美しい竜人
「……なんで。」
ミズハの口から出たのはその一言だった。
唖然とし、時が止まる。
数多くの混ざった血の中に、微かな匂い。
よく知っている匂いがした。
その血が滴る白い刀をじっと見つめる。
ミズハはこの時、とても皮肉だと思った。
待ち焦がれていたはずの匂いに出会えたと思ったのに、それは血だったのだから
「匂いが気になるか?」
「ーーはっ!!」
ここで初めて声を出した美しい竜人の顔を見上げる。
そして、その言葉によって確信に近づいていく。
「なんで、貴方の刀から、母の匂いがするの?」
恐る恐る尋ねる。勇気を出して問いかけたのだ。
だが返ってきたのは、冷めた視線だった。
「お前が思っている通りだ。……殺した。それだけだ。」
答えを知ってミズハは、頭が真っ白になった。
そしてもう一度、血が広がった地面を見下ろす。
「そんな、はず、無い。お母さんは、死なない。ーー違う!!」
ミズハは、涙を溢しながら頭を振って否定する。
美しい竜人は、それをただじっと見つめているだけだった。
「ねぇ、嘘だと言って、お願い。……あんなに優しい人がなぜ殺されないといけないの!!私達が何をしたの!!ーーッ、応えろ!!」
ミズハは泣き叫びながら、竜人の足の裾を掴んだ。
怒鳴るように訴え続けるが、目の前の女には何も響いていなかった。
寧ろゴミを見るような蔑みすら感じた。
「だから平和ボケしたガキは嫌いなんだ。」
その一言で時は動いた。
なんて冷酷な瞳だ。
まるで吐き捨てるかのような言葉だった。
そして、竜人は足元に目を向けると顔を歪めた。
眉間に皺を寄せて、ミズハの手をはらい、腹部を足で蹴けり上げる。
まるで寄るなと言うように、一足で弾き飛ばされた。
真後ろに吹っ飛ばされた結果、岩にぶちあたった。
衝撃は岩に亀裂を生むほどの威力だった。
こんな幼子なら死んでもおかしくないだろう。
「ヴゥッゔ」
小さな体は、だらりと地面に落ちていく。
そして、ミズハは凄まじい痛みを歯で食いしばった。
生きていることが奇跡だった。そして、体が丈夫なことに内心驚いた。
「…生きていたか。哀れな混血種よ。」
混血種、先程から嫌と言う程聞かされて来た言葉だった。
どうやらミズハは普通の人間では無いのだと自覚する。
そして、竜人は離れた距離を埋めるように近づいてくる。
「なんで…なんで、こんなことに…」
あの日常は何処へ行ったんだろう。
走馬灯のように思い出してしまう、幸せな時間。
「この結果は、お前が弱いからだ。ーーこの世の全ては実力だ。強い者が上に立ち、弱い者は死んでいく。それがこの世界だ。」
単純で残酷だろう?
胸に突き刺さる言葉は、ミズハの脳裏に酷く焼き付けていく。自分が知っていた優しい世界は、全て作り物でしかなかったのだと思い知る。
「私はそんな世界望んでない!!ただ幸せに生きたかった。なんで、幸せだけじゃダメなの⁈何が物足りないの!うッ…殺せよ!こんな子供殺してしまえ!!
でも、私は死んでもお前を許さない。ーーいつか必ず呪い殺してやる。」
ミズハは最後の足掻きと精一杯の憎悪をぶつけた。
もう他に出来ることは何も無かったからだ。
確かに、この女が言う通り、実に理不尽で分かりやすい世界だと思った。
だが、どうしても納得出来なかったのだ。
いや、認めたく無かったのだ。
「ならば、私を殺してみるがいい。お前の言う綺麗事がどれだけ通用するのか、その身を持って証明してみせろ。幸せになりたかったんだろ?」
竜人は、自身の待っていた白い刀を地面に突き刺す。そして魔法陣を発動させる。その周りは綺麗な水色のオーラに包まれる。
「己の力をもって思い知れ!この世に綺麗事なんて存在しない!!」
魔法陣に水色のオーラを集め巨大な氷の結晶を作っていく。
使い手とは異なり、とても純粋で清らかな美しい魔術だった。
「氷の使い 氷河・斬滅」
美しい魔術とは反対に、恐ろしいぐらいの低くて、暗い声がミズハの心臓を冷たくさせる。それはまさに死への恐怖だった。
魔術を唱えると、巨大な結晶は素早くミズハへと向かっていく。それを、朦朧とした意識の中、全身で受け止めた。
後に残ったのは、微かに耳に残った遠ざかる足音だけだった。
眩しい日の光に、眠っていた頭は刺激され目を開く。
「あれ?私、死んでない。……どうして。確かにあの時私は……」
体を見ても、致命傷になりそうな傷や痛みなどは感じない。死んでもおかしくないあの光景にミズハは、息がつまりそうだった。
どうやらミズハは、岩に寄りかかったまま気絶していたようだ。
「あの女は、いない。」
だが、なぜミズハを殺さなかったんだろうか。あの竜人の腕なら操作を間違えることは決してないはずだ。
だとすれば、わざと生かしたのか、それとも偶然なのか。
もはや真実は分からないままだった。
ミズハは眩しいと思い、上を見上げた。
天気もあの時と違って、雨もすっかり止んでいた。
いつも通りの青い空が広がっている。
今だけ見ると、まるで昨日の悲劇が嘘のように思える。
周りを見てもあの竜人はどこにもいない。だが一つだけ。あの時、地面に突き刺した白い刀だけがその場に残されていた。
やはり夢ではないと自覚する。
血まみれの大地に、真っ直ぐに突き刺さったその刀は現実であると,ミズハを呼び戻すのだ。
悲鳴をあげる体で立ち上がると、ミズハは刀を目指してゆっくり歩いていく。
折れた心を、なんとか再構築したミズハの芯は曇ったままだが、ギリギリのラインを保っていた。
まだ死ぬわけには行かない。この刀を持っていれば、いつかはあの女に会えるかもしれない。
心の中でそう信じて生きる糧を作る。
その一心で深く地面に刺さった刃を引き抜く。
この日から、この日からだ。ミズハの復讐は始まる。
これからもこの戦争はきっと続くのだろう。
まさに恨みと憎しみの終わらない連鎖だった。
終わらない訳だよ。
「私もその一人に成り下がったのだから。」
だがそれでもいい。
終わりの無いこの戦いを,魔の術を唱え、戦いをこの手に刻もう。二度とこんな過ちが起きないように。
「あの女に私は復讐してやる。」