第十一話 四日目 雪の日
わたしは慌ててアルバートさんの部屋に向かう。彼の寝室にわたしが作ったアイテムが沢山ある。
せめて、これを兵士たちに使ってもらおう。そう考えて、部屋に保管してあったミサンガを持ち出す。
もらった彼の鍵が、さっそく役立つなんて!
彼の部屋にあったショルダー型の可愛いバッグを勝手に借りて、どんどん詰め込んでいく。その隣には、わたしが作ったマフラーもあった。
「危険な状況では細心な用心のおかげで命を救われることもある」
アルバートさんの言葉が思い出される。彼はマフラーのおかげで無事に帰れた。だから、用心に越したことはないよね。
わたしは少し思い悩んだ末にマフラーも手に取り、バッグに入れた。
あと、メモだ。メモを書かないと。
アルバートさんの机にあった紙とペンを拝借して、わたしは伝言を書き始めた。
それから、さっそくミサンガを兵士たちに配り歩いた。
「聖女様! これいいんですかい?」
食堂で再びガイバーさんと出会い、彼にもミサンガを手渡した。
「ええ、是非使ってほしくて!」
「ありがたいが、こんな女みてぇなもの、恥ずかしくて使えねぇな」
わわわ、大変。
この世界って、男と女の概念が、かなり極端だったんだ。
女性っぽいことは、必死に隠すくらい恥ずかしいことだった。
「で、でも、このミサンガの性能はすごいのよ!」
「あぁ?」
ガイバーさんは怪訝な顔を浮かべるが、わたしに言われたとおり、彼はミサンガを手に握り、ちょっと集中して探り始める。すると、顔色が明らかに変わった。
「なんだ、この性能の数は! ありえねぇ!」
「足首につけたら隠れて分からないから使ってね! あと、詳しい説明は、その紙に書いてあるから」
「あー、分かったぜ。さすが聖女様ってことか。ガハハ」
「よろしくね!」
わたしは食堂にいた他の兵士に声を掛けに行った。
ほとんどの人は、渡したミサンガをすぐに付けてくれた。これでよし!
「ガイバーさんだけ、なぜ説明を紙に書いたんですか?」
リブロさんが不思議そうに尋ねてくる。
「だって、酔っぱらったら、覚えてなさそうだし」
わたしは笑って答えた。本当の理由を伏せながら。
時刻は昼過ぎになったので、食堂で食事を済ませる。食欲はほとんどなかったけど、無理やり口に突っ込んだ。
それから通路をリブロさんと歩いていると、向こうから眼帯をした副団長のランフルさんと出会った。わたしがほとんど団長の部屋に引きこもっていたから、彼と顔を合わせたのは二回目だ。
「おや、聖女様。どうされたんで?」
「こんにちは。あの、団長はいつお帰りになりますか?」
「今日は暗くなる前には戻られますよ」
「そうですか。ありがとうございます」
やっぱりアルバートさんの帰りは遅いんだ。なんてタイミングの悪い。
いや、敵にとっては絶好の機会だったんだ。
用が済んだので、わたしが去ろうとしたとき、ランフルさんに「聖女様」と呼び止められる。
振り返ると、彼は嘲りを含んだ笑みを浮かべていた。
「ほどほどなさってください。団長に夢中になるのは分かりますが、聖女様が抱き潰されるのは、外聞が悪くて」
「な!」
わたしは頭が真っ白になり、絶句してしまう。口を金魚のようにパクパク動かすことしかできなかった。
その間にランフルさんは蔑んだ目を逸らして、去っていった。
なななななんちゅー誤解を!
あー、でも。団長の部屋に入り浸って、疲れ果てた状態で出てきたら、周りにそう思われることもあるのか。
なにせ二人きりの密室だし。寝室に入り浸りだし。
子どもとしか見られてないから大丈夫だと油断していた。
団長、可哀想に。きっと幼女好きの変態と思われている。
わたしたちは、ピュアピュアな清い師弟関係なのに!
ハプニングがあって、ちょっと動揺しちゃったけど、本来の目的を思い出して、冷静に努めようとした。
わたしはリブロさんを連れて、ある場所に向かった。
「雪が降ってきましたね」
廊下を歩いている最中、リブロさんの呟きにつられて窓を見上げる。
ガラス越しに白い雪が見えた。
やっぱり今日だ。襲撃の日は。
「雪の降る日に兄は死んだんだ。だから、ぼくは雪がきらいなんだ」
ゲーム中に書かれたルシウスの台詞が、今さら思い出される。
もっと覚えておけば良かった。そうすれば、こんなに歯痒い思いをすることはなかったのに。
体が震えそうになる。わたしが失敗したら、沢山の命が失われてしまう。
何もかもゲームと同じで、もしかしたら全て幻なのかもしれない。それでも、わたしの目の前で、彼らは確かに存在する。
なによりアルバートさんを失いたくない。わたしを優しく撫でてくれた、あの温かくて大きな手を。
その一心で、わたしは覚悟を決めた。
前回、アルバートさんが孤立させられたのは、裏切者が仕組んだ罠の可能性が高い。
アルバートさんが司令塔だなんて、魔物には分からないはずだ。だって、彼は細心の注意を払っていた。
裏切者は八剣士が誰なのか魔物に教えて、わざと仲間たちから引き離した。そして、アルバートさんを軍隊蜘蛛という強敵で確実にとどめを刺そうとした。でも、アルバートさんが貴重な帰還マフラーを装備していたことによって、計画は崩れた。
多分、わたしがいてもいなくても、アルバートさんは助かったんだと思う。
ところが、わたしが登場したことにより、裏切者は邪魔が入ったと焦ったと思う。裏切者の計画を脅かしたことだろう。
だから、しばらく魔物たちの姿を隠して、わたしたちを油断させた。
でも、きっとわたしが聖女として役立たずで、しかも団長と淫らな性活を送っていると誤解した。
だから、目的どおりに襲撃を実行することにしたんだと思う。
聖女のお迎えが、王宮から来る前に。
再びアルバートさんが外の見回りに出かけたときが、裏切者にとってチャンスかもしれない。
本当は彼を助けに行きたいけど、わたしが行っても戦力外だし、何も起こっていない状況では、さすがに兵士は動いてはくれないだろう。
なにより、裏切者に知られたくない。
結界の装置は礼拝堂の奥に設置されている。
警備兵が常駐していて、普段は厳重に鍵をかけられている。しかも、その鍵は王宮にあり、誰も侵入することはできない。そうリブロさんから聞いた。
だから、裏切者は、ここに来るはずだ。結界を壊すために。
ゲームでは、雪が降った日に砦は魔物たちに襲われたんだから。
わたしは裏切者が来る決定的な瞬間を目撃しようと、リブロさんと一緒に礼拝堂に隠れていた。
礼拝堂は奥に長く、屋根の高い開放的な石造りだ。
祭壇までに等間隔に立派な石柱が並んでいる。
その柱は太くて立派で、一人くらい楽々隠れることは可能だ。
「あのー、一体何をしているんですか?」
何も説明されていないリブロさんは、困惑した表情だ。
「もしかして、砦が狙われていると思っているんですか?」
「ええ、そうよ」
これ以上、隠し通せないと思って、彼にその点だけは打ち明けた。
「どうして、そう思ったんですか?」
「だって、聖女であるわたしが呼ばれたんだもの」
この嘘なら誤魔化せると思って言ってみた。
「災いが訪れたとき、聖女が現れるんでしょ? きっと何か悪いことが起きるはずだわ」
「そ、そうですか……」
無理やりな説明にリブロさんの顔は引きつっていた。
わたしに何を言っても無駄だと思ったのかもしれない。
いい具合に相手は受け止めてくれたようだ。裏切者がいると言っても事件が起きる前だから、信じてくれる可能性は低い。それに、わたしはリブロさんに誤解されている。
慌てて周囲に情報を広められても困るし、ギリギリまで情報をなんとか伏せたい。
裏切りという、決定的な瞬間を押さえるまでは。
「……団長にまとわりついているだけではなく、災いごっこですか」
彼の苛立った悪態に申し訳ないと思いながらも、何も答えられなかった。
わたしとリブロさんはひたすら待った。その間、こっそりアルバートさんの部屋から持ち出した刺繍糸でミサンガを作る。
暇そうにしていたリブロさんには刺繍糸の端を持ってもらう。
非常事態だ。少しでも数があったほうがいいと思って、ひたすら作り続ける。
「聖女様は、手芸ができないんじゃなかったんですか? 嘘だったんですか?」
「……」
リブロさんは声を荒らげて非難の声を上げる。
わたしは何も話せない。リブロさんたちが尊敬する団長から教わっていたなんて。
「このミサンガには、最高レベルの防御力があるの。剣の攻撃は、一撃だけなら効かないわ。だから、ちゃんと装備してね」
わたしは作ったばかりのミサンガをリブロさんにも一つ渡す。
ズボンの裾に隠れて見えないが、わたしも用心して足首にミサンガを巻いている。
「もしかして、聖女様はずっと団長の部屋であの大量のミサンガを? ご自分の部屋で作れば良かったのでは?」
「ごめんなさい。それについては言えないの」
「……団長もいい迷惑ですね」
リブロさんの皮肉にわたしはただ黙っているだけだ。何か私から事情を話して、アルバートさんに迷惑をかけられない。
手元には、作ったばかりのミサンガが十個あった。
これ以上の作成は、体に影響が出るくらい疲れてしまうだろう。アルバートにいっぱい叱られたせいで、限界をきちんと理解できていた。彼にはホント感謝だ。でも、わたしは自分の限界を超えると分かっていても作り続けていた。
「ちょっと、聖女様! 顔色が悪くなっていますよ。もう止めたほうがいいのでは?」
わたしの異変に気付いたリブロに慌てて止められる。
「でも、わたしにはこれくらいしかできないから」
わたしの言葉を聞いてリブロは怪訝な顔をした。
「もし敵に攻め込まれたとき、このミサンガが一つでも多くあれば、助かる命が増えるかもしれない。わたしは兵士として鍛えられたわけじゃないから、そのときは何も助けられないもの」
「聖女様……あなたは」
今までわたしに対して厳しい視線を向けていたリブロの目つきが、わたしの気のせいかもしれないけど、ほんの少し変わった気がした。
リブロは深呼吸するように大きくため息をついた。
「でも、また倒れられたら、ご自分の足で避難できません。もうお止めください」
「……うん、分かった」
わたしもそれは理解できたので、素直にうなずいた。リブロの足手まといになってしまうのは、もちろん避けたかった。
わたしは自分が作ったミサンガを手に取った。
最後に作った三個は、若干前よりも重く感じる。もしかしたらレベルが上がって性能がアップしたのかもしれないが、検知のレンズがないので、詳しくは分からなかった。
だから、その三個以外は全部使っちゃおう。
「ねぇ、リブロさんももっとつけたほうがいいよ」
リブロさんに残りのミサンガを渡そうとした。
「もう貰っているのでいいです」
「でも、攻撃を何度もされたら危ないし」
「じゃあ、全部ではなくて少しいただきます」
彼は少し譲歩してくれた。おかげでミサンガを少し渡せた。
「もっと使ってもいいんだよ?」
「この砦にいて、そんな攻撃なんてされないと思いますけどね」
「自分の護衛兵を心配したら駄目なの?」
「じゃあ、他の護衛兵にあげてください」
取り付く島もない。やっぱり簡単には信じてもらえないみたい。仕方がないので、彼を説得することはあきらめた。
多分、裏切者の暗殺リストに聖女も優先的に入っていると思うので、自分にもつける。用心に越したことはない。
気付いたら、ここに入ったときよりも、だいぶ太陽が傾いていた。待ちくたびれたリブロさんが大あくびしている最中、ついに異変は起きた。
わたしたちは顔色を変えて、息を潜める。
礼拝堂に誰か来た。わたしたちは慌てて柱の陰で気配を殺す。
侵入者はわたしたちに気づかず、コツコツと音を立てて中を進んでいく。
祭壇の側には護衛兵が二人いる。祭壇の奥に結界装置の部屋があるからだ。
侵入者と護衛兵が話す声が聞こえる。ところが、いきなり暴れているような物騒な物音が響いたと思ったら、怒声まで聞こえた。
明らかに何か事件が起きた。そして急に静かになった。警備兵たちがやられたのかもしれない。
わたしたちは柱の後ろからそっと侵入者の様子を窺う。
祭壇には台があって高くなっている。その手前に祈りを捧げるための祭壇があった。仏壇の洋風みたいなもので、中央に像が飾られている。凛々しい男性の像だ。もしかしたら、何かの神様かもしれない。
侵入者は祭壇の裏手に回っていく。そこには結界装置の部屋に繋がる入り口がある。
わたしはリブロさんに視線を送る。彼は頷くと、慎重に歩き始めて侵入者に近づいていく。
侵入者の後ろ姿が見える。そいつは結界の入り口の前に立つと、持っていた剣を構えて振り上げた。扉を壊す気だ。
「待ちなさい!」
わたしの大声に驚いたのか、彼は肩を震わし、慌てた様子で、こちらを振り向いた。
「どうして結界を壊そうとするの!?」
わたしは彼の顔を睨みつけながら怒鳴りつける。
「わけを教えてもらえませんか、副団長ランフル!」
そう叫ぶと、彼の片目が細まり、表情が険しくなった。