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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に
99/176

9-4 Hello Again

 ――パーン、という乾いた音が響き渡る。


 ここはハウリングポートの偽装船渠のひとつ。姿隠しの魔法陣により、中に足を踏み入れるまで外部からは覗くことができないドックだ。

 天竜将レルネリュドラによって破損させられた空中戦艦アンリマンユの修理作業は、真・魔族帝国のごく一部のものによって行われていた。


 その片隅――。

 作業を監督していたゴールドマンの前には、頬を腫らしたシルベニアがいた。

 彼女の近くには、母の形見である魔女帽が落ちている。

 その小さな体が揺らぐほどの強烈な平手打ちだった。


「シルベニア、もう一度聞くぞ。

 なぜ僕の指示にすぐに従わなかった?」

「……」

 

 シルベニアは目を伏せたまま沈黙を保っている。

 ゴールドマンは再びシルベニアを打った。今度は逆の頬。


「おまえの躊躇のせいで、すべての計画が狂うところだった。

 レ・ヴァリスや僕を見殺しにしようとしていたのだぞ、おまえは」

「……」

「シルベニア、おまえがあの仮面の男を知っていようがいまいが、そんなのはどうでもいい。

 くだらぬ感傷に流され、そして僕たちを危険に晒したのはおまえの罪過だ。

 僕の言うとおりにしていれば、もっと早くあの男を始末することができたのだ。

 おまえの力は、おまえのものではない。

 すべては人間族を始末するため、そして僕のために注ぐべき魔力だ。わかっているな?」

「……」

 

 シルベニアは打たれた態勢のまま、じっとして動かない。

 それでもゴールドマンがもう一度手をあげると、ぴくりと震えた。


「シルベニア」

「……あ」


 しかしゴールドマンは今度は優しく、シルベニアの頭に手を置く。

 思わず少女の口から声が漏れた。

 その美しい母親譲りの銀色の髪を撫でながら、ゴールドマンは語る。


「シルベニア、おまえの才能は本物だ。

 僕とおまえがいれば、人間族を根絶やしにすることなどたやすいはずだ。

 父を、母を殺したニンゲンたちが憎いだろう?

 僕たちの目の前で無残に魔族を蹴散らした、あの金色の髪をした女がただただ恐ろしかったんだろう?」

「……」

「いいか? 僕たちはもう、この世にただふたりの兄妹なんだ。

 おまえは僕の言うことを聞き、僕はおまえのために策を練る。

 そうして、ふたりで人間族を抹殺するんだ。

 僕たちはそういう風にできているんだよ」

 

 ゴールドマンはその白く長い指で、シルベニアの髪を梳く。

 浮かべている表情は普段とは違う、暖かみのある笑顔だった。


「僕たちの気持ちは、他の誰にも共感されることはない。

 これは僕たちだけのものだ。そうだろう?

 単なる復讐などという言葉では片付けられないものだ。

 シルベニア。どうか僕を失望させないでくれ。

 おまえは昔から、あんなに素直で良い子だったじゃないか」

「……」

 

 シルベニアはわずかに困惑し、目を泳がせた。

 ゴールドマンは微笑み、その頬に治癒法術を唱える。

 

「手荒なことをして悪かったよ、シルベニア。

 次からしっかりしてくれれば、それでいい」

「……」

「わかったなら、返事をしてくれ、シルベニア」

「……」


 シルベニアは長らく沈黙を守っていたけれど。

 その声色に対し。


「……はい、にいさま」

 

 まるで無感情な声で、ただ小さくそう答えたのであった。

 



 船渠に残るゴールドマンと離れ、シルベニアは帰路につく。

 空いている屋敷を徴収しただけの寝床にまっすぐ帰る気はなかった。

 

 時折強く吹き付ける海風に帽子を飛ばされぬよう、シルベニアは頭を押さえる。

 先日の一件により、今シルベニアの魔力は大幅に低下してしまっていた。

 なんといっても、たったひとりで極術にも匹敵するほどの魔法を放ったのだ。

 これが回復するまでに、あと数日はかかるだろう。

 

 それどころか、より事態は深刻だ。

 指先の爪がまるで鉱石のように輝きを放っている。

 

 ――シルベニアの魔晶化が進んだのだ。


 人の身が操るには濃縮すぎる魔力が、結晶と化してしまう症状だ。

 この症状は現アルバリススでも、不治の病とされていた。

 キャスチなどによれば、その進行を遅らせたり留めたりすることはできるらしいが――無論、今ここに彼女はいない。

 

 半魔晶生命体シルベニアの持つ凄まじい力は、未来と引き換えのものである。 

 

「……」


 街は荒れ果てており、あちらこちらでピリル族の兵士がとりあえずの復旧作業にあたっている。

 当面の軍営を確保するだけの、応急処置のようなものだろう。


 そんな彼女の前を、一台の馬車が横切る。

 それは檻を乗せていた。先ほどのイサギとレ・ヴァリスの戦いにより牢が崩れたため、護送されている最中なのだろう。


 うなだれた慶喜。――それがいた。

 

 シルベニアは思わず立ち止まり、呼び止める。


「待って」

 

 真・魔族帝国の兵に声をかけて、シルベニアは馬車を呼び止めた。


 冷やかすような足取りで向かい、コンコンと檻の鉄格子を叩く。

 ハッと慶喜は顔をあげた。


「……え、あ……っ」

 

 何度か咳払いをしてから、慶喜は改めてシルベニアを見て。


「あ、ああ、シルベニアちゃん……無事で良かった。

 しばらく声を出してなかったから、声の出し方忘れちゃったよ」

「……」

 

 シルベニアはそんな慶喜の様子を上から下まで眺める。

 たった数日、数週間で、まるで別人のようにやせ細った慶喜の姿を見て。


「みすぼらしいの」

「久々に会った第一声がそれっすか!?

 こ、これでもちゃんとひとりで魔術で水浴びとかしているんすけど!」

 

 慶喜の悲鳴に何事かと兵士たちが飛んでくる。

 現魔族国連邦の魔王は、両手をあげて降伏の意を示していた。


 シルベニアは首を傾げる。


「……どうしてそんなところで、なにをしているの?

 魔術を封じられたわけでもないの? バカなの?」

「え、いや、最後のはちょっと意味がわからないっすけど……。

 いやあ、それが実は……」


 慶喜は声を潜めてシルベニアに。

 

「……その……ロリシアちゃんが人質に取られているって、イグナイトさんに……」

「……え?」


 初耳だ。

 そんなことはシルベニアは知らなかった。


「ぼくがもしここから逃げ出そうとしたら、あの子が殺されるって言われて……」

「……」

 

 慶喜の言葉を聞いたシルベニアは、唐突にその瞳の光を暗くした。


「あ、え、えと……シルベニア、さん?」

「……?」

「いや、えっと、大丈夫かな、って……」

「?」

 

 いくつもの疑問符を浮かべるシルベニアに、慶喜は口ごもる。

 それでも言おうと思ったようだ。牢に押し込められてボロボロの慶喜が。


「……なんか、すごい、辛そうな顔、してないっすか?

 シルベニアさん、無理しているなら、

 ひとりで先に、ブラザハスに帰ってても……」

「……」

 

 彼はシルベニアの事情をまるで知らない。

 当たり前だ。この戦いにおいて魔族国連邦の魔王は、蚊帳の外だ。


「ぼ、ぼくは大丈夫っすから……。

 おとなしくしている限り、ロリシアちゃんは無事でいるって、イグナイトさんが約束してくれましたし……。

 だから、その、イサ先輩が来るまで、こうして、待ってればいいだけっすから……。

 役に立てなくて、その、正直情けないっすけどね……はは……」

「……」


 彼はこの戦いの実情をまるで知らない。

 それでもシルベニアを安心させようと微笑んでいるのは、なんと滑稽なことだろう。

 本当に。


「ヨシノブ」

「え、あ、は、はい?

 あ、もしかしてなにか、ぼくにできることとか……あったりします?」


 彼はほんの少しだけ目を輝かせて。

 されど、シルベニアは正直に告げた。


「なんにもないの。なにひとつ。

 ヨシノブにできることはなにひとつないの。

 誰も、誰ひとり助けることはできず、牢の中で朽ちて死ぬだけなの」

「辛辣にもほどがありませんかねえ!?」

 

 シルベニアは身振りで兵士に「行って」と告げる。

 馬車はガラガラと動き出した。遠くから慶喜の悲鳴が聞こえる。


 見送るシルベニアは、自らの声を胸中で反響させる。


『――誰も、誰ひとり助けることはできず、牢の中で朽ちて死ぬだけ』


 なるほど。ふさわしい。

 あるいはそれは、自分自身のことだったのかもしれない。

 

 


 人を殺すことによってシルベニアは認められた。

 上手にたくさん殺す術を高めれば高めるほど、周りの人たちは皆、シルベニアを誉めてくれた。

 キャスチやイラも、ゴールドマンもシルベニアを頼りにし、そのおかげでシルベニアは魔族国連邦にい続けることができた。

 仲間が増え、その中でシルベニアはさらに自由な時間を手にして、人を殺す術を極め続けることができた。

 シルベニアは生かされている。そのことを忘れたことは一度もない。シルベニアに戦う以外のことなど、できるはずがないのだから。

 

 シルベニアはそう思っている。今でもそう考えている。

 イサギや廉造はシルベニアに新たな道を示そうとしていてくれたけれど。

 それはシルベニアにとっては未来の形だ。でも、決して今ではない。

 シルベニアにとって戦う理由は『報いるため』だったのだろうか。

 

 それを確かめるために今、シルベニアはここにいる。

 幼い頃からそばにいた、シルベニアのたったひとりの友達に会うために。


(そうよ、すべてデュテュが悪いの……)

 

 慶喜をおちょくり、少しだけ気分が晴れた。

 デュテュがいるらしき屋敷に向かって、憤然とした気持ちで足を進めるシルベニア。

 

(あたしがこんなにもやもやして、気持ち悪いのも、ぜんぶデュテュがいけないの。

 ……ぶっ飛ばしてやるの。もう、許さないの)

 

 そうかと思えば、体の奥から熱が湧き出てくるような気がした。

 八つ当たりには違いないけれど、それがどうした。

 足音を響かせながら、道をゆく。


 デュテュに会って問い詰めるんだ。

 力づくでも、彼女の真意を問いただそう。

 自分がゴールドマンにされたように、その頬を張ってでも。

 聞き出すんだ。


 そう決意して、ノックもせずに屋敷の扉を引き開けるシルベニア。


「デュテュ――」

 

 声をかけようとしたその瞬間、シルベニアの顔にわずかに血がかかった。

 

 

 

 その屋敷の玄関ホールには、一組の男女が向かい合っていた。

 こめかみに血のにじむハンカチを当てながら、毅然と背筋を伸ばすデュテュ。

 その前には、全身の至るところに包帯をまきつけ、肩をいからせたレ・ヴァリスが立っている。

 

「どうなってんだ、てめえんところの部下の教育はよォ!

 せっかくこの俺様が『最強』になるところだったんだぜ! それを――!」

「……ゴールドマンはあなたの身を案じていただけでしょう」

「関係あるかよ! そんなものは!」


 デュテュの胸ぐらを掴むレ・ヴァリス。

 魔帝の姫は背中を壁に押しつけられて、苦悶の表情を浮かべている。

 レ・ヴァリスの爪の先にも血がついている。

 おそらくは彼が怒りに任せてデュテュを傷つけたのだろう。

 彼女のその顔を――。


 ――その瞬間、シルベニアの視界が真っ赤に染まる。


 シルベニアは片手を掲げた。

 侵入者に気づいたレ・ヴァリスがこちらを向くが。

 ――構わず放つ。


「ああ?」

「死ね――」

 

 その指から炎を撃ち出し――。

 ――だが、できなかった。


「……え?」

 

 この手に魔力が集まらない。レ・ヴァリスが目を赤く輝かせているのだ。

 それは彼がイサギに放った絡みつく禁術『魂縛』である。


 レ・ヴァリスはデュテュを突き飛ばすと、大股で歩み寄ってきてシルベニアの髪を掴む。


「なんだよてめえは。いきなり出てきやがって。

 魔法師が魔世界に干渉できなくなりゃ、ただの人と変わらねえよな?」

「……っ、ぐ」

「てめえがあのとき魔法を撃たなけりゃ、今頃は……!」

 

 餓狼のようなレ・ヴァリスの瞳に覗き込まれて。

 シルベニアは眉を歪める。


「……」

「……ったく、なんつー目をしてやがるんだ」


 しかし直後、まるで興味を失ったかのように手を離すレ・ヴァリス。

 シルベニアは支えを失い、その場に尻もちをつく。


 ――その間に、その場に剣を抜いたものがふたりいた。

 ひとりはシルベニアの後ろから現れたイグナイト。


「……デュテュさまを迎えに来てみれば。

 それ以上の狼藉は、許さぬぞ、レ・ヴァリス殿」


 そして――。

 リィンと音鳴る細い突剣を携えたデュテュである。


「レ・ヴァリスさま。わたくしに当たるのは構いません。

 ですが、その子はただゴールドマンの命令に従っただけです。

 責任の所在はわたくしにあります」

 

 頬を拭い、晶剣を突き出すように片手で半身に構えるデュテュ。


「……ったく」

 

 不穏な空気が漂い出す屋敷のホール。

 イグナイトとデュテュに挟まれ、レ・ヴァリスは舌打ち。

 耳をかきながら、まるで子供のようにうなる。


「いいさ、やるなら相手になってやるよ……と言いたいところだけどな。

 いくら手負いとはいえ、俺様が相手になったら、

 てめえら全員一瞬で蹴散らしちまうだろうが。

 ……弱いものいじめは、俺様の気が進まねえな。

 わーったよ、やらねえよ」

 

 先日、魔王と死闘を繰り広げ、その体力はまったく回復していないはずだが。

 それでも本当に勝ってしまうのだろう。レ・ヴァリスはそれほどの男だ。


 だが、それでも怒気を現すのは忠義の騎士、イグナイト。

 

「デュテュさまの顔に傷をつけておきながら……!」

「ああ? ただ引っかいただけだろう?

 俺様がその気になりゃあ、バラバラにしてやったって良かったんだぜ。

 むしろこの俺様に命を救われたことを感謝するべきじゃねえか?」

「貴様――」

 

 彼に斬りかかろうとするイグナイトの腕に、デュテュがそっと手を添える。

 

「いいのです、イグナイト。わたくしは構いません。

 彼のおっしゃることもわかります。

 誇りを賭けた一騎打ちを邪魔立てされたのですから」

「……デュテュさまがそう言うのなら」


 イグナイトはまるで納得していない顔だったが。

 それでもここで戦えば主人を危険に晒すということがわかっていたのだろう。

 デュテュをその身にかばいながら部屋を出ようとする。


「デュテュさま、魔術兵団の皆がお待ちです。こちらへ」

「……ええ」

 

 だがデュテュは、シルベニアの前で立ち止まった。

 剣を鞘に収め、ぺたりとしゃがみ込むシルベニアに手を伸ばしてくる。


「デュテュ……」

「シルベニアちゃんも、戦いのときは近いようです。

 ゆっくりとおやすみください」

「……あ」

 

 シルベニアは彼女のその手を取ろうとするけれど。

 レ・ヴァリスやイグナイトらの人の目があって、シルベニアは思わず言葉を飲み込んでしまう。

 

 戸惑うシルベニアの前で、デュテュはまるで知らない顔で微笑んでいる。


「わたくしは、みなさまのご様子を見てきますね。

 戦いづくめで疲れていらっしゃるようです。ご自愛を」


 あ、と意味のない声が漏れて。

 立ち去ろうとするデュテュの背を指が追いかけていた。


「デュテュはそれでいいの?」


 思わず出たのはそんな言葉。

 これでは意味が伝わるはずがないだろうけれど。


「……うふ」

 

 デュテュはふわりと微笑む。


「ええ。この戦いは意義のあるものです。

 魔族がニンゲンに反抗し、一族の栄誉を手にするために。

 そのためにわたくしたちは剣を手に立ち上がったのですから」

「……デュテュ……?」


 彼女はこんなことを言うような人だっただろうか。


 かつて、シルベニアはデュテュとキャスチの手により助けられた。

 魔晶の中で眠り、そのまま死に果てる運命だった彼女は、救われたのだ。

 幼かったシルベニアと、当時12才のデュテュ。七年前の話だ。

 

 シルベニアは代償として常に血を求めた。命を奪うことで自らの存在を証明するつもりだった。

 そんなシルベニアの身をいつも案じてくれていたのも、デュテュだった。

 魔帝の娘は誰よりも優しく、シルベニアをひとりの娘として、友人として大切にしていてくれた。


 暗黒大陸を平定し、しかしシルベニアはもう戦う必要がなくなってしまって。

 これから先、どうすればいいのかとわからず、胸に大きな穴が空いたようだった。

 そんなときにそばにいてくれたのも、デュテュだ。

 彼女は戦争の終わりを誰よりも喜んでいたはずなのに。

 

 なのにこうして今、最前線に立って剣を持っている。

 そのことがシルベニアはまったく意味がわからない。

 

 シルベニアは決して愚かな娘ではないけれど。

 今の状況は完全に彼女の手には余るものだった。

 限界まで石を詰め込んだツボに砂を流し込むように、シルベニアの心は飽和状態だった。

 

 

 デュテュたちは部屋を出てゆく。シルベニアを置き去りにしたまま。

 ――というか、レ・ヴァリスもなぜか残っているが。


「ったく……気に入らねえな!」


 レ・ヴァリスは玄関ホールの脇にあった、小さなチェストを蹴り飛ばす。

 木は一撃でひしゃげ、宙を舞った後に、床に落ちて砕け散る。


「魔族連中はみんなそうだ。

 腹の中にひとつもふたつも抱えて、なにを考えているかわかりゃしねえ。

 あの姫さんも、ゴールドマンもだ。もちろん貴様もな」

「……」


 先ほどまでシルベニアの中にあった殺意は、とっくに霧散していた。

 デュテュの他人行儀な態度を前に、なにもかもがどうでもよくなったのかもしれない。


 部屋の隅で、シルベニアは自らの髪を撫で下ろしながら。


「……あたしを、殴らないの?」

「あ?」

「さっきの、続き」

 

 レ・ヴァリスは顔を歪める。


「戦う気もないやつを殴れるかよ」

「……ヘンなの」

「は! よってたかって一匹の男を殺すのが趣味の魔族とは意見があわねえな!」

 

 そんなに動いたら傷口が開いてしまうだろうに。

 行く宛のないシルベニアは、決して弁明しようと思ったわけではないが。

 所在無さげに佇みながらも、口を開く。


「……あなたひとりじゃ倒せなかったの。だから」

「ああ?」

「兄様はあなたを救おうとしていた。なのにどうして怒るの?」

「みんなそう言いやがる……。

 ……ったく、気に入らねえんだよ」

「……」

 

 またそれだ。

 廉造やイサギ、慶喜もよく言っていた。

 意味がわからない。『気に入らない』、とはなんなのか。

 やるべきことがあるのならそれをするべきだし、人の命令には従わなければならないだろう。


 すでに『魂縛』は解かれている。

 シルベニアはだからというわけではないが、彼に問う。


「獣の人」

「――ああ!?

 なんだそれは、俺様をみくびってんのか!?」

 

 思ったよりも大きな声で怒鳴られてしまった。

 けれど、構わず。


「どうして、デュテュは戦っているの?」

「……は? てめえんところの親玉だろ?」

「あたし、途中から加わったから」

「……詳しいことは知らねえよ」

 

 レ・ヴァリスは耳をかき、尻尾をうねらせながら語る。


「話を持ちかけてきたのは魔族からだ。

 カリブルヌスが死んだっつー話を聞いてから半年経った頃だな。

 その頃に、あの空中戦艦を見せられたんだ。

 心が躍ったさ。こいつさえあれば、百人力だってな。

 だからてめえらと手を組んだ。

 魔族がなにをたくらんでいるかは知らねえがな。

 俺様の邪魔さえしなけりゃなんだって良かったんだ。

 ニンゲンを見つけだして殴り潰す。

 それだけのために、てめえらはややこしすぎんだよ」

「……」

 

 ややこしすぎる。確かにそうだ。シルベニアもそう思う。

 なぜだかレ・ヴァリスの言葉はスッと耳に入ってきた。

 どうしてだろう。廉造やイサギに物言いが似ているからかもしれない。


 しかし、シルベニアは首を傾げる。


「獣の人は、デュテュに?

 同盟を結ぼう、って言われたの?」

「ちげえよ。あの金髪の気に入らねえ男だ」

「……兄様が」


 小さくつぶやくと、レ・ヴァリスは目を丸くし、毒気を抜かれたような顔を見せた。


「……あんだよ、あいつ、てめえの兄貴か」

「うん」

「……兄貴が、妹をぶっ叩くか。

 ったく、わけわかんねえな魔族ってやつは!」

「……」 


 レ・ヴァリスは今度は床板を踏み抜く。

 デュテュが帰ってくる場所がなくなってしまうのではないか、とシルベニアは少し思う。


「獣の人は、どうしてニンゲンを殺すの?」

「さっきから質問ばっかりだな、てめえは……」

 

 うっとうしそうにこちらを見やるレ・ヴァリスだが、律儀にも彼は口を開く。


「決まってんだろ。ピリル族こそがこの世界の頂点に立つためだ」

「……それってなにか良いことあるの?」

「ああ、あるぜ。ニンゲンにピリル族が殺されなくなる」

「殺される前に殺す?」

「まあ、そういうこったな」

「……」

 

 なるほど。理にかなっているような気もする。

 レ・ヴァリスの言葉は単純ゆえに、シルベニアにとって理解しやすいのだろう。


 けれど、それならやはりデュテュはおかしい。

 あんなデュテュは、おかしいのだ。

 

「デュテュは、ニンゲンと魔族が共存できるって言っていたの。

 殺さず、殺されないように済む世界を作るって。

 それがデュテュの理想とするアルバリススの姿なんだって」

「はあ?」


 レ・ヴァリスは目を剥く。


「なんだそりゃ、夢物語か? 馬鹿の考えだな」

「そうなの」


 シルベニアはしっかりとうなずく。


 どんなに兄が変わっても。

 イサギや廉造を敵に回しても。

 世界がもし滅ぶのだとしても。


 ――これだけは確信を持って、告げられる。


「デュテュはバカなの。

 あんな小利口な顔をして澄ましているのなんて、ありえないの。

 ホントにデュテュらしくないの」

 


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ――それは一体、いつの記憶だったのだろう。

 思い出せない、けれど。

 

 おそらくとても大切な戦いを控えた、その前夜だったのだと思う。

 その頃自分はまだ――『勇者』と呼ばれていた。

 

 計り知れないほどに昔の、古い記憶のようにも感じてしまう。



 

 パチパチと焚き火の音が爆ぜる夜更け。

 少年は――自分は――頬杖をつきながらあぐらをかき、火の揺らぐさまを見つめていた。


『……』


 野営地から少し離れた場所だから人の気配もなく。

 暗い林の中で彼はしばらく、孤独を噛み締めるように味わっていた。

 誰にも行く先は告げていなかったが、迎えが来るであろうことはわかっていた。

 木の葉を踏みしめながらやってきたのは――。


 金色の髪の乙女。

 その顔はなぜだか――黒く塗りつぶされていたけれど。


『ゆーしゃさま』


 からかうような声音。


『たったひとりでなにをしているの、キミ。

 バリーズドやセルデルくんはあっちで騎士団の人たちと仲良くやっているよ。

 ひとりぼっちで寂しいこと』

『……』

 

 言葉を返さず、手元の小枝を折って火に投げ入れる。

 彼女は少年のすぐ隣に腰掛けた。


『ついにここまで来ちゃったね。明日は突入よ』

『……長かったな』

『三年だもの』

『ずっと戦ってきた』

『うん、おかげであちこち傷だらけね』


 ローブの袖をめくって「あちゃー」と彼女は形の良い眉――だったのだろうか? よく思い出せないけれど――をひそめる。

 乗ってこなかった少年を上目遣いに見やり、少女はイタズラっぽく微笑んだ。


『どうしたの、きょうは口数が少ないじゃない?』

『バカ、緊張してんだよ。それくらいわかれよ』

『ばかね。それをほぐしてあげようとわざわざ来てあげたんでしょ?

 それくらいわかりなさい?』

『……お前な』


 うめく少年。緊張に震える手を隠すように後ろに回す。

 これは武者震いだと自分に言い聞かせる心の声も、目の前の少女には聞こえているかのようだ。


『あたしたちのゆーしゃさまがそんなんで、どーするの?』

『明日になったらうまくやるさ』

『……もう、かっこつけちゃって』

『あ』


 少年の手の甲に彼女が手を添える。

 冷たくてすべすべした指に撫でられ、くすぐったさよりも先に恥ずかしさが湧く。


『……○○○』


 彼女の名前を呼ぶ。

 ――呼んでいたのかどうか、わからないけれど。


 甘えがノドの奥からこみ上げた。

 本当は自信などなかったのだ。

 これほど多くの期待を背負って戦うことになるなんて、初めてで。

 だからこんな暗闇の中、火を見つめて震えていたのに。


 少年が弱音を吐いてしまいそうになったそのとき。

 ――こちらの目を見つめながら、彼女は言った。


『ねえイサギ、もう逃げちゃおっか?』

『……え?』


 聞き返す。

 彼女はいつだって突拍子もない。予測がつかない。

 ――そう、そうだった。そういう少女だった。


『だって、こわいよね? 魔王城だなんてさ。

 別に人間族がどうなってもいいよ。関係ないってば。だからさ、ね?』


 彼女は耳に残る笑い方とともに囁いてくる。

 ――自分はきっとそれが、とても好きだった。


『暗黒大陸の奥地に、ふたりでさ。

 ここなら誰も追いかけてこれないしね?

 そうして新しい生活を始まるの。

 あ、べ、別に誤解しないでね?

 お互い。良い人が見つかるまでの話よ?』

『……』

『一軒家を立てて、畑でも耕そうかしら?

 実るまではキミが獣でも捕ってきてさ。

 穏やかでもなにもない暮らし。

 世界は魔族の手に落ちるかもしれないけれど、でもあたしたちは強いから、平気よね?

 それなりに楽しくやれそうじゃない?』

『……』

 

 イサギは黙り込む。苦みばしった表情で唇を噛みながら。

 それを見た彼女は、眉を困ったように寄せながら微苦笑した。


『やだ、そんな顔しないでよね。別に意地悪するつもりじゃなかったんだから』

『……いや』


 小さく首を振る。そうではない。

 彼女の言葉を受け入れてもいいかもしれない、と思ってしまったのだ。

 なにもかも投げ出して、たったふたりで幸せになるその生活が悪くないな、と。

 少しだけ思い描いて、羨ましくなったのだ。

 この期に及んで、心乱されるだなんて、勇者としてあるまじきことだ。


 明日が来るのが怖かった。

 ――そうだ、そう思っていた。


 激しい戦いになるだろう。

 バリーズドやセルデル、あるいは○○○――彼女の名だ――や、自分の大切な人が戦いの中で死んでしまうかもしれないと思ったら、心臓が鷲掴みにされたような思いがした。


 俯くイサギに、彼女は。


『あたしだって、ちょっとはいいなって思うけどね?

 ……でもさ、やっぱりそんなことをしても解決にはならないし』

『……そう、だな』

『どこにいたって辛いよ、逃げ出したんじゃ。

 置いてきた人のことが頭に浮かんで、苦しいよ。きっとね?』


 金色の髪をかきあげながら猫のように笑う少女。

 初めて会ったときからずっと、彼女の笑みはイサギの心を揺り動かす。

 勇気をくれる。

 ――勇気をくれていた。覚えている。


 ……そうだったのか、と気づく。


 どうして縁もゆかりもないこの世界――アルバリススで、イサギはここまで来れたのか。

 初めてわかったような気がした。

 ――それはとても、大切なことだった。


『……レハ』


 月明かりの下。ふたりきりで。


『……どしたの、イサギ』

『俺は勝つよ』


 イサギは火を見つめながら誓う。


『だから明日は頼むよ、――レハ』

『……ふふ、任せなさいってばね? この、アルバリスス最強の魔法師、――ハさんにね。ふふふ』


 彼女の手がイサギの手に重ねられて。


『この世界を救ってみせる。だから――』


 彼女の故郷、パラベリウ王国のダイナスシティに戻ったら、その時は――。

 続く言葉を言い出せずに、イサギは――レハ―の手を握る。


『一緒に、帰ろう』

『……うん』


 勇者イサギの胸の奥の震えは、収まっていた。


 本当はアンリマンユを倒すのも、冒険者ギルドを作るのだって、一番の目的ではなかったのだ。


 本当は、どうしてここまで来たのか。

 なぜ戦い続けているのか。



 

 それは、

 本当は、

 彼女の。



 彼女の……。




 ――誰の?





 次の瞬間。

 ――イサギの意識は覚醒した。



 

「……ここは? ――ッ!」

 

 身じろぎすると息も詰まるような激痛が走る。

 骨という骨、血という血、肉という肉。あらゆるものが掻きむしられ、ナイフでえぐられるような感覚。

 目玉から鼻の奥にかけて、煮えたぎる熱湯を流し込まれるような苦痛。

 およそ考えられるすべての辛苦が一瞬で襲いかかり、イサギの視界が明滅する。

 

 呼吸するたびにそれらは疼くように繰り返しイサギを苛む。

 体のダメージを確認するどころの話ではない。

 痛みにまともに向きあえばすぐにでも発狂してしまいそうだ。


(……ったく、めんどくせえ……!)

 

 目が開けられない。もしかしたら潰されているのだろうか。

 イサギは記憶を探る。

 シルベニアの魔法に吹き飛ばされて海に落ちたところまでは覚えているが……。

 

(……生きているってことは、うまくいったってことだろうが……)

 

 ――今の自分の状態が生きていると言えるのならば。

 

 イサギは、レ・ヴァリスの絡みつく破術を見よう見まねで模倣してみたのだ。

 効果を及ぼし続ける禁術によって、イサギの周辺の魔世界は常に正常化され続けるフィールドと化していた。

 そのままの効果を保ちつつ海に逃げ込もうとしていたのだが、しかし破術が持たなかった。

 魔力を失ったイサギは飛び込む寸前で炎を浴び――そして、そこで意識を失った。

 

 どれくらいの間、海を漂っていたのだろう。

 現在の状況はどうなっているのだろう。

 自分の体の欠損はどの程度か。まだ戦うことができるのだろうか。


 ――そして一体誰が自分を助けてくれたのか。


 あらゆる疑問の念に、自分はなにひとつ答えを持たず。

 これが現実であることを告げる激しい痛みの中、意識だけが薄れてゆく。



 聞こえた声は、夢か幻か。


「……命があったか。

 あの調子では五分五分といったところだったが……運の良い男だな」


(……だれだ……)

 

 それは間違いなく手がかりであるはずなのに。

 だめだ。覚醒し続けるだけの体力が持たない。


「今はゆっくりと休むがいい。

 おまえの力が必要なときが、必ず来るはずだから……」


(……)

 

 そうして最後に残った想いは、ふたつ。


(……負けた、のか……)


 その後悔と。


(……)

 

 光の中、滲んで見えなくなってゆく、金髪の乙女の――その笑顔。

 


 今度の夢に、あの金髪の少女は現れなかった。

 ただの暗闇が、イサギをその胸に抱く……。

 

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