ハラスメントという名の功罪あれそれ
ハラスメントという言葉が大昔流行って、今でもそういったセクハラ、パワハラ相談室なるものが会社に設置されている方も多いのではないでしょうか?
この度たまたま見かけた○○ハラという言葉を見たことによって思いついた、「ハラスメントという言葉」によって起きた良いことと悪いことを両面語ってみようと思います。
ハラスメントと言って一番最初に思いつくのはセクハラという言葉ではないでしょうか?
要約すると性的な言動による人への嫌がらせですね。
例えば職場などで必要がなく(または人目につく場所でわざと)性的な言動によって嫌がらせを行うことが該当すると思います。
この言葉によって救われた方は男女ともに多いのではないでしょうか?
本人が嫌がっているにも関わらず性的な身体的な特徴や行動を必要ないのに揶揄されたり、劣等コンプレックスを指摘されるのは、非常に辛いと思います。
これはセクシュアルハラスメントという言葉によって定義されるまで、意識されない分野だったと思います。
消して性犯罪などほどではないが、被害を受けた人はやはり辛いことでしょう。
これを救ったことはこれほどにはない良い面だと思います。
他にはパワーハラスメントという言葉などもあります。
立場的な優位を振りかざして嫌がらせや無理やり利益を得ようとする嫌がらせですね。
これも昔からあった職場の指導や教育といった名目で行われた侮辱や名誉毀損とまではいかないものの、執拗に責められたていた環境があったから生まれた概念だと思います。
これにも救われた従業員や学生などは多いでしょう。
また、社会にとっても必要のない嫌がらせに費やされていたリソースやなどを無駄遣いされなくなったため良いことだと思います。
他にもモラルハラスメントやアルコールハラスメント、マタニティハラスメントという言葉もありますね。
それぞれ被害があった方には有効な言葉は効果のあったことでしょう。
ではハラスメントというものはどれだけ種類があるのでしょうか?
調べれば調べるほど出てくるんですよこれが。
団体や人によって違いますが、14だとか30だとか、物によっては50種類以上だとか言うこともあります。
そんなに隠れた嫌がらせ行為があったんですね。
さて、本当にこの流れ良かったのでしょうかと言うのがこの文章を書こうとしたきっかけです。
〇〇ハラスメントという言葉は私は今まで社会的に罪や罰がなかったものに定義を与え、そこから救うために発生したのではないでしょうかというのが私なりの解釈です。
ではこれをどんどん増やせばいいのかと言われると、それはズレていませんか?というのが個人的な感想です。
ハラスメント関係を調べていくとテクノロジーハラスメント(テクハラ)やロジカルハラスメント(ロジハラ)なんてものが登場しています。
それぞれ、テクハラはテクノロジー的な知識が乏しい人への嫌がらせを行うこと、ロジハラは正論や論理的な指摘により嫌がらせを行うこととあります。
本当にその定義でよかったですか?
テクハラやロジハラの説明を見る限り、テクノロジー的な知識や、論理的な指摘により「精神を傷つける」「名誉を傷つける」「侮辱する」などの嫌がらせを指すように私には見えました。
いわゆる「心的外傷による傷害罪」や「名誉毀損罪」「侮辱罪」に至らない嫌がらせということでしょう。
私が問題視しているのは、ここで、〇〇ハラスメントという言葉で救おうとしていた罪には至らないけど嫌なことの「対象」ではなく、「利用したもの」を基準に分けているところです。
利用したものがテクノロジーや論理、感情、アルコールなどに関わらず、ハラスメントが限度を超えたときに最終的に行き着く場所は罪でしょう。
それであれば、本来ハラスメントという言葉は、罪に対応してつけていかないとおかしくなるのではないでしょうか?
器物破損に利用したものが金槌であろうと斧であろうと、はたまた拳だろうと、罪は同じです。
金槌利用器物破損罪や斧利用利用器物破損罪、拳による器物破損罪などはありません。
(最終的に裁判などの結果として、罪の重さが前後することはあるでしょうが・・・)
罪には至らないけど嫌がらせによる弊害を減らそうという活動が、利用物によって分けている現状の、〇〇ハラスメントという言葉によってどんどん脇道にそれていっているように思われます。
これが引き続き行われていくと、それこそ陳腐化され、ハラスメントという言葉が軽く扱われてしまいます。
次はハラスメント定義ハラスメントなんて現れるんじゃないかと恐ろしくもあります。
〇〇ハラスメントと名付ける前に、一度目的を振り返ってみてほしいものです。