圭吾サイド6
蒼依のことが好き。
そう指摘され、自覚してしまうと蒼依に会いたい気持ちが更に強くなった。
ちなみに真梛とは既に離婚が成立している。
件の一件の後、当然家を出て行った真梛の方から離婚届が送られてきた。もちろん全て記入され、判も押された状態で。そこに自分の署名をして提出してしまえばあとは受理されるのを待つのみ。
まぁ、結果的にはお互い良い形で収まったと言えるだろう。真梛は自分の望む関係を築ける相手と一緒になれるし、自分も本当の気持ちに気付けたのだし。
そうして諸々事情が落ち着き、何のしがらみもない状態になってようやく蒼依の元を訪ねた。のは良いものの。
世話になった礼も兼ねて食事に誘ったのだが、なのに本人が遠慮ばかりする。何度も気にするなと突っぱねられ埒があかない状況になり、こうなったらと、蒼依の同情心につけ込むような形で半ば強引に連れていくことに成功した。
そこで離婚したことを話すと盛大に驚いていた。さすがに理由までは言えなかったが、蒼依も深くは追求してこなかった。
だからといって、すぐに気持ちを伝えることができないのが難しいところではあるのだが。
そんな素振りすら見せたこともなかった上に、離婚したと話した直後に伝えても信じてもらえるわけがない。寧ろ自分の性格を疑われるだろう。
それに蒼依の現状もどうなっているのか分からない。もし相手が見つかっているのなら今後の展開がややこしくなる。だから誰かいないかとはぐらかしながらさり気なく探りを入れてみた。
おかげでまだ相手はいないことが分かり、自分の連絡先も教えることができた。中でも一番の成果は、デートの約束をこぎつけることができたこと。若干強引ではあったが、蒼依も受け入れてくれた。今はその返事を待っている。
既に三日は経った。シフト制だということで、他の従業員との休日を調整しているのだろうが。
(まだかな)
気持ちばかりが逸る。そわそわと落ち着かない。こんな心境は初めてだ。
(好きな人からの連絡を待つのってこんなに緊張するんだ)
今までの人生で経験したことのない感情に少し戸惑いながらも、蒼依のことを考えていたまさにその時だった。手の中に大人しく収まっていたスマホが急に鳴った。一瞬肩が跳ねる。次いで液晶を見て手が止まる。
知らない番号。だが、それが誰からのものなのか予想はつく。
「もしもし?」
応答ボタンをスライドさせ、少し待つと相手の声が耳に入ってくる。
『もしもし、圭吾くん? 蒼依です』
……やっとかけてきた。
「休み、決まった?」
待ち望んでいたことを悟られないよう、いつもの調子で尋ねる。蒼依からは「圭吾くんって日曜日は休みだよね?」と確認が返ってきた。
「仕事が立て込んでない限りは基本的に日曜は休みだよ」
『だと予想して、再来週の日曜日に休み取ったんだけど、大丈夫?』
「再来週の日曜?」
言いながら圭吾は部屋の壁に掛けてあるカレンダーを見る。
今は一月の下旬だ。再来週ということは月をまたぐ。カレンダーの前に立った圭吾は一枚めくり、日付を確認した。特に予定は書き込まれていない。そう返事をすると、蒼依は「良かった」と安堵したように呟いた。
『いやさ、休みを取ったは良いものの、圭吾くんの方が予定入ってたらどうしようかと後になって気付いちゃって』
先に確認しておくべきだったと、こちらのことを気遣う。その言葉を蒼依らしいと思いながら、圭吾は「良いよ」と気軽に返す。
「その時は俺が予定変えるから」
『いやだめでしょ』
呆れたように蒼依から言われ、その掛け合いにお互い笑いが漏れる。あとは時間やどこで待ち合わせるか軽く話をして、通話を切った。
(再来週の日曜か)
蒼依からの電話の余韻に浸りつつ圭吾は再びカレンダーへと目を向ける。
好きな人とのデート。
考えただけで自然と胸が躍る。それを自覚しつつ、雨が降らないと良いけど、と思いながら約束の日付に丸をつけた。
そうして待ちに待った日曜日――。
「あらぁ、貴方圭吾くんなの? まぁー、見ない間に男前になって」
お母さんお元気、と明るい声で話しかけてくるのは出迎えてくれた蒼依の母親だ。圭吾は「ご無沙汰してます」とにこやかに挨拶を返す。蒼依の母からも「こちらこそぉ」と溌剌としたお辞儀が返ってきた。その様子に圭吾は内心苦笑が漏れる。
(うーん、なんであおさんって大人しかったんだろう)
目の前の蒼依の母親は恰幅が良く大らかな雰囲気で、蒼依とは真逆なタイプのように見える。この人から生まれて育てられたのに、なぜ蒼依はあんなに内向的な性格になってしまったのかとつくづく不思議に思ってしまう。するとちょうどその時。
「ちょ、ちょっとお母さん!」
靴も上手く履けていない状態の蒼依が慌ただしく玄関からまろび出てくる。そして、そのままの勢いで圭吾と雑談していた母親を家の中に押しやり、後ろ手にぴしゃりと玄関を閉めた。
背後からは「なによー」と不満そうな声が聞こえてくるが、蒼依の耳には届いていないようだ。
ぜーぜーと肩で息をしながら目の前に現れた蒼依に呆気にとられつつも、圭吾は「おはよう」といつもの調子で朝の挨拶をする。それに対して蒼依から返ってきたのは。
「オ、オハヨーゴザイマス」
大変お待たせいたしました、となぜか接客用語付きの、外国人さながらの片言混じりな挨拶だった。
挙動が完全に不審である。何かあったのかと心配になる程に。がしかし、それを確かめるよりも先に、圭吾の意識は別のことに向く。
「……」
俯きがちに自分の前に立つ蒼依の出で立ちは、淡いクリーム色のネックセーターに濃紺のデニム生地のロングスカートとハイカットのスニーカー。肩にはグレー系のくすみカラー数色で統一されたストールをかけていた。女性らしさもあり、かつ溌剌とした爽やかさも感じさせる装いだ。
普段は仕事中のパンツ姿しか見慣れていない圭吾は、思わずまじまじと見つめてしまった。
その視線を感じ取ったのか、下を向いていた蒼依が顔を上げ不思議そうに首を傾げる。
「ど、どうしたの?」
「いや、いつもと雰囲気が全く違って……」
なんか新鮮だなって、と正直に答えると、なぜだか蒼依は無言になった。しばらく時を止め、瞬きすらもせず自分を見上げていた。かと思えば、おもむろに踵を返し。
「……やっぱり着替えてくる!」
そう叫ぶや否や、玄関の中へと引っ込もうとする。圭吾は反射的にその手を掴んで引き留めた。
一瞬蒼依の肩が跳ねたようにも見えたが、敢えて気にせず「なんでさ?」と背を向けた理由の方を尋ねる。
「何か気に入らない組み合わせだった?」
そう問えば、蒼依は掴まれた腕をなぜかちらちらと見ながら「そ、そうじゃなくて」と返した後。
「……だって、似合わないでしょ。昔からあんまりスカートとか穿いてなかったし、正直自分でも着慣れな――」
そこまで言って「あ」と唐突に蒼依が言葉を切った。その表情は見るからに墓穴を掘りましたと言わんばかり。圭吾はもしやと蒼依の背中に問いかける。
「……もしかして、今日のために?」
普段は身につけないような服を敢えて選んでくれたのかと言外に尋ねると、勢い良く蒼依が振り返り。
「い、いや、その! べ、別にそういうわけじゃっ」
ない、と全力で首を振るが、言葉とは裏腹に言動がまったく嘘をつけていない。頬は完熟した林檎よりも更に真っ赤だし、顔にははっきりと『図星』と書かれている。
そのことを自分でも重々自覚しているようで、蒼依は圭吾の視線から逃げるように深々と顔を伏せてしまった。
ひたすら下を向いたまま、身体が小刻みに震えているようにさえ見える。その様子と返答に圭吾はしばし目を丸めた後。
「女性らしくて、俺は良いと思うよ。似合ってる」
「っ」
努めて穏やかな口調で言うと、縮こまっていた蒼依がぴくりと肩を揺らした。しかし相変わらず下は向いたまま。
自分の言葉に反応した割には身動きしないままの蒼依を不思議に思い、どうしたのかと顔を覗き込もうとして、ふと髪の間から見える色白の耳が赤く色づいていることに気付く。
――もしかしなくても、照れてる?
圭吾はまたしても目を瞬かせた。がしかし、次の瞬間にはふっと笑みが零れた。
(今時珍しいなぁ)
まさに初々しいという言葉がぴったりな反応だ。
(あんまり言われ慣れてないのかな)
似合っているとの圭吾の言葉にやっとのことで「あ、ありがとう」とどもりながら応える蒼依に、圭吾の頬が自然と緩む。
こんなに可愛い反応をする人だったのかと、新たな一面をかいま見れて嬉しく思わないわけがない。微笑ましいことこの上ない。
しかしそんなことを言うと、今度こそ恥ずかしさのあまり家の中に引きこもって出てこなくなってしまうだろうから胸の内だけにとどめる。
照れる蒼依をずっと眺めていたいが、今日の目的はお礼という面目でのデートだ。そちらを楽しまなくては。
「さて、それじゃあそろそろ行こうか。場所、ナビに入れてくれる?」
車に乗り込みながら目的地をカーナビに入力してもらい、心待ちにしていた時間がスタートしたのだった。