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手向け舞  作者: 山中 洸
6/10

其の陸

 天野がウマを訪ねてきたときトオルは公会堂の入口を掃除していた。一座の花形には違いなかったが、年齢は一番下であるから、会場の掃除をするのは当然だとされている。父親の橘雪之丞時代からの一座の決まりごとだった。

「あのう、新井さんいますか?」

 折り目の消えた大きめのズボンに、やはり大きめの上着を着ている。ノーネクタイで、肩から茶色のバッグを掛けている一昔前の外回りの営業マンといった風体の小柄な男が天野だった。

「はい、いま呼んできます」

 どこの誰なのか聞く必要もなかった。ウマを訪ねて来る人間などいるはずもなかったし、今朝の電話のやりとりも聞いていたから、まだ若いこの男が新聞社の人間だということはすぐにわかった。箒を壁に立てかけて、トオルは楽屋にウマを迎えに行った。

 ウマを見ると、とたんに天野は直立不動になった。ピンと伸びた指の先まで詰まった緊張の度合いがトオルにもはっきりと伝わってくる。

 ウマは改めて名乗ってから、近くのソファーへ天野を誘った。トオルは自動販売機で缶コーヒーを三本買って、ウマの横に座った。中途半端な季節そのままに、ぬるいコーヒーだった。

「ちょっと調べてほしいことがあるんだ」

「なんでしょうか」

「一昨日、滝で女の死体が見つかっただろ、あの事件を警察がどう扱っているのか知りたいんだ」

 天野はほっとしていた。相手が新井で、公会堂に呼び出されたとき、もしかしたら一座に新井が関係しているのではないかと考えた。その不安は当たっていたが、どうやら新聞の記事への不満ではないらしい。一座に関しての昨日の新聞記事を書いたのは他ならぬ天野だった。ウマは調べてほしいことを大雑把に言うと「頼む」とだけ言い残して席を立った。デスクの金子の「使える奴だ」という言葉を信頼していた。缶コーヒーを持っていくのは忘れなかった。

「天野さんでしたっけ、ウマじゃなかった、新井さんってどんな人だったんですか?」

 直立不動だった天野の姿を見たとき、トオルがどうしてもしたいと思った質問だ。

「あの人は『伝説のブン屋』です」

「伝説?」

「いまのデスクの金子さんとふたり、『アラキン』といえば知らない者がいなかったと聞いています。特に新井さんが潰した暴力団は片手では足りないそうです」

 全て先輩から聞かされたことだと前置きしたが、誇張されていることを差し引いても、ウマの仕事ぶりを話す天野の興奮ぶりが伝わってきた。

「一度お会いしたいとは思っていましたが、本当に会えるとは……」

 缶コーヒーを一気に飲みほして席を立った天野にトオルが頼み込んだ。

「現場写真は手に入らないですか?雪之丞さんが見たいと言っていたものですから」

 トオルが雪之丞なのだから嘘ではない。トオルの中に美由紀の死に関して釈然としないものがあった。

「現場写真ですか、それはちょっと……」

 天野はそう言ったものの、飲みほしてしまった缶コーヒーの空き缶を穴が置くほど眺めてから、

「やってみます」

 と、絞り出すように言って、公会堂を出て行った。

 夕方、舞台のはねるのに合わせて天野が公会堂を訪れた。朝と同じロビーのソファーでトオルとウマが迎えた。

「ご苦労さん。どうだ、わかったか?」

 ウマの質問に答える天野は面接試験を受けている学生のようだ。取材ノートを見ながら早口で報告し始めた。

「はい、警察は自殺でほぼ決まりとしているようでした。まず亡くなった佐野美由紀さんですけど、独身で父親は佐野忠則、剣道家です。母親は美由紀さんが幼少時に病死しています。父親は剣道場を開いていたのですけど二年前に心臓発作で急逝して、ひとり娘の美由紀さんが跡を継ぎました。父親の死後、剣道場を大幅に縮小して四階建てのビルを作り、エステとスポーツジムの会員制クラブにしています。近くに同様の施設がありませんからけっこう繁盛しているようです」

「それで現場の状況は?」

「はい、三日午前四時、釣り人が遺体を発見して警察に連絡しています。死亡時刻は二日夜七時から九時の間とみられますが、水につかっていたため、多少の誤差はあるものと思われるそうです。死因は後頭部を強打したことによる脳挫傷でほぼ即死の状態。血液中からバルビタール酸系の睡眠剤を検出されました。自殺するときに服用したものと考えられますが、現在はほとんど使用されていないもので、インターネットかなにかで入手したもののようです。頭部の外傷は滝から落下した際に負ったと推察されます。美由紀さんの車が滝に近い駐車場に停められていて、美由紀さん以外の指紋は発見されず、トランクにも不審なものは何もなかったそうです。キーは滝壺上の落下口にあった着物バッグの中から見つかりました。同じ場所に草履が揃えてあったということです。あと、佐野忠則は、女は女らしくという古い考えの人物で、美由紀にバレエ、ピアノ、お茶、お華などの習い事をさせたそうです。いわゆる箱入り娘として育て、恋人もなく、父親の監視の目が婚期を遅くしていた原因だとも考えられます。それと……」

 報告を中断して取材ノートから目を離した天野が天井を見上げた。難問を前にした受験生のようにも見える。

「それと、なんだよ?もったいぶるな」

 ウマに言われた天野が、心を決めたように大きく息をしてから、話を続けた。

「はい、山城泰二という四十二歳の独身の男がいます。佐野忠則の一番弟子で、県内でも剣道家として知られています。忠則の代稽古で警察の道場への出稽古にも行っていましたから、警察関係の知り合いも多いようです。剣道場を大幅に縮小されたことから美由紀さんを恨んでいたようですし、素行もあまり良いとは言えません。特に剣道の弟子でもある暴力団神龍会の親分の川久保勝則との付き合いは親密だったそうです。当然容疑者として名前が上がりましたが、事件当日午後六時から十一時まで、剣道仲間と、退職する警察幹部の送別会に出席していまして、会場となったスナック『道草』にいたことが、スナックのママや出席者の証言で確認されています」

「途中抜け出したとかは?」

「スナックと現場とは車で往復一時間半はかかります。中座はしていませんし、そのため容疑者からは外されました。他に怪しい人物がいないことからも警察は自殺という見解で固まりつつあるようですが、ただ自殺する動機が出てこないので、現在捜査は聞き込みを中心に継続されているそうです」

「そうか。それにしても良くそこまで聞き出せたな。警察は普通そんなことまで教えてくれないぞ」

 ぐいと身を乗り出して感心してみせたウマから天野が逃げるように少し身を引いた。

「雪之丞さんの名前を使わせてもらいました。そうしたら事件を担当している警部が雪之丞さんの大のファンで、なんでも非番の日に踊りを見て、たちまち惚れ込んでしまったそうです。名前を出したら、もうなんでもありでした。容疑者のこともそうですが現場写真も何枚でもプリントアウトするからと」

 封筒から一枚の写真を取り出して、

「それで、この写真にサインをもらってきてくれと頼まれました」

 シートの被せられた遺体を中心に警察官が現場の調べをしているスナップ写真だ。

「これなら、いつ貰ったサインかわかるからと……」

「これにサインするんですか?」

「ええ、雪之丞さんが」

「そ、そうですよね。雪之丞さんがするんですよね」

 死体を取扱う警察官は、礼意を失わず、また遺族等の心身の状況に配慮をしなければならない、とされているが、長く職業にしていると人の死に対して鈍感になってしまうことも事実だ。警部の感覚にトオルは少なからず同情していた。

「あと、なぜ現場写真が欲しいのかと聞かれたので、自分の芝居を見た人間が直後に自殺したとは思いたくない。芝居は人を元気づけるものだ。もし自殺したとしても、せめて写真に手を合わせたいと言っていたと、勝手に説明してしまいました。すいません」

「いいえ、雪之丞さんも喜ぶと思いますよ」

 トオルが少しどぎまぎしながら言った。自分が美由紀の死に関してそこまで深く考えていなかったことが恥ずかしくもあった。

「何かあったらこれに電話ください」

 携帯電話の番号を残して立ち去る天野の背中には、緊張から解放され安堵の色があった。

「まあ、客観的な点は合格かな。ただ所詮は警察レベルの捜査だけどな」

 何度も礼を繰り返した天野が去ったあとで、ウマが天野が置いていった事件の相関図をテーブルに静かに広げた。

「でもさあ、ウマさん。あの坂道を草履で登ったことになるんだよね」

「そうだな」

「それで、あの金網を乗り越えたんだよね」

「そうなるな」

「着物で、跨いで、だよ?」

「うん」

「見たい?そんな姿」

「見たいような気もする」

 トオルがどうしても納得できない部分だった。

 裾が大きく乱れ、太腿まで露わになった美由紀の写真に目をやった。覚悟を決めて自らの命を絶った人間のものとは思えない表情をしていた。

「調べてみるか、俺たちなりにさ」

 ウマが腰に手をあてて背中を反らした。

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