蒼依サイド7
そんなこんなで思いがけずに決まったデートの日取りは三週間後の日曜日だった。
「雨じゃなくて良かったー」
助手席から降り、蒼依は伸びをする。
かれこれ二時間ほどかかって到着したのは、隣県にあるガーデンショップ。季節の花の苗から贈答品の鉢花、観葉植物や多肉植物まで多種多様に取りそろえられている大型の店だ。一緒に飾れるオブジェや植木鉢なんかも取り揃えてあり、蒼依の一番のお気に入りの店である。
「いつもこんな遠くまで買いにくるの?」
運転席から降りた圭吾が苦笑混じりに聞いてくる。蒼依は「ううん」と首を振った。
「普段は近場のお店で済ませてる。ここは植えたいって思いが爆発した時だけくるの」
「爆発するものなの?」
蒼依の言葉に圭吾は小さく吹き出した。
今は二月の中旬。冬の冷たい風がまだ残ってはいるものの、ちらほらと春の気配も足を忍ばせてきている。そういう時期になると色とりどりの花が出始め、無性に買い漁りたくなるのだ。
早速店外に設置されているかごを手に取り、蒼依は物色し始める。
「時間かかると思うから、車で待ってて良いから」
気になる花の苗を手にとっては別のものと見比べ、さらに別の苗へと手を伸ばしながら言う。すると圭吾は驚いたように目を瞬かせた。かと思えば、若干眉根を寄せ。
「何で一緒に回らせてくれないの」
少しだけ声音を低くして素っ気なく聞いてくる。その口調に今度は蒼依が目を丸めた。
「え? いやだって、端から端まで見て回るんだよ。しかも何回も」
興味がないと退屈ではないだろうか。そう言うと、圭吾は「そんなことない」と豪語した。
「ひょっとして圭吾くんも植物好き?」
「そういうわけじゃないけど、でも一緒に見る」
やけに気迫籠った言葉に気圧され、蒼依は「わ、分かった」と頷いた。
それから店内をくまなく歩き回ること一時間近く。
圭吾と一緒に「これきれいだなー」「あっちのも良いんじゃない?」と話しながらだったためか、そんなに時間が経っていたとは思わなかった。
満足のいく品を見繕うことができた蒼依は、かごいっぱいに入った苗やオブジェ、植木鉢などを携え、いざ会計しようとレジの方をちらりと見た。すると横から手が伸びてきて、すかさずかごをひったくられてしまった。
言わずもがな、手の主は圭吾だ。早きこと風の如し、である。
蒼依が呼び止める間もなく圭吾が会計を済ませて戻ってくる。箱詰めされた戦利品を見て「これだけ?」と尋ねられ、蒼依は素直に頷いたのだった。
「……連れてきてもらっただけで十分だったのに」
「だめ。それくらいじゃ恩返しにならない」
買った苗達を、倒れないよう後部座席の下の方に置いて車に乗り込む。
「君も相変わらず真面目だなぁ」
「あおさんは遠慮し過ぎ。もっと人の好意に甘えればいいのに」
「いやー、気持ちだけでありがたいというか、それ以上は申し訳ないというか」
「そこが消極的なんだって。そんなんじゃ彼氏できないよ」
「うっ」
痛いところを突いてくる。
「だって、迷惑じゃないかなって思っちゃって」
ごにょごにょと蒼依が口籠りながら言うと「本当に他人を気にし過ぎなんだから」と圭吾は軽く息を吐く。
「そんな引っ込み思案だからその良さに気付いてくれる人が少ないんだよ」
もったいない、と圭吾は苦笑を浮かべる。蒼依はきょとんと目を丸めた。
「私の良さって?」
「優しくて気遣いのできるとこ。それでいて基本的に真面目だから信用できるし、あとは面倒見も良いところと、それから……」
「も、もうやめてっ」
それ以上は顔から火が出そうだ。
「そんなことないから。私なんて人見知りのコミュ障で引っ込み思案なだけなんだから」
「そこも言い方を変えれば控え目な性格と言えるけど、でも、もうちょっと自己主張できるようになった方がいいとは思う。じゃないと、いざという時、相手に気持ちを言い出せないよ。そうなったら結局しんどい思いするのはあおさんなんだから」
「……」
小学生の時から今日に至るまで、現在進行形でそうなんですけどね。
(なんて、本人には言えない)
それができたら今頃気持ちを伝えてますってば、と心中でしみじみ思いながら蒼依は「ぜ、善処します」と答えただけだった。
「分かったら、言いたいことはちゃんと口にしてね。とりあえず俺には遠慮なんてしなくて良いから」
「……これでもだいぶ自分を晒せるようにはなったんだけどなぁ」
家族や気を許した友達以外で、ここまで自分の考えや性格を打ち明けたことはない。そう言うと、圭吾も「昔よりはね」と頷いた。
「でも……そうだな、もう少しだけ他人に甘えることを覚えると更に良いと思う。そしたら、絶対今のあおさんなら良い人見つかるから」
俺が保証する、と圭吾は穏やかに笑いながら蒼依を見る。その笑みに蒼依の心臓が小さく高鳴る。
「あ、ありがとう」
その言葉だけでもすごく嬉しい。嬉しくて、胸の奥底にしまい続けていた気持ちが浮かび上がってくる。
(ど、どうしよう。今なら伝えても、良いかな)
実はずっと好きだったのだと。君が私の初恋の相手で、今でも気持ちは変わらないのだと。
「あ、あの、圭吾くんっ」
高揚した感情と圭吾の言葉に背中を押され、自ずと蒼依の口が開く。緊張のあまり若干語尾が上擦ってしまうが、そんなことに気を回している余裕はない。
「ん?」
なに、と圭吾が首を傾げる。そのまま蒼依の顔を覗き込んできて「どうかした?」と真っ直ぐに見つめてくる。その優しげな眼差しに心臓の鼓動が更に大きくなり――その結果。
「あ……その、お、おなか空いたね、って」
つい今し方喉元まで来ていた言葉が、途端にまた腹の奥底まで引っ込んでしまった。そうして代わりに出てきたのは全く別の、なんとも不甲斐ない言葉だった。
「そうだね。じゃあ、どこかでご飯でも食べようか。あ、他に行きたいところはない?」
「う、うん、今日はもう大満足。……本当に、ありがとう」
「こっちこそ。喜んでもらえたら、俺も嬉しい」
言って圭吾は車のエンジンをかけた。蒼依は心中で深く息を吐く。
本当に不甲斐ない。情けなさ過ぎる。もはや泣きたくなるレベルだ。
(こんな、絶好の機会で)
心底自分の引っ込み思案な性格を恨めしく思いながら、蒼依は自己嫌悪に駆られる。
そうして結局は何も言い出せぬまま、ご飯を食べて自宅の前まで送られた。もちろんそれも圭吾の奢りだ。
「これで貸し借りはなしだから。ほんと、これ以上はもう何もしなくて良いからねっ」
本心だからね、と蒼依が強調して言うと「そこまで言うなら、分かった」と圭吾はどこか渋々といった表情で頷いた。なんでちょっと不服そうなのだ。
肝心なところで気持ちを伝えられなかった事に対する情けなさと、どこまでも恩返しにこだわる圭吾に対し、蒼依は半分やけになっていた。
「私にかまう時間があったら次の人探したらいいのに」
本心とは裏腹に蒼依がぽそりと零すと、それを聞き止めた圭吾が「実は」と返してくる。
「もう、いるんだ。気になる人」
少し照れくさそうに言う。
「うそ……」
いつの間に。
三週間前は「誰かいない?」と言っていたくせに。
(そんなすぐ見つかるものなの?)
ずっと圭吾一筋だった自分には分からない。
「まだ付き合ってはいないよ。俺が良いなって思ってるだけ」
「そ、そう、なんだ」
知らず蒼依は拳を握り締める。
「もう、その人に声かけたりした?」
「うん。話すきっかけがあったから、それからは良くしゃべるようになったよ。けど、まだそれだけ」
圭吾は笑顔で頷く。
は、早い。
(でも、好きならそれくらい普通なんだよね)
自分が消極的過ぎるだけ。
(昼間、言わなくて良かった)
言えなくて、という方が正しいが、それが正解だった。
もう気になる人がいるだなんて。
もし好きだと伝えていたら、困らせていたかもしれない。
「今度は、うまくいくと良いね」
ショックを受けていることを気取られないよう、蒼依は笑って言う。すると圭吾はぱっと目を輝かせ。
「じゃあ、また近いうちに相談に乗ってもらっても良い?」
信頼の眼差しを蒼依に向けてくる。その真っ直ぐな瞳に蒼依の胸がずきりと鈍く疼いた。それを顔に出さないよう必死に堪えながら「私で良いなら」と笑顔で頷く。
「それじゃあ、また。あ、他にどこか行きたいところとかあったり、相談したいこととかあったらいつでも気兼ねなく連絡してきて良いからね」
ちゃんと番号登録しといて、と念押して圭吾は帰って行く。
遠ざかっていく車を見送り、その影が見えなくなるや否や蒼依は「はぁ……」とやるせない溜め息を零した。
(登録しといてって、そりゃ喜んですぐにしたけども)
だからって、あんなことを聞かされたら連絡なんてできるはずがない。
(まさか、もう次の人が見つかったなんて)
しかも、なんだかすごく嬉しそうな様子だった。奥さんの話をしていた時とはまた雰囲気が違う。
――また、言い出せずに終わるのか。
(さすがにもう次はない、かな)
既に一度、辛い思いをしたのだ。今度は幸せになって欲しい。
「……はぁぁぁ」
圭吾に買ってもらった愛しの植物達を両手に抱えたまま、自宅の玄関の前に立ち尽くす蒼依は盛大に重い息を吐いたのだった。