圭吾サイド1
(確かにあれは様変わりし過ぎ。聞いてなかったら絶対気付かなかった)
店を出てから車に戻るまでの間、圭吾はつい今し方まで話していた同級生のことを思い返す。
全然昔の面影がない。
(いや、よくよく見ればあるけど、あそこまで体型が変わってたら、まず同一人物だとは思えない)
良く名字だけで気付いたなと自分の母親に感心しながら、圭吾は数日前に母と交わした会話を記憶の中から呼び起こす。
「――あおいちゃん? あおいちゃんって」
誰、と圭吾は、買い物から帰ってくるや否や、買った物をしまうよりも先に謎の人名を連呼した母親に聞き返した。すると、母親は信じられないといったように目を瞬かせ。
「何言ってるの、あんたの同級生でしょ。廣瀬蒼依ちゃん」
「ひろせ、あおい――――あぁ、あおさんか」
母親の口から出た名前をそっくりそのまま繰り返し、思い出す。
廣瀬蒼依。通称『あおさん』。小・中の頃の同級生だ。
「で、そのあおさんがどうしたって?」
久し振り、というか実に何十年振りかに聞いた同級生の名前に、懐かしさを通り越してもはや感慨深さを覚えつつ圭吾は母親に問い返す。すると母からは、話を聞いていなかったのかと呆れたような嘆息が返ってきた。「だから」と先も口にした内容を繰り返す。
「偶然会ったの」
「どこで?」
「隣町のホームセンター。そこで働いてたわ」
「あれ? こっちにいたんだ」
てっきり余所に出ていると思っていた。圭吾がそう言うと、母親も「みたいね」と同意を示した。かと思えば。
「もうね、すごい見違えちゃったんだから」
名前見るまで気付かなかったくらいよ、と少し興奮気味にまくし立て、その様子に圭吾は目を瞬かせた。
「それはそうじゃない? もう三十過ぎてるんだし」
せいぜい十代の半ば頃までしか知らないのだから容姿が変わっているのは当然だ。そんなに大げさに言うことでもないだろうに。
首を傾げながらそう問えば、しかし母は「そんなものじゃないんだから」と尚も意気込んだ様子で続ける。
「蒼依ちゃんってちょっとぽっちゃりしてたでしょ?」
「あー、まぁ、そうだったかな」
「それが随分とほっそりになっててね、羨ましいくらい体型が変わってたの」
どうやったらあんな風になれるのかしらと、最近気になりだしてきた自分のお腹をさすりながら母が心底羨むように言う。圭吾は「へぇ」と適当に相槌を打ちながら昔の記憶を頭の片隅から精一杯引っ張り出す。
何せ蒼依に最後に会ったのは中学の時。今から二十年以上前のことだ。
初めて蒼依と顔を会わせたのは小学生の時。その第一印象は『大人しい』だった。
内向的で人前には出ず、真面目でひたむきな性格な子。加えて人見知りなところもあり、初対面だった自分に対して最初はぎこちない様子で接していた。が、日が経つごとに他のクラスメイトと同じように話してくれるようになり、そして、気が付けばいつの間にかクラスの女子の中では一番仲が良い存在になっていた。
(確かに小学校の頃のあおさんって少し丸っこかったな)
真面目な性格だった蒼依は勉強は得意だった。が、反面運動は不得手だった記憶がある。
その蒼依が二十年経った今、劇的な変貌を遂げている。ということらしいのだが。
そんな話を母親としていた時だった。
「誰の話ですか?」
ふと会話に別の声が割って入ってくる。そちらへ目を向けると、洗濯物の入ったカゴを抱えた若い女性がいた。妻の真梛だ。
「真梛」
「『あおさん』って、なんだか親しげに呼んでるから気になっちゃった」
気持ち良く乾いた洗濯物をリビングの床に広げ、たたみ始めた妻の隣へと移動した圭吾はそれを手伝いながら昔話をする。
「いや、小学生の時はそう呼んでたから、ついくせで。ただの同級生だよ」
「ほんとに? 元カノとかじゃないの?」
若干意地の悪い笑みを浮かべた真梛がからかい気味に邪推してくる。一瞬何を言われたのか分からなかった圭吾は、しばらくしてから意味を理解し、苦笑を浮かべて「じゃないって」と返した。
「違うってば。小学校の時は人数も少なくてクラスみんな基本的に仲が良かったし、中でもその子大人しい子だったから、つい気になって話しかけてたんだ。そしたらいつの間にか一番仲が良くなっててさ。好きだったとか、そういんじゃないって」
「ほんとかなー。なんか怪しい」
尚も疑いの目を向けてくる妻にどう説明したものかと考えていると、背後からも「そう言われると」と思いもよらぬ一言が投げかけられる。
「圭吾ってば、良く蒼依ちゃんの話してたわね」
三人分の冷えたお茶を運んできた母が言う。思わず圭吾は「え?」と声を上げて振り返った。
「そうだっけ?」
「ええ。今日は何して遊んだとか、授業で分からなかったとこ教えてもらったとか」
「そんなこと言ってたっけ? 全然覚えてない」
「まぁ、ほとんどささいのないことばっかりだったからねぇ。それに小学校の時だったし。でも、楽しそうに話してたのは確かよ。案外、真梛ちゃんの言うとおり、蒼依ちゃんのこと好きだったんじゃないの?」
母までもがからかうように言ってくる。すると案の定、妻が「ほらぁ」と拗ねたような声を上げた。
「やっぱり、好きだったんだ」
洗濯物を畳んでいた手を止め、唇を尖らせる。それからじとりと目をすがめ。
「まさか、今でもまだ好きだったりして」
そんなことまで言い出す始末。圭吾は苦い笑みを浮かべながら「だから」と弁明する。
「違うってば。確かに他の子よりは仲良かったけど、それ以上は何もないって。それに、中学上がってからはあんまり喋ってなかった気がするんだよね」
「あら、なんで?」
これには母が不思議そうに首を傾げる。圭吾は掘り起こした微かな記憶を語る。
「一回もクラスが同じにならなかったんだよね、確か。そのせいで話すこと自体減ってさ。高校もお互い違う学校に進学して、成人式や同窓会でも会ってないんだ」
「成人式でも?」
参加しなかったのかしら、と母が疑問を口にする。圭吾は「さぁ」としか返しようがない。
そんな昔話を大人しく聞いていた妻が、しびれを切らしたように「なら」と口を挟んでくる。
「今はもう何とも思ってない?」
若干まだ頬が膨らんでいるようにも見えるが、話を聞いて少しは落ち着いたようだ。圭吾が「だから、最初からそう言ってるでしょ」と答えると、その返答を聞いてようやく機嫌が直ったようで。
「分かった。じゃあ許してあげる」
満足そうに頷いて、畳み終わった洗濯物を抱えて立ち上がった。そのままリビングを後にする。その背中を見送り。
「許すって」
ただ同級生の話をしていただけなのに、と圭吾は内心苦笑を零す。
自分より年下の妻の、子供のような反応に愛らしさを覚えつつ、しかしふと、心中であることを思い出す。
(でもまぁ確かに、他の子とはちょっと違うなとは感じてはいた、かな)
それは、母や妻がいうような、はっきりと『好き』と言えるところまでの強い感情ではなかった。だが先程も言った通り、何故だか不思議と気にかかる存在だった。その感情はつまり――。
(いわゆる初恋ってやつ、かな)
そう。自分でも気付かなかったくらい、かなり淡い恋心だった。初めて誰かを好きになった瞬間である。
しかしそれを自覚する頃にはもう蒼依との接点は薄くなっていて、そんなささやかな恋心は関わりが薄れていくにつれ自分の中からも次第に忘れ去られていった。今となってはただの『同級生』という関係でしかない。
(あおさんか……)
本当に久し振りに名前を聞いた。
改めて懐かしく思い、覚えてくれているだろうかとふと気になった。が。
(……いや、もう忘れられてるかもな)
なにせ二十年も会っていないのだ。
自分も思い出すまで少し時間がかかってしまったし、正直、今どんな姿をしているのか想像もつかない。
自分の中での蒼依の姿は中学の時で止まってしまっている。母の口振りだと、どうやら相当様変わりしているようだし、会っても分からないかもしれない。
そんなことをぼんやりと圭吾が考えていると。
「でも蒼依ちゃん、あんたのこと覚えてるみたいだったわよ。私が名乗ったら、すんなりあんたの名前を言ったもの」
まるで自分の考えていたことを見透かしているかのように母が言った。圭吾は一瞬どきりとしたが、すぐさま気を取り直し。
「名前くらいはじゃない? 俺だってそれくらいなら覚えてるし。でも、まったく会ってないんだから」
もう顔は分からないでしょ、と軽く流した。そんな圭吾の言葉に母は「そうかしら?」と首を傾げ。
「私のことはすぐに気付いてくれたわよ」
「そりゃ親はそんなに顔変わってないから」
強いて言えばシワが増えたくらいかな、と笑い合ったのが今から一週間程前のこと。
たまたま外出中に会社から買い出しを頼まれ、なんとはなしに寄ってみたら本当にいた。しかも母親の言う通り、随分昔と様相が違い、思わず「本当にあおさん?」なんて声をかけてしまった。
案の定、最初は気付いてもいなかったが。
(まぁ、覚えててくれただけ良いか)
なにせ中学以来だ。自分だって、本人と知らなければそのまま気付きもしなかっただろう。
純粋に懐かしいとは思った。だが、ただそれだけ。
今はもう、昔抱いていた特別な感情は沸いてはこなかった。




