3.無口でまじめな雑貨店の店員(2)
その日の午後のこと。
セレネはウンザリとした顔をしていた。
(化粧臭い。早く出て行ってくれないかな)
店内には雑貨店に似つかわしくない着飾った若い娘達。
彼女達のつける安い化粧品の匂いは、やたらと香料がきつくてセレネにとっては臭いものだ。
なぜ、雑貨店にそんな娘達がいるのか。
それは、セレネと会計カウンター越しに向き合っている男のせいである。
(この人はいい香り。ほんのりとラベンダーの香りがする。ラベンダーのポプリでも部屋に置いているのだろうか?)
『ラベンダーがお好きなんですか?』と聞きたいのはやまやまだ。でも、自分は無口でまじめな店員だとセレネは気を引き締めた。
「……というわけで、明日は警備隊長が職人街へ視察に参ります。今日はそれを伝えに立ち寄りました」
と言った男の微笑みは、まるで花がパッと開いたよう。
それを見た雑貨店の中にいた娘達からは、ほぉっとため息が漏れる。
「『王子様』、やっぱり素敵」
「なんて美しいの」
騒めきとともに鼻に届く化粧の匂いに、セレネは顔をしかめたくなった。
「はい」
なんとか答えて、セレネは男をまじまじと見た。
(見まわりをしているのは見たことがあったけど、彼をじっくりと見るのは初めて。確かに、王子様っぽい容姿をしている)
会計カウンター越しにセレネと向き合っている男は、ユーリという。
彼はブルジュの警備隊の隊員だ。
警備隊はブルジュの治安を守るために数代前の領主がつくった組織。
ブルジュで起きる事件の解決、犯罪者の逮捕がその主な仕事。
町を見まわって、町の安全に目を光らすのも彼らの仕事である。
彼らは試験を経て採用される。元傭兵や剣の腕に優れた平民が採用されるのだという。
『王子様』というのはユーリの別名。
背が高く長い銀髪を一つに束ねた彼は、とても美しい顔立ちだ。
宝石のような深い緑色の目で、吸い込まれそうだと娘達は言う。
その上、ガサツなこのあたりの職人や警備隊員とは違い、丁寧な口調で優しい。
その容姿と物腰は、女性に人気のある恋愛小説に王子様にそっくり。
それで、いつの間にか女性達から、王子様と呼ばれるようになったのだそうだ。
彼は隊員となって一年ほど。十九歳だという。
この一年で彼の美貌はブルジュの娘達に知れ渡った。
彼が町を見まわる時に娘達がぞろぞろと彼の後ろをついて歩くというのは、もはや日常のこととなっている。
「隊長が視察に来るのは午後です。この店にもフラッと入るかもしれません。その際は、ご対応をお願いします」
「はい」
「あの……、確かあなたはこの町に来てまだ間もないかと。念のためですが警備隊長の噂はご存じですよね?」
ユーリは心配そうな声で言う。
ある娘が、「まぁ、ユーリさんは優しいわね。こんな店の店員のことまで心配を」と呟くのがセレネに聞こえた。
(優しい? どうだか。元婚約者も顔はいいほうで優しかったけど、嘘つきだったし。王子様だって男。実際はどうなんだかわからない)
セレネはもはや、容姿のよい男にときめくことはないだろう。
男にはこりごりだ。もう、男には興味がないと断言できる。
セレネは疑いの目でユーリを見つつ、答えた。
「そうですね」
警備隊長の噂は店の客から聞いている。
ブルジュの警備隊長は、アスター・ファイストスという。
年は十九歳で、この土地の領主ファイストス侯爵の長男である。
ただし、彼はとても侯爵家の長男だとは思えない男だと聞く。
「それならよかった。噂通り、気まぐれな方です。この店にもフラリと立ち寄るかもしれませんので、ご対応をお願いします。僕は休みで視察には同行しないので何かあれば、別の隊員にご相談ください」
ユーリはセレネのまなざしには気が付いていないようだ。
「はい」
「え~! ユーリさん、明日はお休みなの! 『出来損ない』より、ユーリさんの顔を見ていたいのに!」
店の中にいた娘の一人が、がっかりした様子で言った。
『出来損ない』とは、警備隊長アスターのことだ。
彼は警備隊長、そして侯爵家の長男だというのに『出来損ない』と人々に呼ばれているのである。
ファイストス侯爵家は美形揃いで知られている家系だ。
セレネが香水店にいた時、客の貴族からその噂を耳にしたことがある。
現当主ファイストス侯爵は、四十半ば差し掛かる今でも夜会に呼びたい男性の不動の一位だそうだ。
アスターの一つ下の弟、リアムも金髪碧眼の美男子だ聞く。
貴族の通う学校の三年生の彼は、学校中の女生徒から告白されたという逸話を持つらしい。
しかも、ファイストス侯爵家は城での役職を歴任し、騎士団長も務めたことがある知にも武にも優れた家系。
ファイストス侯爵家は大臣の一人だし、リアムも成績優秀で剣術の大会で優勝したこともあるという。
ところが、アスターは……。
別の娘が言う。「豚のように太った醜い容姿で背が低い。そんな人、見たくもないわ。お菓子好きで三食お菓子を食べているって聞くけど、そんな男、気持ち悪い」。
「そうよね。勉強も剣術苦手。貴族の学校の卒業もやっとだったと言うじゃない。その上、醜いなんて。出来損ないを見るなら、ユーリさんをずっと見ていたいわ」。相槌を打つ別の声はあからさまに嫌そうだ。
そう。アスターはファイストス侯爵家の血をまったく受け継いでいないようなのだ。
だから、『ファイストス侯爵家の出来損ない』なのである。
十八歳で学校を卒業した一年前、アスターは警備隊長に就任した。
父親に言われ、渋々就いた役職だそうだ。
(剣が苦手で、実務はできない。だから、仕事は副隊長に丸投げ。自分は報告書を読むか、視察と称してブラブラと町に出て時間をつぶして暮らしていると聞く。次期当主は弟のリアム様、アスター様はいずれ廃嫡されるという噂も耳にしたことがある)
この町に来てまだ三か月のセレネも、出来損ないのアスターのことはいろいろと耳にしている。
「お伝えすることは以上です。では、失礼します」
ユーリにも娘達の声は聞こえているだろうが、彼は振り向かなかった。
職務上、隊長の、ましてや領主の息子の悪口なんて聞き流すのが一番であろう。
「はい」
「……それにしても、あなたは無口でまじめな人ですね。隊長のことを伝えても、嫌な顔一つしないなんて」
去り際にユーリはポツリと呟いた。
ユーリに興味がないセレネは、早々に仕事に戻ろうと帳簿に目を落としていた。
そんなわけで、彼の呟きは気にもとめなかったのだけど。
セレネは、帳簿を見ながらこんなことを考えていたのだった。
(出来損ないのアスター様はどんな匂いがするのだろう? 三食お菓子なら、体臭がお菓子とか? いや、それはないか)
男の容姿にはもう興味はない。
思えば、セレネが王都にいた頃と同じように興味があることは香りについてだけ。
それだけが、仕事、資格に住まいに金。そして、婚約者。すべてを失ったセレネに残っているものであった。