を流しながら。
ただ、二人を見つめる。
一人は、腰に鞘を垂らし、右手には細長く反りの入った刀を握る男。
名を山瀬 琢磨と言う。
黒髪に黒い瞳。灰色のジャージを身に纏いその上からは胸当てなどの軽装備。
全身からは、影が湯気のように漂い霧散していた。
一人は、背中に鞘を背負い、右手に両刃の剣を持つ男。
名を加藤 タクマと言う。
赤茶の髪に茶色の瞳。動きやすい革の装備を見に纏う。
静かに、互いの間合いが狭まる。
タクマは構えているが、表情は硬い。
山瀬はまだ刀を降ろしている。
無表情。
タクマは怯えていた。
無意識かつ本能的に。
もう、二度と大切な人を失いたくはなかったから。
あの日、両親を失った時から他者との関わりに線を引いた。
踏み込みもしなければ、踏み込ませもしなかった。
そういった行動や気構え全てが潜在的に日常へと取り込まれ、日々を過ごしてきた。
だが、出会ってしまった。
偶然。
偶然であったはず。
あの日、あの時、あの場所で目が合ってしまった。
そして山瀬はタクマの前に現れ、誘われた。
思わず、身を引く。
これも、運命?
女神の? それとも、もっと上の高貴なる、大いなる意思の元に導かれた道なのか。
あんまりだ。
様々な思いが沸き起こり、消えていく。
逡巡。
目を伏せ、頭を振る。
刹那。
甲高い音が響く。
身長は同じくらいであるが、タクマが完全に膝を折っている。
後手に回り、隙の大きい上段からの唐竹割りを受けざるを得なかった。
自分はなんて事をしていたんだ。
悔いる事はそれだけ。
ある意味、この行動の遅さがタクマにとっては良かった。
迫りくる死への恐怖と状況の急速な展開。
タクマはそれらに集中する事ができた。
ならざるを得ない。
これ以上、沈黙の睨み合いが続けば、自分の心が折れていたかもしれなかった。
それほどまでに、タクマの心は追い込まれていた。
それほどまでに
山瀬琢磨という男の存在は加藤タクマにとって重要な存在となっていた。
折れてはいない。
しかし、どうすれば良い。
刃を交えながら考えるということは非常に労力を要する。
精神の消耗が大きい。
山瀬の纏う闇が膨れ上がり、数多に裂け触手のようにうねりながら鋭利に構築される。
捌く。
荒れ狂う暴雨のつぶてのように面前へ繰り出される凶刃の数々。
タクマはそれを剣を使い、軌道を逸らす。
身体を左右に振りながら急所をずらす。
致命傷は絶対に貰えない。
その防戦の最中に、タクマの胸は白く、淡く。
輝いている。
今まで授かってきた結晶。
タクマに力を与え、何度となく助けてもらった結晶たちが今。
自らの意思で輝き、タクマを助けようとしていた。
共鳴。
結晶に、我というものはない。
しかし、長い時を漂う中で芽生えたものがあったのかもしれない。
それが今、タクマの心。
震え。
それに呼応したのかもしれない。
タクマ自身は違和感すら感じることがなく
その力を行使している。
いや、力を与えられている事にすら、気付いていないのだろう。
自分自身の力。同化とも取れるようなほど馴染んでいた。
やがて静けさを取り戻す。
山瀬は笑っていた。
何度とか刀を握る腕を眺め、振るう。
「ふっ。いいものだな。女神の祝福。奴隷にも大層なものを与えているようだ。」
会話はしない。
タクマはゆっくりと正眼に構えを取る。
山瀬の言葉を思い出す。忘れる事の出来ない、言葉。
現実の元になってしまったのだろうか。
否。
違う。タクマはそう感じていた。
彼の感じていたものはこんなものではない。
もっと内部的な要因だったはず。
だから
あの言葉がタクマに伝えられた。
過程はどうであろうともする事は一つであった。
交わした約束。
頷いた時の曖昧さは当に無い。
あるのは。あの時に頷いたあまりにも愚かで軽かった自分への後悔。
ゆっくりと息を鼻から吸い込み、一拍置く。
今度は口から吐き出す。
覚悟を。
戦う覚悟を。
傷つける覚悟を。
そして、信じる覚悟を。
表情が消える。
迷う事もない。
恐れる事もない。
女神の事も、魔族の事も関係ない。
今までどんな事を言われてきたかも、それから得た情報も。
全て、意味が無い。
もう、考える事をやめた。
目の前の現実に真正面から挑み、打ち砕く。
無表情。故に纏う気配は張り詰めていた。
山瀬はタクマの顔に笑みを浮かべる。
柔和な笑みだった。
恐ろしく、場違いな笑み。
徐に構えを作る。
ようやく、本気で戦える事への充足感。
そして、これから合間見える死という今だ感じたことの無い概念へと到達させてくれるだろう。
願望。
喜々として山瀬はこの状況を楽しんでいた。
やがて
二人は交わる。
近い未来。