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普通超人ジミィ  作者: 墨
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第三話

【はじめてのライバル!】は前編・中編・後編で投稿します。

第三話

【はじめてのライバル!】前編




普通は駄目。


言われてみればその通りかもしれない。


人間は普通じゃないものに価値をつけたがる生き物だし、誰だって“一番”や“特別”が好きだろう。


ましてや、それが世界平和や人類愛を語るような連中が欲しがる“力ある偶像”なら尚更だ。


つまり、俺が目指したものは彼ら平和維持局にとっては単なる弱体化に過ぎず、ハカセが理想としたヒーローは空想の中でしか存在し得ないまやかしだったわけだ。


……。


…………。


はっ!


いやいや。ここで呆けてる場合じゃない。

いま食い下がらないでどうするんだ!


「たしかに苦戦するかも知れません。でも、俺にだってカインを倒すくらいの力はあります!」


そうさ。スーツの効果でジェイムスのようにぶっちぎりとはいかなくても、彼らの期待に応えるだけの力は発揮できるはずだ。


それに、いざとなればスーツの制限を解除してもらえば、ジェイムスは俺なんだから。


真実を告げられないもどかしさのなか、吐き出した言葉に平和維持局局長のアイザックは首をふる。


「たしかに、君にはカインを倒す力はあるだろう。しかし我々が必要とする平和維持のための“抑止力”とはそういうものではない。実際に拳を交えた結果ではなく、誰もが敵わぬと理解し、誰ひとり勘違いできないほどの圧倒的な存在。それだけが我々の望みなのだよ」


たしかに、ジェイムス・フェニックスはそんな存在だったろう。


でも、それってなんか変じゃないか?


「それからジミィ君、キミの言う“カインを倒す力”くらいの武力なら、我々も持っているのだよ」


「アイザック、それは“ピース”のことかしら?」


ピース。


優しげな単語とは裏腹に、その実体は一国の軍隊も黙り込むような集団だ。


曰く、平和を“強制”するために結成された武装集団。

被害を最小限に食い止めるためには手段を選ばない、自己矛盾のかたまりみたいな連中だ。


「ミス、あなたがジェイムスと後継者を捜していたであろうこの14ヶ月は、我々にとっても転機だったのですよ」


「意味ありげな言い回しだけれど、あなたたちも彼の代役を用意していた、なんて言い出さないでね」


まさか、とは思ったが、ハカセの言葉が言い当てているのは、アイザックの顔を見ればわかった。


「そうなんですか?」


信じたくなくて、俺は思わずアイザックに訊いた。


彼はただ、黙って頷く他はない。


「まったく。私はこうしてジミィを連れてきたのに、あなたが彼との約束を守らなかったなんて」


ハカセが棘のある口調で呆れたように言う。


「しかしミス、我々が約束したのは猶予期間と、後継者を見つけられなかった場合の措置だ。推薦された人物を認めるかどうかは保障していない」


苦し紛れだがアイザックの言葉も尤もな言い分だ。

だがハカセはそれで引き下がったりはしない。


「自分たちの隠し玉と両天秤にかけるとも言わなかったわよ。あまり気持ちのいいやり方とは思えないけど?」


もちろんだ。

もし対立候補がいると知っていたら、少なくともソイツよりは派手に見えるように“自分を出した”のに。


「確かにフェアではないかも知れないが、我々も彼が居なくなってから今日までの空白を、ただ放置して置くわけにはいかなかったのだ。それだけはわかってほしい」


わかる。

恥ずかしいことに俺は気づいていなかったが、アイザックやゴールドマンたちにすれば、それは大きな空白だっただろう。


彼らは誰よりも“現在の世界”を欲していたのだから。


黙り込む俺のとなりで、ハカセがため息をつく。


「あなたの言葉もわからなくはないわ。でもアイザック、あなたもひとつ見落としているわね」


なんだ?

そいつはきっと俺も見落としてるぞ。


「ジミィはスーツを着たヒーローよ」


……で?


おそらくアイザックも同じ心境だったろう。


「わからないかしら。ジミィの力に物足りなさを感じているようだけど、彼は“スーツを改良すれば”今以上に強くなるわ!」


なるほど!

よく咄嗟に思い付くな、そんな出任せ。

でも、それを下手に掘り下げると“スーツがあれば俺は要らない”になってかないか?


「アイザック、私が誰だか忘れたのかしら?私にかかれば、明日にでも彼は今の倍は強くなるわ、スーツの力で!!」


そこでスーツを強調するな、スーツを!


しかし、ハカセの言葉はアイザックの心を揺さぶることには成功したようだった。


「私とてミスの才能を軽んじているわけではないとも。確かにスーツを強化すれば彼の能力が飛躍的に上昇するのは容易に想像がつく。もちろん、その能力を引き出すにはジミィ君の超人としての身体能力あってこそだろうが」


良かった。

アイザックは俺の存在にまだ好意的だ。


「私としては、“ピース”なんかと比較されるのは、甚だ遺憾なのだけれど」


あからさまに不機嫌に言い放ったハカセの言葉に、アイザックが取り繕うように言う。


「ミス、あなたの気持ちもわかるが、我々の事情も汲んでほしい。ピースも決して以前のような組織ではない。どうだろう、互いのことをより良く理解するためにも、しばらくジミィ君とピースの合同で活動してみるというのは?」


新しい提案、というよりは渋々ひねりだした妥協案の登場だな。

しかし、いきなりハジかれてしまうよりは、つかむ藁でもあるだけマシだ。


「つまり、俺とピースのどちらを“本命”にするかの試験のようなものですか」


「いいわ、受けて立ちましょう」


ハカセ、俺が決めることだろソレ。


「いいかな、ジミィ君?」


俺の心中を察してか、アイザックが念を押してくる。


「是非」


答えは初めから決まってる。やるしかない。


「では、明日の朝一番でピースのメンバーに紹介しよう。ミス、今夜は島で?」


「そうさせて頂くわ。私の別荘はそのままかしら?」


別荘とは、かつてハカセがこの島で研究に勤しんでいた頃に使っていた施設のことだ。


島の西側にあり、生活に必要な設備全般と、彼女の私物が残っているはず。


「当時のままだよ。あなたの家だからね」


「嬉しい言葉ね。じゃあ明日、ゴールドマンを迎えに寄越して」


「今から送らせるよ」


「いいえ、ジミィと行くわ」


「そうか。ではまた明日。ジミィ君も」


「失礼します」


頭を下げ、出入口へ向かう。


肩越しに目をやると、ぼんやりと光る水槽の前で、アイザックが笑みを湛えてたっている。

逆光になった彼の貼り付いたような笑顔。その背後を巨大な鮫が泳ぎ去る光景が妙に不気味だった。



部屋を出た俺達は、ゴールドマンに見送られてアダムの背骨を後にした。


「珍しいな、無駄な労働がキライなハカセが、送迎を断るなんて」


「無駄な労働ではないよ。日頃は部屋に籠ってばかりだからな。たまには美しい自然の中を、キミと並んで歩くというのも悪くないだろう?」


そう言って頂けるのは光栄だね。


「ホントにそれが理由ならな」


ハカセがそんなことで、わざわざ靴の底をすり減らしたがるとも思えない。


「おやおや心外だな、と言ってやりたいが、キミの言う通りだ。少し考えをまとめたかった」


「それなら余計に、はやく別荘にいった方が良かったんじゃないか?」


一番星を見上げながら頭脳労働するタイプじゃないだろ。


「いや、本当に別荘が“そのまま”になっているか疑わしい。キミにも用心して貰いたかったんだ」


どういうことだ?


「我々はこの島では彼らの監視下にあると考えてくれ」


スパイごっこ気分か?


「具体的には?」


聞き返すと、ハカセはそこかしこをズバッと指差しながら答える。


「各エリアに仕掛けられた監視カメラ」


そっちは崖だ。


「アダムの背骨の領空監視システム」


まあレーダーくらいは有るだろうな。


「別荘には盗聴機」


泊まるかどうかさっきハカセが決めたのにか?


「軍事衛星による追跡監視」


用心のしようがないだろ。


「疑いすぎじゃないか?」


そこまでする必要が、彼らにない気がする。


「キミはお人好しだな」


やれやれと言った苦笑いでハカセがため息をつく。


「お人の悪いハカセの意見を聞こうじゃないか」


「ピースを持ち出してきたのが引っ掛かるのだよ。あれは解体すべき組織だったはずだ」


なんだ。そのことを根にもってるのか。


「平和維持のための抑止力と言ってたじゃないか」


俺はアイザックの言い分を代弁したつもりだったが、ハカセが組んだ腕の左手で自分の顎先を触りながら言う。


「うむ、しかしだ。世界平和宣言当時、すでに各国が最低限保有していた自衛能力を上回る武力など存在しなかったはずだ。ピースは解体に向けて少なくとも縮小すべき対象であって、間違っても強化するような代物ではない」


なるほど、確かにアイザックも“以前のような組織じゃない”と言っていたな。


でもそれって。


「悪い方に変わったかは分からないだろう?」


言った途端、ハカセの人差し指が俺の鼻先に突き刺さる。


「甘い!あんなものどう弄くっても良くなるものか。キミは毒麦の種から蘭の花が咲くとでも思っているのかね?」


ひどい言われようだな。

ハカセはピースになにか恨みでもあるのか?


「そもそも、私の作ったスーツとあんな連中を両天秤にだと?アイザックめ、ついに脂肪が脳にまでまわったのか?」


本音はそれか。


「まあいいや。ハカセがそれで満足なら、島にいるあいだは注意するよ」


俺は降参とばかりに、わざとらしく両手を広げて見せた。

どうせ何を言っても無駄だ。


それより、はやく別荘に行って飯でも食べたい。


「キミがアイザックの心を読んでくれたら、一発で解決なんだがね」


ハカセが横目で俺を見ながら呟いた。


「それだけは駄目だ!」


「なんだ、急に大声をだして……」


俺が声を荒げたので、ハカセが少し小さくなって口を尖らせた。


俺も気を落ち着けようと息をつく。


「悪いけど、それだけは出来ないんだ」


いつもの口調になったのをみて、ハカセも安心したような表情に戻った。


「キミに不可能なんてあるのかね」


「あるさ。俺だって」


人間だ。

神様でも宇宙人でもない。


「ひとの心は読めない」


読めないんだ。

絶対に。


「わかった。そこまで言うなら、私も強要はしない……ただし」


頷いたハカセの人差し指がぴこりと立つ。


「別荘までひとっ飛び頼むよ」


はい?


「歩くんだろ?」


「もう話は済んだ、わざわざ歩く必要がどこにあると言うのだね」


「自然の中を歩くってのは……」


「野蛮だ」


あっそ。


「で、俺にどうしろって?」


「おんぶ」


「え?」


いま何て言った?

呆気にとらわれている俺を、ハカセは仁王立ちで見下ろす。


「なんだキミ、おんぶもしたことがないのか」


いや、あるよ。

ついこの間、火事場で逃げ遅れたひとを背負ったじゃん。


「あるけどさ」


「あるけど何だ。おんぶが苦手なら、だっこでもいいんだぞ」


おい、妥協案がおかしいだろ。


「べつにそういうコトを言ってんじゃなくてさ」


「だから何だね、この私に歩けとでもいうのか」


歩けよ。


「いい大人がなにをガキみたいなこと……」


「わかってるじゃないか。別に誰に見られてるわけでなし、キミも子どもみたいな駄々をこねずにだな」


「俺!?」


だいたい誰にも見られないって、監視カメラだ軍事衛星だのと言ってたのはどこのどいつだ。


「ほら、はやくしたまえ」


ゾンビみたいに両腕を前にだして、おんぶを催促するハカセ。


「……しかたねえな」


これ以上、問答していても仕方がない。

諦めて腰をおとし、彼女を背中に受け入れる。


「うん、いいぞ。行ってくれたまえ」


俺の首に手を回しながら、ハカセが嬉々とした声をあげる。


まったく、いい歳してこのひとは。


俺は大きな駄々っ子をおぶって、崖沿いの道を西へと走り出す。


「おお、なかなか快適じゃないか。もっとスピードを上げてくれていいんだぞジミィくん」


「暴れるなよ、落ちるぞ」


まるで遊園地ではしゃぐ子どもだな。

俺の背中で、ハカセは潮風に髪を靡かせながら、やや西へ傾いた太陽に目を細めて笑っている。


「ふふ、気持ちいい風だな」


それはようございました。


「見えた」


大きく湾曲した入り江の向こう、岬の木々の間に円筒形の建物がみえる。


あれが別荘だ。


「ハカセ、飛び越えるから掴まってくれ」


俺は手短に告げて、近道をするために入り江のこちら側の崖を蹴って飛び上がる。

突然のことに驚いたのか、ハカセは小さく声をあげて俺にしがみついてきた。


宙に舞い上がった俺の体は、緩やかな弧を描きながら向こう側の岬へと吸い寄せられていく。

風が耳元でヒュルヒュルと渦巻き、眼下には煌めく海が広がっている。


“気持ちがいい風だな”


ハカセの言った通りだ。


景色はゆっくりと流れ、俺は岬の緑を踏んだ瞬間、膝を折って柔らかく着地した。

もう別荘は目と鼻のさきだ。

コンクリート打ちっぱなしの色気のない円筒形の建物。

三階建て程のそれは、給水塔かなにかに見える。


「ほら、着いたぞ」


しゃがんでハカセを降ろそうとするが、彼女はぎゅうっとしがみついて動こうとしない。


「ハカセ?」


声をかけても、顔を背中に押し当てたままだ。


「今度はどうしたんだよ」


やや呆れ気味な俺の背中で、弱々しくハカセが呟く。


「最低だぞ、キミは」


……震えてる。


「スピードを上げてもいいとは言ったが、ジャンプしろとは言ってない」


確かに言ってないけど“ひとっ飛び頼むよ”とは言われたよ。


「なんだ、怖かったのか」


「バカにするな!べつに今のジャンプくらい私は平気だ!」


情けないほどわかりやすい強がりだな。

いまどきそんなシラの切り方するヤツ、マンガでも居ねえぞ。


「高いの苦手だったんだな。悪かったよ」


「私は怖がっているわけじゃない!ただキミが、か弱い女性をおぶっているにも関わらず乱暴に振る舞ったことを怒っている。そう、怒っているんだぞ私は!」


ホントだぞ、と念を押すような口調で訴えてくる。


そういうことは、せめて涙目じゃないときに言ってくれ。

あと、ひとにおんぶを強要するのは“乱暴”には入らねえのか?


「怒るのは後にして、ひとまず中に入ろう」


なだめるように言って、俺は別荘の入口に向かう。


別荘の扉は金庫を思わせる分厚い金属製で、操作パネルにキーコードを入力すると開く仕組みだ。


「ハカセ、ロックを解除してくれ」


体勢を変えて、出来るだけハカセをパネルに寄せながら言うと、彼女はいきなり背後から手のひらで俺の目を覆ってきた。


「おい、何だよ」


「うるさい。キミなんかにキーコードを教えてやるものか」


いや別に知りたくねえよ。

いつまで拗ねてるつもりだ。


「わかったから、早いとこ入力してくれ」


ふてくされながら、ハカセはパネルの数字をポチポチと押していく。


ブシュッと鈍い脱気音がして、扉のロックが解除された。


「開いたぞ」


俺は不機嫌なハカセをおぶったまま扉を潜る。


なかはひんやりとしていて、すこし埃っぽい臭いがした。

入室を感知して、天井の照明が瞬きながら点る。


室内は仕切りもなくがらんとしていて、アパートのリビングにでもありそうなソファやテーブルなどの家具が、ぽつりぽつりと点在していた。


「もう下ろしていいか?」


俺が訊くと、ハカセは部屋の一画を指差す。


「ソファまで行ってくれ」


「歩けるだろ」


「いやだ」


「腰でも抜けたのか」


冗談のつもりだったが、彼女の表情がカチンと強ばったのを見て、俺は足早にソファに向かう。

彼女をソファに落ち着けて、ようやく肩の荷がおりた。


「ふん、ようやく到着か」


ハカセは腕組みをしてふんぞり返って見せるが、下半身は明らかに内股だ。


「大丈夫か?」


「当たり前だろう。誰にものを言っているんだね、キミは」


赤い眼で内股になってるひとにです。


「大丈夫ならいい。何か飲み物でも取ってくるよ」


「ああ、それなら地下の食糧庫に備蓄用の水が……」


「知ってる。買い出し行ったの俺だろ」


言いながら俺は左奥の階段に向かう。


「ついでに食べ物も頼むよ」


ハカセの追加注文に、頭の上でひらひらと手を振って応えた。



別荘と呼ばれるこの建物は、地上三階、地下一階の四層構造だ。

地下は左右の階段で、炊事洗濯スペースと食糧庫のあるフロアと実験室のあるフロアとに別れ、一階はリビング、二階は寝室とバスルーム、三階はハカセの趣味の部屋となっている。

まあ趣味とは言っても、彼女の研究は主にそこで行われているのだから、仕事場と言った方が実状を知らないひとには適切か。


地下におりると、また自動でぼんやりと灯りがついた。

コンクリートとステンレスの広々としたキッチンは、飲食店の厨房を思わせる。

置かれた器具もまさに“業務用”なのだが、それらがマトモに役目を果たしたことはなく、いまはうっすらと埃がつもっている。

俺はそんな寂しい景色を横目に、階段脇のドアをから食糧庫へと入った。


ポツリと小さな照明があるだけの、四角い箱。

壁に沿って備蓄した食糧がダンボールのまま積み上がり、隅で低い唸り声をあげている姿だけは立派な大型冷蔵庫には、俺の記憶ではハカセに買い置きを頼まれたアイスクリームしか入れていないはずだ。


まさに無駄の塊のような設備の数々が“とりあえず形から入る”ハカセの性格を体現している。


俺はまず手近にあったダンボールを開封してみた。

中身は数種類のナッツとクラッカーが詰めてある缶詰だ。

念のため消費期限を確認して脇に抱える。


次は奥の壁際に置かれた箱を覗く。

やはりペットボトルの水が一本も開封されずに入っていた。

これも期限切れでないかを確認し、キャップの首を指のまたに挟んでぶら下げる。


あと食べ物といえば、インスタントのヌードルやスープの類いがあったな。


記憶を頼りに箱を漁り、「カレー」「チキン」と書かれたヌードルのカップを掴んで食糧庫をあとにした俺は、とりあえずひと抱えの非常食を携えて一階に戻る。


「カレーとチキンどっちがいい?」


ソファに腰かけて置物のようになったハカセに尋ねた。


「もちろんチキンだ」


腕組みして、大層なことみたいに言い切るなよ。


「ならこっちだ」


赤いマークのカップを手渡し、俺はナッツ缶と水をテーブルに並べる。


「なんだ“ホットワン”か。ならカレーだ」


渡されたカップを見たとたん、ハカセは先ほどの“もちろん”を覆した。


「ほら」


あえてなにも言わず、俺は自分の手にした黄土色のカップと彼女の赤いカップを取りかえる。


いそいそと、透明包装を剥がしにかかるハカセに習って、俺もヌードルの蓋を半分めくってペットボトルの水をカップに注いだ。


このホットワンはカップ底の紐を引き抜くと発熱し、水からでも作ることが出来るなかなか優れもののインスタントヌードルなのだ。

必要な水も少なめで、所要時間も一分である。


ペットボトルに口をつけながら、一分間の沈黙をやり過ごす。


「よし」


どう計っていたのかは知らないが、ハカセが自信満々に頷いて、カップの蓋を全開にした。


つられて俺も自分のカップを開いて、蓋の上に糊付けされたプラスチックの小さなフォークで中身をかき混ぜた。


ハカセがせっせと麺をパスタのようにフォークに巻き付けている。

俺は掬い上げたフォークに絡んできた分だけを口に運んだ。


「かたい」


噛んだ瞬間に思わず口から言葉が漏れた。

奥歯の上で、ポリポリと麺が鳴る。


「そうかね」


まるで気にする様子もなく、ハカセは口のなかでポリポリやっている。

少なくともハカセがフライングしたわけじゃないのだと納得して、俺は一旦フォークを置いた。


「ハカセ、機嫌直ったか?」


「うん?」


口から麺の滝をのばしたまま彼女が顔をあげる。

タイミングが悪かった。


「いや、いいや」


ハカセは滝を腹のなかにおさめてから、水で口を流した。


「まあ、今回はホットワンカレー味に免じて許してやろう」


ずいぶん安いな。


「そりゃどうも」


混ざりあったカレーとチキン風味の湯気が、冷えた室内の高い天井に向かって昇っていく。

俺もかなりほぐれたヌードルに口をつけた。


「ところでジミィ君、食事が終わったら少し付き合ってくれないか」


「何だよ改まって」


「いや、実は今度ここに来たときはと、計画していたことがあるんだ」


計画。

なんか嫌な予感がするな。


「イヤかね?」


俺の考えを見透かしたように、ハカセが訊いてきた。

どこかモジモジと落ち着きがなく、顎先を軽くつまむように指をあて、伏せ目がちに俺を伺っている。


「……内容によるな」


当たり前だが、最重要事項だ。

特に相手がハカセの場合は。


「うむ。荷物持ちと言うか、そういうのを頼めればと」


なんだ。


「そんなことなら、いつもやってるじゃないか」


俺は軽く了解したが、ハカセはまだバツの悪いような、落ち着かない表情をしていた。



ヌードルを食べ終えゴミを片付けた俺は、ハカセに連れられてさきほど食糧庫に向かったのとは反対側の階段から地下の実験室に降りる。

造りや設備はハカセの家の地下室とほぼ同じだが、一点だけ突き当たりの壁に小さなドアがあるのが違っていた。


「こっちだ」


思った通り、ハカセはそのドアに俺を誘導した。


「開けてくれ」


言われるがまま、ノブに手をかけてドアを引く。

鍵はかかっていなかった。


隙間ができた途端、潮の香りが強烈なすきま風となって吹き込んでくる。


思わず顔を背けると、ハカセの黒髪が風に踊っているのが見えた。


少し慎重にドアを開いていくと、ちょうど正面に夕陽が顔を覗かせる。


なんだこれ。


外だ。しかも島の西端、岬の断崖に通じるドアだったのだ。

おそらく海側からは崖の一部にポツンとドアが開いているという、実にシュールな光景が見えることだろう。


「どういうドアだよ」


趣味で作ったのか?


「足もとを見たまえ」


ん?

一段さがったところから、崖を粗く削って設けたと思わしき肩幅ほどのスロープが続いている。


「非常口にしちゃあ、随分と危なっかしいな」


「秘密通路だからな。目立たせないように安全柵もなし、舗装もなしだ」


秘密通路ってアンタ。


「で、このワンダーな獣道を俺に荷物をもって降りろってんだな?」


「うむ。頼むぞ」


荷物は?


あたりを見回す俺に、ハカセがため息つきの咳払いをした。


「はやくしたまえ」


見れば、さっきの“おんぶしろのポーズ”をとっている。


「ハカセってこと?」


「ふざけてるのかね、ほかに誰がいる」


いや、ふざけるなは俺のセリフだ。


「怖くて降りられないから、おぶって降りろと」


「バカにしているのかね」


してるよ。

降りられないなら、何のための通路だ。

そもそもエレベーターをつけるなり、崖の内側にトンネル掘ればすんだ話じゃねえのか。


「なんでわざわざ外に作ったんだよ」


「そうでないと秘密通路らしくないだろう?」


まず秘密通路らしさの基準が俺にはわからねえが。


「ジミィ君、キミと問答していても仕方がない。はやく降りようじゃないか」


ひとにおぶさろうって人間の言い草じゃないな。

しかし、確かにここで言い合っていても意味がない。


「しょうがないな。ほら」


俺は腰を落として、ハカセをおぶる姿勢をとった。


「よろしく頼むよ」


言いながら彼女は俺の背に身を任せる。


「はいはい、ちゃんと掴まっててくれよ」


俺は渋々と秘密通路を降り始めた。


海風がバタバタと耳元で渦をまき、ハカセの長い黒髪を躍らせながら吹き抜けていく。


「まだ着かないのかね?」


「見ればわかるだろ」


「なにをバカなことを。見ていないから訊いているんだろう」


見られないって言えよ。

ハカセは俺の背中に額を押し当てて、瞼を固く閉じているのだろう。


「飛び降りればすぐ着くよ」


「だ、駄目だぞ、そんなこと!するなよ!」


しねえよ。


「わかったから暴れないでくれ」


俺は諦めて足を進める。


やがて、岬の付け根にあたる断崖の梺までやってくると景色が変わった。

そこにあったのは、波に洗われる小さな砂浜。


「ハカセ、目的地についたみたいだぞ」

背中のハカセに声をかけると、彼女は顔をあげる。


「うむ、ご苦労」


「おう」


「うむ」


……。


…………。


………………。


おりろよ。


「どうした?」


「キミこそどうしたのかね。目的地はもうその先だぞ」


なら歩け。


仕方なくハカセを背負ったまま砂浜に足を踏み入れる。


そこは幅は5メートル、長さは10メートルに満たない、まさに猫の額と形容するのが相応しい砂浜だ。

海を左手に少し進むと、右側の岸壁に抉れた場所があり、その蔭に洞窟が見える。


「ここだ」


言われて立ち止まる俺の背中から、ハカセがストンと飛び降りる。


「少し準備をしてくるから、キミは浜で休んでいてくれ」


言い残して、ハカセは丁度背丈ほどの洞窟の口に吸い込まれていく。


俺はそれを見送ったあと、洞窟に背を向けて海に目を向けた。


半分ほど水平線に隠れた夕陽が、海面の波間に朱を散りばめて揺れている。


「暢気な夕陽だ」


うっすら眠気を覚えた俺はその場にしゃがんで、膝に肘をついて頬杖をつく。


ぼんやり潮騒を聞いていると、背後に近づく足音がした。


「やあ、待たせたね」


ハカセの声に振り向くと、そこにはやけに涼しげな格好の彼女が立っていた。


「なんだよ、それ」


思わず指差したのは、はだけた白衣の隙間からのぞく黒い水着。


いや、正確にはヘソ。


「ん?おかしいかね」


おかしいだろ。


「なんでいきなり着替えてんだよ。てか、どっから持ってきたんだよその水着」


それを聞いた彼女は、裸足の右足をスラッとひとあし踏み出して見せ、左手で黒い髪を後ろにかきあげて見せる。


「ふっ。流石のキミも気がつかなかったようだな」


得意気に顎をツンと持ち上げ、横目で俺を見下ろして言う。


「着ていたのだよ、服の下にずっと!」


「……あっそ」


勝ち誇った顔でなに言ってんだ。


「残念だったな、ジミィ君」


なにが?


「キミにも見破れないことはあるのだよ」


アンタは俺がいつでも“透視能力”を使ってるとでも思ってんのか。


誰が“下着がわりに水着つけて横着してる”なんて思うんだ。


「いい歳こいて、何ガキみてえなことを」


言ったとき、強い海風が岸壁にぶつかって吹き上がった。

その風に煽られて、ハカセの羽織った白衣がマントのように翻る。


現れたのは、黒いホルターネックのビキニをつけた彼女の、夕陽を吸い込んだ肌と美しい湾曲。


反射的に俺は目をそらした。


いい歳こいて、何ガキみてえなことを。


乱れた髪を撫で付けながら、ハカセは俺の隣に腰を下ろす。


「泳ぐには、少し寒いかな?どう思うジミィ君」


「その前にハカセ、泳げるのか?」


からかうように言うと、彼女は目を細めて笑う。


「平気だよ。私にはキミがいるからな」


どういう意味だ。

言いかけるが言葉が出てこない。


モゴモゴしている俺の顔を、ん?とハカセが覗き込んでくる。

彼女の鼻先が、俺の前髪に触れた。


「キミの“念力”で、私が浮けるようにしてくれ」


「その前に沈まないようにしてくれ」


俺を見つめ返していたハカセが、顔を上げて愉快そうに笑う。


「ははは。そう言うと思ってね、用意してきたのだよ」


彼女は俺の前に仁王立ちし、白衣のポケットからカラフルな海藻のようなものを取り出すと、それを高々と掲げた。


「なんだそれ」


「ほら、キミの出番だ」


差し出されたのは、空気入れのチューブ。どうやらカラフル海藻の正体は浮き輪か、ビーチボールの類いらしい。


「割らないように加減したまえよ」


「はいはい」


チューブに軽く唇を当て、フッと息を吹き込むと、それは瞬時に膨れ上がった。


「よしよし、これで完璧だ」


俺が正体を確認するより先に、ハカセが嬉しそうにそれをとって胸に抱く。


「浮き輪か」


ビニールで出来たドーナツ型の浮き輪。


「ただの浮き輪ではないぞジミィ君」


堂々と俺に向かって突き出されたソレは、やたらとカラフルなスーツ姿のキャラクター達が全面に躍る、子供向けのキャラ浮き輪だった。


「ゴーニンジャーだ!」


なぜに自慢気?


「どこで買ってくるんだよそんなもん」


「買ったんじゃない。“ザ・テレビちゃん”のよいこ全員プレゼント付録だ。非売品だぞ」


当然のように言い放つが、ザ・テレビちゃんってのは確か児童向け番組専門誌だったはずだ。


「よいこじゃなくても貰えるのか」


「む。私にその資格が無いとでも言うのかね」


人格的にも年齢的にも“よいこ”はキツくねえか。


「もういい。キミのようなヤツには貸してやらないからな」


借りねえよ。


ハカセは膨れたまま、浮き輪を足元に置いて白衣を脱ぎ始めた。


「ほら、これを頼むぞ」


脱いだ白衣を俺に投げつけ、彼女は両足を輪に入れて腰のあたりに持ち上げてみせる。


「どうかね」


俺に向かって不敵に腕組みして見せる。


……ダセぇ。


本人は満足そうだが、派手な切れ目の入ったビキニ姿に、特撮ヒーローの浮き輪という取り合わせが、なんとも絶望的だ。


「しかし、子供用の浮き輪がよく入ったな」


尻のあたりを通過させるのにムズムズさせていたが、いま浮き輪に収まっている腹回りを見ると、改めてハカセが身が軟らかく、いかにスレンダーかと感心する。


「恐れ入ったかね、私の脚線美に!ちなみに上からは絶対に無理だぞ」


セクハラですか?


ちなみに聞いてねえし、脚線美はともかく大股開くな。


一応、アンタも女だろ。


「では、出撃だ!」


ハカセは海原を指差し、子供のように駆け出す。


やがて腰まで海に浸かると、浮き輪を抱えてバタ足でずんずんと進んでいく。


「無敵だな、あの人」


悩みとかあるんだろうか。


視界の先で小さくなったハカセが、両手両足をバタバタさせてはしゃいでいる。


ホント、ガキみてえにはしゃいでるな。

あの水着姿で口閉じてたら、誰もあんな浮き輪するキャラだとは思いもしないだろう。


それにしても、あんなところでバタバタやってて楽しいかね。


はしゃぎすぎだろ。


はしゃぎ……。


…………。


……。


え?違うの?


「ハカセ!」


俺は慌てて海に飛び込み、一息で彼女のところまでやってくる。


「ジ、ジミ!」


はしゃいでるのかと思いきや、彼女は軽いパニックを起こしていた。


俺は彼女の背中と両膝を掬うように抱き上げ、水を蹴って砂浜まで跳躍する。


「大丈夫か!?」


何があったのかわからないが、ハカセは俺に抱き抱えられたまま、俯いて微かに震えている。


「おい!」


詰め寄るように言うと、彼女はわずかに顔をあげた。


「……た」


「え?」


上目遣いで、下唇を噛むようにくちばしをつくったハカセが、少し涙ぐんで呟く。


「……刺されたぞ」


見れば、彼女の太ももあたりに水ぶくれができている。


「クラゲだな」


俺は正直ホッとしたが、彼女にすれば突然のことで、一大事だったのだろう。


「おろすぞ」


「うん」


ゆっくりハカセを砂浜に座らせ、改めて患部を見る。


確か、海水でよく洗って毒針とか触手を洗い流してから、真水で……。


なにかで見た応急手当の知識が頭の中でぐるぐると回るが、不安そうに黙り込むハカセの横顔が、俺に冷静さを取り戻させた。


「心配ないよハカセ」


俺はライターのスイッチを操作して、変装を解除する。


「ジミィ君……」


まだ不安げな彼女の頬に、濡れた髪が張り付いている。


「触るけど、動かないでくれよ」


俺はそっと患部に手をおいた。

触れた瞬間、ハカセの緊張が伝わってきたが、彼女は言われた通りにじっと動かなかった。


俺が手をどけると、水ぶくれは跡形もなく消えている。


「痛みは?」


訊くが、ハカセは目をパチクリとさせるだけだ。


「今は完全超人だからな。これくらいは、一瞬だよ」


俺には治癒能力もある。

自分自身は傷ついたことがないので試していないが、他人の怪我は直接触れて治すことができるのだ。


「陽が沈んで寒くなってきたし、戻ろうか?」


言いながら、俺は惚けているハカセの肩に白衣をかけてやる。

その行為に彼女はようやく我に返ったようだった。


「あ、あ~あ。何てことだ」


自分の腰に目を向けて、がっかりとため息をつく。


今の騒ぎでどこか破れたのか、浮き輪はすっかり潰れてしまっていた。


ふらりと立ち上がり、ハカセはスカートを脱ぐようにベロベロになった浮き輪を外す。


「これも直せるかい?」


「後で試してみるよ」


たぶん、大丈夫だ。


「じゃあ、ジミィ君」


やっと笑顔になったハカセは、俺に両腕を差し出して、おんぶの催促をする。


「服はいいのか?」


「いまはお互いに濡れているだろう?別荘には着替えもあるし、あとで取りに来ればいい」


俺がでしょ?


……まあ、いいか。


彼女を背負い、再び秘密通路を登りだす。


「キミにプライベートビーチを自慢してやるつもりだったのに」


ボソリと呟いたハカセに、俺は可笑しさを感じた。


「いい場所だったじゃないか。秘密通路も捨てたもんじゃないな」


「でも秘密基地を案内し忘れた」


え~……と。

秘密基地ってのは、あの洞窟のことでいいのかな?


「服を取りに来たときに、一回りするよ」


「駄目だ!私の秘密基地なんだぞ」


はいはい。


いつものやり取りのなかで、俺はふと考えていた。


何もハカセを水着姿で背負わなくても、服が濡れるのが嫌なら、俺が息のひと吹きでお互いを乾かせたんじゃないか、と。



別荘に戻ったあと、俺はすぐに浮き輪の修理を任された。


潰れた浮き輪をよく見ると、ビニールの繋ぎ目が裂けていたので、そこを指でつまんで少し熱を出しながら圧着させると、簡単に修理できた。


「ほら、くっついた」


息を吹き込み、ポンっと膨らませてみせる。


「おお、素晴らしい」


喜んだハカセは浮き輪を抱えて、水着姿のまま二階のバスルームに向かった。


風呂で遊ぶつもりか?


それよりハカセ、着替えを用意せずに入っていったような。


「ジミィ君!服を頼むよ、服を~!」


案の定バスルームから大声が降ってくる。


はいはい。


しかし。

服とは言われたものの、あの洞窟に置き忘れたもの以外に、着替えがあるのだろうか?


俺は階段で二階に上がりながら訊く。


「ハカセ、秘密基地のやつを取ってくればいいのか?」


「バカな。レディが一度脱いだ服を、キミはまた着せようというのかね?」


なんか変な意味に聞こえるからやめろ、その言い方。


「じゃあ、どこに」


「寝室の箪笥にはいっているはずだ」


今いる位置から、左手がバスルーム、右手が寝室だ。


見るとバスルームのドアが少し開いていて、そこからハカセがヒョコッと顔だけだしている。


「持ってきたら、脱衣場に置いてくれたまえ」


一度出てきて、自分で取ってきたほうが早くねえか?


そんなことを思いながらも、俺は寝室のドアを開ける。

暗い室内に入り、ドア脇のスイッチで灯りをつけた。


窓際に二人でも余るような大きなベッド。

壁際にステンレス材の箪笥。

ガレージシャッターのようなクローゼット。


たったそれだけの部屋。


……ベッド以外は恐ろしく寒々とした部屋だな。


見慣れたハカセの家からは、想像できないインテリアだ。


そう言えば、ハカセは別荘に泊まり込んでいた頃、どんな生活を送っていたのだろう。


俺が知る限り、暇さえあればヒーロー物の映画やアニメを観ているようなイメージだが、ここには“仕事”のためにいたはずなのだ。


寝室の殺風景さからも、余計なものが持ち込まれていない感じが見てとれる。


……。


おっと。こんなところで耽っていても仕方がない。


気をとり直して、箪笥を引く。


一段目、空。


二段目、お菓子のごみ。


三段目、見慣れたトレーナーとズボンがぎゅうぎゅうに詰められている。


……もう少し、なんとかなら無かったのかよ。


目についた赤のトレーナーと紺のズボンを取り出しながら、ふと気づく。


あ~、下着は……。まあいいか。

文句があるなら自分で取りに来てもらえば。

変に気を回すと何を言われるかわかったもんじゃない。


ひとまず寝室を後にして、バスルームに向かう。


一応ノックをしてドアを開けた俺は、呆気にとられた。


そこには風呂上がり姿で、羽織った白衣の前を右手でギュと閉じ、左手のタオルで髪を拭くハカセが。


「やあ、ご苦労だね」


ご苦労じゃねえ。


「な、なんで出てきてんだよ」


無防備な自分の格好に無頓着なハカセ。

見ている俺のほうが動揺する。


「なんだね、見て恥ずかしいものじゃないだろう」


俺の気もしらず、何食わぬ顔で彼女は歩み寄ってきた。

濡れて艶めく髪から漂うシャンプーの香りが鼻先を撫でる。


「見られることを恥ずかしがれよ」


思わず顔を逸らし、俺は持ってきた衣類を押し付けるように差し出した。


「ほら、これ」


「おお、そうだったね」


ハカセが嬉しそうに手を伸ばす。

あろうことか、右手を。


反射的に、彼女の手元に目がいった。

放された白衣がはだけて、彼女のヘソがちらりとのぞく。


「……見えてるぞ」


一瞬、息が詰まったが、それは俺の想像とは違った。


「なにを今さら」


パサリと白衣を脱ぎ捨てた下から出てきたのは、ビキニのハカセ。


「さっきまでずっと見ていただろう」


確かに。


「それ着たまま風呂入ってたのか?」


「風呂じゃないぞ。シャワーだ」


どっちでもいい。


「海水でベタつかないうちに洗い流そうと思ってね」


言いながら、トレーナーに袖を通しはじめる。


「そのまま着るのかよ」


服の下に着てきたとは聞いたが。


トレーナーから首を出したハカセが、少し俺を睨んだ。


「下着は置いて無いのだから仕方ないだろう。それともキミが私の家までテレポートして替えの下着を持ってきてくれるのかね?」


「やだよ」


「だろう?私もキミがそんなことをしたら軽蔑するぞ」


「ハカセをつれてテレポートすればいいんじゃないか?そんな濡れた水着を無理に下着がわりにしなくても……」


「大丈夫だ。もうドライヤーで乾かしたからな」


だったら先に髪を乾かせ。

まぎらわしいだろ!


「うん、キミは私の好みをよく心得ているな、感心だ」


俺を置き去りに、ズボンに足を通し終えたハカセが満足そうに腰に手をあてた。


そりゃまあ、好みもなにもアンタの部屋の箪笥から持ってきたんだから当たり前だろ。


「さて、私は下に戻るから、キミもついでにシャワーを使いたまえ」


「あ、ああ」


生返事をすると、ハカセはまだ濡れた髪を拭きながら、尾を立てた猫のようにするりと脱衣場を出ていった。


一人残された俺は、壁に手をついて項垂れる。


「つ、疲れた……」



シャワーを浴び終えて脱衣場に戻った俺は、はたと気がついた。

さっきのゴタゴタで吹き飛んでいたが、俺も着替えなど持っていない。


仕方なく、変装ライターを使って革ジャンスタイルになることにした。

ハカセを助けに海に入ったときに着ていたからずぶ濡れかと思いきや、脱着し直したらサラサラになっている。


どういうことだ?


疑問に思いながらバスルームを出て一階に戻ると、ハカセがソファに寝そべってナッツ缶を食べていた。


もぐもぐ。

「なあハカセ」


「ん?」


カリカリ。


「この服なんだけどさ」


「んむ」


ポリポリ。


「食うのやめてくれる?」


ごくん。


「驚いたかね」


口の中のものを胃におさめて、ハカセが不敵に笑う。


「キミが変装やスーツを解除して転送されるたび、クリーニングマシンを経由する仕組みになっているのだよ」


どうりで変身するたびにスーツがキレイになってるわけだ。


「やわらかな毛糸のセーターから、ヒーロースーツまで、ありとあらゆる洗濯物を潜らせるだけで瞬時にクリーニングする、名付けて“洗いマックス1号”だ!」


スゲー!


そんなマシンを作れるのもすげえが、そのネーミングセンスで胸はれるのもスゲー!


ん?でも待てよ。


「ハカセの家って洗濯機あったよな。そんなクリーニングマシンがあるなら、市販の洗濯機なんか要らないんじゃないか?」


そう言うと、ハカセはソファから体を起こして身を乗り出してきた。


「何を言ってるんだ。洗濯もまともに出来ないようでは、素敵なお嫁さんになれないだろう!」


花嫁修行のつもりか?


洗濯できても“素敵なお嫁さん”にはなれないんじゃねえかな。


手料理のときにも思ったけど、ハカセって何を目指してんだ?

“お嫁さん”になりたいなら、相手を探すのが先だろ。


俺が半目で見ていることに気づいたのか、ハカセは咳払いして姿勢を正した。


「まあ、キミのようなデリカシーのない男には、縁のない話だろうがね」


長い髪を指先でねじりながら、彼女が思わず口走った言葉を誤魔化すように目をそらす。


「まあ、確かに俺には関係ない話だけどな。ところで俺は今夜、このソファで寝ればいいのか?」


「ダメだ」


ピシャリと言われ、一瞬呆気にとられた。


「じゃあ、どうしろってんだよ?」


「そんなもの、自分で考えたまえ」


腕組みをして、ハカセはそっぽを向いた。


「なあ、なんか怒ってるか?」


念のために聞いてみる。


「怒っているとも」


おや、予想に反して正直な反応だな。


「なんだよ」


「キミは図々しくも、さも当然のように女性の家に泊まるつもりかね」


ごめん。

言いたいことはわかるけど、なに言ってるかわからねえ。


「だけど、アイザックには……」


「彼は私に“今夜は島で?”と訊いたんだぞ。キミは含まれていないだろう」


確かに。

でも、普通はそうは受け取らないだろう。


「別にハカセの寝室に泊めてくれと言ってる訳じゃないだろ。ソファで寝るくらい良いじゃないか」


「良くない。女性とひとつ屋根の下で一晩過ごして、キミは何を期待しているのかね」


たぶん、ハカセが心配してるような事じゃねえから安心してくれ。


「キミはテレポートで帰ればいいじゃないか。明日の朝、ゴールドマンが迎えに来るまえに戻れば問題ないだろう?」


ハカセがさも当たり前のように言った。


その言い分は一理あるが、それが腑に落ちないのが、人間の感情の不思議だ。


「ダメなのか?」


「ダメだ」


頑として譲らないハカセに、俺は肩からため息をつく。


「わかったよ」


これ以上、不毛な言い合いを続けるわけにもいかず、俺は立ち上がって出口へと足を向けた。


「明日は遅刻厳禁だぞジミィ君」


「……ああ」


なんか凄く納得できねえもんがあるが。




翌朝、肩を揺すられて目が覚めた。


顔を上げると、サングラスの大男が背中を屈めて俺を見下ろしている。


「ゴールドマンか」


「ジミィ様、なぜここで?」


なぜこんな所で寝ていたのか、と訊いている。


無理もない。別荘の玄関脇で壁にもたれて眠りこけていたのだ。

ゴールドマンにすれば、何事かと思うのは当然だろう。


「ミスの言いつけでね」


無理に取り繕いながら、立ってズボンの尻を払う。

そんな俺を見て、ゴールドマンは事情を察したように苦笑した。


「そう言うことでしたら、遠慮なくお言いつけ下さい。こちらでお部屋をご用意いたしますので」


気の毒そうに言う彼に、俺もつられて苦笑いする。


「次はそうさせてもらうよ。それはそうと……」


ゴールドマンがここに居るということは。


「もう迎えの時間ってわけか」


「はい」


見れば、向こうに昨日見た装甲車が停まっている。


「俺はまた走っていくのか?」


「いえ。今日はそれにはおよびません」


俺の皮肉を軽く受け流して、ゴールドマンが呼び鈴を押す。


「まだ寝てるんじゃないか?」


ハカセのことだ。こういう時は寝坊がお約束だろう。


「ミスはいつも時間には正確な方ですよ」


ゴールドマンには悪いが、にわかに信じがたい。


「見たことがないな」


そんなハカセは。


「あら、失礼ねジミィ」


いつの間にか玄関が開き、ハカセがすらりと立っていた。


「まあ、あなたは私のことに詳しくないから、仕方のないことだけれど」


なるほど“よそ行き”はそうなのか。


呆れた素振りで腰にてを当てるハカセに、ゴールドマンが会釈する。


「おはようございます。ミス」


「おはよう、ゴールドマン。さあ、行きましょうか」


俺に横目で冷たい一瞥をくれて、彼女はカツカツと足音を鳴らして歩き出した。

一歩遅れてゴールドマン、そのあとを俺がのそのそと続く。


ゴールドマンよ、口には出せねえが、あれは服の下に昨日の水着を着たままの女だぞ。


見てくれに騙されるな。


言葉にならない抗議の声をあげている俺を他所に、ハカセはゴールドマンに促されて装甲車の後部席に乗り込んでいく。

俺が席についたところで、ゴールドマンが車を発進させた。


しばらく走ったところで、ハカセが口を開く。


「ところで“連中”はもう到着しているの?」


「ピースのことですか?」


ミラー越しにこちらを見たゴールドマンが聞き返す。


「ええ」


「局長と一緒にお二人をお待ちです」


「そう、なら待たされる心配は無いわね」


さらりと髪を後ろに払いながら言うが、俺の知っているハカセには相手を待つという発想はない。


やがて車がアダムの背骨へ着くと、俺たちはアイザックの部屋へと向かった。


昨日と同じく、局長室の手前にゴールドマンを残し、あの水槽の部屋へと足を踏み入れる。


そこには、相変わらず張り付いた笑顔のアイザックが立っていた。


「おはよう、ミス。ジミィ君」


俺たちを向かい入れるように両手を軽く広げて、近づいてくる。


「おはようございます」


俺が挨拶を返すと、腕組みをしたハカセがずいっと進み出てアイザックと俺の間に立った。


「さあアイザック、早く白黒つけましょう」


なんでそんなに喧嘩腰なんだよ。


「まあまあ、ミス。そんなに焦らず」


思わず押し止めるように自分の胸の高さに手を持ち上げ、アイザックが一歩下がる。


「丁度、彼らと朝食を摂るところなんだ。二人も一緒にどうかね」


ありがたい。

ハカセはどうか知らないが、昨日から中途半端な食事しか摂っていないし、これはピースとのご対面をなるべく和やかに行おうというアイザックなりの気遣いでもあるのだろう。


「いいじゃないかミス。俺は賛成だ」


言葉で背を押すと、ハカセは鼻を鳴らして、


「仕方がないわね」


と、この提案を受け入れた。


アイザックの案内で、奥の部屋へと案内される。


そこには映画で見るような燭台の置かれたやけに長いテーブルに、背凭れの高い椅子が並べられ、銀食器に人数分の食事が用意されていた。


そして、テーブルを挟んだ向こう側に、四人の先客が座っている。


左から男、女、男、男。

左端の男は、俺と同年代だろう。逆立てた髪を緑色に染めた安っぽいロック歌手のような風貌で、黒いスーツにジャラジャラと無数のシルバーがあしらわれている。


隣の女はさらに歳が若い。褐色の肌を黒いワンピースに包み、薄い唇はショートボブの髪と同じく、銀色に塗られ、アイシャドウとマスカラで彩られた自己主張しすぎな瞳が、闇の中からこちらを見つめる猫のように大きく開かれている。


そのお隣は、ひと目見て吸血鬼としか形容できない。

歳は三十代の後半か。艶のない黒髪と白い肌。痩けた頬、高い鼻と尖った顎に切れ長の目。

軍服を着ていることから、先のふたりとは異なった身分の人間と推測できる。

そして右端の老人。こいつは見たことがある。ピースのトップだ。


世界平和宣言前からアイザックと共に、様々な作戦を指揮していた元軍人。

ピースの創設時にトップに任命され、俺が軍隊や組織を潰しに飛び回っていた傍らで、独自の活動を展開。徹底した残党狩りや強行手段を含む停戦維持で、正規軍からも一時期問題視されていた。


隣のハカセが、不快そうに息を吐いた。


左端の緑髪が、俺たちを睨むような上目遣いで見つめる。


「ようやくお出ましかい」


感じ悪りぃな、こいつ。


「あら、レディを待つのは男の甲斐性よ、ぼうや」


ハカセも嫌味はやめろ。


「いいから座りなよ、おばさん」


クチャクチャとガムを噛みながら猫目の女が言うと、ハカセは笑顔でこめかみに血管を浮き出させた。


「ジミィ、あのお嬢ちゃんを拳で黙らせてくれるかしら」


物騒なことを爽やかな笑顔で言うな。


俺は黙って進み、アイザックを右に、ハカセを左にして席についた。


四つの銀食器の上には、どれも上品に小振りな肉とサラダとスープ、そして焼き色の入ったトーストとスクランブルエッグが乗っている。

カップから湯気を立たせているのは、濃いめのコーヒーだ。


中途半端な昼飯みたいだな。


「さて、皆揃ったことだ。まずは食事しながら話でもしようじゃないか」

場を取り成すようにアイザックが言うが、既にハカセと緑髪猫目を取り巻く雰囲気は臨戦態勢だ。


いやな朝食会だな。

俺はため息をついて、トーストにかじりついた。




中編に続く!

次回予告


ジミィの前にピースのメンバーが姿を現した。


警戒心と敵意をむき出しにするハカセ。


しかし、現在のピースはかつて結成された組織とは、異なるものとなっていた。


ついにジミィとピースの“平和の守護者”としての作戦が始まる。



次回、普通超人ジミィ。


【はじめてのライバル!】中編

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