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手向け舞  作者: 山中 洸
3/10

其の参

 おりんはまだ仕事があるからと、体育会系の礼をして、舞台の裏へと行ってしまった。役者志望で入門しても初めは裏方の仕事をさせられる。おりんもまたその口なのだろうが、動きや所作を見る限りでは役が付くのはまだ大分先のことだろう。

 おりんの背中を見送ってから、トオルは公会堂の裏手に回り、リュックの中から黒い棒のようなものを取り出した。

 黒い鉄製の大ぶりの扇子で『鉄扇』と呼ばれるものだ。亡くなった父親の形見である。

 トオルは二、三回素振りをしてから体の正面で正眼に構えた。目を閉じて闘いのイメージふくらませてから、目を開き、軽やかに立ち回りの仕草を始めた。ときに突き、ときに払い、すっと前に出てから大きく引く。立ち回りはまるで踊りのようにも見える。

 鉄扇を背中の後ろに隠すようにして、上下左右に振り出してから最後に呼吸を整えた。

「ボン、またうまくなったな」

 いつの間に来ていたのか、大きなごみ袋をぶら下げたウマがトオルに声を掛けた。

「うん、お父さんの言いつけだからね。下手な役者との立ち回りは何が起こるかわからない、主役が切られたら笑えないって。剣道よりも難しいとお父さん言っていたからね」

「ああ、あの人はたいしたものだった」

「毎日練習しろって、遺言みたいなものだから」

 ますます父親の雪之丞に似てきたトオルにウマは目を細めた。

「ところでウマさん、ごみ捨て?」

「いや、捨てにいったら、公会堂のおばさんに怒られてしまった。明日はごみの日じゃないんだとさ。なんでも燃えるゴミが月曜日と木曜日で、粗大ごみがどうとか、資源ごみだ、大型ごみだ、といろいろあるらしい。監視員がいて、ごみ出しの監視をしているんだそうだ。日本一ごみ出しにルールがある町だって自慢していたよ」

 宿までごみを持って帰ると言って、ウマは袋を持った手を前に出して斜に構えた。ごみ袋の持ち方に『形』を求めるは役者としての習性ではなく、男の小さな悲しい抵抗だ。

 翌日も同じような舞台だった。客の入りも同じようなものである。今日も重いと金平がおぞましい絡みを繰り広げているはずだ。

 トオルは化粧を終えて淡い紫の中振袖に着替えた。町娘の衣装だが、襟の黒繻子じゅすと色を抑えた小紋の帯が可憐さと同時に優美さを感じさせる。一見ちぐはぐに思われる組み合わせが舞台の照明の中で蘇る事が計算されていた。

「会場、温めておいてやるからよ」

 得意げに鼻を擦って出て行った亀之助の舞台がようやく終わるのか、ウマがトオルを迎えに来た。

「ボン、出番だ」

「座長とおじさんの舞台終わるの?」

「舞台は暑苦しいけど、会場は冷えてるぞ」

 ウマがニヤリと笑ってトオルを急かせた。

 町長の命令で取材に来た地元のケーブルテレビが、何を撮影したらいいのか困り果てているようだ。演目が続き、その日の最後を飾るトオルの踊りになった。

 トオルは珍しく緊張していた。

 幼稚園に入る前から舞台に立ってはいたが、昨日見たこの公会堂の白木の舞台ほど本格的で広いスペースで演じたことはなかった。その舞台で踊ることに役者としての血が騒いでいた。

  …すきま風がカーテンを揺らし 西日が心を揺らす

   窓辺の小さな陶人形 伸びた影の先には誰もいない

   六畳一間のアパートがとても広く感じます

 さよなら、じゃなくて、ごきげんよう

 そしてあしたは、こんにちは

   短い言葉をくり返し

 歩いていくことに決めました……

 曲が流れ、踊りが始まると、会場の空気が一変した。

 前の座席の背もたれに足を上げていた男が、座り直して両手を膝に置いた。鼻をほじっていた男がそのまま手を止める。ケーブルテレビのカメラマンはディレクターに小突かれ、慌ててカメラのファインダーを覗き直した。

 不思議な踊りだった。日本舞踊のようだが、緩急はそれより遥かに激しい。空で風を掴んだように動いた手が胸の前で開かれると、解き放された蝶が見えたように錯覚する。音が形になり色となって見える。ときに崩れ落ちそうなまでに頼りない足取りは見る者を本気で心配させる。芸である以前に語るような舞いで、滑るような身のこなしは女形や女性を超えた、まったく別の生命の息吹が舞うのを見ているようだった。

 踊りの最後の形を静かに決めたトオルと観客との間の緞帳がゆっくりと降りた。観客の誰もが拍手をすることさえ忘れていた。

 大衆演劇には役者が客を見送る『送り出し』がある。トオルはそれには加わらなかったが、役もないのに参加したウマに公会堂のおばさんが飛びついた。

「ねえ、あの最後に踊った人、誰?」

「ああ、橘雪之丞さんだよ」

トオルは一座の花形であり看板役者でもあるから、対外的にはウマも『さん』付けで呼ぶことになっている。

「ねえ、ここにいないの?」

「まあ、うちの助っ人みたいな役者だからな、素顔は見せないよ」

「ふうん、そうなんだ。会えないの?」

「だから無理だってば」

 公会堂のおばさんが落ち込んでいじけたようなポーズを作った横をケーブルテレビのスタッフが声高に通りすぎた。

「いい画が撮れたな。町長もたまには本当のこと言うんだ。ローカルのトップは決まりだな」

「よろしくお願いします」

 ウマの声が自然と大きくなった。

 その夜の地域ニュースは橘雪之丞にスポットを当て、翌日にはすでに雪之丞の親衛隊ができていた。

「何だい、この子どもたちは」

 千円札で作ったレイを手にした中年の女たちが大袈裟に顔をしかめた。

「うるさいね、おばさんたち。雪之丞さまの踊りは金じゃ買えないのよ」

「ピーピー何なの。ガキは早く帰って寝てしまいな」

 濃い化粧のおばさん軍団と、小ギャルの一団が舞台の下でもめていた。双方の間に公会堂のおばさんが挟まれている。

「静かにしてください、ここは公の施設です」

 そんな騒ぎをよそに雪之丞の踊りがはじまった。暗転幕が音もなく左右に開き、斜に構えた橘雪之丞ことトオルが現れた。

「雪さま~」

 公会堂のおばさんと女たち全員が声を揃えた。

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