風味と本質
ラノベとはライトノベルの略した言い方であるのは当たり前だが、その定義は曖昧だ。
なんでもかんでも異世界に行けばライトノベルというわけではないし、逆に超現実主義な文でもライトノベルだったりする。
要は、作者がラノベと言えばラノベ、随筆集と言えば随筆集、純文学と言えば純文学なのだ。
それは、この「小説家になろう」の投稿時の設定を見れば一目瞭然だ。
そんな定義だから読み手もまた、どう感じてもいい。
だから、いくら読んでもラノベにしか思えないような文でも純文学だったりするから「ラノベ味の純文学」とか、逆も然りで「純文学風味のラノベ」とかあったりする。
勿論、厳格な定義があるかもしれなくて、それに則るとこれはエッセーではなくて案外随筆集かもしれない。(それは無い。)
お、面白そうな本がある、どれどれ?
・・・
ラノベじゃねぇか!しかもつまらないし!
こんな経験はなかろうか、僕は無い。
しかし、可能性はないことは無い。この「小説家になろう」で純文学を探して、読んで見るとラノベだったりする可能性はある。
現実世界の本屋では出版社とか本棚、回りの本で大体の性質はわかる。
でもネットでは純文学と錯覚(言い方が悪いが)した作者が純文学と言えばそれは、純文学になる。
だからそんなものを掴んでしまわないようにしなければならない。
そのためにはまず、明治、大正、昭和初期の戦前、或いは戦後の文学を読むといい。
現代文学もいいが、ラノベが跋扈したり、人に聞けばラノベを掴まされる。それではいけないので、芥川とか、太宰とかその辺りをまず、読んでみるといい。作品は問わない。あの辺ならどれもいい、はずだ。
川端康成もいい、創作力の衰えから自殺するほど本にこだわる人だから、一読の価値はある。読んだことは無いけれど。
しかし、芥川とか、その辺りだと言葉が古めかしい、文語というのだろうが、読むのに苦労する。
しかし、それでも読みきる。理解する必要はない、ただ、何となくイメージを掴めるといい。そこから文語体に慣れるのだ。
ラノベ関係ないじゃん!
ここから関係させよう。
さて、芥川やら、太宰やら、或いは僕の好きな江戸川乱歩やらを読みなれると彼らがいかに面白い文を書くのかがわかる。詳しくは書かないが、本当に面白い。
そのあとになにかラノベを手にとって読んでみてほしい、買いたくないならネット小説サイト(小説家になろうを一応おすすめするがほかでもいい。)のランキング上位のものを読んでみるとなにか、感じるものがあるはずだ。
なにこれ?
僕はそう感じた。
いいように事が進み、よくあるような展開になり、ハーレムができたり、主人公が最強になったり、これ以上つまらないものはないと思った。
まあ、これらにもいいところはあるからそれは、後の「ファストフードと割烹料亭」で解説する。
そういうわけで、確実に純文学といえる芥川とか太宰とか戦後なら三島由紀夫とか読んでみてから現代文学に手を出すのをお勧めする。
勿論、実際の本屋に出向いて、店員から現代文学の純文学を紹介してもらうのが一番負担が少ないが。