第十三話 四日目 八剣士
「ぎゃあああ!」
ランフルさんは絶叫すると、わたしから離れて辺りを転がりまわる。痛みでのたうち回っているようだ。
わたしはその隙に起き上がり、激しく咳き込んでいた。
気道を強く圧迫されたせいで、まともに息ができない。
何度も何度もむせて咳き込み、苦しくて涙と鼻水が容赦なく流れていた。
「死んでたまるもんですか!」
わたしの怒りの源はそこだった。
ランフルさんに殺されては、ここにいる人を助けられなくなる。
使命に似た強い想いが、恐怖を跳ね除け、わたしを土壇場で突き動かした。
ランフルさんは、まだ苦痛に悶えて床を転がっている。わたしは鋏を持ったまま、彼に近づいた。
わたしはアルバートさんに助言をもらってから、用心のために鋏をずっと持ち歩いていた。ポケットに入るくらいの小さなものだ。
剣と違って殺傷力は弱いが、目の前の敵を殺すには十分だ。
わたしはランフルさんを見下ろして注意深く観察する。すると、彼の眼帯を奥からずり動かして、中から小さな魔物が出てこようとしていた。五センチくらいの大きさだろうか。明るい紫色をしていて、薄暗い場所でもよく目立っていた。皺くちゃの芋虫みたいな長い胴体から、小さな足がいくつも伸び、それを動かして這い出てくる。
わたしが鋏で刺したせいか、傷からどす黒い体液が流れ出ている。
それはわたしに気づくと、「ヒッ」と小さな悲鳴を上げていた。
名前すら覚えていない魔物だ。
でも、ゲームで眼帯から出てきたムカツク魔物がいたことは、なんとなく印象に残っていた。
恐らく、魔物はランフルさんの体の中に隠れていたおかげで、砦に張られた結界を突破できたのかもしれない。
きっと結界は、電気の柵みたいに外側だけに張られている仕様なんだ。だから、中に入ってしまえば問題ないようだ。
こうして魔物が体から出てくる状況を考えれば。
「お、お願いだ! 助けてくれ!」
こいつの敗因は、わたしを見くびったことだ。
団長のアルバートさんとよろしくするだけの役立たず淫乱女だと決めつけていた。だから、わたしの足に巻かれたミサンガに気づけなかった。他に武器を持っている可能性すら考えず、本体があるランフルさんの顔を安易にわたしに近づけた。
わたしは魔物の声を無視して、そいつを蹴り飛ばした。
ランフルさんの顔からいなくなり、床に転がったところで、わたしは奴めがけて勢いよくジャンプして、両足揃えて着地する。ブチッと柔らかい何かを完全に踏み潰した感触が足の裏に伝わる。
飛び散った体液を見るに、きちんと止めを刺せたようだ。
これでもう二度と被害者は生まれないだろう。
体はすごくフラフラだった。全身にある打撲の痛みが、まだ続いている。特に酷いのは胸だ。もしかしたら、ダメージがあばらの骨にまで達しているのかもしれない。
でも、すぐにアルバートさんを助けないと。
意識が外に向いたとき、複数の足音が聞こえてきた。明らかにこちらに近づいている。
「おい、大丈夫か!?」
入り口からガイバーさんが姿を現した。
メモ紙の内容に気付いてくれたらしい。
「ガイバーさん、ここよ!」
わたしは痛みを堪えながら無事を答える。その直後、わたしは自分の服のボタンが千切れて肌蹴ていることを思い出し、慌てて両手で服を引っ張って隠した。
ガイバーさんたちはすぐに駆け寄ってくる。彼らは周囲の惨状を見て、唖然と立ち尽くしている。
「ランフルさんが、魔物に操られて結界を壊そうとしたの!」
わたしは彼らに状況を説明して、ランフルさんの魔法で倒れた兵士たちの手当を依頼した。
他の兵士たちの話では、負傷はしているものの、死んではいないようだ。
我に返ったように兵士たちは動き始めて、救護にあたる。
「はぁ、遅くなって悪かったな。聖女様からもらった紙の意味が分からなくてよ」
「ごめんね。この世界の言葉が書けなかったから絵を描いたの! でも、どうしてここが分かったの?」
信頼できる人が正直言って分からなかったため、だれ彼構わず助けを求めることはできなかった。
でも、ガイバーさんだけは信頼できると思ったんだ。わたしの行動を疑いもせず、あんなに深く団長のことを案じてくれていたから。
だから、ガイバーさんにも助けてもらえたらって、僅かな希望をかけたけど、直接わたしから彼に口で説明できなかった。いつもわたしには護衛兵がいたから。
まだ事件が起きる前だったので、ランフルさんの部下だった護衛兵によって、「聖女がこんなことを言ってますけど」って報告されてしまう恐れがあった。
そのため、護衛兵の前で何も言わずにガイバーさんに伝える方法として、メモを思いついたんだ。
「結局、本人に聞いたほうが早いって思ってよ。探したが聖女様が見つからなくてな。どうしたもんか他の兵士に相談したら、やっと分かったわけよ。もしかしたら、ここに描かれている男は団長じゃねぇかって」
わたしはこの国の文字を書けなかったため、紙に絵を描いていた。
蜘蛛が砦に侵入しているイラストと、パンツ一枚の団長が剣でグサリと刺されているイラストだ。副団長っぽい眼帯をした人が悪だくみしていそうな絵も描いていた。なんとしてでも、砦と彼の危機を知らせたかった。
「だから、何かしらピンチなんだろうなって思って準備したけど、肝心の聖女様がいないし、団長も副団長もいないから、みんなで必死に砦内を探してここに来たんだ」
「……信じてくれて、ありがとうございます」
その彼の気持ちが、なにより嬉しかった。
いや、それでも絵が下手すぎて、解読に手間かけさせて本当にごめんなさい! こんなに騒ぎになっていたと聞いて背筋がぞっとした。もう少しで裏切者だったランフルさんにわたしの企みがばれていたかもって思ったから。
でも、絵が下手すぎたおかげで分かりにくくなって、ランフルさんにまで気づかれなかったんだ。そう思うと、自分の絵が下手でよかったと思えた。
ちょうどいいタイミングでガイバーさんが来てくれて助かったし、結果オーライだよね!
「あのね、結界の装置は護れたけど、今度は八剣士のアルバートさんが危ないの! みんなで助けに行かないと!」
「おうよ、分かったよ!」
わたしたちは大急ぎで砦の門まで向かう。
でも、両手で上半身を隠している状態だったので、着替えたかったけど、そんな時間はなかった。仕方がないので、バッグに入れていたマフラーを掛けて前を隠すようにした。
動くと胸が痛むが、歯を食いしばって必死に耐えた。
厳重に閉められた門に到着したとき、「聖女様はここで待ってろ!」とガイバーさんに怒鳴られた。
「でも……!」
見回りに行ったアルバートさんたちが心配でたまらず、ここでただ何もしないで待っているなんてできそうになかった。
「辛いだろうがよ、聖女様が行っても足手まといだ」
ガイバーさんにはっきりと言われたとき、わたしは何も言い返せなかった。
「分かりました。よろしくお願いします」
そう納得するしかできなかった。
わたしたちが見守る中、門が開いていく。
「どうか、これを持って行って」
わたしが残りのミサンガを渡そうとしたときだ。
恐ろしい光景が目に入った。
巨大な軍隊蜘蛛三体が遠くから門に迫ってきていた。
いや、それだけではない。
軍隊蜘蛛に追われるように走っている男が一人いた。
パンツ一枚だ。金髪頭の、わたしがよく知る人物が軍隊蜘蛛に追われて必死に走っていた。
しかも、腰に剣すら下げてない。部下たちの姿も見当たらない。ここに来るまでに一体何があったんだろう。こんな追いつめられた彼の状態を見て、胸がとても苦しくなる。
「アルバートさん!」
わたしが叫ぶのと同時に、ガイバーさんたちが馬で一斉に出撃していく。
アルバートさんを助けるためだ。勇敢な姿をわたしはただ見ていることしかできない。
まだ距離があるため、応援部隊はアルバートさんにまで、すぐにはたどり着かない。
遠くからクロスマジックを使う者がいたが、巨大な軍隊蜘蛛相手だと、どんな攻撃も小石並みの威力にしかならなかった。効いている様子が全然ない。
まさに悪夢の再来だ。
一体の軍隊蜘蛛がアルバートさんに追いついてしまう。長い脚で彼を突き刺すように頭上から攻撃してくる。彼は咄嗟に気付いて、横に転がり回避するが、すぐに別の軍隊蜘蛛から次の一手が迫る。
三体もいたら、絶望的だ。アルバートさんは回避しきれず、軍隊蜘蛛の脚が彼の体を直撃した。
「いやぁ!」
思わず全身で叫んでいた。
ところが、アルバートさんの体には傷がついてなかった。なんと無傷だ。足首がキラキラと輝いている。きっとミサンガだ。わたしが初めて作ったミサンガのおかげで、攻撃を無効化できたんだ。
軍隊蜘蛛も攻撃が効かず戸惑い、次の追撃が遅かった。
その隙に彼は遂に最後の魔法を使った。
パンツが輝き、軍隊蜘蛛を以前のように一撃で仕留めた。炎上する軍隊蜘蛛を置いて彼は逃げ出す。
そのとき、やっと援軍が到着した。ガイバーさんたちはアルバートさんを守るように盾になり、軍隊蜘蛛二体に一斉に攻撃をしかける。次々とクロスマジックによって――服を媒介に、魔法攻撃が繰り広げられる。
やった! 裸になっちゃったけど、軍隊蜘蛛はガイバーさんたちが引きつけている。今の隙に逃げれば、アルバートさんはピンチを切り抜けられるわ!
ところが、ガイバーさんたちはアルバートさんのように一撃で致命傷は負わせられない。なんと二体のうち一体が兵士たちをなぎ倒すように突進し、アルバートさんに迫っていく。
そんな! せっかく追っ手を一体減らしたと思ったのに!
ただ安全な場所で待っていても、彼の状況を考えるだけで、わたしは恐怖で震えていた。
駆け出す彼を軍隊蜘蛛が執拗に追う。
やだ。どうしよう。今度こそ、攻撃を食らったら、ミサンガがない彼は死んでしまうかもしれない。
切り札のパンツだって、さっき使っちゃったのに。
門に向かって彼はただ必死に走るだけだ。
「頑張って!」
必死に応援すると、わたしの声に彼は気付いた。
恐らく、その距離百メートル。あと少し。あと少しで、彼は魔物避けが効いた安全な場所に入れるの。
息をするのも忘れて、彼の逃亡をわたしは必死に見守る。胸の前で手に汗を握る。そのとき、マフラーに触れて、その存在を思い出した。
渡し損ねたミサンガとマフラー。
これがあれば、彼を助けられるかも。
でも、それを使ってしまえば、わたしは――。
走馬灯のように日本での生活が脳裏に甦っていく。
他人から見たらたぶん、わたしはあまり恵まれた境遇ではなかったと思うけど、それでもかけがえのない人生なんだ。
それなのに、わたしのこれまで積み上げてきた全てを失うなんてできるのだろうか。
もう二度と戻れないなんて、辛すぎる。
でも、アルバートさんが。
迷いのせいで、わたしはすぐに答えを出せず、泣きそうになった。
ほんのわずかな時間だったが、意識が逸れた瞬間、軍隊蜘蛛が再び彼に追いついてしまった。
「危ない!」
軍隊蜘蛛は振りかざした脚を勢いよく落とすが、彼はまた素早く避ける。
地面を転がり、その勢いのまま起き上がり、蜘蛛と向き合う。そのとき、わたしの目に彼の背中――いや、美尻が映り込んだ。
心臓の鼓動がドクンとひときわ激しくなった。
そうだ。こんな大事なことを忘れていたなんて。
辛くても苦しくても、現実生活でわたしを支えたのは、他の誰でもない。
尻だ。
この美しい尻だった!
あの理想の尻を失うなんて。
そんなの耐えられない!
軍隊蜘蛛の脚が槍のようにアルバートさんに襲い掛かる。彼は後退って逃げるが、足がもつれてよろめいてしまい、横に振り払った軍隊蜘蛛の脚がかすってしまった。
直撃ではなくとも当たった衝撃は凄まじく、彼は地面に投げ飛ばされるように倒れた。その直後、うつ伏せの彼めがけて軍隊蜘蛛の脚が降ってくる。
その瞬間だけ、まるでスローモーションのように脚が動いて見えた。
「アルバートさん!」
全身全霊でわたしは叫んだ。もう迷いは消えていた。
「クロスレーティング1! マフラーよ! アルバートさんのもとへ!」
祈るように叫んだ途端、自分自身が眩しく光り、視界が思わず眩む。
次の瞬間、わたしの背中に鋭い衝撃が走った。
息ができないほどの激しい痛みを堪えながら、わたしの真ん前に倒れている人物を把握した。
アルバートさんだ。彼とすぐに目が合う。彼は驚愕のため大きく目を見開いてわたしを見ていた。
その彼にわたしは倒れながら握り締めていた右手を差し出す。その手には、最後に作ったミサンガが三本握られていた。もしかしたら、これなら敵に対抗できるかもしれないと思って。
「使って!」
わたしが絞り出すように叫ぶと、彼はすぐさま合点して、奪い取るようにわたしからミサンガを受け取った。それから彼はそのミサンガを自分の手首にまとめて巻きつける。
その直後、またわたしに軍隊蜘蛛の攻撃が降ってくる。
「うっ!」
苦痛で顔が思わず歪む。一瞬、気を失いそうになった。
でも、わたしの体がミサンガ効果で盾になっているおかげで、アルバートさんは無傷だ。わたしは痛すぎるけど致命傷は受けてない。
彼はわたしを抱きとめながら叫んだ。
「クロスレーティング5・火炎放射!」
わたしの視界の端に激しい炎が映る。彼の手から噴射された火炎の濁流は、巨大な蜘蛛の脅威となるくらいの勢いだ。
あの大きな蜘蛛が、軽々しく吹っ飛び、切り立った崖に衝突した。
「逃げるぞ!」
アルバートさんはわたしを肩に乗せて担いだまま、再び走り始める。
抱っこされたままなので、激しい振動で揺さぶられる。わたしは舌を噛まないように食いしばる。
後ろの敵が怖くて監視していたら、先ほど攻撃した軍隊蜘蛛が復活して、どんどんこちら目掛けて走ってくる。やがて追いつかれてしまった。
ミサンガに攻撃魔法は付与されていたけど、パンツ魔法ほどの威力はなかったんだ。
もうダメだ――。そう思ったとき、アルバートさんがミサンガの魔法を二連射して軍隊蜘蛛を撃退する。パンツ魔法みたいに激しく炎上はしてないけど、二発も一気にくらって結構効いたみたいで、すぐには動き出さなかった。
だが、最後の一体がいる。
ガイバーさんたちが引きつけてくれているが、彼らでは倒せず、軍隊蜘蛛は元気に動き回っている。彼らの身も心配だった。
そのとき、後方から突然軍隊が現れた。
「第二騎士団だ!」
ガイバーさんたちの大声が聞こえた。
なぜ援軍が!? そう驚いた瞬間、わたしは思い出した。
彼らは聖女のわたしを迎えに王宮から遣わされたんだ。
なんてグッドタイミングなんだろう。とても頼もしい限りだ。
新たに登場した騎士団の兵士たちが、一斉に残りの軍隊蜘蛛に襲いかかる。
そのとき、一人の騎士が放った魔法の一撃によって、軍隊蜘蛛が退治された。明らかに威力が違う。まるでアルバートさんのパンツ魔法のようだった。
彼の魔法により、残りの軍隊蜘蛛も倒され、砦は平穏に戻った。
年は三十代くらいのグッドルッキングガイだ。夕日を受けて赤髪が燃えるように輝いている。
馬上の上からこちらを見て、爽やかに微笑んでいた。
「彼は八剣士のレイト殿だ」
アルバートさんの呟きで、騎士の正体が分かった。
でも、わたしはこんな八剣士を知らなかった。ゲームでは登場しなかったからだ。ということは、恐らく本来なら、ゲームの開始前にどこかで亡くなる予定のはずだったのかも。
もしかしたら、元々のゲームの世界では、軍隊蜘蛛の出現の知らせを受けて、彼らは援軍に砦に来たのかもしれない。
わたしの知るゲームの話とは未来が変わったんだ。
ああ、良かった……。
わたしはみんなを守れたんだ。
安心した途端、まぶたが重くなる。わたしは辛うじて保っていた意識を手放していた。