魔王と教会
「ふんふんふぅ~ん♪」
魔王は城内に300年前に増設した、お風呂なるものに入っていた。
魔界の東に位置する、人間族の小さな島国——ニホン。
この国は、中央大陸西側の人間族とは起源を別とする民族である。
この、黒い髪に黒い目の平たい顔をした民族が魔王は好きだった。
もともと四天王の一人、現在王都に絶賛潜伏中の
闇のシャドウの出身地ということもあるが、
この民族は独特の文化を持っていて面白いのだ。
このお風呂も彼らの生み出したものの一つだ。
たっぷりのお湯を湯船なる大きな箱に張り、
そこに身を沈めるというだけの行為が、何とも心地良いのだ。
魔王は鼻の下まで湯につかり、ぶくぶくと泡を作った。
魔王はご機嫌だった。
理由は二つある。
一つはお風呂の心地よさ。
一つは——ハルピュイアが先ほど、勇者一行壊滅の報を知らせてくれたからだ。
あっけなかったな、と魔王は思う。
ちょっともったいなかったかな? とも思う。
勇者が100人もいれば、一人くらいは自分を楽しませるレベルに
成長するものがいたかもしれない。
北より接近する強者の気配も、思ったほどではなく、
四天王を束にしたよりちょっと強いレベルに留まりそうで、
魔王にとって期待外れもいいとこだった。
こんなこと部下には言えないが、
早く次の勇者が来ないかな~なんて思ったりする。
100人とかで来られると流石にアレだが、
まっとうに冒険をするというのなら、良い感じの魔物を配置して、
良い感じの宝も配置して、順当に強くなれる様に援助してやろうとも思っていた。
「がぼぼごぼがぼぼ(早く次こないかなぁ~)」
この一言を、魔王は10秒後には後悔することになる。
「魔王様! 大変です!」
「がぼごっ!? どうしたハルピュイア!?」
何とも言えないいや~な予感を覚えながら、
魔王は引き戸を開けて飛び込んできた人物——、
湯気の向こうに見えるハルピュイアに聞いた。聞いてしまった。
「そ、それが……勇者一行が現れました! いや、復活しました」
「やだ……」
「魔王様?」
「や~だ~~~!!! もういいもん、知らないもん!」
この後、ハルピュイアは駄々をこねる魔王を静めるために、プリン3個を必要とした——。
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「それで? あっま! どういうこと……うっま! なのだ? ハルピュイアよ」
「食べるか聞くかどっちかにしてくれませんか?」
「やだ」
ハルピュイアは心のスイッチをオフにし、淡々と説明することに決めた。
「まず、毒により勇者一行が壊滅したのは間違いありません」
「ふんふん」
「しかし、勇者一行の死体が消えたのです」
「ふんふん」
「そして先ほど、王都のある施設から何食わぬ顔で勇者一行が姿を現したのを、
シャドウが確認したと素魔補水晶を通して連絡がありました」
「ふんふ……なぬ!?」
魔王のプリンを掬う手が止まった。
しばしの間、プリンを食べるか職務に取り組むか葛藤した魔王だが、
——プリンが勝った。
「食べないで下さい! ほら魔王様! シャドウと繋がってますから、
直接シャドウの口よりご確認ください!」
ハルピュイアは片手で持てるサイズの、
薄っぺらい長方形の黒い水晶を魔王に手渡した。
その水晶にパッと光が灯り、王都の明るい空とシャドウの陰気な顔を映し出した。
「おお、シャドウか。 どうだ? 人間どもの王都での暮らしは?
慣れないことも多く苦労しておるだろう?」
魔王は部下を労った。
今後の人間族の動向を監視するため、
相互連絡用に魔界でも大変に貴重な黒水晶——素魔補水晶を持たせたものを
王都に送り込むことが決まったのだが、すぐに手を挙げたのはシャドウだった。
シャドウは、敵地に乗り込むという危険を顧みず、魔族のために立ったのだ。
そんなシャドウに労いの言葉をかけるのは、魔王として当然のことだろう。
もっとも、シャドウは完全に観光気分なのだが。
後ろ手には、先ほど露店から買ったソフトクリームを隠し持っていたりするのだが。
「はい。大変に辛いものですが、これも魔族のためですゆえ、耐え忍ぶ所存です」
健気な奴よのう、と魔王は袖で目元を拭った。
「そうか。かなり危険で、しかも負担の大きい任務故、交代制にするとしよう」
「!? い、いえ! この任務は、有事の際に対応できるよう、
特に戦闘力の高いものが行うべきです! それに、一度請け負った任務を
途中で投げ出すなど、私には耐えられません!」
いつものクールな調子は吹き飛び、慌てふためいてシャドウが言った。
このパラダイスを他のものに渡してなるものか、ということである。
「まったく、お前と言うやつは魔族の中の魔族! 素晴らしい心がけだぞ!
……おっと、本題を忘れていた。それで、勇者たちが出てきた建物というのは何なのだ?」
「それが……教会です」
「き、教会だと!? 馬鹿な! あの悪魔の施設は全て失われたはず……!」
——教会。
法外な金銭の要求と引き換えに、内部で死者を生き返らせる黒魔術を行う、
邪悪なる建造物である。
勇者の魔王討伐が始まった初期の頃、
弱小勇者が死んでは国民の血税で復活するのに切れた国民が、
一斉に人間界中の教会を打ち壊した。
そのため、教会という悪魔の建造物は、人間界では遠い伝承として伝わるのみである。
「はい。しかし、現国王の命によって、新しく王都に建造されたようなのです」
「ば、馬鹿な! 800人も生き返らせる費用は、
どうやって捻出したというのだ!?」
「国民の税が、10倍に跳ね上がりました」
「げ、外道どもが……!」
「ここ王都では、魔王様を支持する手紙がポストに入りきらず、溢れる有様です」
「げ、外道どもが……!」
魔王はその後、2つ3つシャドウに質問をしてから黒水晶をハルピュイアに返した。
そして、お決まりになりつつあるあのセリフを吐くのである。
「会議だ! みなを招集しろ!」