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手向け舞  作者: 山中 洸
5/10

其の伍

 新緑のトンネルは足元が急な坂道になっており、垂木を置いただけの階段はなかば土に埋まり、崩れ、極めて歩きづらかった。

 おりんは車の中にいるときから涙ぐんでいたが、坂道を登りながら嗚咽しはじめていた。わずかな触れ合いであるのに、心の優しい娘であるらしい。

 木立が途切れ視界が開けたところに滝はあった。川がいったん流れるのをやめ、寄り固まった水が一気に落ちていくようになっているようだが、近づけないように胸の高さの金網で囲われているため、その全体を見ることはできなかった。表示されている案内板によると滝の高さは三十メートルあるという。

 トオルは弾みをつけて鉄棒を飛び越える要領で金網の中に入った。おりんも這い上るようにして上ってから柵の中にどさりと落ちた。ウマは完全に顎を出して、トオルたちに背中を向けて金網を背に座り込んだまま、片手をあげて参加を拒むことを宣言した。

「パスだあ。仏さんによろしく言ってくれ」

 滝の落下口でトオルとおりんは手を合わせた。

 おりんが買ってきた花は結婚式のブーケのような霞草とユリの花束で、浮き立った雰囲気まではなかったが仏に供える仏花と呼べるものではない。しかし美由紀のあでやかな着物姿を思い出して、この花の方がふさわしいのかもしれないとトオルは思った。

 かすかに風があることが線香の煙の流れでわかる。それは滝から吹き上げる気流かもしれなかった。

「ねえ、ウマさん。警察の捜査はどうなっているのかな」

滝に向かって一礼してからトオルが金網にもたれているウマに話しかけた。事件の現場であるのに立ち入り禁止を示す黄色のバリケードテープはすでに取り除かれている。現場検証が終わったためだろうが、警察が懸命に捜査しているとは思えなかった。

「さあ」

 ウマの気のない返事が返って来た。

「警察の捜査の様子を知る方法はないかな」

 求めたわけではないのに、揉め事に出会ってしまう人間がいる。トオルはこれまでにもいくつかの事件を解決してきている。ウマはトオルの心がまた動き始めていることに先ほどから気がついていた。

 ウマは元新聞記者だったからそれなりの知り合いはいたが、元来筆まめではなく、季節の挨拶はもちろん、電話での連絡をとることもしていなかった。新聞記者という仕事に疑問を持ち始めていた時期にトオルの父親である先代の雪之丞との出会いがきっかけとなって足を踏み入れた芝居の世界だった。

警察と言われて浮かぶ顔の一つや二つはあったが、いまは付き合いがない。しばらく考えてからウマはおりんから携帯電話を借りて電話をした。思い出しながら何度かボタンを押し直してようやくかかったのは、かつて自分が勤めていた新聞社だった。

「キン、じゃなかった金子明って奴はまだいるかい?」

 冷や冷やするほどぞんざいな話しぶりだ。

「はい、社会部のデスクですが、どのようなご用事ですか?」

「ほう、デスクか。出世したもんだ」

「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」

「ジュクの新井と言ってもらえればわかるから」

 交換手からの電話を取った人間が「デスク、学習塾の新井という人から電話です」と伝えた。

「学習塾?もっと勉強しろってことかな」

 短髪のゴマ塩頭を赤ペンで描きながら、金子は訝しげに受話器を手にした。

「ハイ、金子ですが?」

「キンちゃん、俺だ、俺だ」

「俺って、もしかしてアラちゃん?」

「おう、元気か?」

「ああ元気、元気。アラちゃんどうしてた?」

「まあ、なんとかね」

 もちろん電話の相手の声はトオルやおりんに聞こえるはずもなかったが、ウマの珍しく高揚した声から相手がよほど親しい人間であることは簡単に想像できた。

「あのな、頼みがあるんだ」

「なんだい」

 ウマはいま自分がいる場所を伝えて、会話を続けた。

「こっちに支局はあるか?」

「ああ、あるよ」

「ちょっと頼みたいことがあるんだ」

「いいよ。天野って奴がいるから、すぐに行かせるよ」

「頼む。いま町の公会堂にいるから」

「公会堂?まあいいや。天野って奴は結構使えるぞ。ドサ回りに出しているけど」

「そうか、そいつは助かる」

 ドサ回りとは、地方の支局を経験してから本社に戻ることを前提にした、いわば出世コースを意味することもある。

「ついでに仕込んでやってくれ」

 何故とか何をとかいう会話が一切ない、わかりあった者同士のやりとりだった。


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