一章(10)
「お兄ちゃん、スファラさん!」
リュトとスファラを見つけたエルが、嬉しそうに駆けて来る。
その勢いのまま腰へと抱き着くエルを、リュトはギュッと抱き留めた。
リュトが、自分より身長の低いエルに合わせてしゃがみ込み込むと、エルはリュトの首に腕を回し、頬ずりをしてくる。
リュトは小さなエルの体を包み込むように抱き、優しく頭を撫でた。
少しの間そうしていたが、満足したエルが腕を解く頃には、リュトもエルを腕から解放した。
「大事なお話終わったの?」
しゃがんだリュトとエルの目線の高さは同じだった。
大きくて素直なエルの瞳が、寂しそうにリュトを見つめる。
「ええ、もう終わったわ」
リュトの横で、同じようにひざを折るスファラが答えた。
「それじゃあ、一緒に遊べるね!」
それを聞いたエルが、嬉しそうにリュトの手を握る。
リュトは微笑みを浮かべつつ、ふと地に映る影に目をやった。
夕刻の地に伸びる影は、薄く長い。
空を見上げれば、人工の太陽は徐々に光度を落としつつあった。
「もう夕刻ね。エルちゃん、今日はもう遅いからお家に帰りましょう」
スファラが優しく言う。
しかし、エルはスファラにそっぽを向いて、リュトの腕にしがみつく。
「やだ!まだ明るいもん。エルのお家はもっと暗かったし、お兄ちゃんは毎日エルと遊んでくれるもん。そうだよね、お兄ちゃん?」
常に仄暗い城内にいた時は、昼と夜の区別などなかった。
毎日、同じ熱量で燃える蝋燭の炎だけが、明かりのすべてだった。
太陽のない世界では、日の入り沈みで時間を把握することなどできない。
だからこそ、城の者たちは時間を体に刻み込むために、起床時刻と就寝時刻を定めていた。
それができたのも、魔法具の時計があったからこそだったが。
「エル、ここは前にいたお城より明るいだろ?でも、ずっとじゃない。段々暗くなって、また明るくなるんだよ」
「どうして明るくなったり、暗くなったりするの?」
エルが生まれた時は既に世界が今のようになっていた。
そのため、エルは太陽と月がある世界を知らないのだ。
リュトは絵本を読むように、昔話をする。
「昔は空に太陽と月があったんだ。太陽は皆に光を届けてくれるんだ」
「へー」
「でも、太陽はずっと皆に光を届けることはできない」
「どうして?」
「疲れてしまうからだ。太陽が疲れて眠ったら、代わりに月がでてくるんだよ」
「それじゃあ、今度は月が光を届けてくれるんだね」
「そうだよ。でも、月は太陽みたいに皆に光を届けられないんだ。だから光が届かなくなった世界は、暗くなってしまうんだよ」
「えー、太陽はいつ出てくるのかな?」
「元気になったらさ。太陽と月は同じ時間を空で過ごすんだ。太陽が空にいる間を朝、月が空にいる間を夜って言うんだよ」
「そうなんだね」
簡単な言葉を選んだおかげか、エルにも朝と夜が理解できたようだった。
最初は難しそうにしかめていた顔も、いまは晴れやかだ。
「でも、お城はずっとおんなじ明るさだったよ?太陽も月も、お城にはいなかったのかな?」
「……ああ。お城にはいなかった。けれど、ここにはいる。だから村は、明るくなったり暗くなったりするんだ。太陽が疲れて眠ったら人も眠るのが、昔の決まりだったんだよ」
急に痛いところを突かれ言葉に詰まるリュトだったが、なんとかエルを納得させる言葉を捻り出す。
「じゃあ、エルも眠らないとダメなの?」
「そうだ。家に戻って、ご飯を食べて、温かくして眠るんだ」
リュトは立ち上がり、エルの手を握った。
「うん!明日また太陽がお空に出てきたら遊んでね、お兄ちゃん。約束だよ?」
その手を、エルは離さないように握り返す。
「ああ、約束だ」
リュトは疑問に思った。
そもそも、あの太陽モドキは何だろうかと。
遠目から見る限りでは魔道具のように見えるが、魔力を邪悪扱いしている人たちが、魔力をエネルギーにして動く魔道具を使用するとは到底思えない。
「あれは魔道具なのか」
「いいえ。あれは聖具よ」
どうせ考えても分からないと素直に聞いてみたが、返って来たのは、またしても分からない単語だった。
「聖具?」
「聖力を動力として動く道具よ。魔道具は教会に使用が禁止されているし、所持しているだけでも重罪よ」
昔は公共物に魔道具を使用することがあったが、今は聖具がその代わりをはたしているようだ。
魔道具の場合は埋め込まれた魔石から魔力を抽出していたが、聖具の場合は聖石なる物でもあるのだろうか。
リュトは太陽を模した聖具を細かく観察する。
すると、丸い形の側面に宝石のような物が埋め込まれているのが見えた。
「聖具を見るのは初めてよね?あれは「聖具の名前」というの。気づいていると思うけど、太陽の代わりなの。外側に付いている聖石から聖力を抽出して動いているわ」
ぐ~。
リュトの隣で、大きな腹の虫が鳴いた。
「えへへ。お腹空いちゃった」
「今日はいっぱい遊んだのもね」
うん!と元気よく返事をするエルを前に、スファラは聖具の説明を打ち切る。
「早くお家に帰りましょ。美味しいご飯が待ってるわ」
スファラを先頭に、三人はアジトへと向かって歩き出した。