2.護衛騎士の長閑な一日
この地に毎年恒例の怒竜期が到来した。
くそったれたこの地を更にくそったれにする大風だ。
国唯一にして大陸有数の大山、竜契岳は、別名・世界壁とも呼ばれている。
ほぼ垂直に切り立ち人を寄せ付けないこの山は、冬の直前のこの時期に山頂から乾いた風を吹き下ろす。
その風は10日から14日ほどの間、止む事なく吹き続け、乾いたこの地に更なる乾きをもたらす。
豪華な屋敷持ちの奴等じゃないと、乾いた砂が風に吹かれて家々の隙間から容赦なく入ってくる。
俺等庶民はスナネズミになる時期だ。
だが、今年は子供の護衛騎士なんて冗談みたいな役に任命されたお陰で、砂を被る事はなさそうだ。
風が強くなってきたのを見てそんな事を呟いたら、子供に疑問符を飛ばされた。
この国の子供なら誰でも知っている話だと思ったが、孤児のこの子供は知らなかったらしい。
城の図書館で絵本を探す事にした。
国主様から資金援助はしてもらったものの、本を買う事はほとんど無い。
何故かというと、宰相が勝手に図書館に国主様や子供が使いそうな本を追加していっているからだ。
ツンデレなのか面倒なのか知らないが、本人に言わないで俺に言うのは絶対間違ってる。
どれが追加されたなんか覚えてられねぇし。
とりあえず、二人には困ったら図書館行け又は行って下さいと言っておいた。
適当にぶらぶら探している間に目的の本を見付けたので、子供と本を回収して部屋に戻る事にする。
「昔々、契約の地が国主様ではなく竜が治めていた頃のこと。」
そう読み出したら子供が固まった。
ついうっかり古語で読んでしまったので、自分が間違えたと思わせてしまったらしい。
俺の間違いだと訂正してから本の先を読み進める。
「竜は乱暴者でどんな生き物からも嫌われていました。
けれど、誰も竜には敵いません。
小さな鼠も大きな狼も、勿論人も竜に苦しめられていました。
ある日、竜が大きな声を上げて食べ物を要求してきました。
皆は困ってしまいます。
もう、何も食べ物が残っていないのです。
そこに女の子が私が竜の所に行きます、と歩み出ます。
それを止めたのは彼女の恋人でした。
けれど、女の子の意志は変わりません。
青年は恋人を救うために竜を倒す事を決意しました。
青年は様々な動物たちの力を借り、三日三晩戦った末に竜を倒す事に成功しました。
竜は倒される時に、この地を永遠に呪ってやると言い捨てました。
そして、倒された日からしばらくの間、風が止む事はありませんでした。
それが、毎年冬の前に吹く強い風の始まりです。
竜が怒って風を吹かせている時期なので、今では怒竜期と呼ばれています。
けれど、全ての生き物は、乱暴者の竜が倒された事を喜びました。
強い風だって、皆で力を合わせれば平気です。
青年は女の子と結婚して、この国の国主様になりました。
そして、この国を良くしていきましたとさ。
めでたしめでたし」
子供はきらきらと顔を輝かせながら話を聞いていた。
余程、この昔話が気に入ったようだ。
俺が小さい頃は搾取されるのが竜から人に変わっただけだと思ったものだったが。
恐らく、討ち果たして初代国主になったとされている男と現国主を同一視しているのだろう。
そう思える国主になったのは幸せな事だなと、ガラにもなく思った。
怒竜期が始まってから、子供は不機嫌だった。
大方、天気も悪いから国主様の仕事も少なくなるんだろうと考えていたに違いない。
残念ながら、今の国主様はいつにも増して多忙を極めていた。
あの宰相すら余裕のない表情で朝から晩まで走り回っているのだ。
冬が来る前に治水工事を始めねば来年の農繁期までに終わらないらしい。
怒竜期が終わればそろそろ納税の時期だし、今の内に進めておかねばならない仕事が沢山あるのだろう。
関係者の宿舎が足りないせいで城を開放しているので、召使い達も大忙しだ。
大変そうだなぁと他人事のように思う。
だが、子供の機嫌が急降下していくに従って、他人事ではなくなってきた。
城の兵士から召使いから、会う人会う人に忙しいからと相手を断られる子供。
いつもお菓子を持ち歩く優しい下女までが、この時期の多忙に巻き込まれて子供の相手をする時間も無かったのだ。
山程のシーツを抱えたまま、ごめんねと足早に去ってしまった。
小さく震える後ろ姿。
あーやべぇ、泣く一歩前だ。
仕方がないから奥の手で、普段は危険だからと国主様に禁止されている所に案内しようか。
そう考えていたら、子供に近付く見知らぬ人物が居た。
筋肉質の身なりもお世辞にも良いとは言えないむさい男。
思わず捻り上げると工事の責任者らしい。
子供の不穏な空気に気付いて寄ってきたらしい。
此処に滞在した数日の内に、国主様のお気に入りの子供だと聞いていたようだ。
故郷にあれくらいの子供が沢山居るので、扱いは任せろと言ってきた。
確かに危害を加える意志はないようだし、子供の扱いに困っていたので任せる事にした。
その後、あれだけの不審人物っぷりなのに、男は見事に子供と仲良くなった。
まぁ、確かに未婚の国主様なのに、城にあんな子供が居るなんて珍しいよなぁ。
俺は男と子供が遊ぶのをぼんやりと眺めていた。
といっても、しばらくしたら男は部下に連れて行かれたが。
打ち合わせに出ないでなにやっているんですかという声も聞かなかった事にする。
子供の機嫌が直ったのだから問題ない。
別れ際に滞在中は遊ぼうと約束していたので、怒竜期の間は楽ができるなぁと思った。
しかし、報告の時に国主様の不機嫌の影響をもろに受けたのはどうにも理不尽だと思う。