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蒼依サイド9

 それから月日は流れ、四月の下旬。

 新学期や新生活の慌ただしさが一段落し、次は大型連休へと向けて世間が浮き足立ち始めるなか、蒼依はひとり悶々と思い悩んでいた。

(うー、どうしよう)

 その悩みの種は今から遡ること三日前の出来事――。

『え? 今日もだめ?』

「う、うん。今日は久し振りに職場の人達とご飯に行くことになって」

『そっか。なら仕方ないね』

「本当にごめんね」

『いや、良いよ。楽しんできてね』

 じゃあまた、と通話が切れる。その終了画面を見つめたまま、蒼依は「……はぁ」とやるせない息を吐く。

(あー、もう何回目だっけ)

 圭吾からのご飯の誘いを断ったのは。

 最初は自分も飲めそうなお酒があるから行ってみないかと勧められ、その次は美味しいお店を教えてもらったから一緒にどうかと誘われた。それまた次は気になるお店があるから付き合って欲しいと頼まれ、そして今回はもう、ただ直球にご飯を食べにいこうと言われた。

(ということは、もう四回目)

 もう四回も圭吾からの誘いを自分が断ったのか。

 ――そう。蒼依が頭を悩ませている原因。それは圭吾からのご飯のお誘いだった。

 気になる人の相談をされてからそろそろ一ヶ月は過ぎようかとしているのだが、それからというもの、圭吾から食事の誘いを頻繁に受けているのだ。

 誘ってくれるのは正直嬉しい。嬉しいのだがしかし、蒼依はひたすらそれを断り続けていた。

 理由は簡単。圭吾とその意中の人に遠慮しているから。そしてもういい加減、次に進むと決めたからだ。あとは単純に自分の精神が持たないと思ったから。

(だって、好きな人の話をされたりしたら、絶対神経すり減るもん)

 ただでさえ気持ちを伝えられなかったことでもやもや、というかもう胃がきりきりしているのに、そこにトドメを刺されてはもはや立ち直れない。だから嘘をついてまで断り続けている。……本当はすごく行きたいくせに。

(それにしても、圭吾くんもなんで私を誘うのかな)

 既に心に決めた人がいるのに。普通友達だとしても、意中の相手がいる異性から誘われたら遠慮するだろう。

(相談したいことがありそうな口振りでもないし)

 本当に分からない。

(でも、さすがにそろそろ避けられてるって気付くよね)

 立て続けに四回も断ったのだ。不審に思うに違いない。

(また誘われたらどうしよう……)

 今度はなんと言って断るか。さすがにもう理由が思い浮かばない。

 今のところだしに使ったのは友人と親戚と職場。これ以外となると、いよいよ自分の体調を崩さなくてはいけなくなる。

(そんなことしたら確実に嘘だってバレる)

 逆に信じられて、いらぬ心配をさせるのも嫌だが。

 こうなったら、正直に遠慮してると告げようか。

(そうだよね、それこそ真っ当な理由だし)

 納得して誘わなくなるかもしれない。

 今度電話来たらそう言ってみよう。などと、ぼんやりと蒼依が考えていたまさにその時だった。

「やぁ」

「……」

「あれ? いつもみたいに『いらっしゃいませ』って言ってくれないの?」

 お客さんなのに、とにこやかな笑みを浮かべて来店した圭吾を見て、蒼依は起立したまま絶句する。

 ……電話が云々じゃなくて、とうとう直接来ちゃった。

 まさに寝耳に水な事態に、レジに突っ立ったままの蒼依は「い、いらっしゃいませ」とひきつった笑みを浮かべることしかできない。

「ひ、久し振りだね」

「会うのはね。声は聞いてたからそんなに久し振りって感じでもないかな」

 蒼依の上擦った調子には気付いていないようで、圭吾は穏やかに笑いながら近寄ってくる。

「そう、だね。なんかごめんね、最近ずっと断ってばっかりで。せっかく誘ってくれてるのに」

「良いよ、俺がタイミング悪いだけだから」

 気にしないで、と優しい言葉をかけてくる。それにはさすがに蒼依の心も痛んだ。

 自分が故意に避けていたのに。

(そんな優しいこと言わないでよー)

 耐えられないからと逃げて、圭吾の好意を無碍にしている。

 そう思うと、決意したはずの心が揺らぐ。

(って、だめだ。それじゃあ何にも変わらない)

 もう前に進むって決めたんだ。いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 そう自分を奮い立たせ、蒼依は努めて明るい声で「今日はどうしたの?」と尋ねてみた。すると圭吾は、不意にそれまでの笑みを引っ込め。

「あのさ、仕事終わったら――」

 静かに口を開き、真剣な眼差しで蒼依を見る。

 このフレーズ、もしや。

(ご飯のお誘いか)

 またもや来るか、と蒼依が待ち構えていると。

「話があるんだ。割と大事な」

「……話?」

 お誘いじゃなくて?

 てっきりいつもの食事の誘いだと思っていた蒼依は、自分の検討が違ったことに安堵はしたが、その言葉に内心首を傾げる。

(話ってなんだろう)

 しかも割と大事なって。

(もしかして、気になってる人に気持ちを伝える決心がついたとか?)

 その報告兼相談に来たのだろうか。

(だから真面目な顔してるのか)

 見下ろしてくる圭吾の表情に蒼依は得心がいく。

(ということは、いよいよこれで終わりか)

 圭吾が告白するのならば、本当に最後。自分も区切りをつけないと。

 そう覚悟し、蒼依も「分かった」と頷く。

「仕事終わるまでもうちょっと時間あるけど、それでも良いなら」

「うん、大丈夫」

 俺も少し頭を整理したいからと言いおいて、圭吾は店を出ていった。

 そうして仕事が終わり、蒼依が圭吾に電話すると「従業員用の駐車場にいる」と返答があった。従業員用の駐車場は店舗裏にある。その言葉に従い蒼依がそちらへと向かうと、自分の車の隣に停まっていた。

 蒼依の姿を見るや、圭吾が車から降りてくる。

「ごめんね、待たせちゃって」

「ううん、ちょうど良かった。俺もさっきまとまったから」

「それで話って?」

 早速蒼依が切り出すと、圭吾は「率直に聞くね」と前置いてから。

「あおさんさ、ここ最近俺のこと避けてるよね。理由はなに?」

 普段の穏やかな口調はどこへやら。やけに素っ気ない声音で聞いてくる。想定外の言葉に、蒼依は思わずぎくりとした。

(割と大事な話って、まさかのそれ!?)

 てっきり告白の相談だと思っていた蒼依は、咄嗟に「そんなことないって」と言ってしまう。つい先程考えていたはずの理由はすっぽり念頭から抜け落ちていた。

「本当、たまたまだって。別に圭吾くんのこと避けてるわけじゃ――」

「気付かないわけないでしょ。友達との約束とか職場の付き合いは本当だったとして、親戚の祝い事とかはちょっと無理があると思うよ」

 ……ですよねー。

(やっぱりそれは不審に思うよね)

 蒼依自身、あからさまだなとは感じていた。

「なんで? 俺が気になる人がいるって言ったから遠慮してるの?」

 蒼依の言葉をみなまで聞かず、圭吾は一方的に詰め寄ってくる。その声に若干怒気が籠もっているようにさえ感じる。

(まぁ、避けられれば誰だって怒って当然か)

 実際蒼依も心苦しくは思っていたし。だから蒼依は正直に白状した。

「その通りだよ」

 分かっているなら聞く必要はないだろうに、と心中で思いながらも蒼依は続ける。

「避けてたことは素直に謝る。ごめんなさい。でもさ、それは圭吾くんのことを考えてのことであって」

「だからずっと断ってたの? 嘘ついてまで?」

「だって、もうその人に告白するって決めてるんでしょ? だったら私なんかにかまわずに、その人を優先した方が良いじゃない。万が一、誤解されたらまずいでしょ? 私だって自分のことがあるんだし」

「自分のことって、誰か良い人見つかったの?」

「そ、それはまだ……だけど」

「見つかってないのに、俺には説教めいたこと言うんだ」

「説教めいたって」

 別にそんなつもりはない。

 寧ろ、応援している。圭吾には幸せになってもらいたいから。

 そのためには、気になる人に焦点を当てるべきだ。それは圭吾だって分かっているだろうに。なのに。

「あおさんはさ、結局人見知りだとかコミュ障だとか理由つけて、何もしないで受け身で待ち続けてるだけだよね。自分から行動する気なんてないんでしょ」

 そんな人に言われる筋合いはないんだけど、と穏和な圭吾にしてはいささか険のある言い方で吐き捨てる。

 それを聞いた瞬間、蒼依の胸には僅かばかりの反感の心が芽生えた。

 確かに圭吾の言っていることは事実だ。

 蒼依は、人見知りで引っ込み思案で感情表現もへたくそで、どうしようもないコミュ障だ。消極的で行動力もなくて、自分の考えもろくに伝えられない意気地なし。おまけにバカみたいに初恋の人を想い続けては勝手に悲観するようなどうしようもない奴だ。

 そんなこと、自分自身が一番分かっている。が、何故それを今言われなければならないのだ。

 自分はただ、圭吾の幸せを願って遠慮しているだけなのに。

(なんか、腹立ってきた)

 無性に。

 誰にとか、何にではない。いうなれば、全てに対してどうしようもなくむかっ腹がたった。

 確かに圭吾に指摘されたショックもある。だが、それを否定する余地などないのは自覚しているし、蒼依自身、自分の性格が本当にどうしようもないと思っている。

 そんなことを考えているとさらに苛立ちが募ってきて、気付けば蒼依の口は勝手に動いていた。

「悪かったわね。受け身で待つだけしかできない情けない女で。私だってそんな自分が心底嫌になってるんだから」

 そうだ。他の誰でもなく、蒼依自身が一番自分の性格をどうしようもないと卑下している。

「私は自分に自信がないの。自分の感情の出し方もよく分からないし、伝えたところで相手に迷惑だろうなとか考えちゃって、結局は何も言えなくなっちゃうだめな奴なの。そんな私なんかが誰かに好かれるとはまったく思えないし、自分自身思わない。こんな卑屈な考え方しかできないところも本当に可愛げがないと思うし。おまけに、こんな歳になってもうじうじと初恋の人を想い続けておいて、振られるのが怖くてその気持ちも伝えられない臆病者の意気地なしなの。本当、情けない性格してると思う」

 そこまで一気にまくし立て、蒼依は一旦息継ぎをする。

「こんなことなら会いたくなかったよ。相談も乗らずに、そのまま結婚してくれてれば、何年かかるかはわかんないけど、いつかは忘れることもできたかもしれない――」

 のに、と言い切ろうとして、不意に圭吾が「ちょ、ちょっと待って」と蒼依の言葉を遮った。

 苛立ちやら自己嫌悪やら、とにかくいろんな負の感情が爆発していた蒼依は不機嫌も露わに圭吾を睨みつける。すると圭吾は、一瞬蒼依の表情に怯んだように口を噤んだが、やがておずおずと言った。

「あの、今、自分が何言ってるか分かってる?」

「……何がよ?」

 すこぶる虫の居所が悪い蒼依は素っ気なく問い返す。圭吾はいや、と若干言いにくそうにしていたが。

「最初の方は自分自身への不満なのは分かってる。ごめん。あおさん本人の口から避けられてるって聞いて、ついムキになって俺が嫌な言い方しちゃったから」

 本当にごめん、と心底申し訳なさそうに圭吾が謝る。しかしその後で。

「でも最後の方だけど、初恋がどうこうだとか、相談に乗らなきゃ良かったとか。結構な爆弾発言してると思うんだけど」

 気付いてる? と蒼依の様子を窺うように聞いてくる。言われて蒼依ははたと我に返った。

「…………へ?」

(え、ちょっと待って、私いま、何言ってた)

 自分でも制御できない苛立ちに、今まで胸に留めていたことを洗いざらい全て吐き出した。

(……気がする)

 そう思い至り、先程までの怒りがおかしいくらいにさぁっと引いた。変わりに、別の感情がふつふつと沸き上がってくる。瞬く間に蒼依の頭から湯気が吹き出す。

 何やってんの私!

 辛うじて名前は言っていないけれど、初恋の人物とやらが誰のことを指して言ってるのかは明らかに分かる。その当人なら、なおさら。

「ねぇ、あおさん」

 ことさら真面目な顔で圭吾が蒼依を見つめてくる。その眼差しに蒼依は思わず一歩後ずさった。

 こ、これはまずい、かも。

 圭吾が何を言おうとしているか。嫌でも想像できてしまい、今すぐにでも蒼依は逃げ出したかった。のだが。

「今、言ったこと本当? その初恋の相手って、もしかしなくても俺のことだよね?」

 離れることができたはほんの一瞬。

 後退した蒼依を追い、逃がさないとばかりに圭吾が蒼依の腕をぐっと掴んだ。捕らわれた瞬間、蒼依の身体が過剰なくらい震える。その手を振り解こうと腕に力を込めるがびくともしない。

 ちょ、これは本気でまずい。なんとか誤魔化さないと。

(じゃないと、私が圭吾くんのことずっと好きだったってバレちゃう)

 いやもう自分で言っちゃったけども。

 しかしもう、この気持ちは告げる気もないものだ。誰にも話さずに、墓場まで持って行くと決めた。叶わないと確定してるからこそ、知られたくなかった。

「そ、空耳っ、気のせい! 幻聴!」

 ダメもとで蒼依はそうお茶を濁してみる。

 これでどうにか勘弁して。

 一縷の望み抱きながら圭吾の反応を待ってみるが。

「誤魔化さないで」

 必死の弁明空しく、即座に一蹴された。しかもおまけに、その距離を更に詰め寄られてしまう。

 人ひとりも入る隙間もない状態で真っ直ぐに見つめられ、蒼依はたじろぐことしかできない。

 なんでこんなことに。

(私のばかっ)

 肝心な時でさえ『好き』の『す』の字も言い出せなかったくせに、なんでこんな時にはすらすらと出てくるのだ。

 そう自分を罵りながら、この状況をどう打破するべきか賢明に考えていた。――その時だった。

「俺は好きだよ、あおさんのこと」

 殊の外静かな声が耳に滑り込んできた。

 ひたすら打開策を考え続けていた蒼依は一瞬何を言われたのか理解できず、全ての思考が一旦停止する。

(……今、圭吾くんなんて言った? なんか、自分に都合の良い言葉が)

 聞こえた気がする。

 そう蒼依は自分の耳を疑う。

 だって、好きって。圭吾くんが私のことを好きって、そんな。

(そんな夢みたいなこと)

 あるわけない――。

 信じられなくて、蒼依が何も言えないでいると。

「言っておくけど、嘘でも冗談でもないからね。俺が気持ちを伝えたかった人は、あおさんのことなんだから」

 言って、温かい指先がするりと蒼依の頬を撫でる。反射的に蒼依がびくりと肩を揺らすと、触れた指先が蒼依の顔を上げさせた。すると、真剣そのものの眼差しとかち合う。

 頬に添えた指先に力を込め、圭吾が真っ直ぐに蒼依を見据える。その視線から蒼依が目を反らせないでいると。

「もう一回聞くから、今度ははぐらかさないで正直に答えて。あおさんの初恋の相手って間違いなく俺のことだよね? そして今も、俺のことが好きなんだよね?」

 思い違いなんかじゃないよね、とどこまでも真摯な双眸が蒼依の答えを求める。ただただ蒼依は息を飲んだ。

 それまでどう言い逃れようかと後ろ向きなことしか考えていなかった思考がすっとなりを潜め、代わりにずっと胸の奥にくすぶっていた感情が湧いてくる。

 気付けば蒼依は深く息を吸い込み、十分ため込んだ後に腹の底から一気に吐き出していた。

「そ、そうです! 全部本当です! 私、圭吾くんのことがずっと好きだったんですっ。ええ、初恋でしたとも。しかも小学校からというね。ついでに今でも変わらず好きですけど」

 それがなにか文句ありますか、と声の限り言い放った。言い切った後で、圭吾からの反応が怖くて蒼依はぎゅっと目を瞑る。

 ――つ、ついに言っちゃった。

 二十年近く押し込めていた気持ちを余すことなく伝えることができた。のだが。

「……」

「……」

(あれ? なんで無言なの?)

 辺りはしんと静まり返っていた。自分の声が木霊していたから余計にそう感じてしまう。

「あ、あのぅ、圭吾くん?」

 沈黙に耐えられず、蒼依が恐る恐る眼前の圭吾の様子を窺う。すると、見上げたその目は点になっていた。圭吾はぱちぱちと目を瞬かせ、唖然とした表情で蒼依を見下ろしている。

 ……もしかして、どん引きしてる?

(そりゃそうだよね。小学校の時からの初恋をこんな歳までずっと引きずってるとか相当イタいでしょ。結婚したと知っててもまだ好きだったとか、未練がましくてもう気持ち悪いやつだもん)

 それを堂々と告げた。引かれないわけがない。

 やっぱり言うんじゃなかったと、告げた矢先に蒼依が後悔していると。

「――ふっ、ふふ」

 唐突に圭吾がくつくつと笑い声を上げた。今度は蒼依がきょとんと目を丸める。

 な、何がおかしいの?

(こっちは誠心誠意、気持ちを伝えただけなんだけど)

 訳が分からずに目を瞬かせていると。

「なんでそんな啖呵きるみたいな言い方になるの」

 せっかく良い雰囲気だったのに、と圭吾がおかしそうに笑う。

「喧嘩口調も良いところだよ。こんな告白されたの初めて」

「そ、そんなこと言われても」

 告白なんて、人生初なのだ。ドラマや映画みたいにロマンチックな言い方が自分にできるはずがない。期待されても困る。

 それよりも蒼依が気になっているのは。

「あの、引いてないの?」

「なにが?」

「だって、小学校からの初恋をずるずる引きずってただけならまだしも、結婚してても好きだったとか完全にイタい奴でしょ?」

 そう不安げに問えば。

「確かに並々ならぬ執念は感じたけど、引きはしないよ。だって俺もそうだし」

「……へ?」

「実は俺も、小学生の頃あおさんのこと好きだったんだ。それこそおんなじ、初恋ってやつ」

「え!? そ、そうなの!?」

「まぁ、漠然とだけどね。好きというか、気になってたっていう言い方の方が合ってるかな」

「……本気で言ってる? 私がイタ過ぎるからって気を遣ってない?」

「そんなことで気を遣ってどうするのさ。それに、あおさんがイタい奴なら俺だってそうなんだってば」

「どうして?」

「だって、俺もずっと好きだったんだから」

「……ずっと、って。え? もしかして小学生の時からって事? 圭吾くんも?」

「うん。実はそうだったみたい」

 ちょっと情けない話なんだけどさ、と眉尻を下げてから圭吾は続ける。

「自分ではそのことに気付いてなかったんだよね。離婚するって決めた時に初めて気付いたんだ。それも友達に指摘されてね。だから今まで誰かに別れを切り出されても、あんまり落ち込んだりしなかったんだなって納得できた。俺もずっと、無意識に初恋の人を想い続けてたんだよ」

「うそ……」

 圭吾の言葉に蒼依は呆然となる。

 だって、そんなマンガみたいな話。

 好きだと言われたことも未だに信じられないのに、お互い初恋で、その相手をずっと想い続けていただなんて、もう奇跡としか言いようがない。

 そんなことを蒼依が考えていると「それはこっちの台詞だよ」と圭吾が穏やかに笑む。

「まさかあおさんも俺のことが好きだったなんて。しかも初恋で小学校から今までずっと好きだったとか、まんまおんなじじゃん」

 そんなことってある、と驚きつつも、けれども至極嬉しそうな声音で言う。

 今まさに「私も今、まったく同じこと考えてた」と蒼依が正直に話すと、圭吾は「それも一緒?」とただただ愉快そうに破顔した。その様子に思わず蒼依も笑みを零した。

「あーあ、こんなことならもっと早く再会できてれば良かったな」

 ひとしきり笑い合った後、不意に圭吾が溜め息とともにそう吐き出す。

「そしたら焦って別の人と結婚なんてすることもなかったのに」

 失敗した、と圭吾は肩を落としながら言うが。

「でもさ。そうなると圭吾くん、自分の気持ちに気付けなかったんじゃないの? 今の状況って、結婚と離婚を経てからの結果なわけなんだし」

 蒼依がそう指摘すると、圭吾はしばらく間を空けてから「……それは一理あるかも」と渋面を浮かべる。

「でしょ? だからこれは必然的なことだったんだよ。君がバツイチになるのは」

「……言い方に棘を感じるな」

「棘も何も、純然たる事実だからね」

 少しだけ意地の悪い笑みを浮かべて蒼依が言えば、圭吾は複雑そうな面もち黙り込む。しかし、すぐさま「なら俺も言うけどさ」と蒼依の方を向き。

「なんであおさんも好きって言ってくれなかったの?」

「私が言えるわけないでしょ」

 さっき十分に自分のダメっぷりを公言したではないか。そう言外に言えば「じゃなくて」と圭吾は聞き方を変える。

「昔のあおさんが言えないのは分かりきってるから。そうじゃなくて、離婚したって話した時とかにってこと。なんでその時言ってくれなかったの?」

「いやだって、気が咎めるというか、奥さんのこと好きだったんだろうなとか考えたら、言い出すタイミングじゃないなって思って」

「なら、出かけた時は? まさに絶好のタイミングだったと思うんだけど」

「だと思って、一度は言いかけたんだよ? 本当なんだから。でも……その……」

 ごにょごにょと蒼依が口籠ると、圭吾は呆れたように息を吐いた。

「その引っ込み思案な性格が邪魔をしたんだね」

「……お察しの通りです」

 反論できずに蒼依は小さくなる。

「本当に消極的なんだから」

「しかも、その後に気になる人がいるって知って更にヘコんだんですけどね」

「自分だとは思わなかったの?」

「だって、その時はまだそういう人がいるって聞いただけだったし」

「だから相談した時も気付いていなかったの? あれだけ事細かに説明したのに?」

「いや、その時は自分のことだとはまったく思ってなかったから」

「なんでさ。まるっきり同じこと言ったよ。真面目で優しくて、気遣いができる思いやりがある人だって」

「た、確かに言われたけど……。けどもう、その時は既にまた言えずに終わるんだ、次はないなって悟っちゃってたし。おまけに私なんて――」

「人見知りだしコミュ障だし感情表現下手だし、って? そんなことないじゃん。さっきの告白だってかなり熱烈だったよ。すごい感情籠もってた」

「だ、だって、誰かに告白するなんて人生で初めてで、ただ思ってたことをそのまま伝えただけで」

「初めてって、本当に俺ひとりだけ? 他に格好いいなとか、気になった人もいなかったの? 高校とか大学時代も?」

「は、はい。特に誰も……」

 自分でもどうしてだか分からない、と正直に白状すると、圭吾は盛大に目を見張った。しかしそれは一瞬のことで、次の瞬間には「あーもう」と顔を手のひらで覆って伏せた。かと思えば、蒼依の腕を掴み、そのまま自分の方へと引き寄せる。

 蒼依はあっという間に圭吾の腕の中に抱き込まれてしまった。挙げ句、頭に頬をすり寄せられ「ひぃ」と悲鳴を上げる。

「な、なななななにするの!? は、離してっ」

 誰か来たらどうするの、と身を捩るが。

「嬉しい。幸せ。一生放さない」

 などと連呼しながら、圭吾は更に腕に力を込める。

「は、恥ずかしいからそれ以上何も言わないで!」

「無理だよ、勝手に口から出てくるんだから」

 言って全身で蒼依を包み込み。

「もう本当、冗談抜きに嬉し過ぎるんだけど。すごい幸せな気分。こんなに一途に想われてたなんて」

 気付けなかった自分がばかだった、と自分を嘲るように言うが、しかしその声は心底嬉しそうだ。その圭吾を見上げ、蒼依も口角を上げる。

 この初恋は絶対実らないと思っていた。

 こんな、人見知りで引っ込み思案なコミュ障の自分の初恋なんて、なおさら。

 本当は忘れたくて仕方がなかった。思い出す度に辛かったから。

 でも、思いがけず報われてしまった。しかも、想像しうる最上の形で。

(忘れなくて、忘れられなくて本当に良かった)

 そんなことをひとり考えながら蒼依が幸せに浸っていると。

「で、いつがいい?」

 圭吾が蒼依を見下ろして尋ねてきた。『いつ』に対しての主語が分からず、現実に戻った蒼依が「なにが?」と首を傾げる。すると。

「なにが、って挨拶に決まってるじゃん」

「……挨拶?」

 なんの?

 またもや意味が分からずに蒼依は首を捻る。すると圭吾は、満面の笑みを浮かべてから予想だにしていなかった単語を繰り出す。

「『結婚させてください』の挨拶に決まってるでしょ」

 やだなー、とお茶目に言う。当然蒼依は目を剥いた。

「け、結婚!? もう!!?」

 展開早くない!?

「ついさっきお互いの気持ちを知ったばかりなのに!?」

 デートだってまだ一回しかしてないのに。

 突拍子もない圭吾の発言に蒼依は思わず声を上げる。しかし、当の圭吾は不思議そうに首を傾げ。

「寧ろ、しない理由の方がないと思うんだけど」

 などと真顔で返してくる。それに慌てたのは蒼依の方だ。

「で、でも、お互いの癖とか、こんなところは分かりあえないなとか、そういう相性ってあるじゃない」

 それこそ好きな食べ物とか趣味とか。性格は大体把握しているが、細かいところはまだまだ知らないことが多い。はず。

 そう蒼依が言うと、圭吾は「それは実際一緒に生活してみないと分からないから」と軽くあしらった。

「それとも、バツがついた人とはいや? 信用ない? 嫌いになる?」

「い、今更それくらいで嫌いになんてなれないけど……」

「だよね。だって二十年以上も忘れられなかった初恋の人だもんね」

「……もはやバカにしてる?」

「嬉しいってこと。それに、俺も一緒なんだってば」

「……類友ってやつかな」

「そこはせめて似たもの同士にしとこうよ」

 言葉の響き的に、と圭吾が苦笑する。その呆れたような、でも嬉しそうな笑みに、蒼依も同じく笑い返したのだった。

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