第十二話 四日目 結界
ランフルさんはわたしを意外そうにまじまじと見つめたが、やがて邪悪な笑みを浮かべた。
分かっていたとはいえ、足が震えそうになる。
砦が襲撃されると分かったとき、わたしはあることも思い出していた。
『クロスマジック』のゲームの敵キャラについてだ。
裏切者がいると気づいたとき、兵士たちの中で、誰が怪しいか必死に考えた。
そう、ランフルさんだ。
ああ、どうして初めて出会ったときに思い出せなかったんだろう!
攻略キャラの名前はよく憶えているけど、敵キャラの名前なんて全然記憶に残っていないし、「眼帯キャラって、よくいるよね」って、流してしまった自分が恨めしい。
この世界のキャラがゲームと同じだと、知らなかったからとはいえ、ホントすごく悔やまれる。
「聖女がこんなところで何をしている」
ランフルさんは剣を構えながら、こちらに向かってくる。
「リブロさん! あの人が裏切者なの! 殺さずに捕えて!」
なるべくランフルさんを助けたかった。でも、彼が操られていることは極秘情報だから、口には出せなかった。魔物は自分の弱点が漏れている状況に何も気付いていない。だから、これは切り札になるはずだ。
ところが、わたしの後ろにいるリブロさんから返事がなかった。どうしたのかと振り返ったら、彼は激しく動揺していた。
ランフルさんだけを見つめて、恐ろしそうに震えている。
今にも泣きそうだ。
「どうしてですか、ランフル様!?」
リブロさんは彼の凶行を信じられないみたいだ。すぐに気持ちを切り替えて、応戦できない。きっと彼にとっては、ランフルさんは良い上司だったのだろう。ルシウスと同じだ。彼も同じように裏切りを不審がっていた。真相がわかるまで、ずっと。
混乱しているリブロさんとは正反対に、ランフルさんは余裕の態度で彼に向って微笑みかけた。
「リブロ、お前もこっちに来い。この女を殺せば、お前だけは助けてやる」
「……ほ、本気ですか?」
「ああ、本気だとも。お前だけは失いたくないと思っていたんだ」
ひどい。なんて提案だ。
わたしはリブロさんを注意深く見つめた。
お願い、断って――。そう祈るように彼の良心に判断を委ねる。
リブロさんの体は固まり、目だけが激しく動いていた。何かを悩むように唇を噛む。
リブロさんの顔は引きつり、ぎこちなく首を動かす。わたしを見る彼の表情は、恐怖と後ろめたさに満ちていた。
嫌な予感がした。
ランフルさんの指示で、リブロさんはわたしの護衛役についていた。だから、ランフルさんと彼の絆の深さを薄々察していた。
一抹の不安が、やっぱり的中した。
「早く決めろリブロ。その聖女は、どうせ使い物にならん淫乱だ」
ランフルの言葉に対抗するため、わたしは決心して叫んだ。
「リブロさん、わたしを信じて! ランフルさんは、魔物に操られて味方を裏切っているのよ!」
「この女の言うことは嘘だ! リブロ、信じるんじゃない!」
わたしの言葉に覆いかぶさるようにランフルさんが叫んだ。
極秘情報だったけど、リブロさんを説得できないなら、こんな状況で黙っている意味がない。
すると、リブロさんはわたしを強張った顔で凝視した。
「すいません……。僕は」
リブロさんは消え入りそうな声で呟く。
やっぱり彼はわたしのことを信じてくれないの?
そうでなくても体はふらふらだったので、失望のあまり力が抜けそうになる。わたしは床にしゃがみ込みそうになった。
リブロは最後まで言い終わらないうちに、彼は顔をしかめて剣を抜く。その切っ先を――なんとランフルさんに向けていた。その動きには、先ほどまでの迷いがなかった。
わたしは喜びで、涙が出そうになった。
「リブロ、俺よりもこんな女を信じるというのか! お前が子供のころから面倒をみた俺を!」
ランフルさんの非難の声にもリブロさんは揺らがなかった。
「僕は彼女を信じることにします。彼女の今までの行動は、団長の部屋にこもりっぱなしで確かに怪しかったけど、こんな状況でも彼女はあなたを捕えろと言った。彼女の行動には思いやりがあった。だから、何かわけがあったんでしょう。殺せと命じたあなたとは違う! あなたは僕が知っているランフル様じゃない!」
事情を話せなくて彼には嫌な思いをさせてしまったのに、それでも彼は自分の目で見て判断してわたしを信じてくれたんだ。
リブロさん、本当にありがとう!
感極まって、今度こそ涙がこらえきれずに溢れてきた。
リブロさんの説得に失敗したランフルは怒りに顔を歪ませ、落ち込んだように頭を伏せる。やがて落ち着くように息を深く吐いた。
「仕方がない。なら、両方始末するだけだ」
そう言い終わるや否や、彼は顔を上げた――と思ったら、わたしはすさまじい衝撃を胴体に受け、地面に体を叩きつけられた。全身に激しい衝撃が襲いかかる。あまりの苦痛に声すら出なかった。
いったい、何が起こったの――? そう思うくらい、突然の出来事だった。
いやでも、頭では何が起こったのかは分かっている。ランフルさんが剣を抜いてわたしに突き刺したんだ。
でも、あまりの速さに、わたしはまったく身動きが取れなかった。
かろうじて周囲の様子をうかがうと、リブロさんの体も後ろに吹っ飛び、勢いよく転がっていた。
抜き身の剣を持ったライフルさん一人だけが、この場に立っていた。おそらく、ランフルさんがリブロさんをわたしと同じように剣で突き刺したのだ。
ランフルさんは息を乱した様子もなく、剣を結界に向ける。
「さて、計画続行だ」
ランフルさんはひどくご機嫌な笑みを浮かべ、剣を振り上げた。
リブロさんをせっかく説得できても、ランフルさんの強さは桁外れだった。正直なところ、これは予想外だった。
ヤバイ。このままでは、ランフルさんの思いのままだ。
わたしは死ななかったとはいえ、ひどい痛みで、まだ動けそうになかった。
ミサンガのおかげで、体に傷はついてないと思うけど、剣で横に切られたのではなく、縦に刺されたから、結構な鈍痛があったんだよね。
そういえば、防弾チョッキも同じ理由で、撃たれたら結構痛いって聞いたことがあった。
ミサンガをつけていたら無傷で最強って思っていたけど、結構な盲点だったよ。武器攻撃無効っていう性能がある時点で、その可能性に気付くべきだった。
誰か、助けて!
そう願ったとき、ランフルさんに襲いかかる者が現れた。見張りの兵士たちだ。
先ほどまで床に倒れていたが、やっと痛みが和らいで復活したようだ。
「この裏切者め!」
あらかじめ彼らにもミサンガを渡していて、良かった!
「致命傷を与えたはずなのに、しぶとい奴らだ」
ランフルさんは兵士たちの剣を受け、応戦する。
でも、二人がかりでもランフルさんは引けを取らない。
戦いながら、彼らは狭い祭壇裏から祭壇前の通路へ移動していく。
さすがは副団長だ。ランフルさんは強い。兵士二人とやり合っていても、不安のない動きをしている。相手の隙を突くような戦法で、じわじわと追い詰め、一人の兵士の剣を手から叩き落とした。
最初とは打って変わり、形勢が逆転してしまう。
ランフルさんは武器を落として戦力ダウンした兵士に興味を失くしたのか、もう一方の兵士に剣を向ける。
「くそっ」
武器をなくした兵士が、わたしのいるほうに後退りしながら悔しげに叫んだ。
もう躊躇していられない。こんなにランフルさんが強いなら、手加減は無理だ。
彼を殺すつもりで魔物を倒さないと、相手を止められない。
「眼帯を狙って! ランフルさんの体を操っている魔物がいるはず!」
わたしは起き上がると、意を決して叫んだ。
すると、ランフルさんが急にわたしを振り返った。彼の表情は強張っており、鬼のような形相だ。
「お前、どうしてそんなことまで知っている!?」
ランフルさんの狙いがわたしに定まり、他を無視して勢いよく切りかかってくる。
「聖女様!」
ミサンガをつけた兵士が、わたしの前に立ちはだかる。
彼がやられてしまう!
「危ない!」
わたしが叫んだとき、ランフルさんに後ろから切りかかった者がいた。
リブロさんだ。彼もミサンガのおかげで死んでいなかった。
彼は迷いのない真剣な表情で、ランフルを狙っていた。彼もわたしと同じように彼を殺す覚悟じゃないと彼を止められないと気づいたのだろう。
わたしの前にいた兵士がランフルさんに切られそうになったが、その剣先の軌道がいきなり変わった。
ランフルさんは後ろを向き、リブロさんの剣をはじき返す。背後は見えないはずなのに、その動きは正確だった。
そのとき、なんと丸腰の兵士がランフルさんに抱き着いて彼を取り押さえた。ランフルさんは羽交い絞めにされて動きが鈍くなり、彼の剣は次のリブロさんの攻撃を受け切れなかった。弾みでランフルさんの剣が弾き飛ばされた。
そこに、もう一人の兵士が、すかさず参戦して切りかかる。
ランフルさんを倒せる! そう思ったときだった。
「クロスレーティング5・雷伝衝撃波!」
ランフルさんの口から呪文が唱えられる。すると、彼の着ていた服が光ったと思ったら、彼の手から小さな雷撃が次々と発生し、リブロさんと兵士たちを攻撃する。彼らの体は吹っ飛んで壁まで転がってしまった。それからピクリとも動かなかった。
「そんな!」
ランフルさんの上衣が光りながら消えたせいで、上半身の素肌が露出している。
「もう助けはなくなったな。ところで聖女。なぜ俺の弱点を知っている!?」
「い、言うわけないでしょ!」
ランフルさんは剣を拾うと、私に向かって槍のように投げつけた。目にも止まらぬ速さで、逃げる暇もなく、胸に何かがドンっと激しくぶつかってきた。そのまま後ろに飛ばされて、わたしはまた床に転倒してしまう。
先ほどリブロさんに刺されたみたいに、強く殴られたような痛みにわたしは襲われていた。
痛みのあまりに息が止まりそうになる。
「死んだか?」
残酷な足音がわたしに近づいて来る。
ランフルさんはわたしの側に寄ってしゃがみ込むと、わざわざわたしの服のボタンを引きちぎり、肌を露わにする。青あざになっているが、皮膚は傷ついていなかった。
「傷一つないだと? なぜ、俺の攻撃が効かない?」
「……聖女だからよ」
「ふん、剣での攻撃が効かないなら、これならどうだ」
彼は両手でわたしの首を掴み、力を込めて握り締めてくる。
「早く言わないと、窒息死するぞ」
「あっ、く、苦しい……」
引き千切られそうなほどの強い力で首を締め付けられる。気管と喉が潰れそうだ。
彼の手を必死で引き剥がそうとするが、びくともしない。
もうダメだ。ここでわたしは死ぬんだ。聖女のくせに何も役に立たなかった。
苦しくて意識を失いそうになる。
こわい、助けて。
こんな卑怯な魔物に為す術もなく殺されてしまうなんて。
楽しそうにわたしの首を絞める魔物が憎らしい。
苦しくて、よだれが、涙が、わたしから流れていく。
「ほら、言え! 言うんだ!」
そんなわたしをランフルさんはわざわざ顔を近づけると、声を上げて嘲笑った。
「ひどい顔だな。見るに堪えない。言わないなら死ね」
さらに力が加わって、首がちぎれそうなほどだ。苦しくて意識がもうろうとして、力が入らなくなってくる。
アルバートさん。
私はただ、彼を助けたかっただけなのに。
いやだ、死にたくない!
――そう強く願ったときだ。
「引き続き、警戒した方がいい。私はあのマフラーのおかげで、今回砦まで帰れた」
彼の声が奇跡的に聞こえた気がした。
そのとき、沸き上がったのは、激しい怒りだ。そのおかげで、恐怖がわたしの中から、あっという間に消え去った。
わたしの手が動き、ズボンのポケットに入っていた道具を掴んだ。
それを必死に握りしめると、ためらいなくランフルさんの眼帯めがけて振りかざし、力いっぱい突き刺した。