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帝国海軍の猫大佐  作者: 鏡野ゆう
第一部 航海その1
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第十六話 霧中信号

 母港へ戻る航海は順調だったが、湾内に差し掛かったところで天候が一変した。それまで晴天だったのに、あっという間に霧で視界が悪くなる。


「うわあ、真っ白になってきた……!!」


 今朝の気象データでは、霧が出るような気圧配置ではなかった。俺の気象の読みはまだまだなようだ。


「航海長、いきなり霧が出てきましたね」


 進路上に遮蔽物(しゃへいぶつ)がないかの監視のために外に出ていた俺は、艦橋から外に出てきた山部(やまべ)一尉に声をかけた。


「まったくだ。しかし、もののみごとに真っ白だな」


 そう言いながら一尉は双眼鏡で周囲を見わたす。


「これではお前の自慢の目も、あまり役には立たないな。この先は、どんどん入り組んだ地形になってくる。船だけでなく陸地にも要注意だ。監視をしっかりするように」

「了解です」


 そこで一尉はニッと笑った。


「お前もそのうち、こうなった状況下で操艦(そうかん)訓練をすることになるんだからな」

「ずっと無縁でいたいものです」

「テルテル坊主でも作ってせいぜい祈っておけ。では引き続き監視を頼むぞ」


 山部一尉は俺の肩を叩くと、艦橋へと戻っていった。


 (ふね)の現在位置から基地がある場所までは、かなり複雑な地形の入り江になっていた。軍隊で戦艦が主力だった時代、この複雑な地形が敵国の艦船の侵入を(はば)む、天然の要塞として機能していたそうだ。俺は見たことはなかったが、基地近くの山にはその名残である、昔の砲台跡がいくつも残っているらしい。


―― 今はレーダーやGPSがあるから問題なく航行できるけど、昔の人ってこんな視界不良の状況で、どうやって操艦(そうかん)してたんだろうな…… ――


 双眼鏡をのぞいても、真っ白な霧以外ほとんどなにも見えない。操艦(そうかん)を任されている紀野(きの)三曹も、これでは計器類だけが頼りの目隠し状態だ。それもあってか、今は山部一尉がピッタリと横にはりついて三曹に指示を出している。


 しばらくすると汽笛(きてき)の音がした。いわゆる霧笛(むてき)というやつだ。近くをどこかの船舶が通っているらしい。このあたりはフェリーやタンカーも通過するので、晴れている時でも注意が必要な海域だった。


「艦長、霧中信号(むちゅうしんごう)の音が聞こえました。近くを通過中の船舶(せんぱく)がいるもよう」

「航海長?」

「レーダーにはなにも映っていません。波多野(はたの)、そこから見えるか? 本当に霧中信号(むちゅうしんごう)だったか?」

「え?」


 そんな質問をされるとは思っていなかったので、慌てて双眼鏡で周囲を見渡した。視界が悪すぎて霧以外はなにも見えないが、たしかに船が出す汽笛(きてき)の音だった。


―― あれが幻聴とは思えないんだけどな…… ――


 何度か左右を見渡していると黒い影が見えた。しかも右と左、両側に船影が見える。


「航海長、右舷と左舷、それぞれに船影が一つずつ見えています」

「そんなことあるか、レーダーにはなにも映ってないぞ」

「でも間違いないですよ、ちゃんと見えてます、船影が(ふた)

「なんてこった。こいつ、まだ就役(しゅうえき)してから二年も経っていないのに、もうポンコツなのか?」


 一尉は顔をしかめながら、レーダー装置の角の部分をひっぱたいた。横にいた先輩二曹が慌てて止める。


「ちょ、航海長、昔の電化製品じゃないんですから。そんなことしたら本当に壊れますって」

「そんなこと言ったってだな」


 さらにもう一発、一尉はレーダー装置の角をたたく。しかもゲンコツで。


「ちょっと、航海長! この(ふね)は大事な国の財産なんですから、もっとていねいに扱ってくださいって!」

「まったく、機械はあてにならんってことか? しかたない、俺も外に出て監視する。紀野、レーダーにはなにも映っていないが慎重にな」


 そう言いながら、一尉がまた外に出てきた。反対側では副長が、他の隊員達と双眼鏡を手に監視を始めている。


「で? どこにいるって?」

「あそこと、向こうです」


 黒い船影を指でさした。そこには間違いなく黒い船影が存在していた。そしてその二隻は、どんどんこちらとの距離をつめてきている。みむろは完全に、二隻の船にはさまれた状態だ。


「……なるほど。しかもあれは、タンカーでもフェリーではないな」

「あの、これって新手のイヤがらせってことはないですよね?」

「国内であんな大きな船舶を所有して、イヤがらせをしてくる集団なんているものか。それによく見ろ、あれは民間の船じゃない。どう見ても軍艦だ」

「軍艦?!」


 その言葉に双眼鏡をもう一度のぞく。近づいているせいで、さっきよりはっきりと船の輪郭(りんかく)が見えていた。たしかにタンカーでもフェリーでもない。あれは間違いなく軍艦だ。


「まさかパンダとかクマとか言いませんよね」


 航海中たまに、領海スレスレで航行しているお隣の国の戦艦を見かけることがある。だがここは日本の領海、しかも母港と目と鼻の先の場所だ。招待されて来港しないかぎり、こんな場所を他国の戦艦が航行していたら、それこそ蜂の巣をつついたみたいに大騒ぎになる。


「レーダーに映らないステルス艦をどこかの国が開発したとなれば、世界中が大騒ぎだな」

「あの、真面目に言ってるんですが」

「俺も真面目だ。安心しろ、あれは日本の(ふね)だ。正確には旧日本海軍の戦艦ってやつだが」

「いやだから、俺は真面目に言ってるん、って、なにするんですか」


 顔に双眼鏡を押しつけられた。


「ちゃんと見てみろ。国籍旗はどこのをあげてる?」

「ええ? どこって……」


 押しつけられた双眼鏡で並走している艦影を見る。


 ずいぶんと距離が近くなっているせいか、あっちの甲板で人らしき影が移動しているのが見えた。そして船の中心にそびえ立っているマスト。その上には見たことのある旗が揺れていた。


「あ、自衛艦旗(じえいかんき)。ってことは、あれは海自の(ふね)ってことですかって、いたたたた、なにするんですかっ」


 ゲンコツで頭をぐりぐりされて思わず声をあげた。


「波多野、お前、俺の言ったこと聞いてなかったのか? 俺は旧日本海軍の戦艦って言ったんだぞ」

「え? だってそんなの現存してないじゃないですか。形として残っているのは、横須賀(よこすか)にある三笠(みかさ)ぐらいでしょ。それ以外の戦艦で、航海可能な(ふね)があるなんて聞いたことないですよ。いたたたっ、やめてくださいって!」


 さらに頭をぐりぐりされる。


「だが、げんにああやって俺達の前にあらわれただろ。しかも二隻も」

「……あの」


 一つの可能性が浮かび、それを口にしてみることにした。


「なんだ」

「もしかして、あれって、戦艦の幽霊、ですか?」


 俺の言葉に一尉は軽く溜め息をつく。


「身も蓋もない言い方だなあ、波多野。もっと言いようがないのか?」

「すみません、語彙力(ごいりょく)なくて」


 もう一度、双眼鏡をのぞく。甲板に立っている人達がこっちを見ていた。中にはこっちを指でさし、後ろの誰かを呼んでいる人もいる。あんなたくさんの幽霊が一度にあらわれるものだろうか?


「とても幽霊には見えませんけど。幽霊ってもっと禍々(まがまが)しいでしょ?」

「そうとも限らんだろ。どこにだって例外は存在する」


 それは俺にもわかっている。なぜなら、相波(あいば)大尉の存在がその例外の最たるものだからだ。


「海自の護衛艦乗りのあいだでは、昔から噂にはなっているんだ。たまに、護衛艦と並走する正体不明の船団があらわれるってな」

「船団ってことは実際はもっと多いってことですか?」

「考えてもみろ。太平洋戦争時に沈没した戦艦は何隻だ?」

「あーー……」


 日本近海、そして南方の海には、知られているだけでも海図が埋め尽くされるほどの数の、船や艦載機が沈んでいる。その中に相波大尉の乗っていた戦艦もあるはずだ。


「日本の領海内だけじゃないぞ? 海外派遣や演習にでかける護衛艦と並走していたって話もある」

「海外でもあらわれるんですか。なんのために出てくるんでしょうね?」

「さて。俺達が見えてないだけで、昔から日本を守りながら航海しているのかもしれないな」


 その言葉に猫大佐達が言っていた〝わだつみどの〟という言葉を思い出した。もしかしたら、あの戦艦はそれに関係しているのだろうか?


―― もしかしたら、猫大佐や猫元帥より偉い猫神様が乗っているのかもしれないな。だけど元帥より偉い階級ってなんだろうな……神? でも、もともと猫神だよな…… ――


「守るってなにからですか?」

「そんなの知るか。単に俺達のことが心配であらわれるだけかもしれないしな」

「心配ですか」


 自分達の任務は、日本と日本の国民を守ることだ。つまり心配する側だと俺は思っている。そんな俺達のことを心配する存在があるなんて、なんとも不思議な気持ちになった。


「考えてみろ、太平洋戦争時の人達だぞ? あの人達にとって、波多野達だけではなく俺や艦長も小童(こわっぱ)でヒヨコだろ」

小童(こわっぱ)でヒヨコ……」


 そう言えば相波大尉は、お婆さんのことをいくつになっても可愛い娘と言っていた。あれと同じってことなんだろうか?


「姿は見えないが、ああやっていつも見守ってくれているんだろうな。このあたりも昔は、濃霧のせいで船同士が衝突することも珍しくなかったらしいし」

「そんな話、初めて聞きました」

「そりゃ、めったにお目にかからないし、見たとしても暗黙の了解で誰も話さないからな」


 二隻の軍艦はゆっくりとみむろと並走を続けた。


 しばらくすると二隻が汽笛(きてき)を鳴らした。甲板に立っていた人達が、俺達に向けて手を振り始めるのが見える。


「どうやら、お別れの時間のようだな」

「えっと、こういう場合って手を振りかえすべきなんですか? それとも帽振れで応じるべきなんですか?」

「敬礼しておけば良いんだよ。あっちも俺達が手を振りかえすことなんて期待してないんだから」


 そう言って山部一尉は敬礼をした。後ろを振り返ると、艦橋の中にいた大友(おおとも)艦長も藤原(ふじわら)三佐も、それぞれの戦艦に向けて敬礼をしている。甲板を見おろすと、そこには敬礼をしている相波大尉と、しっぽを振りながらニャーンと鳴いている猫大佐の姿があった。


 それにならって、俺も自分が立っている側を航行している(ふね)に敬礼をする。


 二隻の姿は徐々に薄くなっていき、最後にもう一度汽笛を鳴らすと、やがて消えていった。それと同時に霧が晴れ、青空がのぞく。


「こんなこと初めてです」


 さっきまでの霧が嘘のようだ。もしかして俺達は集団で夢を見たんじゃないかとさえ思えてくる。


「なかなか会えないって話だから、早々に会うことができたお前は運がいい」

「日本海軍の軍艦ばかりなんですか?」

「いや、そうでもないらしいぞ。インド洋で演習をした連中は、太平洋戦争時代の日本とアメリカの軍艦が並んで航行しているのを見たって言うしな」

「あの時代は敵味方にわかれていたのに……」

「死んだら皆、仏様ってやつだろうな。ん? これってキリスト教圏でも当てはまる話なのかな」


 一尉は首をかしげてみせた。


「きっと、生きている人間にはわからない事情ってもんがあるんだろうな。さて、そろそろ入港の準備だ。長い航海の最後のしめくくりだ、気を抜くなよ?」


 そう言うと、一尉は俺の肩を軽くたたき、艦橋へと戻っていった。

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