第六話 二日目 食堂
アルバートさんは部屋でまだ用事があるようなので、わたしは一足先に護衛兵と共に食堂に向かう。
いつの間にか護衛兵は交代していたらしく、今度の人はわたしよりも若そうな男だ。でも、見た目は彼のほうが年上っぽいけど。
パッと見は細くてひょろっとした感じだ。目が細くて釣り目がちで、動物の狐に似ている。威圧感はあまりなく、傍にいても気疲れしにくい。
「どうも、副団長に命令されてきました。リブロっていいます。よろしくお願いします」
彼は義務的に挨拶して名前を教えてくれた。
「聖女様は団長の部屋で何をされているんですか? 顔色が悪いですし、ずいぶんお疲れのようですが」
リブロさんが心配そうにわたしを観察している。
アルバートさんにも言われていたが、わたしってそんなに顔色が悪いのか。元の世界で過労死しそうなほど疲れていたからなー。
アルバートさんから手芸を教わっていることも話せないし、どうしようかな。
「えーと、ちょっと色々と事情があって言えないんだ」
「色々な事情……?」
相手に訝しげな顔をされる。もしかして、言い方がまずかったかしら!?
「まあね、聖女について色々と教えてもらったりとか。団長のアルバートさんには、それに付き合ってもらっているだけなの。あと、疲れているのは元からだから、大丈夫よ。心配かけてごめんね」
「良かったら、私も中に入れてもらえませんか? 護衛なのでなるべく側にいたいのですが。やましいところがないなら、良いでしょう?」
「いえ、それは困ります」
「……そう、ですか」
うわ、リブロさんの眉間に皺が!
気分を思いっきり害してしまったみたい。
でも、断るしかないよね。リブロさんに申し訳ないけど、アルバートさんの名誉のためだもの!
その後、リブロさんは何も言わずにわたしに同行してくれたけど、明らかに彼から不信感が伝わってきていた。
砦の中は、古城って感じだ。同じような石造りの壁が続く。飾り気など何もない。
防御が徹底しているせいか、居住区は全て砦の最上部にある。礼拝堂みたいなところも同じエリアの別棟にあった。敵を寄せ付けない造りを見て、ここがかなり重要な拠点のように感じた。
食堂に着くと、美味しそうな匂いが漂っていた。
この大きな広間には長方形のテーブルと椅子セットがいくつも並んでいる。百人くらいは軽く収容できそうだ。
砦の兵士たちは交代で勤務しているそうなので、学食みたいに一斉に混み合っているわけではない。まばらに男たちがいた。
仕事終わりの兵士って感じの人もいれば、私服でラフな格好の人もいる。
大きな暖炉があったので近づいてみた。薪がパチッと爆ぜながら勢いよく燃えている。前に立つと、すごく熱気が伝わって暖かかった。
護衛兵と共に席について食べていると、他の兵士たちが集まって来る。
「あの、聖女様! お願いがあるんですけど!」
「え、なに?」
兵士たちが緊張した面持ちで、わたしを見つめている。
「自分の服に聖女様の祝福が欲しいんです!」
「えっ、どういうこと?」
「ランフル副隊長から聖女様は手芸スキルがなくて、何か一から新しいものは作れないって聞いたんですけど、ボタンつけくらいはどうかなぁと! いや、無理だったらいいんですけど!」
「えーと」
突然の申し出にわたしは驚いて少し動揺していた。
ちょっと前なら、いや無理ってすぐに断っていたと思う。
でも、先ほどアルバートさんに認めてもらって、手芸が苦手なものから興味があるものに変化していた。
だから、どうしようかなぁって悩むくらいには、少し進歩していた。
きっと聖女って、この世界の人にとっては、希望の星なんだよね。災いが起きたときに呼ばれる存在みたいだし。
あんな化け物がまた現れるかもしれないと思ったら、誰だって不安だよね。
だから、験担ぎが欲しいんだろうな。兵士って魔物と戦う危険な仕事だし。
そう考えると、無碍に断るのは悪い気がした。
「手芸レベルが低くて、本当に上手くないんですけど、それで良ければ頑張ってやりますよ」
「やったー! ありがとうございます!」
「あ、俺もいいですか? もちろん、食べ終わってからでいいんで!」
あっという間に服を持った兵士たちの行列ができている。
えっ、今すぐにやるの? しかも、こんなにいっぱい……。
「聖女様、大丈夫ですか?」
「う、うん。ボタンつけくらいは大丈夫だと思う」
尋ねてきたリブロさんにそう返事しても、彼はまだ心配そうに見ている。
「おいおい、子供に無理させるなよー」
通りがかった中年の兵士が、呆れた顔をして並んでいる人に注意する。
顎の髭が立派で、腕周りや肩の筋肉が見るからにすごい。歴戦の兵士って感じで貫禄がある。他の兵士たちも、彼には腰が低く、逆らえなさそうだ。
「いち、に、さん! よし、今日はここまでな! 他の希望者は明日にしろ!」
その人は、四番目以降の兵士を追い返し、
「無理するんじゃねぇぞ」
と言って、わたしの頭をグリグリと撫でて去っていった。
うーん、もしかして。もしかすると。
わたしって、すごく若く見られてない?
元の世界にいたときも、若く見られがちだったけど、西洋系の顔立ちの世界では、日本人はもっと幼く見えるのかもしれない。
子供だって誤解されているみたいだけど――。
まあ、いっか。そのままのほうが、みんな優しい気がするし。
『定時間際で悪いけど、これ明日までによろしく頼むよ』
『ちゃんとやってくれないと困るんだよね』
『仕事が終わらないのに帰るなんて、そんな無責任なこと、まさかしないよね?』
『君なら頑張ればできる!』
うっ、鬼上司を思い出すだけで胃がキリキリしてきた。
ブラック企業でこき使われたせいで、みんなの気遣いがかなり心にしみていた。
食べ終わった後、わたしはチクチクと取れかかったボタンを付け直しながら、兵士たちと蜘蛛の魔物について話していた。
「あれって団長さんは一撃で倒していましたけど、普通はどのくらい大変なんですか?」
「軍隊蜘蛛って、悪夢の再来っていう別名がついてます」
「ひぇ! もしかしなくても、最悪系ですか?」
「実はそうなんです……。大きいほど魔物は危険なんです」
「そんなにマズイ魔物だったのね。ところで、今日は何事もなかったんですか?」
「はい。見回りをしていますが、特に異常は見つからなかったです。この砦には特別に魔除けの術も施されているので、中にいる限りは大丈夫ですよ」
「へー、特別なんだ。何か理由でもあるの?」
「ええ、魔王が封印されているんです」
「そうなの!?」
かなり重要地点じゃない!
だから、この砦はかなり頑丈そうで、沢山の兵士がいるんだ!
そういえば、ゲームでも魔王を倒した後、八剣士たちが封印した気がする。
八剣士全員が自分の命を封印に捧げたおかげで。
刻印の所有者が亡くなっても、縁ある者に受け継がれるからって、ひどいよ。
あーヤダヤダ。胸糞エンディングを思い出しそうになった。
そのせいで、聖女と八剣士との恋愛は禁止され、両想いでも結ばれなかったんだよね。
「よし、完成したよ!」
わたしは糸をハサミで切ると、仕上がった服を目の前の兵士に渡した。すると、彼はその服を持ったままジッと固まる。注意深く観察するように。
「すごい。ボタンをつけただけなのに、魔法が付与されている」
彼が感極まった声で呟くと、周囲からどよめきが上がった。
「本当か!?」
他の兵士が脇から手を伸ばして、先ほどわたしがボタンをつけた服に触れる。
その途端、彼の表情に驚愕が広がる。
「本当だ。何もない服だったのに防御力追加が増えているぞ」
「こんなちんちくりんな子供なのに、本当に聖女だったんだ……」
みんなのわたしを見る目が、好奇心から崇拝に変わっていく。
少しだけ面映ゆかったけど、悪くない気分だった。
それから次の人の分も縫い続けた。でも、最後の三人目が終わる頃にはヘトヘトになり、さすがに疲れを自覚するようになっていた。
スキルを使うと疲れるって聞いていたけど、本当だったんだ。
あの中年の兵士が人数をかなり絞ってくれなかったら、大変なことになっていたかも。
ギリギリ助かった~。セーフ!
「聖女様、ありがとうございます!」
「うん、他の人はまた今度ね」
疲れていたけど頑張った甲斐があって、すごくうれしかった。
「水月、何をしているんだ?」
幸福な気分の中、アルバートさんの声が背後から聞こえた。振り返ると、食堂に入ってくる彼と目が合った。服を抱えた兵士たちに囲まれているわたしに気づくと、彼は顔色を急に変えた。
「水月、大丈夫か?」
アルバートさんが慌てて近づいてくる。その表情はかなり慌てた感じだ。そんな顔をさせるほど、わたしの体調が悪そうなんだ。
「ごめんなさい、ボタンつけくらいならって思って」
近づくアルバートさんに弁解しようと、わたしは慌てて立ち上がった。その直後、いきなり目の前が真っ暗になり、踏み出した足の力が急に抜ける。バランスを崩し、体が倒れると自分でも分かった。でも、全然コントロールができなかった。
「水月、危ない!」
反射的に伸ばした手を誰かに抱きとめられ、かろうじて転倒を免れた。
目を何度か瞬きすると、ようやく視覚が元通りになり、周囲の状況を把握できるようになる。
「大丈夫か? どうしてこんなに無理をしたんだ?」
「ご、ごめんなさい。みんなのために何か役に立てたらって思ったんだけど……」
でも、結果的に心配をかけさせてしまった。申し訳なくて顔も上げられなかった。
「申し訳ございません。聖女様に俺たちが頼んだからなんです」
兵士たちが申し訳なさそうに謝るので、わたしはますます自分の判断ミスを悔やんだ。
「そうか、みなのためにか。水月、ありがとう。でも、頑張りすぎは良くないぞ」
感謝の言葉とともにアルバートさんの温かい吐息が、わたしの耳元に掛かる。驚いて相手を見上げれば、彼のまばゆいばかりの美貌が目と鼻の先にあった。
「はぅ!」
イケメン効果は絶大で、わたしは簡単に止めを刺された気がした。
はっ、そういえば、わたし彼に抱きしめられて、彼の腕の中にすっぽりと収まっている!?
距離があるならともかく、こんなに密着しているなんて!
「水月?」
怪訝な彼の顔がますます近づいてくる。もう少しで顔同士がぶつかりそうだった。
「うっ!」
胸がパンクしそうなほどの、心理的な圧力すら感じる。
しかも、追い討ちをかけるように彼の逞しい肉体と体温が服越しに伝わってくる。そのせいか、頭の中でつい先日目撃した彼の肉体美が再現されていく。ついでに理想的な美尻まで。
「はぁはぁ」
興奮のあまりに、前みたいに息が苦しくなる。どうしよう、正直ヤバイ。こんなピンチは、正直自分でも勘弁してほしい。
でも、わたしの願いとは裏腹に意識が徐々に遠のいていく。
「水月!?」
彼の呼ぶ声が、気を失う直前にかろうじて聞こえた気がした。