第一章 宇宙へ
天蓋から差し込む光に黄金太陽の紋章のステンドグラスが輝く。
その下の大講堂に集う黒と銀の制服姿の若人達。
それは、どこにでもありそうな学校の一風景。
「研修生注目!」
号令とともに500名の研修生の瞳が一斉にナイウス校長の巨大な顔のホログラフィを見上げた。
白い髭の中に顔がある。その白い髭がもごもごと動く。
「いよいよ、明日から君たち恒星間パイロット研修生は最終研修に臨むことになる。期間は6ヶ月。それぞれに課せられた課題をクリアし、はれてライセンス保持者となることを期待する。困難な試練もあるかと思うが、これまで学んできたことを発揮し、最善を尽くすのだ。そして、元気で戻って来るのだぞ。君たちの成長を楽しみにしている。では、6ヶ月後にまた会おうぞ」
ナイウスの顔がうすれて消えていく、研修生は一斉に起立し右の掌を胸にあてて敬礼する。
メイリン・ロータストもその中にいた。
セミロングにそろえた黒くつややかな髪。
黒い大きな瞳。
アイボリ―・ホワイトのきめ細かな肌。
16歳になったばかり。
彼女は「銀河系自由惑星人組合」通称G・ギルドのフェネトスα・アカデミアの8年生。
彼女が所属しているのは恒星間パイロット養成コース。
50万人の生徒数を数えるフェネトスαアカデミアの中でも最精鋭と言われる。
彼女達は卒業してライセンスを修得すれば、恒星間宇宙船のパイロットとして、銀河中を飛び回ることになる。
夢の実現まであとわずか、というのに、メイリンの表情はさえなかった。
これから、こなさなければならない課題は先ほど知った。
それは最終研修の中でも、最難関と言われる星域での研修だった。
「よりによって、『悪魔の懐星団』だって!あの悪名高き『悪魔の懐星団』とはね」
「ここ5年くらい、あそこに行く最終研修はなかったのについてないわね」
同級生たちはメイリンの研修先を知り半ば慰め半ば冷やかしで言葉をかけた。
「仕方ないよ、難しい課題ほど、クリアしたらライセンス評価は高くなるしね」
メイリンは淡々と答えていた。
別に研修先がどこであろうと関係はない。
そこに居場所さえあれば。
「研修生は明朝、配属船に乗船だ。荷物の整理をしたら、今日はゆっくりと過ごすこと。君たちにとって寮で過ごす最後の夜になるな。以上でミーティングを終了する。解散」
主任教官の言葉が終わるやいなや、研修生たちが一斉に大講堂の椅子から立ち上がった。
それぞれの寮へと向かう人の流れに飲み込まれながら、メイリンの足取りは重かった。
自室のドアを開け、ベッドへ身を投げる。
仰向けになるとじっと淡く光りを放つ蛍光天井を見つめた。
10年間の寮生活も終わりを告げようとしていた。
たったワンルームの部屋、家具と言えるのはベッドぐらいしかない殺風景な部屋。
メイリンにとってはこの寮の自室が唯一家と言えるものだった。
6歳で2年間の準備課程に入学して以来、本課程の8年間を含め寮とアカデミアがメイリンの生活のすべてだった。
メイリンは両親の顔も家庭というものも知らない。
ものごごろついたときはすでに養育施設にいた。
両親のことは4歳のときに宇宙船の事故で亡くなったこと以外はなにも知らされてはいない。
何度聞いてもそれ以上の答えは返ってこなかった。
今では知りたいとも思わない。
休みの日、他の生徒たちが両親のもとに帰っていってもメイリンは寮でひとりぼっちだった。
帰る家がないから。
幼年期を過ごした養育施設にはすでにメイリンの居場所はなくなっていた。
「明日でここともお別れか」
メイリンはぼそっとつぶやいた。
アカデミアの生徒達は最終研修から帰るとキャリアセンターと呼ばれる施設に集められる。
そこで、それぞれが取得したライセンスの種類と等級に応じてG・ギルドの様々な部署に配属になり生涯勤務の日々が始まる。
職住一致が原則のG・ギルドでは職に伴い居住地も決まる。
二度とここに戻ることはない。
「メイリン・ロータスト!ナイウス校長より呼び出し、至急校長室に出頭せよ!」
突然、左手首のマルチブレスレットが点滅し、音声が流れた。
「了解しました!」
メイリンはベッドから飛び起きた。
メイリンは校長室から自室に戻りベッドに腰をおろした。その手には細長い小箱があった。
「ある人から言付かったものだ、それが誰であるか、また、なぜなのかは今は言えない」
ナイウス校長はそれだけしか言わなかった。
メイリンは狐につままれたような思いでその箱を受け取り自室に戻ってきた。
「なんだろう」
メイリンがその箱を両手の掌の上にのせ認証センサーに思念を向ける。
箱はガス化し、手紙と黒く細長いケースが残った。
(誰からだろう)
ベッドに腰掛けメイリンは手紙を開いた。
『メイリンへ
この手紙を読んでいる君はいよいよ明日から最終研修に出かける筈だ。
無事に帰還しライセンスを取った暁にはこの手紙とこのペンダントを持ってセンタータワーのマスターオフィスを訪問して ほしい。
君の唯一の身内である私から伝えたい事がある。
どうか、無事に戻ってきてくれ。待っているよ。 レイ・ロータスト』
メイリンはしばらくの間、氷像のように固まったままだった。
「レイ・ロータスト!……だれ!……身内だって!……なんで今更、身内なの!」
思わずメイリンは手紙をベッドに投げ捨てた。
(16年もほったらかしにして何をいまさら……)
メイリンは黒いケースを掴むとそれを床に投げつけようとした。
その瞬間何か懐かしいような暖かな感触が一瞬のうちにメイリンの腕を伝ってメイリンの全身を満たした。
凍っていた心が溶け出していた。
(なんなのこれは)
メイリンはケースを開けた。
「これって……」
ケースの中にはプラチナのロングチェーンの先に大きな紫の石が輝くペンダントが入っていた。
「なに?これは宝石なの?」
その紫色の光の中には銀河のように白く輝く光の渦がゆっくりと回転していた。
メイリンは宇宙港の果てしなく続く発着場の上空をシャトルで移動していた。
最初は満席だったシャトルも搭乗者がステーションごとに降りていき、今はメイリンだけが乗客となっていた。
すでに貨物船停泊エリアの奥深く、シャトルは立ち並ぶ宇宙船群の間を飛び抜けていく。
やがてシャトルは円盤型の宇宙船の傍らに着陸しメイリンを降ろすと飛び去っていった。
その宇宙船の胴体には黒地に銀色の発光文字で〈ブラック・キャット〉と書かれている。
大型船である。直径300メートルはあるだろう、高さも100メートル以上あるようだ。
「黒猫?」
メイリンは船体を見上げてつぶやく。
メイリンが近づくと船底からタラップが降りてきた。
昇っていくとそこにメイリンを待っていたらしき人物が立っていた。
「研修生メイリン・ロータストだな」
金髪のショートカット、きりっとした顔立ち、長身を灰色のパイロットスーツに包んだ、中年に差し掛かったぐらいの年恰好の女性だった。
「私がこの船の副船長、ジョーン・ケンミリアだ。よろしく」
「メイリン・ロータスト着任しました。こちらこそよろしくお願いします」
メイリンは差し出された手を握った。
「ついてきて、船長に紹介するよ」
船長はイーノス・ギャロップという初老の男だった。
ベテランの船長らしい物腰のやわらかな調子でメイリンを迎えた。
「よく、来たなメイリン。早速、君には主にサブ・パイロットとして任務をこなしてもらう。もちろんときどきはメイン・パイロットの立場での研修もあるはずだ。出発は明朝だが、心の準備はできているかね」
「はい、大丈夫です。全力でやります」
「いつもの通りにやればよろしい、特別な事を求めてはいない。堅実さをもとめているのだ。」
イーノスは穏やかな口調で言った。
船長室を出たメイリンはジョーンの案内で船内を見て回り、20名の船員達にも紹介された。
メイリン以外のパイロットはA級ライセンス保持者1名だけだった。
加えて、副船長もS級のパイロット資格保持者で時々はパイロットシートに座ることもあるそうだった。
船倉で積み荷を見たメイリンは目を見張った。
この船の積み荷は豪華な個人用の宇宙艇だった。
もちろんオーダーメイド製品である。
完成したばかりのその葉巻型の船は最新のスタードライブエンジンを搭載するG・ギルド最新で最高級の製品だった。
「これは、マラケシュ自治領の太守のオーダー品だ。船名は〈ファンタジー〉。今回の本船の積み荷はこれと装備品一式だけだ。もっともこの積み荷の値段は本船そのものの値段よりもずっと高いけどね」
「素晴らしい船ですね。オーダー品なんですか」
メイリンは魅せられたようにその美しい船を見つめた。
パイロット志望の者なら当然とも言える。
「最新モデルのスタードライブ搭載だよ。軽く6000光速以上はでるね」
「最速ですね」
「この船にも少しは分けて欲しいもんだ。せいぜい4000光速がやっとだからね」
「それでもかなりなものです。私が実習で乗った船は3000光速がリミットでした」
「ま、練習船はそんなところだろうね」
一通り船内を案内したジョーンは最後にメイリンを居住区域へ導いた。
こぢんまりとしたワンルームの部屋でベッドとバスルーム、ちょっとした家具類などが備え付けてある。
(ここがこれからの居場所か)
メイリンは心のなかでつぶやいた。
メイリンはパイロットシートにすっぽりと身を埋めて、肘掛けの半球型コントローラーに両掌を触れた。
ヘッドセットがメイリンの頭部をすっぽり覆っていた
メイリンの意識が拡大し、〈ブラック・キャット〉のAIと一体化する。
「アンカー解除、補助エンジン出力10パーセント。移動開始」
〈ブラック・キャット〉はゆっくりと浮かび上がった。
上昇するにつれ地上の光景が湾曲していく。
やがて周囲は360°つながる。
〈ブラック・キャット〉は巨大な円筒の内部に浮かんでいた。
円筒の内側には宇宙港の他に工場群らしき建造物もぎっしり建ち並んでいる。
「誘導力場確認」
〈ブラック・キャット〉は力場に掴まれ速度を速め円筒の長軸に沿って飛行する。
前方に宇宙が開けた。
〈ブラック・キャット〉は円筒の開口部から吐き出される。
恒星シャンバラの輝きが〈ブラック・キャット〉の黒い船体を照らし出す。
「離脱完了」
「OK!メイリン上出来だ」
ジョーンがメイリンのパイロットシートを軽くたたく。
パイロットルームのホログラフィディスプレイに今離脱したフェネトスαが映し出されていた。
恒星シャンバラの光に照らし出され虹色に輝く壁面を持つ巨大な中空のシリンダー状構造物が浮かんでいる。
それはシャンバラを巡る軌道面に対して垂直な自転軸をもち自転による遠心力で標準重力を作り出していた。
およそ80億の人々が居住する超巨大スペースコロニー『フェネトスα』。
ここがメイリンの故郷だった。
全長5200キロメートル、外径1100キロメートル、内径900キロメートル、管壁部分の厚さは100キロメートル。
こんな巨大な円筒状構造物は他に類を見ない。
これと同一軌道面に正三角形の頂点をなすようにフェネトスβ・γという同様の構造物があと二つ存在しており、三つを合わせて『フェネトス・トリニティ』という。
誰が作ったものかわからない。
かつて、この銀河を支配していた第一銀河文明の「遺物」だろうといわれている。
約500年前、移民船で流れ着いた、G・ギルドの創設者フェネトス・ガラナに再発見されて以来、今日ではG・ギルドの首星として繁栄を謳歌していた。
G・ギルドの構成員の三分の二にあたるおよそ200億人がこの三つのコロニー内に居住していた。
居住区域は管壁の内部空間、外壁と内壁の隙間部分にあった。
宇宙港がある管の内側部分には薄い大気層が回転による遠心力で張り付いているだけだが、管壁の内部は密閉された空間になっていた。
管壁の外壁も内壁も厚さは30キロある。
つまり、壁と壁との隙間と言ってもその内部空間の広さは面積約1570万平方キロ高さ40キロという広大なものだった。
大気に満たされたそこには海や森もあった。
「ゲート7に向かいます。補助エンジン出力50パーセント」
巨大だった『フェネトスα』が見る見る小さくなる。
ちょうど、恒星シャンバラからフェネトス・トリニティ軌道までの距離を二倍に延伸した宙域、そこから、ガスや氷塊、岩石から小惑星だったもののかけらなどの様々な物質が凝集した宙域が始まり、シャンバラ星系を何層にもわたって球殻状に取り巻き、外宇宙からの光を遮っていた。
そして、それは同時に通常準光速移動の障害ともなっていた。
いや、たとえ準光速より遙かに遅い速度での航行にしろこの有象無象の星間物質が凝集した広大な宙域に宇宙船で進入するのは百害あって一利無しと言えた。
過去、フェネトス・トリニティを作った何者かが、星系内外に存在するありとあらゆる物質を半径一光年の範囲からかき集めて、このような形に配置したのであった。
この『シャンバラ球殻雲』と呼ばれる閉じられた空間内で唯一外宇宙と星系内をつないでいるのがゲートシステムである。
ゲートは巨大な円周を構成する12のステーション群の総称である。
その円周の内側が外宇宙への通路になっている。
インとアウトの二つのゲートに挟まれ、シールドされたチューブのような空間内は、ほぼ真空といっていい。
光速の十分の一以下という制限速度があるにせよこのゲートがなければ外宇宙へのスムーズな通行は不可能だった。
シャンバラ星系には合わせて12のゲートがあり1から6が外から内、7から12が内から外への通路になっている。
シャンバラ星系が銀河七不思議の一つに数えられるのは、こうした恒星シャンバラを取り巻く驚異的な人工構造ゆえだった。
メイリンはこのゲート7目指して〈ブラック・キャット〉を駆った。
「ゲート7見えました。船団集結宙域まであと60分」
メイリンの目にゲート7の真珠の首飾りをばらしたような構造が見えだした。
実際には〈ブラック・キャット〉のAIが解析した映像なのだが、コントローラーを通してAIと意識が融合しているメイリンには、肉眼で見た映像と違わない。
視線を移動すると船団集合宙域が緑色の立方体として見えてきた。
メイリンはゆっくり頭を巡らして進行方向を修正する。
「この研修生はいいな。ナイウスが推薦するだけのことはある」
「見事に融合してますね、すばらしい素材だわ。まるで10年もこの船に乗ってるみたい。」
メイリンの傍らで、船長と副船長がささやいているが、AIと思念融合しているメイリンの耳が聞いていたのはそれではなかった。
「メッセージ受信しました。〈グッド・ホープ〉からです。転送します」
コントロールルームのホログラフィスクリーンに年配の男の顔が浮かびあがった。
「やあ、イーノスしばらくだったなあ。また一緒に仕事できるとはうれしいね。」
「キニスンか3年ぶりだね。君の船団ならきっと道中も安心だ。会うのが楽しみだ。」
「じゃ、後ほど、〈グッド・ホープ〉で。」
キニスンの笑顔が薄れて消えた。
「キニスン船団長は今回が最後の航海ですね」
ジョーンがつぶやいた。
「若いころからよく一緒に船団を組んだもんだ。最後の航海も一緒とは縁があるな。」
イーノスは感慨深げに言った。
集合宙域にはすでに5隻の船が停泊していた。
〈グッド・ホープ〉は球形の船首部分に細長い胴体部分を持つ巨大なコンテナ船で胴体部分を取り巻くように4つの円筒型コンテナを搭載していた。
一つのコンテナだけでも〈ブラック・キャット〉がすっぽり入ってしまうほどの巨大さだった。
ほかにも大小様々な船がその周囲に停泊している。
「〈グッド・ホープ〉〈タイクン〉〈ファルコン〉〈コメットΩ〉〈ドントレス〉確認しました。予定地点に停泊します補助エンジン出力5パーセント」
〈ブラック・キャット〉は〈グッド・ホープ〉の傍らに停船した。
他の4隻の船もすぐ近くに停泊している。半球型の〈タイクン〉円筒型の〈ファルコン〉球形の〈コメットΩ〉葉巻型の〈ドントレス〉さながら様々なモデルの宇宙船の展示会のようだった。
〈コメットΩ〉だけが貨客船で後は全て貨物船である。
融合を解き、パイロットシートから身を起こしたメイリンにジョーンが微笑みかけた。
「正確な操作だったね。しばらく休みなさい。ケイン、メイリンと代わって。」
「メイリン、上出来じゃないか。この船を初めて操船したとは思えなかったよ」
それまでサブシートにいたA級パイロット資格を持つケイン・ローがメイリンに言葉をかけ、パイロットシートに腰を下ろした。
渦巻く銀河がゆっくりと回転している。
虹のように何色もの光がその中心部分から流星のような光芒を引いて発せられた。
紫の光がメイリンに向かって近づいてメイリンをその光の中に飲み込む。
暖かな懐かしい感じがメイリンを満たす。
メイリンは紫の光と融合し世界を認知していた。
この世界の成り立ちと行く末。
そしてメイリンの存在する意味。
メイリンはすべてを理解していた。
メイリンは振動で目覚めた。
ベッドのアラームがメイリンを心地よい眠りから引き離した。
次の交替時間が迫っていた。
目覚めたメイリンは夢を思い出そうとしたが、紫の光以外の記憶は残っていなかった。
「今の夢……思い出せない……」
メイリンは胸元に熱いものを感じて手をやった。
あの時以来ペンダントは肌身離さず身につけている。
その紫の石の堅い感触を掌に感じてメイリンはベッドから起きあがった。
メイリンはシャトルの操縦桿を握っていた。
手動操縦だった。
箱型の貨物運搬用シャトルにはイーノスとジョーンそして機関長のダラフト・ミンシャーが乗っていた。
向かっているのは〈グッド・ホープ〉船団所属船の幹部が集まっての最初の顔合わせだった。
メイリンは船長直々の指名で三人を送り届ける役目を仰せつかっていた。
「悪いわね、メイリン研修生にこんなことさせて、おかげで今日は私もたっぷり飲めるわ」
ジョーンがメイリンに笑いかけながら言った。
「いえ、こんな機会でもないと手動操縦はできませんから」
メイリンは集中を切らさないように答えた。
手動で小型宇宙艇を操縦するのは実習で何回もやっているが、このシャトルのような旧式の大型運搬船を手動で操縦するのは全く初めてだった。
目の前のパネルにひっきりなしに表示されるデータとディスプレイの3次元画像に交互に目を配りながらシャトルを〈グッド・ホープ〉へのルートに乗せていく。
「お嬢ちゃん。なかなかのもんだ。このシャトルは年代物で扱いがむずかしくてな。ベテランの甲板員でもこいつの操縦はいやがるもんだ。かといって思念融合コントロールはこんなボロシャトルには付けられんということだ」
機関長のダラフトが恰幅のよい体を揺すって笑った。
「耐用年数が来年で切れる船に思念融合はちょっとな、しかもライセンス持ちの専用パイロットが必要になるしな」
イーノスが苦笑いしながら言った。
格納庫にシャトルを着陸させた後、船長たちが会合から戻るまでの時間、メイリンは〈グッド・ホープ〉を案内してもらうこととなった。
案内人はやはりG・ギルドの研修生として乗り込んでいたラムファ・アルルというプラチナブロンドの髪の少女だった。
「あなた、α・アカデミアでしょ。あたしはβ・アカデミアのパイロットコース。これから6ヶ月間よろしくね」
ラムファはライトブルーの瞳と透き通るような白い肌をした少女だった。
背もメイリンより頭一つ高い。
絹糸のような長い髪は背中まで流れている。
(こんなにきれいな子が自分と同じパイロット志望なの?)
メイリンに違和感を持たせるほどのラムファの美貌だった。
メイリンの出身地フェネトスαは行政と商業施設が中心だがフェネトスβは工業施設と研究所が中心のコロニーで人口もフェネトスαとほぼ同じ。
主要な造船所はβに集中している。
〈ブラック・キャット〉の積み荷の宇宙艇もフェネトスβの造船工房の生産品だった。
ちなみにフェネトスγは食料生産中心のコロニーで、人口も少なく、ここにアカデミアは設置されていなかった。
二人のパイロット志望の少女はすぐにうち解けた。
ラムファは屈託のない快活さでメイリンを船内あちこちに連れ回した。
「ねぇ、ラムファ、なんでパイロット志望なの、他の道って考えたことないの」
メイリンは船内のカフェでコーヒーを飲みながらラムファに尋ねた。
「他の道?ないない!あたしはパイロットになって、この銀河をあちこち見て回りたいのよ。いつまでもフェネトスに縛りつけられているのはいやなんだ」
「はっきりしてるねぇ。私はなんとなくって感じかな。これからパイロットになるって実感がないっていうか」
「なんとなくなれるもんじゃないでしょ。パイロットは適性が全てじゃないの。いくらなりたくても適性ではじかれる子はたくさんいるのに」
「そうなんだけど……私は自分でこのコースを選んだというより校長に勧められた感じだったな」
メイリンはアカデミアの予備課程から本課程に上がる時に受けた適性検査を思い出した。
全ての検査が終わって、コース分けの面談の時メイリンの前に現れたのは校長のナイウスだった。
彼はメイリンにパイロットコースに進むことを勧めた。
メイリンはそれに従ってパイロットコースに入学したのだった。
「それって、異例のことだよ。校長自らがパイロットコースを勧めるなんて。適性検査でよっぽどすごい結果が出てたんだろうな。両親もパイロット関係なの」
「それは……」
メイリンは口ごもった。
今まで両親のことは同年代の友人に話したことはなかったのだ。
「ごめん、なんかまずかった」
ラムファがあわてて言った。
数秒間、気まずい沈黙が続く。
やがて、メイリンは自分の事、両親の事、謎の手紙と贈り物のペンダントの事まで、全てをぽつりぽつりとラムファに話しだした。
じっと、メイリンの話を聞いていたラムファは瞬きもせず、しばらくそのライトブルーの瞳でメイリンを見つめたままだった。
「そうか……大変だったんだね……。でも、その手紙とペンダントって、なんか突然でおかしな話だな……」
メイリンはパイロットスーツの胸元からペンダントを引き出し、ラムファに見せた。
紫の石の中から渦を巻く白い光輝が二人の少女の黒とライトブルーの瞳に映し出された。
「ゲートに進入します。」
ケインの落ち着いた声が響く、サブ・パイロットシートに埋まりながらメイリンも思念融合する。
目の前にゲートが口を開いている。
8つのステーションに囲まれた空間に6隻の宇宙船が集結している。
すぐ前には漆黒の空間が口を開けていた。
思念融合したメイリンの目には巨大なエネルギーシールドが徐々に開いていく姿が映っている。
「メインエンジン出力10%。スタート」
ケインは〈ブラック・キャット〉を発進させゲートの開口部へ前進させた。
ゲートをくぐった途端、様子は一変する。
巨大なエネルギー壁で囲まれたトンネルが果てしなく続いていた。
そこを〈ブラック・キャット〉を先頭に、六隻の船が縦列で進んでいく。
ゲート内は通行量が多いので、船団ごとにまとまって一定速度で航行することになっていた。
「現在速度、光速の7%。現状速度維持」
ケインは手慣れた様子で船を操っている。
“何かおかしい!”メイリンは後方に注意を向けた。
〈ブラック・キャット〉のすぐ後ろは〈タイクン〉次が〈ファルコン〉、〈コメットΩ〉、〈ドントレス〉の順で続く一番しんがりが船団の旗艦である〈グッド・ホープ〉だった。
メイリンは〈タイクン〉を見つめた。
この船は反物質輸送船ということで上部が重ね餅のような二段構造をした半球型の船だった。
その針路が他の船とシンクロしていない!
「〈タイクン〉の針路と速度がずれています。修正してください、後続が危険です」
メイリンは〈タイクン〉に声をかける。
「メインコントロールに不具合、センサーのデータが来ない。現在手動操縦中、〈ブラック・キャット〉データ誘導頼む。」
「メインコントロールに不具合!」
イーノスとジョーンは顔を見合わせた、よりによってこんな状況で思念融合コントロールシステムが不具合になるとは、〈タイクン〉だけでなく後続船までが危険にさらされていることになる。
なにしろ反物質を積んでいる船である。
「メイリン!誘導に専念して〈タイクン〉とコンタクトを取り続けて」ジョーンが指示する。
「了解。誘導します」
メイリンは必死で〈タイクン〉の誘導を始めた。思念波を通して〈タイクン〉にデータを転送する。
「速度、あと0.75%アップ。針路変更03/07/04そのまま維持……」
メイリンは3時間にわたり思念波通信で〈タイクン〉を誘導し続けた。
〈タイクン〉はよたよたしながらも何とか隊列を崩すことなく船団はゲートを抜けた。
「メイリンよくやった。見事な誘導だった」
ジョーンは抜け殻のようにくたくたになっているメイリンをしっかり抱きしめた。
〈タイクン〉の修理は2日ほどかかった。
その間船団はゲート出口の近くにある、補給ステーションに停泊した。
補給ステーションといっても。一枚板のような巨大なプラットフォームが浮かんでいるだけなのだが〈タイクン〉がその上に繋留されて修理をうけている間メイリン達は思わぬ休日を楽しんでいた。
「すごかったねメイリン、あんたが〈タイクン〉を誘導していたんだってね。聞いてびっくりしたよ。いやぁ、すごいわ」
ラムファは興奮した口調で言った。
すましていればだれもが認める美少女なのに、ラムファの話し方といったら全然そんな意識が感じられない。
「夢中だった。今でも信じられない気分だよ」
メイリンはぼそっと答える。
「それにしても、メインコントロールが航行中に故障なんて、ぞっとしちゃうね」
「センサーの部品が一つ不良品だったらしいよ。前にギルド所属以外のステーションでメンテナンス受けた時に粗悪品をつかまされたらしい。ドノバン船長はカンカンだったよ」
「〈タイクン〉は結構古いモデルの船だからね、ああいう特殊構造船でなけりゃ、耐用年数切れの船らしいね。あの船で研修じゃなくてよかったよ。それにくらべりゃ〈グッド・ホープ〉はとっても扱いやすい船だな、図体はでかいけどね」
メイリンとラムファの二人は補給ステーションのプラットホームに張り出した透明の展望ドームで語り合っていた。
二人の目の前には満天の銀河が輝いている。
展望ドームに据え付けられたソファに肩を並べて座った二人は星の海を見上げながら16才の少女同士にふさわしくとりとめもないおしゃべりをいつまでも続けていた。
「ところで、一回目のスタードライブ実習どのルートでやることになった」
ラムファが尋ねた。
「まだ聞いてないけど、もしかすると、『中継基地』まで一つ入るかも」
メイリンは考え込んでから答えた。
《中継基地》はフェネトスから50光年ほど離れている。
通常はいくつかのステップを刻んでスタードライブ航行するので、最初の行程にもメイリンの出番はあるかもしれない。
「あたしは、『中継基地』までの二番目のステッップに決まった。今朝航宙士から言われたの」
「研修生、二人一緒に同じステップで実習ってあるのかな。あるなら一緒に飛べるな」
メイリンの言葉にラムファはうなずく。
「一番安定している宙域で最初の実習なら。一緒ってこともあるかも。悪魔の懐星団の中でも実習あるのかな」
「ないわけないね、それがなけりゃ、悪魔の懐が研修星域に選ばれる理由がないよ」
メイリンは平然として答えた。
「あんた、怖くない!悪魔の懐星団の重力場変動の激しさは知ってるよね。『墜ちまくりの悪魔の懐』って有名だよね」
ラムファはあきれたようにメイリンの顔を見つめた。
「何十回かシミュレーションでやったけど……」
「あたしは、悪魔の懐のシミュレーション30回やって墜ちたのは1回だったけどそれでも墜ちるのはこわいよ」
「……悪魔の懐のシミュレーションでは墜ちなかったな」
メイリンがそっけなく言うとラムファは大きく目を見開いた。
「墜ちたことがない!悪魔の懐で!メイリンやっぱり天才なんじゃない」
「そうかな……ラムファだって1回だけでしょ」
メイリンはぼそっと言うと、ちらりとラムファを見た。
「準光速飛行に移行中、現在光速の75パーセント、スタードライブ準備完了、ドライブインポイントまであと五分」
メイリンはメイン・パイロットシートに埋まりながら、次々とスタードライブに入る手順を進行していく
。
最初のスタードライブを研修生に任せるとは異例中の異例だが、イーノスは何の躊躇もなくメイリンを指名した。
しかも船団の水先案内の役目までメイリンに回してしまった。
命令を受けとまどった表情を見せたメイリンにイーノスが言った言葉は。
「特別な事を求めているのではない、堅実さを要求しているのだ」だった。
〈ブラック・キャット〉はドライブインポイント目指して加速を続けた。
「現在、光速の95パーセント、MOフィールド展開」
〈ブラック・キャット〉の船体をゆらゆらとかげろうのように揺らめくエネルギーフィールドが覆った。
メイリンの目に映る宇宙の様相が一変する。
漆黒の中に星々が輝いていた宇宙は一面に澄み切った秋空のようなコバルト色に変わり、星々の輝きの代わりに、薄黒い点があまた出現する。
薄黒い点に見えるのは、遠くの恒星の重力圏だった。
すぐ背後の空間には球殻に包まれたシャンバラ星系の重力圏が黒く巨大な渦巻きとなって存在していた。
そのすぐ縁をかすめるように〈ブラック・キャット〉は航行している。
「ルート決定、第一ステップ、速度3000光速、航行予定距離15光年。ドライブアウト地点、0675・056/246/890」
コバルトの宇宙を一本の直線が突き抜けドライブインとドライブアウトポイントの座標を示す。
メイリンが設定したルートを他の船のパイロットも了承する。
船団全体が同じルートでスタードライブ航行に入るのだ。
〈ブラック・キャット〉はドライブインポイントに到達する。
「ドライブ・イン」
メイリンはスタードライブに入った。
そこは虹の世界だった。
光速の3000倍のスピードでメイリンは色とりどりの光が乱舞する空間を駆ける。
MOフィールドに包まれた〈ブラック・キャット〉は通常空間とメタ空間の狭間、境界面の上をちょうどシャボン玉に小さなシャボン玉がくっついて表面を滑るように移動していく。
ここでは光速の上限はないので理論的にはいくらでもスピードがでるはずなのだが、何かの阻害要因のため、1万光速の壁はまだ越えられていなかった。
ひとたびスタードライブにはいれば、進入時のルートや速度をドライブ中に変更することができない、ドライブアウトポイントまではパイロットができることはただ急な落下に備えることだけだった。
重力の影響が少しでも通常空間をゆがめているとそこから通常空間に強制的に運動エネルギー0の状態で戻されてしまうこれを「境界面落下」という。
そこに、重力源の物体やブラックホールなどがあった場合は非常に危険なわけである。
これをパイロット達の間では『墜ちる』と言っていた。
実際には重力圏の端に墜ちることがほとんどで、本体の間近に墜ちることはほとんどないが、過去には何度も『墜ちた』船が遭難した例があった。
特にブラック・ホールの場合は急に本体近くに墜ちる事が多くパイロット達の脅威となっている。
メイリンは感覚を拡大し周囲を見渡した。
虹色の世界の中で黒い点は見えない。
境界面では認知できる範囲は大幅に狭まるので墜ちるときは直前に重力渦が出現する。
もちろん回避は不可能である。
パイロットに出来ることは墜ちた直後、加速を開始し、重力発生源から速やかに脱出することだけである。
「現在のところ、順調に航行中」
「OK・パイロット、融合解除を許可する、引き続き待機」
ジョーンがメイリンに指示する。
メイリンは融合を解除し埋まっていたシートから身を起こす。
後はAIに任すことになる。警報が出て、墜ちそうになった時に再び融合することになる。
〈ブラック・キャット〉は1日半ほどで15光年をクリアし通常空間へと戻る予定である。
「ルート設定はなかなか確実だった。ドライブアウトポイント設定の理由を聞かせなさい」
イーノス船長が尋ねた。
「近くには、標準型の恒星系がありました。ドライブアウトポイント設定の第一条件を満たしています。また、周囲10光年以内には異常重力場変動の原因となるものは発見されていません。第二条件を満たしております。第三条件はそこがいいと感じたからです」
「よろしい、完璧な答えだな。だが、これからは、こんなには条件通りのポイントはないと思っておきなさい」
「悪魔の懐ですか……」
「そうだな」
イーノスは微笑みながら言った。ジョーンもうなづいている。