遭遇戦
ブルーゲイルはむせるような濃い緑の匂いで目が覚めた。
「ここは、どこだ?」
見渡すと辺りは鬱蒼とした森に覆われ薄暗い。
青々とした木の葉の隙間から僅かに覗く日差しから、今は日中であることが判断できた。
「何故、私はこんな所に……」
右腕の通信機確認すると、全く反応しない。
「通信機は故障か。とにかく、仲間と合流しなければ……」
「きゃぁあ!」
その場から移動しようとした直後、若い女性の悲鳴が遠くから聞こえてくる。
ブルーゲイルは咄嗟に悲鳴が聞こえた方向に駆け出す。
行く手を塞ぐ枝葉を物ともせず、ひたすら走り続けると、不意に開けた場所に辿り着く。
「グルルゥ」
そこには3mはあろうかという巨大な灰色熊と、その目の前にへたり込んだ若い女性が怯えた表情で震えていた。
そして、灰色熊は今まさに巨大な鋭い爪を少女に振り下ろそうとしている。
「オォッ!」
ブルーゲイルは更に加速するとその勢いのまま、灰色熊の顔側面に飛び蹴りをぶち込む。
「グォオ!?」
十分な加速から放った蹴りは巨大な灰色熊を以てしても耐え切れず、そのまま横に勢いよく吹き飛んだ。
「早く逃げろ!」
少女は一瞬の出来事に呆然としていたが、ハッと気づくと、熊とは反対側に走り出す。
ブルーゲイルはそれを見届けると、自分に迫ってくる灰色熊に視線を戻した。
怒り狂った熊の突進をギリギリ横にかわし、もつれて態勢を崩した熊の延髄に向けて全力の蹴りをお見舞いする。
ドス!!
鈍い音と共に脚に衝撃が走り、ブルーゲイルは綺麗に極まった事を確信する。
「なに!?」
灰色熊は何事もないかのように顔を向けると、身体をひねりながら巨大な腕を振りぬく。
その一撃を躱すと、ブルーゲイルは距離をおいて相手の様子を覗う。
-間違いなく延髄に極まったはずだが、効いていないのか?
灰色熊は攻撃が当たらない事に苛立ち、凶悪な牙を剥きだしにしているが、先程の一撃が効いている様子は見られない。
そうしている間に、灰色熊は先程よりも更に勢いを増した突進で肉薄すると、鋭い爪を横薙ぎに払う。
襲い掛かる攻撃を見極め、最小の動きで躱そうとしたブルーゲイルはそこで更に違和感を覚える。
-身体の動きが鈍い!?
灰色熊の必殺の一撃をすんでのところで避けた直後、右腕に灼熱感を覚えて目を向けると、破れた青いスーツの下から4つの傷跡が刻まれ、赤い液体が地面に滴り始めていた。
「まいったな。目では追えているが、身体の反応が追い付かない」
普段であれば容易に躱せる速度の攻撃に対応出来ていない事にブルーゲイルは内心焦りを感じる。
「ここは一気に片をつける」
ブルーゲイルはそう呟くと、今までとは比べ物にならない速度で灰色熊を圧倒し始めた。
【加速】
それが彼の持つ能力だった。
自身の脳内でギアを上げる事により急激な加速を可能とし、その速度で繰り出される連撃は防御力に特化したヴィランでさえ、相手取れる。
ただし、ブルーゲイル自身の体への負荷が高く、10分が限度の切り札だった。
「グオォオ!」
圧倒的な速さから繰り出される猛攻に灰色熊は翻弄され、徐々に追い詰められていく。
「悪いが、これで仕舞だ」
腰を屈め重心を低くした状態から繰り出された右腕はさながら、パイルバンカーの如く無防備となった灰色熊の眉間を貫こうとした瞬間、突如として能力の効果が失われ、元の速度に戻ってしまう。
灰色熊はその隙を見逃さず、鋭い爪で薙ぎ払うようにしてブルーゲイルを吹き飛ばした。
「ガフッ」
吹き飛ばされた先の大木に体を強かにぶつけると、喉の奥から赤黒く鉄臭いモノが吐き出され、自らの口と仮面の間を汚す。
自由にならない体を見下ろすと、袈裟懸けに大きな爪痕が刻まれ、真っ赤な血が絶えず溢れ出しており、このまま放っておいても死は免れそうになかった。
「まだだ、まだ私は死ぬわけには……いかない!」
持てる力を振り絞り立ち上がると、ブルーゲイルが持つもう一つの切り札を切ろうとしたその時、灰色熊の目に矢が深々と突き刺さった。
「グゥオオオオ!」
激しい痛みに絶叫を上げて身悶える灰色熊に向かい、1つの影が茂みから躍り出た。
流血によって失いそうになる意識を気力で止め、現れた影の正体を確認すると、それは若い男だった。
使い込まれて細かい傷が目立つ革の鎧を着込み、左手には円形の小さな盾、右手には鈍く輝くロングソードが握られていた。
その姿はRPGゲームや幻想物語における冒険者そのものだった。
「サリ! その男の治療に専念! エドとレナは俺のサポートを頼む!」
戦士風の男は明瞭な声で仲間に指示を与えると、果敢にも灰色熊に向かっていく。
「大丈夫ですか?」
白いフードを被った少女は、安心させるように微笑む。
「癒しの神エルーサよ。この者の傷を癒し給え。」
「これは……」
少女が祈りの言葉を紡ぐと、温かい光がブルーゲイルの体を包み、体に刻まれた傷が徐々に塞がっていく。
その神々しさはまさに神の奇跡のように見えた。
「これで大丈夫です。傷は癒えましたが、失われた血は戻らないので無理はなさらないでください。」
「ありがとう。しかしあの熊を何とかしなければ……」
「カインなら大丈夫です。ほら、決着がつきますよ」
カインという青年と灰色熊の戦いはワンサイドゲームの様相を呈していた。
硬くしなやかだった毛皮にはいくつもの矢が突き刺さり、動きに精彩が見られない。
カインは襲い掛かる爪を盾でいなしつつ、傷を与えていく。
「グルオオオオ!」
灰色熊は一際大きな声を上げると、敵対者を盾ごと押し潰さんと巨大な腕を振り下ろす。
「ストレングス!」
カインの声に答えるかのように彼の体が一瞬輝くと、振り下ろされた腕を左手の盾だけで受け止めてみせる。
「全ての根源となるマナよ。立ち塞がるものに束縛を!」
黒いローブを着た女が杖を掲げて声を張り上げると、子供の胴ほどもある樹木の根が地面から現れ、熊の動きを拘束していく。
抜け出そうともがく灰色熊をカインは一閃のもとに首を刎ねると、首を失った胴体は重い音を立てながら地面に倒れ、首からおびただしい量の血が噴き出す。
「おい、あんた、大丈夫か?」
「ああ、君の仲間が治療してくれたおかげで助かった。感謝する」
カインと呼ばれていた若者は口元に笑みを浮かべると腰に括り付けていたフラスコのような容器をブルーゲイルに投げてよこした。
「増血薬だ。味は酷いが飲んでおいた方がいいぜ」
「すまない」
好意を素直に受け取り、ブルーゲイルは仮面の口元を解放させると、異臭のする薬を呷る。
「確かに酷い味だな。」
「だろ?にしても、あんた随分変わった格好しているな」
カインとその仲間達の姿と比べると、ブルーゲイルの姿はあまりに異質ではあった。
「すまない、ここが何処か教えてもらえないだろうか?」
「ん?ここは辺境の森だが、知らずに迷い込んだのか?」
カインは何を当たり前の事をというように訝し気にブルーゲイルを見つめる。
「カイン、恐らく彼は異邦者ですよ」
「あ、なるほど! それならギルマスに報告しないといけないな」
矢筒を背中に背負い恐ろしく顔立ちが整った男が、ブルーゲイルを異邦者であると告げると、カインは直ぐに納得した様子で頷く。
「話は落ち着いたかしら? グレイベアの回収は済んだわよ」
歩み寄ってくる黒いローブを来た妙齢の女性に目を向けると、倒れていた灰色熊の巨体が綺麗に無くなり、血だまりだけが残っていた。
「よし、血の臭いで別の魔物が来る可能性もあるし、街に戻るか。あんた、立てるか?」
「ああ、大丈夫だ」
ブルーゲイルは差し出された右手を掴んで立ち上がると、彼らに先導されながらその場を離れた。
町へ行く道すがら、お互いに自己紹介を済ますと、ブルーゲイルは色々な話を聞くことができた。
この世界はユグドラシアと呼ばれ、ブルーゲイルがいた世界とは異なる事。
ここはアインシア王国の辺境と呼ばれている場所であるという事。
稀にユグドラシアに別世界の人間が迷い込む事があり、その人間を異邦者と呼んでいる事。
ブルーゲイルにとって、にわかに信じがたい話ばかりだったが、現状として飲み込むしかなかった。
「で、俺たちは辺境の街を拠点として冒険者をやってるのさ」
こう見えてもBランクなんだぜと自慢げにドッグタグのような物を見せる。
Bランクパーティ聖鉄
戦士であるカインをリーダーとして、癒しの神エルーサに仕える神官のサリ、様々な魔術を操る魔術師レナ、そして弓を扱い精霊と心を通わすエルフのエド。
この4人で世界でも危険とされている辺境で討伐や採取のクエストをこなしているらしい。
「しかし、エルフか……初めて見たよ。本当に耳が長いんだな」
「ふぅ、貴方たち異邦者はみんな同じ反応をしますね」
「それは申し訳ない。我々の世界にはエルフがいないから珍しくてね」
うんざりとしているエドに、ブルーゲイルは素直に詫びる。
「許してやれよエド。俺たちだって、飛ばされてきたばかりの異邦者を見るのは初めてだしな」
「そうそう、飛ばされてきた異邦者って変わった格好している人が多いって聞いたけど、ほんとなのねぇ」
レナはカインの話に同調すると、ブルーゲイルを興味深く凝視する。
主にピッチリとしたスーツの下から覗く見事な腹筋を集中的に。
「ゴホン、それはそうと、さっきは助かった。改めて感謝する」
「気にしなくていいぜ。あんたが駆けつけてくれなかったらリリィは助けられなかった。逆に感謝したいくらいだぜ」
助けた少女はリリィと言い、彼らが世話になっている宿屋の一人娘であるらしい。
彼女が逃げ出した先で偶然、聖鉄と鉢合わせし、ブルーゲイルを助けて欲しいと助けを求めたのだ。
「リリィや宿屋の夫婦には世話になってるからな。これくらいどうってことはないさ」
それよりも。とカインは続ける。
「最初から気になっていたんだが、あんたなんで仮面してるんだ?」
「この仮面は私のトレードマークであり、約束なのさ」
「うーん、なるほど?」
「皆さん、そろそろ街に着きますよ」
サリの声に視線を前に向けると、森の切れ目から日差しが差し込んでいる。
森を抜けた先には、高さ10メートルを超えると思われる分厚い壁に囲まれた街が目の前に広がっていた。
「丘の上からだと良く見えるだろ? あれが、辺境に最も近い街バルトだ」
「これは……凄いな」
「だろ? 改めて、ようこそバルトへ! 歓迎するぜ」
カインは得意げに笑みを浮かべながらブルーゲイルを歓迎するのだった。




