第六十五話 何かが来る
「おはようございます、波多野さん!」
次の日の朝、神棚の前でかしわ手を打とうとしたところで、比良に声をかけられた。
「おはよう、比良。なんだか元気そうだな」
「はい。今日も一日がんばれそうです!」
ニコニコしながらそう言うと、俺の横に立った。そしてかしわ手をうち、一礼をする。自分も途中だったことを思い出し、かしわ手を打つと頭をさげた。
「本当に元気そうだよな。昨日の夜はだいじょうぶだったのか? 候補生達だけじゃなくて大佐も行ったろ?」
「驚きましたよ。まさか大佐まで来るとは思ってなかったですから」
「牛乳に対してのお小言はあったか?」
牛乳の後に三十分ぐらい続く説教を思い出し、質問をする。
「いえ、特には。ちょっと不機嫌そうでしたが、牛乳を飲んで毛づくろいしてすぐに寝ましたよ」
「へえ……そうなんだ」
―― なんだよ、ブツブツもんくを言うのは俺に対してだけかよ ――
もちろん比良のこの様子からして、大佐の小言を小言だと認識していない可能性もありだが。
「肩、こってないか? 三匹と大佐に挟まれると身動きできないだろ」
食堂に向かいながら話を続ける。比良と確実に話ができるのは、この朝飯の時ぐらいだ。今のうちにいろいろと確認しておきたい。
「あー、それですか。困っちゃいましたよ。両肩に猫って久しぶりの経験です。すごく幸せでした」
「お前、ぜんぜん困ってないのな」
今の話しぶりとこの表情からして「両手に花」ぐらいにしか感じていなさそうだ。
「波多野さんはまだ、猫ライフ初心者ですからね。そのうち慣れると思いますよ?」
「ぜんぜん慣れる気しないけどな……」
そういうものなんだろうかと首をかしげる。まあ比良がそう言うのだから、きっとそうなんだろうと思っておく。
「あと、牛乳の件も助かりましたね。食堂でコソコソと確保しなくてもすむようになりましたし」
「幹部と料理長の協力があるのって大きいよな」
「カルシウム不足だと思われてるのは心外ですけどね」
「ま、そう思ってるのは料理長ぐらいじゃね? 幹部は絶対に事情を知ってると思う」
相波大尉も艦長が寂しがっていたと言っていたし、候補生達はあっちこっちで牛乳をねだっていたに違いない。
「大尉とも会ったか?」
「最初にあいさつをしました。大佐が寝ている間も見張りに立っているみたいです。寝不足にならないんですかね?」
「んー……どうなんだろうなあ」
大尉はすでに死んでいる存在だ。普段から休んでいるとか寝ているとか聞いたことがないし、多少は休むことはあっても、だいたいは二十四時間営業なのかもしれない。
「あと、戦利品ってのも見せられたんですけど、あれは何です?」
「俺に聞くなよ。黒くて臭いヤツなら、前に艦内で暴れまくった黒いヤツと同じようなモノだと思う。たしか、先ぶれとか言ってたな」
「うわー……また何か来るんですか? リアルでミサイルが飛んできそうだし、それだけはかんべんしてほしいなあ……」
「だよなあ。やっぱりお札をチャフみたいにまくべきだよな」
俺達は食堂で一緒に食事をすませ、俺は艦橋に、比良は戦闘指揮所へと向かった。
「じゃ、副長達によろしく」
「了解しました。そちらも航海長達によろしくです」
「おう。じゃあ今日も一日、がんばろう」
「はい!」
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艦橋にあがると、艦長と山部一尉が海図を見ながら立っていた。
「おはようございます!」
「ああ、おはよう。よく眠れているか?」
少しだけにやけた顔の一佐から声をかけられる。
「はい、おかげざまでぐっすりです」
大佐と候補生達に邪魔されずに寝るのは久しぶりで爆睡だった。ここでそう言えないのが残念だ。
「それは良かった。さて、昨日の夜から多少だが動きがあったようだぞ。山部、全員がそろったところで説明をしてやってくれ」
「了解しました、艦長。では説明をする。昨夜、正確には夕刻からだが、作戦海域西端で我が方が、所属不明の潜水艦を捕捉した。現在、海自と米軍の潜水艦が追尾しているのだが、その追跡中に何度か衝突音が確認された」
海図には捕捉した地点、そして音がした地点に赤いマークがつけられている。その場所は移動しており、そのまま真っ直ぐ進めば、みむろが展開している場所にやってくるコースだった。
「所属不明ですか」
「まあ十中八九、今回の件でコソコソ動いている国の潜水艦だろうがな」
となると某国か某国の後ろ盾の某国かと、可能性は二国ぐらいにしぼられる。
「普段なら二十四時間ほど追い回したら、降参して自分達の領海に逃げ込むか、浮上して旗をあげるんだがな。今回は少しばかり事情が違ってだな」
「それが衝突音ですか。あの、それってうちの潜水艦とぶつかっている可能性はないんですか?」
「明け方の定時連絡で、展開している友軍サイドの潜水艦との連絡はすべてとれている。だからその点は心配ない」
艦長の説明にホッとする。
「最近この海域では、タンカーやフェリーが大型海洋生物と衝突する事故が頻発している。潜水艦同士の衝突でないなら、その手の事故とも考えられるんだが」
「何度もとなると、潜水艦が執拗に追い回された可能性がありますね。珍しいことですけど」
クジラが潜水艦を敵認定して追いかけ回すなんて話、今まで聞いたことがない。しかも体当たりまでして。
「それ、クジラなんですよね?」
「今のところ推測の域は出ないがな」
「しかもこっちに向けて逃げてるんですよね、その潜水艦。えーと、なにかに追いかけられていたらの話ですけど」
通信装置がけたたましい音をたてた。船務科の先輩一曹が黒い受話器を素早くとる。
「艦長、たにかぜからの報告です。所属不明の潜水艦が浮上したのを哨戒ヘリが視認したそうです」
「国籍は?」
「予想通り、件の国でした」
「画像は撮れているな。こっちにもよこしてくれと伝えてくれ」
「了解」
艦長と一尉は顔を見合わせた。
「観念して浮上したんですかね」
「さて、どうなんだろうな」
しばらくして画像が送られてきた。そこには某国の国旗をあげた潜水艦が写っている。
「……こりゃ大変なことになってますね、艦長」
画像を見た一尉がつぶやいた。浮上した潜水艦の潜舵の部分がもぎ取られたようになくなっている。浮上する途中で船舶と衝突したわけでもにないのに、どうやったらここまで破損するんだ?と、その場にいる全員が首をかしげた。
「浮上しなくてはならない事態に陥ったということか。しかし、よくもまあこんな状態で浮上できたもんだ」
「海底近くで一回転でもしたんですかね、これ」
「これ、なんでしょうか」
破損部分に気になるモノを見つけたので、画像のその部分を指でさす。モニターでその部分を拡大表示させた。なにかテラテラと光るものが張りついている。よく見れば潜舵部分だけではなく、海面に出ている他の部分にも張りついているようだ。重油か? それとも大量の海藻?
「こんな秘密兵器があるんですか?」
「馬鹿言え。こんなネッチョリ系の兵装を装備している潜水艦なんて、海自にも米国にもないぞ。……いや、訂正する、少なくとも海自にはない」
「クジラの体液やえぐれた部分でもなさそうだな」
艦長があごに手をやりながら言った。画像で見る限り赤い部分はなく、ひたすら真っ黒な粘液っぽいものだ。困惑したままでいると、再び通信が入った。
「……艦長?」
受話器を耳に当てたまま、先輩一曹が振り返って艦長に声をかける。
「どうした?」
「たにかぜからの報告内容が意味不明なんですが」
普段は冷静沈着な一曹が、珍しく困惑した表情を浮かべていた。
「落ち着いて言われたことをそのまま伝えてくれ」
「はい。あー……哨戒ヘリが浮上した潜水艦を監視している最中に、その近くの海中に黒い大きな影が見えた。ソナーでは感知できず、肉眼でのみ視認が可能。現在、その影はこちらの展開海域に向けて進んでいる。哨戒ヘリは現在も追尾中。以上です」
「なんだそりゃ」
その場にいた他の一曹が声をあげる。
「だから言われた通りにしか言ってない。俺に聞かれても困る」
「あの、まさかこの黒いネッチョリ系の犯人では?」
馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、挙手をしてから自分の意見を言ってみる。すぐに笑って却下されると思っていたが、わりとその場の全員が納得した空気になったのが意外だった。
『敵側の潜水艦を攻撃したからと言って、我が方の味方とは限りませんよ。気をつけてください。強い悪意というものは、往々にして暴走しがちですから』
『わだつみ殿も追っておる。この手のモノに対処できる兵装は、どの艦はもないからな。逃げる算段はしておいた方が良いと思うが』
猫大佐と相波大尉の声に顔をあげると、大尉は艦長の横に、大佐は海図の上でウロウロと歩き回っていた。艦長の表情は変らないが、その声に耳を傾けているのがわかる。
『たにかぜとやましろの猫神も状況は把握しておる。もちろん艦内神社の神々もな。しかし本体の前に来る先ぶれの大群が厄介だな。吾輩たちとカモメたちが総出で対処しても、すべてを排除するのは難しかろう』
『候補生達にはとても対処できる数ではありませんしね。防衛態勢のレベルを引き上げませんと』
『やれやれ。人の悪意と言うものは厄介なものだな』
猫大佐は海域の一点に前足を置く。
―― ミサイルよりそっちが先に来るのかよ…… ――
「こちらが対処できないのに実害を被るというのが厄介だな……」
艦長がボソッとつぶやいた。幹部の大佐に対する確かな反応を、初めて目撃した瞬間かもしれない。
『こちらの世界のモノはこちらで対処する。お前達は逃げる算段だけをしておけば良い。だが、あれだけの大群だと、他の乗員にも見えることになるだろう。掃除がまた大変なことになりそうだな』
大佐の言葉に、艦長が小さくため息をつく。そしてなぜか俺の顔を見た。
「波多野」
「はい、なんでしょうか」
「前にお前が言っていた、お札のチャフ、本当に必要かもな」
「ですよねー……」
艦内神社のお札をもらっている神社で、なにか役立ちそうなものはないだろうか?と考えてしまう。
―― けど、御守ってそれなりに高いもんなあ……あんなん使ったら、海自が破産するかも…… ――
「山部、幹部は十五分後に艦長室に集合。寝ているヤツには申し訳ないが、叩き起こしてくれ」
「了解しました」
とにかく、俺達では対処できない何かがこちらに向かってやってくる!




