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蒼依サイド5

 そうして数時間後。蒼依はまったく寝た気がしないまま朝を迎えた。

 時計を見れば八時半。家族は既に仕事に出てしまったようで、家の中には蒼依と圭吾だけの気配しかない。

(なんとかバレずに済んだ)

 洗面台の前に立ち、ありありと寝不足だと分かる顔を洗ってから蒼依は部屋に戻る。すると「うぅ」と小さな呻き声が聞こえてきた。どうやら圭吾も起きたようだ。が。

「あたま、いたい……」

 もぞもぞと布団から顔を出したかと思えば、開口一番、重度の二日酔い宣言だった。

「そりゃそうでしょうね」

 あれだけ深酒していたのだ。当然だろう。

 寝不足も相まって、呆れたように息を吐きながら蒼依は「おはよう」と圭吾の隣に腰を下ろす。

「……おはよー」

 起き上がりながら圭吾も挨拶を返してくる。が。

「うぅ、あたまガンガンする」

 起き上がってなお、圭吾は頭を抱えてゆらゆらと船を漕ぎながら唸り声を上げていた。蒼依は再び嘆息する。

「なら無理に起きなくても……って、そういえば仕事は?」

 今日は土曜日だ。建設関係の勤務形態がどうなっているのかは分からないが、休みではないような気がする。気になって蒼依が尋ねると、圭吾はしかめっ面を上げてから。

「さすがに無理。休むって電話した」

 言って再度頭を押さえた。そのまま小さく唸り続ける。

 いつの間に電話なんてしたのかと疑問に思いながらも、蒼依は「だったら」と圭吾を見やる。

「本当、もうちょっと寝てたら――」

 いいのに、と言おうとして、蒼依は言葉を切った。いや、切らざるを得ないと言った方が良いか。

 何故なら、ふらふらと覚束ない動きをしていた圭吾の頭が唐突に肩に倒れ込んできたのだ。慌てないわけがない。

「ちょ、ど、どどどうしたの!?」

 盛大にどもりながら圭吾の身体を支える。

「なに、吐くの? 吐きそうなの!?」

 吐くならトイレか洗面所へ、とあたふたしていると。

「……水、もらっていい?」

 肩に顔を伏せたまま、圭吾が小声で頼んできた。蒼依は急いでキッチンへと向かう。ミネラルウォーターとコップを持って戻ってくると圭吾に手渡した。

「ありがとう」

「い、いえ」

 わざわざ肩に突っ伏して言うことではないだろうに。

(これじゃあ心臓が持たない)

 どくどくと脈打っている心臓を押さえ、蒼依は深く息を吸う。

 昨日からずっとフル稼働しっぱなしだ。もう息切れしている。

 圭吾に気付かれないよう深呼吸を繰り返し、そうしてなんとか自分を落ち着かせると、一つ思い出した。

「あ、今日は昼から仕事だから、その前に車停めたところまで送っていくよ」

 圭吾の車は昨夜からコインパーキングに置き去りにされたままだ。蒼依がそう言うと、圭吾は「そんな」と首を振った。

「良いよ、タクシーでも呼ぶから」

「今更遠慮なんてしなくて良いから。それより、もう少し寝といた方が良いよ。というか寝なさい」

 そんなふらふらの状態で運転なんて到底させられない、と蒼依は厳しい顔で見下ろす。

「事故った挙げ句、酒気帯びで捕まったってニュースで聞きたくないし」

「でも」

「でもじゃない。ほら、言うこと聞いて大人しく横になる」

 頭痛いんでしょ、と少しだけ声音を和らげて言えば、圭吾はしばらく蒼依を見上げた後。

「……分かった。じゃあ、お言葉に甘えて」

 頷いて素直に布団に潜り込んだ。毛布を口元までたぐり寄せた後、じっと蒼依を見る。

「なに?」

「いや、母親みたいだな、って」

「こんな大きな子供をもった覚えはありません。はい、無駄口たたかずに目を瞑る」

 おやすみなさい、と蒼依が毛布をぽんと叩くと、圭吾は軽く目を瞬かせてから「……お、おやすみ」と小さく返してきた。圭吾が目を閉じるのを見届けてから蒼依も側を離れる。

 それから二時間ほど経った頃に、圭吾は再び目を覚ました。

 朝よりは幾分かすっきりした顔をしている。これなら大丈夫かと、蒼依は布団を片付ける。

 毛布をたたみ押し入れに入れていると、後ろからぼす、と何かに押された。なに、と振り返った先には敷き布団があった。蒼依はぎゅうぎゅうと押しつけられる敷き布団の向こう側を睨む。

「ちょっと、何してんの?」

「何って、布団をしまうのを手伝ってるだけだけど」

 三つ折りにたたんだ敷き布団を抱えた圭吾が笑顔でのたまう。蒼依は「あのね」と口を尖らせた。

「私まで押し入れに片付けるつもり?」

「やだなー、そんなことしないよ」

 と言いつつも、その顔はいつもの穏やかな笑みではなく、無邪気な子供のような様相を呈している。

 こんなことをしてくるような人だったとは、と蒼依は新鮮な気持ちを覚えながらも、呆れたように息を吐く。

「もう、せっかく泊めてあげたのに」

 そうぽつりと零すと、瞬く間に圭吾の表情から笑みが消えた。その顔に蒼依はしまったと後悔する。

 嫌なことを思い出させてしまった。

 案の定、圭吾は心底申し訳なさそうに眉を下げ「本当、無理言ってごめん」と謝ってきた。

「無茶言って、絶対困らせたよね。しかも泊めてくれた人を座椅子で眠らせるとか、厚かましいことまでして」

「そ、それは別に良いんだけどさ」

 あんなどん底状態の人を放っておく方が心配だったし、と蒼依が返すと、圭吾はやんわりと口角を上げた。

「ありがとう。本当に優しいな、あおさんって」

「そ、そんなことないってば。友達なんだし、当然のことでしょ」

 優しいだなんて、面と向かって言われると恥ずかしい。しかも好きな人からときた。そんなの、照れないはずがない。

「ほ、ほら、おなか空いたでしょ。朝ご飯食べよ」

 誤魔化すように蒼依は話題を変える。「簡単に目玉焼きとかで良いよね?」と尋ねると、何故か圭吾はきょとんと目を丸め。

「良いけど、作れるの?」

 至極真面目な顔で蒼依を見てきた。先程までの嬉しい気持ちが反転、蒼依は「失礼な」と眉尻を上げる。

「実家暮らしで何もできないと思ってる?」

 じとりとねめつければ、圭吾は笑いながら頷く。その頭を軽くはたいてやりながら、二人でキッチンへと向かった。汁物は朝の残りがあり、それを温めて遅めの朝食をとった。

「なんか、不思議な感じ。あおさんの手料理とか」

 ごちそうさまでした、と使った食器を流しへと持ってきながら、圭吾は心底不可思議な体験をしたように言う。

「生卵を割って焼いただけのものを料理と呼んでくれるなら」

 食べ終わった食器を洗っていた蒼依がそう返すと、テーブルを拭いてくれていた圭吾が「因みに得意な料理は?」と質問してくる。

「うーん、得意なものって言うのは特にはないかな。とりあえず一通りは作れる。それに、どちらかと言えば料理より掃除の方が好きだし」

 ごはんは献立考えるのが面倒なんだよね、と愚痴ると、圭吾は少し間をあけた後。

「……言うことは立派な主婦なんだけどな」

 そうぼそりと呟いた。蒼依はむっとして振り返る。

「『言うことは』ってなによ」

 喧嘩売ってるの、とほんの少し水を飛ばしてやる。すると圭吾は「うわ」と大げさなくらいの声を上げた。

「なにすんのさ、冷たいじゃん」

「君が失礼なことばっかり言うからでしょ」

 料理が作れるのかだの、彼氏すらいないのに主婦だなど、人が気にしていることをぬけぬけと。

「それに、言うほど水かかってないと思うんだけど」

 指先でほんの少し弾いた程度。そう言ってやると圭吾は「バレた?」と悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 ……こんな顔もするような人だったのか。

 先程布団を片付けていた時のことを思い出し、蒼依はふと思う。

(真面目で優しいところしか知らなかったな)

 小学校の時ですらあまり見たことがない部分を見れて、素直に嬉しいと思ってしまった。

 もし自分が気持ちを伝えて、そして奇跡的に圭吾が応えてくれていたとしたら、こんな日常を送れていたのかもしれない――。

(って、何を考えてんの私)

 無意識のうちに想像してしまった光景に蒼依は頭を振る。

 変な妄想をしている場合じゃない。

(相手は奥さんいるんだから)

 そう自分に言い聞かせ、必死に雑念を振り払う。

 そうこうしていると、そろそろ家を出ないといけない時間が迫ってきていた。蒼依は意識を切り替え、仕事へ行く支度を済ませてから圭吾を車に乗せる。そして、昨夜圭吾の車を置いてきたコインパーキングへと向かった。

 近くまでくると「ここで良いよ」と圭吾が停めさせた。

「本当にもうきっちりアルコール抜けた? 事故らない?」

「大丈夫だって」

 確認する蒼依に苦笑を浮かべ、圭吾は手を振って去っていく。

 その背中を見送り、蒼依も仕事へと向かった。その車中で蒼依はひとり考えを巡らせる。

(どうするのかな、奥さんのこと)

 昨日あれだけ落ち込んでいたが、圭吾のことだから知らない振りをしそうな気はする。

(まぁ、私が気にしても仕方がないこと、だよね)

 圭吾にとって蒼依はただの同級生だ。気持ちも伝えられていない自分が、口出しなどできるはずもない。

 ……非常に気にはなるけれど。

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