プロローグ
そよ風に水色の長髪が揺れる。
たった一人、まだ幼い年齢の少女は笑いながら草原を駆け回っていた。
暖かな日差しと青空、両親の眼差しに見守られながら。
母親は心配していた。躓いて転び、怪我をするのではと。
父親は笑っていた。元気があっていいではないかと。
やがて走り回って疲れたのか、少女は歩いて両親のもとに向かった。そして父親にあることをねだる。
父親はまたか、と呆れながらも結局は折れて娘の望みを叶えた。
少女に手をかざしたかと思えば少女の体が浮き、父親の胸元まで上がり、上、下、上、下と交互に揺れる。少女が喜ぶのを見て父親は調子に乗ったのか、更に高さを上げようとしたところで母親に咎められた。
少女は知っていた。この現象が魔法と呼ばれる、ただならざる力であることを。使い方を誤れば人を傷つけることも可能なのだと。
最初は怖いと感じたこともあった。
でも逆に言えば、他者を助けられる力ともいえることを後に知った。
何より、少女は両親のことを誰よりも信頼していた。
実際に見たこともある。両親が困っている人々を救った瞬間を。時に恵みの雨をもたらして大地を潤し、時に風を用いて盗賊を撃退するところを。
瞳を輝かせながら両親の勇姿を見たとき、少女にとって二人は誇りとなり、同時に憧れと化した。
やがて戯れが終わり、父と笑う少女に母は声をかけた。
首をかしげていると、母は包装された物体を取り出して、それを少女に差し出した。
少女は受け取って包装紙を丁寧にとると一つの絵本が現れた。少女が以前ねだり、買って貰えなかったものだ。
母親に飛び付き、感謝の言葉を伝える。
母は微笑みながら愛しの娘を抱き締め、誓う。
私も、父も。
「ずっとそばにいるよ。アルテナ、私たちの宝」
アルテナと呼ばれた少女はその言葉に何度も頷いた。
口許を綻ばせ、頬を可愛らしく桃色に染めながら。
同時に願う。いつまでも、そう、ずっと。
この人たちと一緒にいられますように。
やがて母娘の抱擁に父親も参加し、草原に三つの影が重なりあう。
全身に父と母の温もり、幸せを感じる。
太陽と青空に見守られながら、
―――やがて、夢は終わりを告げた。
最初に視界に飛び込んできたのは、薄暗い白色の天井だった。
目を擦りながら体を起こし、ベッドから降りる。
着替えをしながらアルテナは夢について思う。
――どうして今更あんなものを見たのか。
夢の光景を忘れるように洗面台で顔をバシャバシャとすすぐ。
カーテンを開け、明るくなった部屋から外の景色を眺める。
夢とは反転するように、分厚い雲に覆われた空が大雨を降らしていた。
窓に映るアルテナの顔は寂しそうに笑っていた。
部屋の机に視線を移すと、ぽつりと一冊の本が置かれていた。夢の中で母から贈られた、今はもう所々刷りきれていてボロボロになっている。今も時々読んでいる絵本だ。
やがてアルテナは一人部屋を出た。
「ごめんね……」
誰が聞くでもない呟きを残し、扉を閉める。
少女アルテナ、十三歳。
あの夢から八年経った彼女からは、以前のような感情の豊かさは薄れていた。