第5話
「さてさて、ようやくこのときが来たね!何がって?師匠の僕が弟子の君に、僕の叡智を授けるこの瞬間がさ!」
「は、はい」
白い雲に覆われた空の下に気分の良さそうな声が響く。しかしその言葉を発しているのは人間ではなく、白い猫だった。
食堂でリーンさんと朝食を済ませ、寮の自室へ戻った私はレノンさんを連れて学園の外にある小さな広場までやって来ていた。
広場、といっても周りに人の気配はない。あるのは地面を覆う雑草と広場の外回りを囲むように植えてある木々のみだ。
正確な場所を言うと、そもそも私が通っているマステイア第一学園は国の南側に建設されている。
そこから更に南へ約一時間ほど歩けば、この広場までたどり着ける。今回、私たちは徒歩でここまでやって来てはいないけれど。
地図を見ればここがマステイアの南端に位置している場所だと理解できるだろう。
そして、今の私は体をすっぽりと覆う黒いローブを纏っていた。このローブは学園から支給されたもので、実技の授業では必ずこれを着ることが学園の規則となっている。
ローブを初めて着用したとき、絵本の魔女みたいな格好になれて少し感動してしまった。
……その日の夜に鏡の前でローブを着こなしていたことは、私が墓場に入れられるまで秘密にしておこうと思う。
「でもさー、今の君の格好ってなんだかあの絵本の魔女みたいだよねー。やっぱり鏡の前でポーズとかとってたりしたのー?」
「ポーズなんかとってませんっ」
「ふーん。ポーズは……ね」
「うっ……」
誰にも言わないと決意して間もなく、レノンさんに誘導されてつい物真似していたことがばれてしまった。恥ずかしすぎて顔が真っ赤に染まった。羞恥で咄嗟に顔を隠す。
チラッと顔を覆っている指の隙間から覗いてみれば、レノンさんはゲラゲラと抱腹絶倒している最中だった。その様子を見て余計顔が熱を帯びた気がした。
「笑ってないで早く指導してくださいっ」
「アハハハハッ!ごめんごめん。契約違反で僕の頭も痛み出してきたからね。さっさと始めようか」
話が進まないので、笑い転げていたレノンさんに半眼の視線を送りながら咎める。
契約によってレノンさんは私に誠心誠意、魔法の指導をしなければ奴隷となってしまうので、ふざけた態度を一変させ、ようやく本題に入るようだった。
「さて、まず初めにやってもらいたいことがあったんだけどさ……。君って箒なしじゃ空飛べないの?」
「……恥ずかしながら」
私たちの近くの木に立て掛けてある箒に視線を送ってレノンさんは怪訝な表情で私に尋ね、再び顔を真っ赤に染める。……というか、さっきから恥ずかしがってばかりだ私……。
箒は魔法使いの基本技能の一つである、「飛行術」を補助するための道具だ。
魔道具と呼ばないのは、箒は「飛行術」を使いこなせてない魔法使いの、宙に浮くという感覚に慣れさせるためのただの道具であり、あくまでも補助の役割の域を出ないからだ。
でもそんな箒を私はずっと必要としている。つまり、それはまだまだ私が半人前だという証拠。
でも別に珍しいという訳ではない。
まだクラスの人たちの中にも私と同じように、箒を使わなければ「飛行術」を使いこなせない者はまだかなりいるのだから。
私がその事を言うと
「いやいやいや、君って実技の成績、底辺なんでしょ?だったら他の人より努力しなくちゃ!そしてクラスの奴等をギャフンと言わせてやろうぜ!」
うっ、と私は正論を突き付けられてたじろいだ。
たしかにその通りだ。底辺をさ迷っているからこそ、人一倍頑張らなければいつまでも白い目で見られたままだ。
今のところ直接私を責めるのはマルス君たちくらいしかいないけど、それでもあんな敵意や悪意の視線に晒され続けるのはいい気分じゃない。
「分かりました……。やってみます」
「そうこなくっちゃ!取り敢えずはそこまで高く浮き上がらなくてもいいから。少しずつ高度を上げていこう」
レノンさんの助言に頷いて、私は授業で習ったように魔力操作に意識を集中した。
足元が地面から離れていき、空中への進出を始める。
最初の方は安定していたけど、だんだんバランスが取りづらくなってきて体がふらふらと揺れだしてきた。
完全にコントロールを失う前に出来る限り下に降り、どうにか不時着する事態は避けることに成功する。
「……大体十メートルってところかな。じゃあ今日はそこまで行くことを目標にしよっか」
「は、はい。……何かコツとかは?」
「ひたすらやること、これしかないよ。ていうか浮くだけでコツ求めるとか、君って魔力操作下手だねえ」
「……ですよね」
落下の恐怖をどうにかこらえ、乱れた呼吸を整えているとレノンさんが当面の目標を告げ、それに頷く。
ついでにコツとかも聞けたらなー、と思っちゃったけどそれは叶わず、むしろダメ出しをもらってしまった。
深呼吸をし、先程と同じように自身の魔力の手綱を握って足を地面から遠ざけた。
落ち着いてー、落ち着いてー、と念じながら高度を上げていく。今度はさっきよりも安定している感じがする。
「おっ!やれば出来るじゃーん!それじゃあ空中連続三回転いってみよう!」
「無茶言わないでくださいっ」
レノンさんが調子に乗っていきなりハードルを上げてきたので、ついむきになってしまう。
ていうか、契約は誠心誠意魔法の指導に尽くすって内容じゃなかったの?あれ明らかにふざけるように見えてしまうのは私の気のせいなのかな?
☆
一時間ほど経過した頃、私は目標の十メートルまで安定して浮くことに成功していた。
今日の目標をこんなにも早くクリアしてしまったことに自分でも軽い驚きを覚えていると、レノンさんが口を開いた。
「ほえー。ちょっと早すぎないー?」
「……私も、正直ビックリしてます」
「まあ次の段階に進めるに越したことはないか。飲み込みが早いし、魔力操作も下手というよりも慣れてないって感じだったし。まあそんなことより、次に進もうか」
「は、はい」
コホンっと咳払いをするレノンさん。
「次はただ高く浮くってだけじゃなくて、もっと複雑な事をしてみようか」
「……もしかしてさっきの空中連続三回転のことですか?」
「それも悪くないけど、もう少し簡単なこと。この広場をぐるぐると回るのさ。……魔力が尽きそうになるまでね」
私が眼を細めて尋ねるとレノンさんは苦笑いで首を振って否定をした後に次の練習方法を答えた。
でも……、魔力が尽きそうになるまで?
「そんな事したら、落下してしまうかもしれませんよ……?」
「いや、別に高く浮いたままやれっていう訳じゃないよ。君がちょうど良いって思う高さまで上がりながらやってもらいたいんだよ。仮に落ちても大事にならないくらいの高さまでね」
「……分かりました」
心配していたことが杞憂だったことに少し安心した。
人間は魔力が尽きてしまうと体が思うように動けなくなってしまう。もし空を高く飛んでいる最中にそんな事になってしまったら、大変なことになるのは誰でも予想出来るので、少し不安だった。
「それでは……いきます」
「あんまり力入れないようにねー」
一瞬の間の後で私は「飛行術」を行使する。
普通にジャンプしたときの高さまで体を上昇させたあと、広場の端に生えている木々に沿って移動し始めた。
「……!」
直ぐに分かった。ただ浮くよりも難しい。
思ったよりも進まない。いや、正確には進んでいるのだけれど、ただ遅い。
単純に進む方向が変わっただけでこんなにもうまくいかなくなるのかと、自分の思い通りにいかないことに歯痒さを感じていれば、
「いやー、おっそいね!まるで亀のようだ!」
「少し黙っててくださいっ」
「あっはっは!ごめんごめん」
「……もうやだこの猫」
レノンさんまで、自分でも分かっているのに言われたくないことを平気で言ってくるので、余計にこの苛立ちに拍車をかけていた。
好き勝手言ってくるレノンさんに頭を痛めながら、それでも事実なので、どうにかしなくてはと思いながら「飛行術」を使用し続ける。
そうして、また時間は過ぎていった。
☆
「はあ……、はあ……」
「お疲れ様ー。頑張ったね」
「ど、どうも……」
膝に手をついて中腰の格好になり、息を切らしている私に労いの言葉がかかり、それにどうにか返事をする。
今はちょうど魔力切れの兆候が起こったので、「飛行術」の練習をやめて地面に降りたところだった。
「魔力も枯渇しかけてるし、休憩にしようか」
「は、はい……」
そう言って私たちは近くの木に座り込んだ。
そよ風が私の頬を撫でる感触が心地良い。これで天気も晴れだったなら、尚のことよかったんだけど。
風に木が揺れる音を聞き取りながらそんな事を思った。
「一つ聞いてもいいかな?」
「……なんでしょうか?」
唐突にレノンさんが質問を求める。「言いたくないんだったら答えなくてもいいんだけど」と前置きをしてから、真剣な表情で、真っ直ぐ目を見て私に言った。
「君の魔眼って一体何が見えているの?」
「……唐突ですね」
「そういえば聞いてなかったなって思い出してね。ちょうど良い機会だと思うんだけど。それとも答えたくない?」
「いいえ、いいですよ」
一瞬間を置いて、私は自分の魔眼について説明を始めた、
「私の眼には、その人の運勢が見えるんですよ」
「運勢?」
「はい。これから良いことが起きるならその人の周りに金色の光粒が浮かび上がるのが見えるんです」
反対に、と私は続けた。
「悪いことが起きるなら黒とか紫とか、そんな暗い色の光粒が舞っているんです」
「それって君が干渉して阻止することは出来ないの?」
「さあ?何度か試したことはありますが、私には変えることが出来ませんでした」
そう言って私は地面に俯く。過去の出来事を思い出し、顔をしかめながら。
まだ私が「落ちこぼれの推薦者」と呼ばれ始める前、この魔眼が「不幸を呼ぶ魔眼」という悪名が付く前の日のこと。