⑬ 罪つくりなおとこ
私たちはシアルヴィの指示により、観測結果を図表にまとめる作業を進めながら、朝の事件について話していた。
クラスの生徒たちはまだ交友関係ができていないということだったが、シアルヴィとイリーナは被害生徒と親しかったのだ。
『今朝倒れた彼のことで……』
聞き込みをしてみよう。
『こう言ってはなんだけど、彼の家は政財界でそれほど重要ではない伯爵家。彼自身も末子で、あえて狙われる立場でもないかな』
『無差別の犯行ということ?』
聞き耳を立てているダインスレイヴ様の、眼帯で隠れていない方の目は、研ぎ澄まされた眼光を放っている。必ずしも彼の管轄というわけではないようだけど、目の前で被害者が出たのだ。おそらくご自身で解決するおつもりでいる。
『政財界での地位がどうとかでなくて、私的なイザコザの線は?』
私の繰り出す質問に、シアルヴィは物憂いげな様子で答える。
『それもないですね。彼は敵を作るタイプではなかったし。それにこの犯人は』
『北、エリヴァーガルからの刺客に違いありませんわ!』
先ほどからウズウズしていたらしきイリーナが、シアルヴィをぐいっと押しのけ、顔面で主張してきた。
『刺客??』
『我々貴族の子女の間でさえ、周知の事実ですの。我が国とエリヴァーガル国は、遅かれ早かれ戦争が始まるって……』
イリーナの目線が斜め下にスライドした。不安の表れだ。ダインスレイヴ様を振り向いたら、彼も視線をずらしている。
『私の祖国とやっと協定を結んだところなのに……』
『むしろ北との関係の影響により、長年の断交に幕を下ろしたのですからね』
つまり、この国は南ウルズと協定を結ぶことで、北を牽制したのね。
『でもその雪解けの結果、余計、北に火を付けてしまったのよ』
『どういう意味?』
『第三王子ダインスレイヴ殿下が南からお妃様を迎えてしまったから……』
……ん??
『エリヴァーガルのアリアドネ女王がおかんむりなのですわ』
『どういうこと?』
『女王は、殿下にずっと秋波を送っていたのだもの』
海を渡る秋波?
『それを殿下が、他国でろくに実権もない王配になって種馬扱いされるのつまんね~~とかで断り続け、このたび他の女性と結婚してしまったから、戦争が始まりそう……』
続々と解説を繰りだしたイリーナが、とうとう言葉を詰まらせた。
「………………」
私はダインスレイヴ様の方を見た。
『………………』
彼は机上作業もそこそこに、先ほど額をぶつけた窓の上枠をハンマーで壊している。ついでに口笛も吹いている。
────あなたが戦争の火種なのですか!??
シアルヴィ、イリーナは続けて話してくれた。
この話はもはや上流貴族の間で筒抜けとのこと。10年以上前、北の王家の娘・アリアドネ姫がこの国に留学生としてやってきて、この学院で学んでいた。
その中で、後輩であったダインスレイヴ様を大層気に入り、課程を終えた年、国に連れ帰ろうとしたが固辞され断念。その時点では、アリアドネ姫は継承権5位の王女で、それほどの強制力はなかった。
その北国の王家で4年前、下剋上が成る。若い第一王子が病没したのを期に宰相の一族が第五王女を祭り上げ、御家騒動を起こしたということだ。
それは宮殿を血で染めつつも実を結び、久方ぶりの、女の王が誕生する。
当初はお飾りであったはずの女王だったが──その手腕を存分に発揮し意のままに周囲を操り、彼女を盛り立てた宰相一族を罷免にしたことで、今ではひとり権勢を欲しいままにしている。
そしてかねてから気に入りであったスクルド第三王子に、恋の奴隷……ではなく王配として、身柄を献上するよう再三要請するが、彼は無視を決め込む。それどころか、このたび成婚!
────女王、おかんむり! 《今ココ!》という矢印が私の脳内に流れてきた。
『宮殿に密偵を送り込んで機密情報を得る、または中枢を混乱に陥れる……その礎として併設の学院に潜入する、というのは考えられることですわ』
『国の警備システムを突破するエリヴァーガルの諜報力か』
シアルヴィは自身の研究を邪魔されない環境なら別にどうでも、といった様子だが。
『そこに今度の大使養成クラスの編成……密偵としてはこれ以上のチャンスはないでしょう。南の人間にも急接近できるのだから』
……それって、つまり。
『先生は確実にターゲットですわね』
『南の人間をこの国の人間のふりして闇討ちすれば、また南北を断交時代に巻き戻せるからなぁ』
『この国を掌握するつもりなら南には黙ってていただきたいですものね。まぁ先生、顔が蒼いですわ』
「…………」
言葉が出ない。
『すべて憶測だ。まだ北からの密偵と決まったわけではない』
ハンマーを振り回しながらダインスレイヴ様は、ふたりを諫めるのだった。
『えっと……北の軍事力はどれほどなの?』
『僕らは文官の家の者だから、そこまで詳しくはないけれど。でもこれは有名な話、女王アリアドネが強いのです』
『えぇ……?』
どうやらそちらの女王は女性の身で勇ましく戦地に赴き、家臣が止めるのも聞かず前線間際まで踏み込み、強権をもって兵士らを鼓舞する。鼓舞どころか強圧・威嚇し、戦場が恐怖政治そのものだ、と評されるとか。
『つまり、戦って敵兵に斬られるか、逃げて女王に殴り殺されるか、の2択』
『まさに《前門の虎、後門の狼》ね』
『敵を恐れて逃げた方にも新たな敵が襲い掛かる、という東方のことわざですわね』
『あ、違いますよ。背後にいる女王がまさしく“虎”です』
女王が虎? それはどういう……
『この学院でも語り草になっていることだけど、存分に王者の風格を漂わせる彼の女王は、虎神の生まれ変わりとして国民に崇められているそうです。その威嚇力は男の軍人に引けを取らないのだとか』
ものすごい伝承の持ち主ね。
『女性なのに軍人ほどに体格がいいの?』
『見た目の話なら、当時の美術部員が描いた肖像画では、虎というより』
『あれは女豹ですわ』
イリーナが苛立った様子で断言した。……妖艶な美女、なんだろうな。
『学祭の時期に過去の優秀作品も展示されるので、今は美術部の倉庫にありますよ。興味があれば美術部員に聞いてみてください』
女王の見目には興味ないのだけど、この学院、お祭りがあるの?
そういうの私、経験ないから、面白そう……教員も参加できるかしら。
『あの女豹の毒牙にかからなかったダインスレイヴ殿下は見どころのある御仁ですわ。変人王子ともっぱらの噂ですが、王家の中でも、なかなかやる、との呼び声高いです』
『へ、へぇ……』
ちらりと彼の方を見たら、ハンマーで壊した扉の枠をうまく補修している。なかなか、やる。
ここで下校のチャイムが鳴った。そろそろ校門が閉まってしまう。ふたりは帰り支度をさっと済ませ、校舎を出たところに待つ馬車へと向かっていった。
『子女を待つ馬車で校門前はひしめき合っていますね』
夕暮れの教室でダインスレイヴ様と、窓から学生たちを見送っている。校内から人が減っていく、慌ただしくも哀愁ただようこんな景色、私には初めて。
『私たちも帰ろう、ユニヴェール』
力が抜けまっすぐに下ろした私の左手を、彼はぎゅっと握った。
これは、まるで仲良しの子どもがするような……。子どもの頃、同じ年頃の子たちがしてるのを陰から羨ましく見てた、手の繋ぎ方。
『これ、紳士のエスコートとは少し違う気がしますが……』
『さぁ早く、私たちの邸宅へ』
今度は彼の指が、私の指の間をさっとすり抜けて。そして強く握って、この手をがんじがらめにする。これは……
『校内で他の誰かに見つかったら良くない気がします……』
『ここを出たらすぐに日が沈む。誰の目にも留まらない』
『でも……』
『学生は通常、こうやって手を繋いで下校するんだ』
そうなの? 確かに、さっき下校中の生徒の中にいたかもしれない。でも私は教師だし、生徒のひとりを特別扱いしてはいけないから、ここまで距離が近いと……。
「ワタシたちは、カエる、テとテを、ツケます」
「ん?」
ダインスレイヴ様? 何を言ってるの。
かえる? 手と手を付ける? ……あ、もしかして、手を繋ぐって意味で言ったの? じゃあ、
『キスは!?』
『したいのか!?』
『違う!』
『ぐうっ!!』
ダインスレイヴ様の脳天に《違う!》と書かれた矢印が突き刺さった。
『“キス”をウルズ語で言ってください』
彼はバツの悪そうな顔で、記憶を辿り始めた。
「……クチとクチを、ツケます?」
「…………」
この方、今日の慌ただしい1日の間にも、この単語と文法を自習されたのね。
はっ。なんでクラスにいるのかって教室で見つけた時は思ったけど、それほどにウルズ語を学びたいということね!?
つまり、ウルズ国に深い関心をお持ちで、末長い友好を真剣に願っておられるということで……。
嬉しい。
私は正直、愛国心など持ち合わせていない。屋敷の外の世界を知らなかったもの。こんな私が国の文化を教えるなんて、本当におかしなことよね。
でも今、ふしぎな気持ち。
祖国に興味を持ってもらえるって……こんなにも嬉しいなんて。
根ごと私を受け入れてもらえているような、そんな気持ち……。
『では』
『ん?』
「手をつないで、かえりましょう」
私も彼の手を捕まえたこの指に、きゅっと力を入れてみた。




