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魔眼の少女と白猫の賢者  作者: 四季 畑
第1章
16/20

第15話

 最初に感じたのは身体中を襲う痛みだった。例えるならば、空中で持ち上げられていた体が突然支えを失って、重力に従うままに地面に投げ出されたようなもの。

 そしてその痛覚が目覚めと共に段々鮮明になってきて、その痛みがアルテナを覚醒へと導いた。

 

 「う、うう……」

 

 耐え難い痛みにうめき声を漏らす。

 何も考えられず、しばらく頭を空白が支配する時間が続いた。瞼を開けても視界はぼやけ、すぐにいつものようにものを見ることは出来なかったが、瞬きを二、三回行った辺りで回復した。

 そうして視界も思考も正常に戻る。戻ったからこそ、アルテナは自分の目に見えているものが信じられなかった。


 「何、これ……?」

 

 俯せの体制のままで目撃した惨状に瞠目し、呆然と呟いた。

 アルテナが寝ているのは柔らかいベッドでも家の木の床でもなく、荒れ果てた地面だ。周囲を取り囲むのは主に整った家具でもなく、家の壁や床などを構成していた木材だったもの。

 いつも庭で絵本を読んでいた机は椅子もろとも粉々になり。

 家族と食事や談話をしていたリビングだった場所にはボロボロになった家具や食器が先程食す予定だった料理ごと地面にぶちまけられており。

 家そのものは言わずもがな、見る影もないほどに全壊しており、アルテナは本当にここが自分の家が建つ場所なのか疑い、これは夢だと現実逃避をしようとして、身体中を包み込む痛みがそれを許すことをしなかった。

 上体を起こし、次に視線を移すのは自分の体。

 腕や脚には数多くの切り傷や擦り傷がつけられており、そこから血が滲み出て、土と混ざって肌を赤黒く染めていた。服も所々破けてボロボロだ。額にも痛みがあることからそこにも傷があることを察する。

 傷を負ったことを自覚すると、より一層の痛みを発してアルテナは顔をしかめ、手で傷口を抑えるがあまりの多さにカバーしきれない。仕方ないのでそのまま我慢することにした。

 ――――一体、どうしてこんなことに?

 変える場所が無くなってしまったのだと思うあまり、自然と脳裏にそんな疑問が浮かび上がる。その疑問に自分で答えるためにまずは意識を失う前の記憶を振り返った。

 寝坊した父を咎めて、実は自分も寝坊したことを母に咎められて、落ち込んでいたところを父親の誕生パーティー開催の知らせに心を踊らせていたら、父親がいきなり何かを叫んで――、ここまでは思い出せたがこれだけでは分からない。

 そういえばと、アルテナは父と母の姿が見当たらないことに気付いた。

 二人は一体どうしているのだろうか。両親の姿を求めて顔を巡らせた。

 そして、その答えの半分はすぐに見つかった。

 ただし、それが望んでいた答えかどうかは別問題。


 「おかあ、さん……?」


 後方を向いたところで一人目、母の姿はすぐに見つかったが、少女が望んでいた姿とは到底遠く及ばなかった。

 母親は俯せの状態で倒れていて、背部には木の破片やガラスがいくつも突き刺さり、下半身は家の残骸に押し潰されていた。それらによって、彼女を発生源にして大きな血だまりが出来上がってしまっていた。

 誰の目から見ても惨い姿だった。


 「お母さん!!」


 自分の体のことなどすぐさま放り出して母親の元へ向かう。脚に負った傷でいつものように走ることは出来ないことに焦りを感じながら、脚を引きずって進んだ。

 まずしようとしたのは母の上に積み重なっている残骸をどけること。だが、七歳の何も鍛えられてない少女の力では到底動かすことなど敵うはずもない。

 ――――どうして?どうしてっ?どうしてっ!?

 非力な自分ではどうすることも出来ずに涙ながらに当惑し出した。

 そもそも母は生きているのか?そんな疑問を思い浮かぶが、すぐに追い出した。もしそれを考えてしまったら行き着く道はただひとつだ。そしてそれを認めてしまったらきっと自分は壊れてしまうことをアルテナは直感で悟っていた。

 次に出来ることを、すべきことを考える。思考を働かせる途中で、ある存在が挙がった。

 ――――お父さん!

 そうだ、父親だ。あの頼りがいのある存在ならばこの母を救えるかもしれない!と、胸に希望が舞い込んだ。

 土煙が敷地に立ち込め視野が狭いことに苛立ちを覚えながら、アルテナは父の姿を探しだす。

 

 「お父さんっ!どこ!お母さんがっ!!」


 名前を叫びながら捜索する。するとどこかでガラッと物が崩れ落ちる音を耳が受け止める。

 父親なのかと、すぐにその方向へ頭を向けた。土煙の包囲網を破って飛び出してきたのは、父親ではなく、


 黒ローブの人間だった。


 「……えっ?」


 見たことのない、予想外の存在に体は硬直し、時の流れが緩慢になるのをアルテナは錯覚した。

 そうしてる間にも黒ローブは近づいてくる。腕を伸ばしながら迫ってくるが、アルテナは反応できずにただ固まっている。そして黒ローブがアルテナを捕らえたかに思われた瞬間、勢いよくアルテナの視界外へと吹き飛んだ。

 土煙や小さな残骸ごと人間を吹き飛ばす程の強風にアルテナは顔を腕で風から庇う。

 数秒後、顔を上げると辺りの土煙や残骸は掻き消えており、風が吹いてきたところへ視線を移せばそこには探し求めていた父親の背中が。


 「お父さ……!」


 すぐに母の元へ連れていこうと父を呼ぼうとして声が途中で押し止められた。

 何故なら父親が、あの優しく、よく笑う温厚な人柄の父親が、


 「うああああああああああああああああああああああ!!」

 

 見たことのないような形相で、聞いたことのないような激昂

の声を上げながら、よく自分に見せてくれた風を、父親を取り巻く何十人もの黒ローブたちに攻撃目的で放っているから。

 それもただ吹き飛ばすなんて次元ではなかった。ローブの人間たちの脚を、腕を、首を撥ね飛ばし、その度に黒ローブから絶叫が散り、鮮血が宙に撒き散らされる。

 きっとアルテナが見ている光景は彼等からすれば、既に慣れたものだ。父親は自分の敷地が戦場と化しても、ただ家庭を荒らした賊を葬らんと風の刃を振るう。黒ローブたちは仲間たちが血を流しても、苦痛の叫びを上げても意にも介さず父親を攻撃する。

 だが、この非日常な状況はアルテナには耐え難い衝撃だった。


 (ああ……、なんなの、これ……)


 理解できなかった。理解したくなかった。

 あまりに衝撃的な出来事の連続で目眩まで起き出した。

 家を壊され、母は潰れ、父は恐怖の象徴のように見える。

 父親は無闇に暴れまわっているのではない。事の元凶である黒ローブを排除するために戦っているのはアルテナにも理解できた。

 それでも、突然こんな血生臭いものを初めて見た少女は、父親がただ怖かった。恐怖のあまり脚はすくみ、震えて動けなくなってしまう。


 「!アルテナ、無事だったか!」


 娘の気配を感じ取った父親が緊迫と安堵を織り混ぜた表情を向けるが、すぐに正面の敵による攻撃に安堵が戦慄に塗り替えられる。己の周囲に風を纏い、氷を、岩を、炎を、種々多様な魔法を風ひとつで掻き消して、娘に大声で伝えた。

 

 「早く逃げろ!こいつらの狙いは……お前だ!!」


 すぐさま敵の目的を風で反撃する。粘り強い敵の抵抗に娘を気遣う余裕など存在しなかった。

 父親は気付けない。アルテナの様子に。

 父親は敵の目的をアルテナの身を案じるが為に告げた。早く安全な場所に避難することを望みながら。

 アルテナはそんな父の意思とは別の受け取り方をしてしまった。

 アルテナにはこのように伝わってしまったのだ。

 こんな状況になったのは全て()()()()()()()()と。


 (私の、せい……?)


 家が壊れたのも、母があんな無惨な姿になったのも、父が敵に追い詰められているのも全部自分が元凶なのだと、父の声を借りた、別の何かにそう指摘された気がした。

 

 「チッ!クソ!」


 足が縫い付けられたように動かない少女に黒ローブたちは狙いを定めた。

 アルテナに向かって放たれる魔法を父親は舌打ちしながら全て防いでいく。精神が未熟なアルテナはそれを震えて見ていることしか出来なかった。

 時がたち、父親はアルテナを守りきった。

 そこには魔法によって命を落とした人間たち。

 彼等から流れ出た血液。

 魔法で穿たれた地面。

 それらだけが父娘を取り囲んでいた。

 息を切らしながら父親はアルテナに向き直る。

 アルテナも当初伝えようとしていたことを言葉にした。


 「お父さん……、お母さんが……」


 そこで父親の表情が苦々しいものへと変わる。

 どう答えようか瞳を泳がせ、覚悟を決めたように重々しく唇を開きかけた。


 「……母さんは……」


 そこにドスッと。


 「えっ?」


 それは誰から漏れた呟きか。

 アルテナの目は父の胸に固定された。父親も視線を下へ向けた。そこには氷塊が、父親の胸が鋭利な氷が生えていた。氷はすぐに最初から無かったように消滅し、穴が残った。

 ドクドクと出血し、父の胸部が赤く彩られていく。

 すぐにガハッと、父親は吐血しその場に崩れ落ちた。


 「……ア、……ル……」


 精一杯絞りきった掠れ声で娘の名前を呼び、手を伸ばすが、それが届くには距離が開きすぎていた。

 結局アルテナに触れられることはなく、父は動かなくなり、事切れるのをアルテナはただ見つめていた。


 「お父さん……?」


 母にしたように声をかける。返事は帰ってこない。

 父から血だまりが出来るのを眺めていると、


 「ああ〜。やあっとくたばったか化け物め」


 この場に似合わないどこか陽気な声が響いた。

 黒ローブの死体の山が盛り上がり、そこにはボロボロになりながら口端を吊り上げる、父親より若そうな見た目男性が飛び出した。襲撃者たちの最後の生き残りだ。粘り強い父の抵抗を厄介と判断したこの男は仲間たちの死体に身を隠し、隙を見て氷の魔法を見舞ったのだった。

 そのまま楽しそうにステップしながら父親に近付くと、表情を一転させた。


 「この野郎が!!仕事の邪魔すんじゃねえよクソが!!」


 激昂しながら父の亡骸を全力で蹴りだした。


 「テメエのせいで!こっちがどれだけ損害被ったか!分かってんのかアアッ!?」


 苛立ちをそのままぶつけるように何度も何度もいたぶり続けた。


 「や、やめて……」


 アルテナがか細い声で制止を呼び掛けるが興奮した相手に届くことはなく、むしろますますエスカレートしていった。

 腕をへし折り、脚をもぎ、氷を体に何本も突き立て、髪を掴んで地面に叩きつけ。興奮が絶頂に至り、アルテナの父親を弄びながら激しい哄笑を轟かせた。

 目の前で残虐な行為を見せつけられたアルテナは恐怖し、耐えきれずに失禁してしまう。

 

 「よーしスッキリした。……さてさて、あとは……」


 前髪をかきあげながら息をはくと、アルテナを見て嗜虐的な笑みを纏い、足を向けた。


 「あとはこのガキを連れ去るだけだな」


 アルテナにもそれは聞こえた。 

 近付いてくる。近付いてくる。近付いてくる。

 体裁など気にも止めずに後退りする。男はそれすら愉しむようにわざとゆっくりと歩み寄ってくる。

 男はニヤニヤと嗤い、少女はガタガタと怯える。二人の間で感情が反比例する。

 幸せを奪われたことによる怒り。

 親が死んだことによる悲しみ。

 親を殺されたことによる憎しみ。

 自分も害されることによる恐怖。

 色々な感情が脳内に浮かび、混ざりあって、渦を巻く。

 とうとうアルテナは恐慌状態に陥った。


 (こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけておとうさんはおかあさんはどうすればどうすればわからないわからないわからないわからないわからないだれかだれかだれかだれかいやだいやだいやだいやだいやだいやだしにたくないしにたくないしにたくないしにたくない――――)

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」


 アルテナは決してそれを知っていたわけではない。

 ならばどうしてそれが可能だったのか。

 理由をつけるならば、きっとそれは精神が極限まで追い込まれたことで無意識にした、本能によるものだろう。

 アルテナの手は男に伸びていた。

 男の瞳は驚愕に染まっていた。


 「おい、何だよ、何なんだよそれはぁ!!?」


 今度は男が恐怖に染まっていた。

 男の目は捉えた。

 アルテナの手に宿った、バチバチと唸る自分を殺せる雷を。ただ目の前の男を殺すためだけに生成した雷の魔法だった。アルテナは詠唱なしに、それを生み出したのだった。

 

 「ふざけんなふざけんなふざけんなぁ!!」


 予想だにしない展開に悪態をつきながら男はみっともなく背を向けて逃走し出す。しかしそれを見逃がすことをその時のアルテナには選択肢になかった。

 そのまま雷を放り、そして、男に直撃する。

  

 「が、あああああああああああああああッ?!!」


 絶叫を散らしながら肉体を焼かれる痛みに悶え苦しむ。

 だが、それだけでは終わらない。

 既にアルテナの手には次弾が装填されていた。

 つかさず発射。装填、発射。

 それを四度、五度と繰り返し、魔力が枯渇したことで追撃が止む。


 「はぁ、はあ、はあ、……イタッ!」


 何度も幼い肉体には重すぎる量の魔力を一気に放出したことで、アルテナの右手には裂傷が生まれていた。

 痛みに瞼を閉じ、落ち着いたことで、首を巡らせる。

 

 「ああ……」


 見る影もないほどに崩れた家。

 酷い姿で横たわる両親。

 襲撃者たちから漏れでた血液で汚れ、抉れた地面。

 自分が殺し、黒焦げとなった襲撃者の一人。

 壊され、失った幸せな時。

 これらが全て魔法によって生み出された惨状なのだと認識してしまう。

 こんなに悲しんでも、泣き叫んでも、何度も自分に希望を運んできてくれた魔女は現れてくれない。

 救いは、来ない。

 そうしてようやく気付く。

 自分が魔法に求めていたものは、幻想だったと。

 魔法とは、父の言ったように、そんな素敵なものではなかったのだと。

 そして、自分は魔法の危険性を知っていたのではなかった。

 ()()()()()()()()()のだと。

 これらが心に深い傷を負わせた。

 

 「ああ、うあ……」


 必死に堪えていた心の決壊がやってくる。

 上空を仰いで涙を落とさないようにしても、一筋、二筋と涙腺が刻まれる。

 

 「うわあああああああああああ……」


 滂沱の涙を流しながら、少女は慟哭を散らせた。

 それが合図とでもいうように、分厚い雲は雨を落とす。

 少女の左目が変わってしまったことを、彼女自身は知らずに泣き続けた。

 少女の悲しみに、絶望に同調するように。またはそれを隠すように。泣き止むまで、しばらくの間大雨は降り注いでいた。






 後に一人生き残ったアルテナは騒ぎを聞きつけ、駆けつけた町の大人たちに保護され、彼らが探しだした絵本「魔女の旅」――奇跡的に損傷がなかった――を持って孤児院に迎えられることになった。

 しかし、少女にとっての記念日であり、同時に最も忌まわしき日になった当時から現在に至るまで。

 アルテナが笑顔になることは、一度としてなかった。

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