妖花
岬は混乱していた。
台所に立って味見をする姿はさながら母のようだったし、調味料や器具の場所も熟知しているように見えたからだ。
まるで、ここまで一緒に生活して来たかのように。
それに、何気なく呼ばれているけれど、
「岬。これテーブルに」
「あ……うん」
どうして私の名前を知っているのだろう。岬は差し出されたお椀を食卓に並べながら、首を捻る。
本当に怪しい人だったら危ないのでは、とも思ったけれど、どうしてか追い出すことができない。
リリィだと名乗られているからか、それとも、心の内で何かが引き止めているのか……。岬にはその訳が分からなかった。
「よし。食べるか」
袴のように裾広がりのはき物、上には藍色の羽織。それらを嫌味なく着こなした背丈が、同じ目線まで下りる。
事もなげに正面に座る(自称)リリィと、豪華なおかずを前に手を合わせた。
「い……いただきます」
「召し上がれ」
一汁三菜がそろっている食卓は、いつぶりだろう。岬は疑い深く彼を見つめながらも、感心してしまった。
匂いからでも伝わる、コクの深さ。年もそう変わらなさそうなのに、良妻賢母と称えたいくらいの出来栄えだ。これは、絶対においしい。
岬はゴクリと喉を鳴らした。
「……っ、おいしい……!」
口に含んだ豚汁。お母さんが作ってくれたのと、よく似ている。キャベツとネギがふんだんに使われているのが、うちの豚汁の特徴だった。
「当たり前だ」
「あの、食材ってどこから……」
「買ってきた。買い物くらいできるぞ、俺は」
「その格好で……?」
「……何か不満があるのか」
まだ箸を持たずに腕を組んだままの男は、ギロッと岬を睨んだ。
こ、こわいっ……こわいし、眼力が物凄い。……でも、人と目を合わせたのは随分と久しくて。岬には、それが嬉しかった。無意識に顔を綻ばせるほどに。
「何がおかしい」
「え?」
「にやけてるだろ。俺の見てくれに、おかしなところでもあるのか」
ズイッ。
寄せられた男の眉間には、皺が縦に刻まれていた。その下で、白く長いまつ毛がほんのり光る。
口角って、鈍らないのかな……。岬は頬を押さえながら、視線を落とした。最後に笑ったのは、母親が倒れるより前の事だったから。
「おかしくなんて……むしろ綺麗です、とても」
「そうか。ならいい」
……いいんだぁ。岬は和え物を頬張りながら、男を見据えた。
「あの……」
「今度はなんだ?」
「あなたは、本当にリリィなの?」
あまりにも単刀直入。
怪しげな男が作った料理を食し、追い出しもせず留めている状況で、聞く以外の選択肢はなかったのだから。
“死”への恐怖はない。むしろ、お母さんにも会えるのだから都合がいい……そのはずなのに。
身を案じる自分と、極楽を望む自分……岬はその矛盾にもまた、首を捻った。
「そう言ってるだろ」
ハァ、と息をつきながら、彼はやっと食材を頬張る。豚汁以外は岬とは違う、“まんま食材”だ。
証拠に、シャキシャキと音が響いている。
「生野菜って、苦くない……?」
「あぁ。生身の人間と違って、花には水分が必至だからな。炒めると飛ぶだろう」
いまの姿はまったく、お花のようには見えないけれど……。
「えっと……つまり、人間の姿に化けている、ってこと?」
「分かりやすく言えばそうだな。もともと、俺はただの花ではないが」
ゴク、ゴク、ゴク。コップを片手に「ぬるいな」と顔をしかめたあとで、男は言った。
「岬。お前と、お前の母親が生けていた花は“妖花”。普通の花と違う点があるとすれば、一年中開花させること、こうして化けられること……あとは“生気の量”だな」
「妖花……生気……」
平らげた料理に両手を合わせ、岬は呟いた。
母が読み聞かせてくれたおとぎ話、昔話の類には、人に化ける妖怪や動物が出てきていたけれど……まさか、花が化けるなんて。
岬のなかに、疑う、という選択肢はとうになかった。自身も“ただの人間”とは言い難い存在だったから、かもしれない。
「生気の件に関しては、お前にも思い当たる節があるだろう」
「それは、どうして?」
「母親から言われていなかったか?『俺を摂りこめ』と」
ああ、そうだ。お母さんからの約束、そして日課。
岬が身体の不調を訴えると、母は決まって言っていた。現に、それを守らなかったから、今日倒れるまでに至ったのである。
「『リリィは私を守る、大切な薬』って言ってた……でも、それが生気と関係あるの?」
「大ありだ」
リリィは白髪を揺らしながら、無音で立ち上がる。その動きは滑らかで、岬は直前まで気配に気づくことができなかった。至近距離で顎を持ち上げられる、そのときまで。