はじまり
どうしてこうなったんだろう。少女は走り続けた。
黒く覆われた世界で、少女は自分の幸せが小さな楽園であったことに気づいた。
幸せという言葉は、はかなく刹那なものだった。少し前まではあった穏やかな景色もあっという間に血の海へと変わっていった。
それは何度涙を流しても、変わることのない現実を思い知らされた瞬間だった。
朝の温かな日差しの中、ミズハは目を覚ました。
穏やかな海、緑生い茂る森。
綺麗な水源の広がるシユリ島は自然豊かな島だ。
ミズハはベットから降りて、一階に降りる。
木造で作られたこの家は歩くたびに音を鳴らした。
降りるとすぐに四人掛けの食卓が見える。
奥にはキッチンがあり、母が何やら手を動かしている姿が見える。
「ミズハ、おはよう。」
「おはよう、お母さん。」
ミズハそっくりのブロンドの髪を揺らしながら、朝ごはんを机の上に置いていく。
そのまま二人で手を合わせて、朝食を食べ始める。
今日のメニューは、パンとスープに野菜だ。
「ミズハ。今日は、リリちゃんとユウマくんと遊ぶの?」
「うん。そうだよ!いつもの森の秘密基地で遊ぶの。」
リリとユウマとは、ミズハの友達のことだ。年も同年代で、今のところ三人しかこの島には子供はいない。
母は、ニコリと微笑みながら頷いた。
「そうなのね。でも午後には帰ってきなさいね。今日は天気が崩れるみたいだから。」
「えぇ〜、こんなに晴れてるのに?」
「そう。風も強くなるらしいし、野菜畑のおじいちゃんも朝早くから船に乗って街への出荷を急いでたわ。」
ミズハは窓の外を見るが、今から天気が崩れるとは思えなかった。それほど晴れているのだ。
だが野菜を出荷しているおじいちゃんも焦るほどだ。
本当に危ないのかもしれない。
「わかった。今日は早めに帰ってくるね。」
食事が終わると、ミズハは食器を片付けてバタバタと準備をし始める。少し慌てながら、身支度を終らし、服を引っ張りながら着替える。
「やばいよ!やばいよ!遅れてる。」
時間を見て、ダッシュで走り回り床の音を鳴らす。
そのまま、玄関まで走っていくと、母は呆れた顔をする。
「そんなに、ドタバタしたら、床が抜けるでしょうが」
「大丈夫!その時はミズハが直すから。」
「そういう問題じゃないわ。」
母は怒るがミズハはそんなことは無視して、靴をはく。
落ち着きがない動きでトントン足の爪先を鳴らして、無理矢理はく。
玄関まで母がやって来ると、手に持った物を見せてくる。
「目薬も忘れないようにね。」
「あぁ〜そうだった。忘れてたよ。」
母が渡した物は、青色の小さな液体のビンだ。
ミズハは、左目にポトリと一滴落とす。
すると紫色の片目は澄んだ青色に変化した。
これで、瞳は両目同じにそろった。
「これ、本当に必要なの?毎日隠すのめんどくさいんだけど。」
「ダメよ。お母さんとの約束でしょう。」
ミズハは、めんどくさがりながら目薬を返そうとするが、母はそれを拒んだ。
「今日は持っていきなさい。もし、雨が目に入ったりしたら元に戻っちゃうから。」
「はぁ〜。うーん…わかったよ。」
嫌々それを受け取ると、ミズハはワンピースのポケットの中に入れる。
「じゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃい。気をつけなさいよ!」
そのまま、勢いよく家を飛び出る。
ふと、違和感のあるポケットの中をさわる。
ミズハは、産まれたときから瞳の色が違っていた。
左目が紫色、右目が青色のオッドアイだった。
はじめは何も思わなかったが、成長するたびにそれは違和感へと変わっていった。
周りは、誰一人そんな人はいないからだ。血を分けた母でさえ、両目は青色だった。
だから、いつも他人の目を見て、嫉妬し、自分が嫌になっていった。
自分だけが、何か欠けているように見えたのだ。
ミズハは、動く足を止めるとビンを取り出して、上に傾けた。
「なんで、みんなと同じじゃないんだろう。」
切ない眼差しが、青い液体に映り込んだ。
みんなと同じが安心する。みんなと同じだから普通になれる。
「一生隠しながら、生きていくなんて不平等じゃない。」
ポロリと言葉を漏らすと風が大きく吹いた。一瞬で、葉と砂が宙に舞、世界が動いた。
その景色にはっとすると、考えなくていいことに気を取られていたことに気づく。
「あぁ!こんな事考えてる場合じゃなかった!急がないと。」
思い出したかのように、ミズハは走り出し、森の中に入っていった。