9-1 The Soul Taker
日生ずる原を駆ける一頭のバオバ。
それには、まだ若い――けれども精悍な目をした少年が騎乗していた。
金色の髪をなびかせるのは、後のレ・ヴァリス。
だが今はただのヴァリスだ。
彼が向かう先は草原の中にある小さな陣。
数百人規模のそれが、そんなものが今はピリル族の最前線である。
陣に近づけば、ヴァリスを迎えにひとりの男が現れた。
その後ろにさらにふたりの男。皆、少年だ。
彼らは疲労困憊の顔の中に、一滴の安堵をにじませて口を開く。
「若様、戻られましたか……!」
「ベルダ! 一体戦況はどうなっている!」
バオバから飛び降り、怒鳴りながらヴァリスはその男に駆け寄った。
誰もが、皆が泥に汚れている。身にまとう革鎧はくたびれて、まるで敗残兵たちのようであった。
「兄者たちはどうなった! あの男、カリブルヌスを押し返すことはできたのか!?」
「……若」
ヴァリス親衛隊。族長の七男である彼につけられた兵は、今やベルダ、ディエス、ドンガ。たった三人のみ。
精鋭の生き残り、最後の三人だ。
「言え! お前たち! 兄者は、一体……!」
「……」
「……まさか……!」
誰もが答えなかった。それが答えであることをヴァリスは知る。
絶句。ヴァリスは再びバオバの手綱に手をかけた。
「若、どちらに!」
「知れたことよ。カリブルヌスの首を穫りにだ!」
「無茶です!」
少年たちは必死にヴァリスを止める。
その手をふりほどくこともできず、ヴァリスは無力を嘆く。
「なぜだ……人間族め……!
この俺に、力がないからか……!
カリブルヌス……! カリブルヌスめが……!」
その怨嗟、どこにも届くことなく地に墜つる。
慰めの言葉すらも遥か遠くのようであり。
「今は長兄であられるファリスさまと、次男のエナリスさまが向かっております……。
戦線はまだ持ちます。ピリル族は数の上では優っているのですから。
問題はカリブルヌスら、のみ。それでもすぐにカタがつくことでしょう。
ですから、ヴァリスさまはどうか、こちらでお休みになってくださいませ……」
「ぐ……!」
突っ伏し、地面を叩くヴァリス。
ピリル族の土地にまで踏み込まれ、住処を追われながらも自分にできることはなにもなく、ただ軍指揮に走ることが関の山。
理想と決して重なり合うこともない今の己の実力が、なによりも歯がゆく悔しくて。
――その目が、ふいにひとつの光景を捉える。
夢か幻か、赤く燃え盛る本陣を背に。
立ち並ぶ四人の人間族。
冒険者たちの頂点に立つ不滅の四人。
炎に照らされし、カリブルヌス・パーティー。
『虹蛇』グレイグロウ。
『回復術姫』シンディアーナ。
『麒麟』セスト。
そして――。
ふたりの男――兄たちの首を持つ、冒険者の王。
神剣に選ばれた勇者。『英雄王』カリブルヌス。
『期待をしていたのだけれど、手応えがないものだね。
存外、ピリル族というものも。大したことはなかったよ』
能面のような顔に張りついた笑み。
その言葉が魂を通し、ヴァリスの耳に届いた気がして。
「――あああああああああああああああああああ!」
ヴァリスは絶叫した。
髪をかきむしりながら、吠える。
この世界は力だ。力がなければ守りたいものも守れない。ただ奪われるのを待つばかりだ。
平和も友も、未来も己も。
だから、ヴァリスは強くなるために禁忌に手を出した。
――破術。それは今、ヴァリスの手の中にある。
三人で挑戦し、自分だけが生き長らえたその意味。
ふたりの兄の犠牲の上に立つヴァリスは今、あのときのことを思い出している。
――直後、意識はハウリングポートの冒険者ギルドに戻る。
最強を名乗る仮面の男。剣を帯び、先を布で覆った杖を手に持つ。
背丈はそれほど高くはなく、黒い外套に身を包んでいた。
この男の超然とした佇まいは似ている。あの憎きカリブルヌスに。
ベルダ、ディエス、ドンガ。
三人の親衛隊の屍の上に立つ人間族の男は、ただ笑いもせず、こちらを見下ろすばかり。
許してはおけぬ。
「名乗るがいい、仮面の男!
貴様の墓標に刻むその名をな!」
レ・ヴァリスと対峙するその魔人。
バロールの魔眼の奥の瞳を細めて、口元を歪める。
「道理も知らぬ愚犬に、人の名が読めるのか?」
「――ッ!」
その瞬間、闘いの始まりを告げる鐘が、頭の中で鳴り響く。
レ・ヴァリスは最高速度でコードを編み、右手を突き出した。
悪だ。自分にとっての絶対的な敵対者。それが現れたのだ。レ・ヴァリスの本能が苛烈に燃え上がる。
もはやこの男にはなにひとつ躊躇する理由がない。
破術を。魂の炎まで一撃で破潰するほどの渾身の破術を。
叩き込むのみ――。
「貴様の魂、砕け散るがいい! 魂滅!」
コードを編む速度は、ほぼ同時。
仮面の男も動き出していた。彼もまた左手を突き出し、叫ぶ。
「――ラストリゾート・クリティカル!」
ふたりの間で目も眩むような破壊的な閃光が激突した。
奔流と奔流。コードとコード。魔世界が魔世界を修復し、修復された魔世界が魔世界に作用する。
互いが互いを打ち消し、相殺されてゆく破術。
その比倫を絶するようなまばゆい光景を前に、レ・ヴァリスが目を見開く。
「破術だと……!?
俺様と同じ、同じ力を持っているのか……!?」
「……」
両者の禁術はぶつかり合い混ざり合い、その光の一片までも陽光に溶けるように互いを無効化しながら消えてゆく。
幻想的な輝きに照らされながら、仮面の男は静かに剣を抜いた。
「俺のラストリゾートと同等の力、か。
魔眼によって威力は増幅されているはずなんだがな。
レ・ヴァリス、ただの犬ではないようだ」
その言葉を聞いたレ・ヴァリス、まるで獣のように咆哮す――。
「一体どんな手段を用いてその力を手にしたかは知らぬが、減らず口を!
殴り潰してくれる! 唸れ、魂鎧オハン!」
レ・ヴァリスは四肢に装着した鎧に命令を下す。
紫の燐光を噴出しながら飛び上がろうとする彼を前に、イサギは泰然自若。
魂鎧オハン。イサギはあれを知っている。
知っているが、まるで違う。
21年前に当時の族長ダリスが用いていた魂鎧オハンは、せいぜい手のひらから飛び道具を放つのと、近接戦闘能力を著しく高める程度の装具であった。
あのように、空中戦闘を可能にする効果など聞いたこともない。
規格外の獣、レ・ヴァリスのセンスの賜物、ということだろうか。
相手が術師であることを見越してこの狭い室内で待ち構えていたのだ。飛ばれては意味がない。
刃の届く位置にいてもらわなければ――。
イサギはカラドボルグを逆手に持ち直し、放つ。
「エクスカリバー・レイン!」
イサギの体がわずかに金色に輝いたその瞬間、斬撃は複雑な軌道を描いて実体化した。
空中に放った闘気を、人間の死角である頭上から下方へと向けて撃ち出す技。
カリブルヌスより盗んだこの剣技に改良を重ねたものだ。
目視不可能の剣は、レ・ヴァリスに致命傷を与えるほどの威力があるはずだが――。
「――はァッ!」
呼気一喝。レ・ヴァリスの右目が輝きイサギの放った闘気は霧散――。
――が、読んでいた。それを阻むのもまたイサギの禁術。
「ラストリゾート・ストレングス!」
イサギの破術のうちもっとも射程の長いその技は、レ・ヴァリスの破術が効果を及ぼすその前にその根源を破潰する。
すなわち事象に変化なし――斬撃は止まらずレ・ヴァリスを襲う。
「――ぐッ!」
「……固いな」
ギロチンのような刃はレ・ヴァリスの左肩に突き刺さる。
そのまま腕を切り落とすほどの威力を秘めていたはずの一撃は、しかしさほどのダメージも与えられず魂鎧オハンに阻まれた。
常に噴射されているその魂の炎が、彼に通常以上の防御力を与えているのだ。
なるほど、魂『鎧』とはよく言ったものだ。
そして破術を放った直後のイサギは今、著しく身体能力が減少している――。
翻り、部屋の天井付近にとどまるレ・ヴァリスもまた破術使い。
そのぐらいのことは百も承知だ。この機を逃すはずもない。
「噛み殺せ! 魂鎧オハン!」
血の噴き出る左腕と右腕を組み合わせ、レ・ヴァリスが叫んだ直後――。
部屋を真っ二つに斬り裂いたあの魂力の塊が彼の手の中から溢れ出た。
それは紫色の光を放ちながら、まるで荷電粒子砲のようにイサギへと迫る。
逃げ場はない。室内での戦いが完全に裏目に出たか。
「仲間の死体ごと吹き飛ばすか? 悼んでいたのではないのか?
所詮はその程度の扱いか。ずいぶんな王じゃないか」
「ぐッ――!
よ、よく貴様が口に出せるものだなッ!」
この技は魂世界の震撼による衝撃波――魂波だ。魔世界までにしか作用しない、通常の破術では防ぐことはできない。
同様にイサギ程度の法術では身を守るのも無理。カラドボルグを突き出せば、剣が砕かれてしまうだろう。
「逝く世はこの世のあらゆる苦痛に苛まれよ!
己の行ないを悔やむ暇もなく、
呪いの言葉の中で息絶えるが良い!」
レ・ヴァリスは勝利を確信しただろう。
その極大範囲攻撃は、右にも左にも上にも下にも死角はないのだから。
だが――。
仮面の男は怯えも、うろたえもしない。
「――このパターンはもう、前に一度見たんだよ」
イサギは覚えている。セルデルの放った赤い光――極術を前に、なにもできずに片腕を失ってしまったことを。
一度直面すれば対抗策を練る。それを繰り返し、イサギは強くなり続けた。
だから、イサギは左手に握りしめていたそれを、前に突き出す。
「肉世界の上位世界である魔世界。魔世界の上位世界である魂世界。
では魂世界の上位世界は? 決まっているさ」
掲げるは杖。全力で魔力を込める。
――ぽわり、と。
その先端にわずかに赤い火が灯った。
それは決して折れず曲がらず、砕けることのない完全なる物質。
神世界の遺物。神話の中の武器。
そう、聖杖ミストルテイン――。
迫る紫色の粒子砲を、イサギの杖は斬り裂いた。
まるで海を割るように。イサギのいる場所を起点に魂波は分かたれてゆく。
「貴様……!?
神世界の技……? 一体、どういうことだ……!?」
レ・ヴァリスはまたしても瞠目。
イサギの背後の壁は津波を浴びたかのように押し流されていった。
紫色の光は肉世界の物質を粉々に砕きながら向こう数件の家を瓦礫に化して掻き消えてゆく。
杖に灯った残光を振り払い、それなりの射程距離だな、とイサギは横目に思う。
「なるほどな。土木工事には役に立ちそうな力だ。
ずいぶんと意気揚々と撃ち出していたが、それだけか?」
「……」
戦闘中に相手の激昂を誘うのは、イサギのいつもの手だ。
挑発を繰り返すことにより相手を萎縮させ、自分の能力を実力以上に顕示するのだ。
涼やかな海風が吹くギルド支部。辺りにはもうなにもない。
最後の柱が崩れ落ち、冒険者ギルドは完全に跡地と化した。
外套の裾をはためかせるイサギの前、レ・ヴァリスは俯きながら地上に着地する。
彼は拳を握り、その猛禽の眼でイサギを突き刺す。
イサギは、おや、と眉をひそめた。
レ・ヴァリスの様子は先ほどまでとは打って変わって、その激情を内に秘めたようである。
「……神世界の術まで使うかよ。
確かにわかった。貴様は強ええ。
まさか俺様の切り札をふたつ続けて上回るとは。
そんなやつは今まで見たことがなかった」
「……ほう」
切り札という言葉に反応して顔をあげるイサギ。
カードを切ったのはイサギも同様だ。新たなる破術に磨きあげた剣技、そして極術による絶対防御。これらを一瞬のうちに引き出されたのだ。
侮ることはできない。レ・ヴァリスはそれほどの相手だ。
レ・ヴァリスは腰を落として、猛る。
「なるほど、『最強』の名は今は貴様のものかもしれねえ。
だが、貴様は俺様の仲間たちの仇だ。俺様はなにがあろうとも負けぬぞ。
この世界に真の平和をもたらすために、今ここで――貴様を、殴り潰す!」
レ・ヴァリスの全身から紫色の煙が立ち上る。
あまりにも濃い魂の力が、その鎧から漏れ出ているのだ。
左手に杖を、右手に剣を持つイサギは小さくため息をついた。
覚悟を決めた相手は手強いだろう。そんなことをいちいちおくびにも出してはやらないが。
「そうか、レ・ヴァリス。
……だがお前に背負えるかな? この俺の称号が」
レ・ヴァリスは両拳を打ち付け、激音を響かせ。
「『最強』を掴むのは、この俺様! 三界の覇王レ・ヴァリスだ!」
拳と剣。光と闇。正義と邪悪。魔王と勇者。
そのふたつが交差し、地が震撼する――。
――そして戦いの舞台はハウリングポート全体に移る。
誰もいない荒れ果てた大通りを疾駆するイサギ。
頭上から彼を狙うのが飛翔するレ・ヴァリスだ。
イサギの剣をかわしたレ・ヴァリスは飛び上がり、遠距離からイサギを仕留めるつもりのようである。
魂鎧オハンによる魂波と、魂を砕く破術。それがレ・ヴァリスの切り札であると彼は言った。
だが魂波は距離を取ればかわすのはそう難しくはない上に――魔力を大量消費するが――聖杖によっても防げる。
障害物の向こうから放たれたとしても、イサギが見過ごすことは余程のことがない限り、決してない。
問題は――。
「――魂滅!」
地を駆け回るイサギに向けて放たれる、その破術だ。
空中から雨のように降らせてくる光を、イサギもまた削り取る。
「……ラストリゾート・ミニマイズ!」
破術を破術で破潰することは――コツを掴んだ今――そう難しくはない。反作用を抑えながらも無効化する術も何度目かで手に入れた。
しかし、行なうのと行ない続けるのはまた、別だ。
(――即死技を、そう何度も何度も使われちゃあな!)
唾棄する。さすがに身が冷えるようだ。
レ・ヴァリスが叫んでいる『魂滅』という技だが――なぜいちいち叫ぶのかが疑問だ。そのせいで発射のタイミングがわかるのに、バカなのか?――あれはイサギの『ラストリゾート・フィナーレ』そのものである。
肉世界と魂世界の繋がりを断つことにより、相手を即死させるための必殺技だ。
イサギはこの技を魂の弱った神化病患者専用として用いている。反作用に自分の魂が耐えられないからだ。
だが、レ・ヴァリスにとってそんなものは関係がない。
(あいつは常人の三倍の魂量を持っている……。
だから、『フィナーレ』を飛ばしても、あいつ自身は反作用をいくらでも耐えられる……!)
理不尽な話だ。相手がイサギでもなければ即死攻撃一撃で瞬殺である。
まさにピリル族の禁術のために生まれた化物だ。破術の申し子か。
いや、それを言うなら魔族やドラゴン族もそうだ。
魔族は対象の魔力を倍増させるための封術により、術式の研究が進んだ。魔族国連邦は術師たちの一大大国だ。
ドラゴン族もまた、獣術による軍勢『竜騎兵』が国を支えるほどの戦力となっている。
ピリル族こそが人間族のイサギとは違い、破術を有用に使えるために進化を重ねた種族であるのだ。
とにかく――今はあのピリル族の王子を何とかしなくては。
石造りの家の壁を蹴り屋根に飛び移るイサギ。
先ほどまで立っていた場所に紫色の光が突き刺さる。
民家はたやすく爆砕した。
レ・ヴァリスはいまだ直上。イサギにぴたりと狙いを定めている。
イサギは通り向かいの商店らしき家に飛び込む。
裏口を蹴り破り、外に出たところで、背後を振り返れば荒れ狂う炎がその家屋を燃やし尽くしていた。
魔術の炎だ。炎熱に照らされた手足は焼けるように熱い。
エクスカリバーを警戒するようにレ・ヴァリスは上空を旋回しながら、彼は次々と遠距離攻撃を仕掛けてきている。
なりふり構わず、得意な距離でイサギを殺す気だ。その判断は正しいと言わざるを得ない。
対するイサギは障害物の多い裏路地に入り込む。
魂波はともかく、ここなら破術は届かない。駆け抜けるイサギ。
その背後に紫色の衝撃波が突き刺さる。
一発、二発、足元をかすめてゆく魂波。
徐々にその命中精度があがってゆく。
レ・ヴァリスがイサギの速度に慣れてきているのだ
「単発、連射、収束……
まるでシルベニアの魔法のようだな。
ずいぶんと性能がいいじゃねえか」
ハウリングポートの地図を頭に叩き込んでいて本当に良かった。行き止まりに当たったら逃げ切れない。
どこかで飛び込む隙を見つけ出すまで、余計な魔力を使うわけにはいかないのだ。
長期戦になればどう考えてもイサギのほうが不利である。
レ・ヴァリスの魔力は底なしだろう。
振り向きざまにイサギは魔術を放つ。
伸びた炎はレ・ヴァリスにかすりもせず空中で掻き消える。
「脆弱だな! 術は得意じゃねえか、『最強』!」
返礼は、彼が空中に描いたコード。一対の魔術は巨大な岩を標的に向けて撃ち出すもののようだ。
どこでもよく見る単調な魔術。だがその規模がおかしい。城でも叩き潰すつもりか。
「受けてみろ!
――来たれ! メルセルベルの落日!」
「……」
あんなものを法術で受け止めようと考えるのは、狂人か封術師ぐらいだろう。
レ・ヴァリスもその一撃でイサギを仕留めようとは思っていないはずだ。
あわよくば破術を誘い、無防備なイサギに魂滅を叩き込む腹積もりか。
その思惑、イサギは見透かしている。
「……聞いた話通りだな。
急に得た力を得意気に振りかざしている男か。
戦闘経験はまだまだ未熟」
だから、今だ。
――この機だ。
天を覆うかのような巨星めがけて、剣を鞘に収めたイサギは跳びあがる。
黄金の闘気――煌気の翼をまといながら、凄まじい勢いで。
煌気翼翔 ・バージョン3。今度のものは『翔ぶ』というより、『打ち出される』と言ったほうが正しいかもしれない。
細かいコントロールはできないが、加速度については自らの足で駆けるよりも数倍も上だ。
右腕を弓のように引き、繰り出すのは廉造を叩き伏せた拳打。
すべてを砕く黄金の槌――。
「――!?」
「ミョルニル・ハンマー!」
岩と蟻。それほどに質量に差があるふたりがぶち当たる。
まさかレ・ヴァリスも予期していなかっただろう。真正面から突っ込んでくるなど。
隕石に入った蜘蛛の巣のような亀裂は徐々に大きさを増してゆき、やがてその魔力の塊を完全に崩壊させる。
土を魔力の残滓に変えながら、大岩をあろうことか拳で砕いたイサギはそのままレ・ヴァリスの元へと迫る。
「くっ!」
多重詠出術による二発目の魔術を破棄し、魂鎧オハンを操るレ・ヴァリスは、さらに上空へと飛び上がろうとするけれども。
だがもう遅い。イサギは剣を抜き放つ。
(――獲った!)
「魂滅――!」
「おせえ!」
レ・ヴァリスの破術を発動前に抉り取り、イサギは渾身の力でカラドボルグを打ちつける。障壁にも守られていないその腕など、一太刀で斬り飛ばすつもりだったが――。
甲高い衝撃音とともに、空中に衝撃波が巻き起こる。
カラドボルグの刀身から電荷が散り、オハンの紫の光が溢れて地上に降り注いだ。
「――ちいッ!」
盛大に舌打ちするイサギ。カラドボルグの刃はオハンに阻まれた。
いくつもフェイントを交えながら鎧の隙間を狙ったが、このレ・ヴァリス、近接戦闘能力も高いのか。
さらに二撃、三撃。踏み出す地面のない腕力だけの剣撃では、レ・ヴァリスのガードを崩せない。
鎧の上からでも十分な打撃によるダメージは浸透しているはずだが、それだけで彼は倒せずに。
自由落下運動に切り替わりつつあるイサギはレ・ヴァリスにとって、もはや的でしかない。
「は! 勝負を焦ったな、『最強』!
引き裂け! 魂鎧オハン!」
落ちゆく仮面の男を刻むためにレ・ヴァリスはいくつもの紫色の刃を飛ばす。
左足だけで空中にとどまりながら、両手右足による三本の魂刃だ。
三方向から同時に迫るそれを、イサギは左手の杖一本ですべて弾かなくてはならず――。
「いいや、まださ――」
突如としてイサギはその落下軌道を変えた。
――真下ではなく、斜め上方へと。
「なにッ!?」
背中に生えた金色の翼が新たに分かたれて、まるで蝶のような二対のものへと変化する。
煌気翼翔 ・バージョン4。
バージョン3に比べて魔力消費が倍以上に膨れ上がるが、これは全方向へのブーストが可能となる。
落下方向を無理矢理捻じ曲げるようなひどく気分の悪い翔び方だが――役には立つ。
レ・ヴァリスの視界から外れるイサギ。
刃をすり抜けたイサギは再びレ・ヴァリスに渾身の斬撃を繰り出す――。
「ぬおおおおおお!」
「あああああああ!」
空中に電光が走る。地表付近で炸裂した稲妻のような光は辺りの家々に降り注いだ。
レ・ヴァリスは両手で防御に回っている。人間族では到底到達し得ない、ピリル族による驚異の反射速度だ。
が、しかし今度のイサギの一打は煌気翼翔の効果つきだ。より重く、より鋭い。
レ・ヴァリスがわずかに態勢を崩した次の瞬間、イサギはさらに追い打ちをかける。
オトリに使った剣が腕甲に防がれたところで、聖杖でレ・ヴァリスの胴を打つ。
「がふッ」
体をくの字に折るレ・ヴァリス。魂鎧オハンの制御が乱れる。
だがそれでも続くイサギの三撃目のカラドボルグをガードしたのはレ・ヴァリスの本能か。
見事なものだがそこまでだ。イサギは渾身の力で延髄に回し蹴りを繰り出す。
「――吹き飛べ」
海の向こうの暗黒大陸まで――。
それほどの威力で打ち込んだ体術は、十数メートルの上空からレ・ヴァリスを凄まじい勢いで地面に叩きつけた。
建物を突き破り、バウンドしながら跳ね跳んでゆく獣族の王。
――勝負あったか。
イサギは翼を解き、地上に着地してレ・ヴァリスを追おうとする、が。
地面に足をつけた瞬間、よろめいてしまい杖で体を支えた。
「さすがに、魔力を使いすぎたか……」
略式極術の発動に、破術の多投。煌気翼翔を二度使い、エクスカリバーを放つために煌気も連続使用し続けた。
これが消費魔力を軽減する古豪であるイサギでなければ――たとえ封術師であっても――とうに気絶してしまっていただろう。
「……あれでトドメとまではいかないだろうが、レ・ヴァリスの体力次第か。
意識ぐらいは奪えているのなら、あとは斬り落とすだけで済むのだが」
走るイサギの視界が開けた。
そこはハウリングポートの埠頭前広場――スラオシャリング。
世界を救った勇者であるイサギの像が立ち、暗黒大陸を見据えているはずのその広場。
吹き飛んだレ・ヴァリスは、どうやらその像にぶち当たったようだ。
横倒しになっているイサギの像を踏みしめながら、レ・ヴァリスはゆっくりと立ち上がる。
全身キズだらけであり、血を流してはいるが、致命傷はなし。どういう体の作りをしているのか。
「……」
それよりも――。
辺りにはピリル族の若者や、魔族の術師たちが屯しているではないか。
ここは彼らの駐屯地のひとつであったようだ。
イサギの姿を見ても跳びかかって気はしないようだが、どちらかというと奇異の視線にさらされている気もする。
また飛ばれては面倒だ。
イサギは片手で仮面を持ち上げ直し、わざと相手を嘲るように。
「どうだ、レ・ヴァリス。
これだけの仲間の前で、再び尻尾を巻いて逃げ出すか?
愚犬どころではないな。
長としての矜持も失ってまで生き延びたいというのなら、俺はそれもまた構わぬが」
レ・ヴァリスが足に力を入れたその途端、足に敷いていた勇者像が粉々に砕けた。
「――なあ、『最強』」
「……」
ギラついた目でこちらを睨みつけてくるレ・ヴァリス。
こめかみから流す血を手のひらで拭い、覚悟を決めたその口から再びの要求。
「聞かせろよ、名前」
「……」
押し黙るイサギ。まるで死地を定めたかのように、レ・ヴァリスの目つきは荒々しく、されど澄み切っている。
辺りには波の音。レ・ヴァリスを称える男たちの声。高まりつつある熱狂。緊張感。
そんな場の中心に立ち、イサギはため息をつく。
決してレ・ヴァリスの思想に共鳴したわけではない。
ひとつの戦いがイサギの心のなにかを変えるということももはやない。
いつもと同じこと。相手を見つけて斬る。ただその繰り返し。
名を名乗ることにも、それほどの意味があるものか。
だが――。
このアルバリススの戦乱が収まり、真の平和が訪れるのなら。
本当に心の底から報われたと思えるその瞬間を、もう一度享受できるのなら。
レ・ヴァリスを倒すことにより、それが得られるというのなら。
ここがイサギにとっての終着地であるのなら――。
「……イサギ。
俺は、魔王イサギさ」
周囲の誰にも聞こえないように告げる、その言葉。
レ・ヴァリスは牙を剥き、一笑に付した。
「――は! 光栄なこったな!」