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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:8 すべての命の行き着く先は
91/176

8-6 遅れてきた男

 イサギグループ:ピリル族の長と会った後、ハウリングポートへ。

 廉造グループ:魔族帝国連合を迎え撃つため、防衛線を敷く。

 慶喜グループ:ハウリングポートへ到着し、デュテュの説得を試みる。

 

 レ・ヴァリス。

 魔族連邦の首都ブラザハスにて、その名を聞いたことがある。

 

 ピリル族にとって『レ』の名は、族長を意味する気高き称号だ。

 すなわちこのヴァリスこそが、今回の戦争の首謀者なのではないか。

 慶喜はそう推察する。

 デュテュは彼に何か弱みを握られて、それで無理やり従わされているだけなのではないか、と。

 導き出したその考えは、なによりも正しい気がしてならなかった。

 だとしたらきっと、シルベニアもイグナイトだって黙っていないはずだ。

 

 しかしレ・ヴァリスに睨まれて、慶喜は身動きがとれない。

 目を逸らした次の瞬間に飛びかかってくるような気がして、汗が吹き出た。

 バハムルギュスとの決闘を経験していなかったら、きっと耐えられずに許しを乞いていただろう。

 

 魔王と覇王の膠着状態を打開したのは、少女。

 銀魔法師、シルベニア。

 

「――わけわかんないの」

 

 苛立った口調で吐き捨てる。

 その言葉に、レ・ヴァリスは途端に慶喜から興味を失ったような顔をして視線を外した。

 止めていた呼吸を取り戻す慶喜。

 九死に一生を得たような気分だった。

 

 髪をかきあげながら、シルベニアはデュテュに詰め寄る。

 

「なにを言っているかさっぱりわからないの。

 デュテュ、頭おかしくなったの?

 目を覚まさせてあげるの」

「……」


 シルベニアは指先に魔法の輝きを宿す。

 ためらわず、迷わない。これこそがシルベニアの強さだ。

 

 対するデュテュは眉ひとつ動かさない。

 静謐なその瞳は宝石のように澄んでいて、だがなにも映してはいない。

 その目も、シルベニアは気に入らない。

 小馬鹿にされているようだ。デュテュのくせに、と。

 

「デュテュ、わかるように説明するの。

 じゃなかったらその髪、燃やしてあげるの」

「やめろ、シルベニア」

 

 限りなく本気で言い放つシルベニア。

 彼女の言動に不穏なものを感じたイグナイトが、ふたりの間に割って入った。

 

「イグナイト、邪魔しないで、なの」

「デュテュさまはアンリマンユさまのご息女だ。

 私の前で傷つけさせるわけにはいかない」

「あたしはどっちでもいいの。

 あなたごと焼き尽くしたって」

 

 レ・ヴァリス。デュテュ。そしてイグナイトを前にしても、シルベニアは微塵も己を曲げることがない。

 慶喜にとって、その姿は憧れてしまうほどに容赦がない。

 イサギや廉造がそうするかのように、シルベニアは当然のようにそれを行なう。

 その生命の輝きは美しく、とても気高い。

 

 ――だが。

 その声が、シルベニアの核を抉り取る。


「そうだよ、シルベニア」

 

 男の声がした次の瞬間。

 シルベニアはびくっと震えた。

 

 彼女は弾かれたように扉を見やる。

 そこにあったのは、畏怖と驚愕、そして激しい動揺。

 どれも今までシルベニアの中に見たことがなかったものだ。


 外套を着た金髪の青年が、そこにいた。

 一見では、人間と判別がつかないような見た目をしている。

 その額に刻まれた刺青のような文様が異彩を放つ、そんな優男だった。

 

 彼は物覚えの悪い生徒を諭すように、優しい声で告げてくる。


「外世界からやってきたよそものの魔王と、

 アンリマンユの血を継いだ二代目魔帝デュテュさま。

 どちらに着くべきなのかは、賢いおまえならわかるだろう? シルベニア」

 

 デュテュの横に並ぶ男。

 そうか、彼がいたのか、と慶喜もまた気づいた。

 

 目標を貫くようなシルベニアの指が、ゆっくりと下がってゆく。

 小さな唇が、ゆっくりと動いた。

 

「……ゴールドマン、にいさま」

 

 

 

 彼は魔族連邦、五魔将がひとり。

 魔族の術師の頂点に立つ男にして、シルベニアの実兄。

 

 金魔法師――ゴールドマン。

 

「おまえまで参戦していたのか」

「そういうことだよ、イグナイト」

 

 盟友、ゴールドマンとイグナイトは視線を交わす。

 そのふたりの表情はあまりにも複雑で、霧のようだった。

 

 ゴールドマンはすぐにイグナイトから目を離し、シルベニアに手を伸ばした。

 

「デュテュさまは本気で人間族を滅ぼすおつもりだ。

 僕たちはそのためにきょうまで準備をし、そしてついに十分な戦力を整えた。

 シルベニア、おまえも一緒に来るんだよ」

「あ、う、あ……」

 

 シルベニアの顔が青ざめてゆく。

 こんな彼女を見たことはなかった。

 

「いくらでも人間族を殺すことができるのだよ。

 楽しみだろう? おまえはそのために生み出されたのだからね。

 それ以外のことなど、もうなにも考えなくてもいいんだ。

 おまえが僕の言うことを聞く限り、僕はおまえのそばにいてあげようじゃないか」

「にい、さま……」

 

 貴婦人を踊りに誘うようなそのゴールドマンの手に。

 シルベニアはゆっくりと、指を添える。

 そこに彼女の意志は介在していないように見えた。

 

「シルベニアさま!」

 

 親しかったはずのロリシアの叫びですら、彼女にはもう届かない。

 一撃だ。シルベニアがこんなに簡単に取り込まれてしまうとは。

 

 あの兄妹は一体。

 慶喜が聞いたことがあるのは、シルベニアとゴールドマンの間には禍根がある、ということだけだ。

 術式教授キャスチもデュテュも、それ以上のことは話してはくれなかった。

 

 20年前の魔帝戦争時、11才であった兄ゴールドマンは戦い、

 6才の妹のシルベニアは魔晶化され、戦うことができなかった。

 シルベニアは戦争が終わった後に、半魔晶生命体として救出されたという。

 それが慶喜の知っているすべてである。

 

 しかし、頼みの綱であったシルベニアが籠絡されてしまい、

 イグナイトも自分よりもデュテュを取ってしまった。

 

 だめだ。

 このままでは。


「……まってよ……」


 自分の声はやはり誰にも届かない。

 クローゼットの中の魔王。それが自分の演じている役なのだ。

 

 今までずっと、そうだった。

 扉越しの世界を曇りガラスの向こうのように、眺めていたのだ。

 

 慶喜は拳を握り、歯噛みした。

 ぎり、と奥歯が音を立てる。

 

 せっかく命を賭けて、人間族との絆を結んできたのに。

 このままでは、旅に出る前と同じだ。なにもかもが水泡に帰してしまう。

 

 それに、自分は任されたんだ。

 イサギに、デュテュのことを。

 

 シルベニアとイグナイトはデュテュの元に向かってゆく。

 眺めているだけの演目はもう終わりだ。

 届かないわけがない。自分は魔王なのだから。

 

「――待ってよ!」

 

 叫び声。

 それは魔術のように、皆の動きを止めた。


 人間族の魔王。

 この世界に呼び出されたその少年は、腕を掲げる。


「シルベニアちゃん、イグナイトさん、戻って。

 デュテュさん、ちゃんと説明をするんだ。

 そうじゃなきゃ、ぼくたちはとても納得できない」

「ヨシノブさま……」


 ロリシアをかばうように前に出る慶喜。

 

 彼の全身の刺青が発光するとともに、その場にはおびただしいほどの魔力が渦巻いていた。

 マントをはためかせる慶喜の目は、真っ赤に染まっている。

 

 もはや彼を無視できるものはいない。

 それだけの力を、慶喜は持っている。



「魔王ヨシノブ」

 

 わずかに目を細め、デュテュが彼に是非を問う。

 

「あなたのその態度は、つまり、

 魔族帝国に敵対する意志がある、ということですか?」

「……そんなことは、知らないっすよ。

 でも、ぼくはイサ先輩と廉造先輩に、任されたんだ。

 こんなわけのわからないことを、放ってはおけないっす」

 

 イサギの名前が出た途端にデュテュは少しだけ眉を動かした。

 けれど、すぐにその変化も波紋のように薄れて消える。


 デュテュの判断は迅速であった。


「わかりました。

 イグナイト、シルベニア。

 彼を拘束なさい」

「えっ」

 

 慶喜は慌てて、旅を共にしてきた仲間たちを見る。

 しかしふたりは、すぐには動こうとはしなかった。

 きっと彼らも、今のデュテュに従うことにはまだ迷いがあるのだ。


「そ、そんなこと……

 でも、ぼくは……!」

 

 明らかにデュテュは間違っている。

 普段の彼女がこんなことを思いつくはずがない。


 もう少しだったのだ。彼女のが望む魔族の平和まで。

 自分は思い知らせてやらなければならない。

 

「……デュテュさん、お願いだから、

 ぼくと少し話をしようよ。そうしたら、わかるはずだよ……!」

  

 だから。

 慶喜は部屋の中で、魔法陣を描いた。

 

 禁術師が作り出す魔術のコードを見て、

 ゴールドマンが眉をひそめる。


自己増殖詠出術(ワルプルギス)……こんなところで?」

「ヨシノブさま!」

 

 ロリシアの前でカッコつけたい気持ちもある。

 でもそれ以上に、慶喜は今はデュテュのことを思っていた。

 

 彼女の目を覚まさなければならない。

 どんなことをしても。


「デュテュさん、正気に戻ってよ!」

「心外ですね。あなたに正気を問われるだなんて」

 

 その魔法陣を見下ろしながら、デュテュは決して逃げようともしない。

 どうせできないと思っているのだ、彼女は。

 所詮は脅しだ、と。

 

 違う。

 自分は旅の中、変わった。

 はっきりと自覚できるほどにだ。

 この世界で生きてゆくと決めたのだ。

 

 できる。

 やってみせるのだ。

 

 慶喜は竜王に放ったよりも、ずっと小さな槍を作り出す。


 そして――


「デュテュさん、お願いだ。

 元のデュテュさんに戻って」

 

 願う。

 けれど。

 

 ――瞬いた光が、

 そのすべてを消し飛ばす。

 

 意志も、願いも。

 術も、なにもかも。

 

「え?」


 なにをされたのかわからなかった。

 ただ彼は、先ほどまで退屈そうに成り行きを見守っていたその男は、眼帯を外していた。 

 

 レ・ヴァリスがゆっくりと近づいてくる。

 

「禁術師。それがその証か。

 面白ぇ、なかなかの魔力じゃねえか」

「な、なんだよ、きみは」

「貴様らの内情なんざ、どうだっていい。

 だが、やるっつーんだろ? 俺様と」

「ぼくはただ、デュテュさんと話がしたいだけでっ!」

  

 彼の踏み出した足が床板を踏み砕く。

 まるで獲物を見つけたように、その目が爛々と輝いている。


 だめだ。この獣は言っても聞くようなものではない。

 やるしかない。

 一時的に行動不能にするのだ。

 

「――“最強”。知っているか? その意味を」

「……なんだって?」

「貴様の魔力は確かにすげえ。

 だが、ほど遠い。覇王の器には足りねえな」

「……知らないよ、そんなの!」

 

 慶喜はコードを描く。

 あのバハムルギュスをも圧倒した高速詠出術だ。

 

 この場にいる人たちを巻き込まないように、威力は最小限にとどめて。

 代わりにその速度に魔力を注ぎ込んだ。

 

「いしのなかにいろ!」

 

 石壁が彼の体を覆い尽くす。

 だが――

 

 それはレ・ヴァリスが何気なく払った腕の一振りで、

 まるで砂上の楼閣のように崩れ去った。


「いねえよ」

「――は!?」

 

 なんだ。さっきと同じだ。

 自分が詠出を間違えたわけではない。

 

 彼が能動的になにかをしたのだ。

 一体なにをされたんだ。


 得体の知れない相手に対する恐怖が生まれる。

 だが腕を止めることはしなかった。


「オーバーフリーズ!」


 地面を伝うはずの氷の波も。

 やはり、レ・ヴァリスに“破潰”される。


 シルベニアやキャスチの使う、コードを断つ技のようなものか。

 だが、発動後に潰せるとは。

 

 通用しないのだ。

 この男には、魔術は。

 

「貴様は、アンリマンユの再来って言われてんだろ?

 なら、ちっとは楯突いてみせろよ」

 

 レ・ヴァリスは慶喜の目の前に立つ。

 その姿はまるで無防備なくせに、圧倒的な威圧感を放っていた。

 

 このままでは。

 ――殺される。

 

「う、ああああああ!」

 

 慶喜は拳を握り、叫ぶ。

 一切の魔術が通用しない相手を前に、もはや殴りかかるしか手段はない。

 

 殴打の威力などたかが知れているけれど。

 手のひらの中に隠した魔術のコードを、密着状態でぶつけてやるのだ。

 ゼロ距離で炸裂する火術は、彼の意識を刈り取るほどのショックを与えられるはずだ。

 

 慶喜の体術は、バハムルギュスの槍術に耐えられるほどに成長をしている。

 できるはずだ、と思った。

 

 だが、慶喜はすぐに思い知る。

 世界には次元が違う相手がいるのだと。

 

 ワイバーンゲートでイサギと廉造が決闘(タイマン)をしていたとき、

 確かに慶喜も横からその様子を見守っていたのだが。

 

 そのときの金色の闘気をまとうふたりの動きは、まるで目で追うこともできなかった。

 レ・ヴァリスは彼らのそれを彷彿とさせるような体さばきであった。

 

 気がつけば眼前にいて。

 音も気配もせず、慶喜の腹に蹴りを一撃見舞う。

  

 ただのそれだけで、勝負は終わった。

 ただのそれだけで、慶喜は悶絶して倒れたのだ。

 

 遠ざかる意識の中、慶喜の思うことはひとつ。

 自分が倒れた後のロリシアの安否。ただそれだけであった。




「……そんな、ヨシノブさま!」

 

 人形のように前のめりに倒れる慶喜の元へと、ロリシアは駆け寄る。

 それを邪魔するものはいなかった。

 

 レ・ヴァリスは戦いが終わった途端に、手の甲で頬を拭いながら顔をしかめる。


「んだよ、こんなもんか。

 破術の練習代にもなりゃしねえな。

 こんなのが魔王とは、

 魔族ってのは、よほど雑魚しか残ってねえんだな」

 

 彼は不遜に笑った後、デュテュを見やる。


「安心しろよ。

 アンタたちにゃあ、俺様がついててやっからよ。

 魔帝の名は有用だ。派手だしな」

 

 魔帝デュテュの肩に慣れ慣れしく手を置き、

 少年は邪気のない笑みを浮かべる。

 

「アンタたちが俺様を裏切ろうとしない限り、

 ピリル族もアンタたちに報いてやるよ。

 それが“仲間”ってやつだろ?」

「……」

 

 デュテュは彼から距離を取るように慶喜の元へと歩む。

 レ・ヴァリスは小さく肩を竦めた。


「……ヴァリス。

 そのものは牢に閉じ込めておきます」

「あ? つっても魔王なんだろ?

 脱走でもされたらどうすんだよ、魔帝さんよ。

 スッパリと首切っちまった方が面倒がないと思うがな」

「っ」

 

 慶喜にすがっていたロリシアが身を震わせる。

 彼女は懇願するようにデュテュを見上げて。

 

 デュテュはそれに応じるように口を開く。


「魔族帝国の中にも、魔王ヨシノブの信奉者は多くおります。

 彼は暗黒大陸の解放にその存在感を示しました。

 仲間につけることができれば、大きな戦力の向上になるでしょう。

 試みることは、無駄ではありません」

「……こいつがねぇ」


 レ・ヴァリスは疑わしげだ。

 代わりに、ロリシアがわずかに表情を緩めた。

 

 やはりデュテュはデュテュだ。

 慶喜の命を無惨に奪うような人ではない。

 

 そう思っていたのだが。

 デュテュは言葉を続ける。

 

「どっちみち、牢に入れたところでこの男にはなにもできません。

 反乱を企てる可能性はゼロです」

「デュテュさま……?」

 

 そのあまりにも冷たい言葉は、

 まるで慶喜を心底軽蔑し切っているかのようだった。

 さらにデュテュはロリシアを見下ろしながら告げる。


「さらに彼女を人質に取れば、

 それで魔王ヨシノブは無力化できるでしょう。その程度の男です」

「そんな……」

 

 ロリシアは助けを求めるように辺りを見回すけれど。

 シルベニアは俯き、イグナイトは壁に背を預けたまま目をつむっている。

 

 あの旅は一体なんだったのか、とロリシアは思う。

 平和を信じて、暗黒大陸からスラオシャ大陸にやってきたのに。


 その結末が、こんな形になってしまうなんて。

 もはや抵抗する気力を失ったロリシアの両手を、やってきたピリル族の兵が掴んだ。

 

 どこへともなく、運ばれてしまうのだろう。

 引きずられながら、レ・ヴァリスが最奥の椅子にどっかりと腰を下ろすのが見えた。

 

 彼は足をテーブルの上に乗せて、口元を歪める。


「まあいいさ、考えることはそっちに任せるよ。

 俺様は、人間族をひとり残らず、

 むごたらしく手足をもぎ、血を涸らし、

 家族も恋人も殺し合わせ、この世の地獄を味わわせ、

 さんざん後悔させた挙げ句、

 ――ブチ殺せたら、それでいいのさ」

  

 邪悪なる少年、レ・ヴァリスのその姿を呆然と見つめながら。

 ロリシアは思わずにはいられない。

 

 

 慶喜と空の中、誓い合ったあの約束は夢だったのだと。

 掴みかけた平和は、手の中から幻のように消えていった。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 牢へと運ばれてゆく慶喜を見送った後。

 シルベニアはゴールドマンにどこかへと連れられていた。


 無言で歩く兄の背中を追いながら、

 左右に瓦礫の積み重なる狭い道をゆく。

 

 何度も声をかけようとしてためらい、

 ようやく勇気を振り絞って、シルベニアはゴールドマンに問う

 

「……にいさま」

「……」

「どうして、デュテュと、にいさまは、

 こんなことを、しているの……ですか?」

「……」

 

 忘れかけていた、たどたどしい敬語を使い、

 彼女はゴールドマンに真意を尋ねる、けれども。

 

「よく喋るようになったね、シルベニア」

「……っ」

 

 たった一言で、シルベニアは己の言動を後悔させられた。

 たったひとりの肉親であるゴールドマンの存在は、

 孤独のシルベニアにとって、あまりにも大きすぎた。

 

「旅は楽しかったかい」

「……はい、なの」

 

 それでも、兄がこんなに優しく話しかけてくれるなんて、一体何年ぶりのことだろう。

 彼は戦争に参加しなかった自分のことを憎んでいたはずなのに。

 

 その理解不能な出来事がさらにシルベニアの心をかき乱した。

 彼と言葉を交わすと、シルベニアはまるで6才に引き戻されたような気がしてしまう。


「それはよかった。

 で、何人ぐらい人間族を殺してきたのかい」

「……」

「百人? 二百人?

 まさか千ってことはないだろうけど」

 

 彼が接してくれているのは、シルベニアが魔晶兵器として有能だからだ。

 そのことを忘れてはならない。

 

 嘘がつけるほどに器用ならば良かったのだけど。

 シルベニアは兄にそのままを語るより他ない。


「……四人、なの」

「え?」

「でも、それは、

 レンゾーとイサが人間族を殺しちゃだめ、だって……」

「おいおい、ふざけているのかい?」

「……」

「おまえには、それしか価値がないんだから。

 人間族を殺せなかったら、生きている意味がないだろ」

 

 振り向いたゴールドマンは笑っていたけれど。

 その目は、シルベニアの心臓を鷲掴みするように冷徹だった。


 言い返すことはできない。

 兄の言葉は真実だ。自分には他になにもない。


「人間族に懐柔されて、愚かなことを」

「で、でも……」

 

 なにもないはずだったのに。

 ふたりのことを責められると、シルベニアの胸がわずかに痛んだ。

 

「あのふたりは、いろんなことを、

 教えてくれた、し……」

「おまえはいつから僕に口答えできるほど、

 偉くなったのかな」

「……」

 

 本当にそうだ。

 なぜ自分は抗弁をしようだなんて考えたのだろう。

 俯くシルベニア。自分はどうかしていたのかもしれない。


「父様と母様が命を賭けて戦っていたとき、

 僕もスラオシャ大陸で戦火をくぐりぬけていたとき、

 おまえはどこでなにをしていたんだ?」

「あたしは……」

「わかっているよ。

 おまえは魔晶の中で眠り続けていたんだ。

 魔帝戦争のときに、ろくに役にも立たずに、ね。

 おまえは父様と母様、

 それにアンリマンユさまを見殺しにしたも同然だ」

 

 ぎゅ、と裾を握りしめるシルベニア。

 彼の言うことはなにも間違っていない。

 

 だから自分は、兄の元から突き放されたのだから。

 ゴールドマンは立ち止まり、軽く手を挙げた。


「あ……」

 

 思わず頭をかばうシルベニア。

 だが、そこにゴールドマンは軽く手を置いた。


 驚きがシルベニアの顔に広がってゆく。

 ゴールドマンはシルベニアの頭を暖かな手で撫でる。

 

 それはまるで戦争が始まる前の、優しかった彼のようだった。

 もう一度、兄にこんな風にしてもらえるだなんて。

 信じられなかった。

 

「でもね、そんなおまえが僕たちの役に立つことができる日が、やってきたんだ。

 どうだ、光栄だろう。

 これはおまえにしかできないことだよ。

 シルベニア、僕のために人間族を殺しておくれ」

「……にいさま」

 

 兄に導かれてやってきたそこは、ハウリングポートのドッグだった。

 油と鋼材が散乱し、せわしなく魔族の作業員たちが動き回るそこには……巨大な影がある。

 

「……これは……」


 見上げてシルベニアは唖然とした。

 ハウリングポートを陥落させたその手段。

 これだったのだ。


 そんな妹に、ゴールドマンは薄く微笑む。

 彼の笑みを見るのも、シルベニアにとっては思い出せないほどに久しぶりのことだった。


 太陽の光を浴びた花のように、シルベニアの心が満ちてゆく。

 ゴールドマンはゆっくりと彼女に言い聞かせる。


「僕のために戦ってくれるね。

 父と母の仇を取るんだ。僕たちにならできるだろう。

 シルベニア、我が妹よ」

「……にいさま」

 

 シルベニアはとまどっていたけれど。

 それでも彼の手を取る以外に、選択の余地などはなかったのだ。

 

  

  

 ◆◆

 

 

  

 慶喜が目覚めたのは、牢の中だった。


「……ん……」

 

 節々が痛い。

 特に下腹部の鈍痛が熱を持ったように蠢いている。

 封術を施された体の治癒速度でこれなのだから、よほど手ひどくやられたのだろう。

 寝起きの気分は最悪だ。

 

 慶喜は辺りを見回す。

 部屋の中は薄暗い。

 どこかの商家の地下牢だろうか。

 

 とりあえず体をひねってみるが、骨折などはないようだ。

 手枷足枷の類もない。

 

「……あ、あー……あー……」

 

 短く声を発してみるが、ノドも無事。なにもされていない。

 魔術のコードも問題なく描けた。魔力も体に満ちている。

 

 なんだこれは。

 置かれている状況が、あまりにも腑に落ちない。


 これで自分を捕まえたつもりなのか?

 監禁がまったく意味を為していないではないか。


「……ひょっとして、

 ものすごくバカにされているのかな」

 

 これほどまでに見くびられるとは、心外だ。

 自分はあの竜王バハムルギュスを下した男だというのに。


 慶喜は立ち上がり、呼吸を整える。

 それから手のひらを突き出した。


 誰かと戦うだとかは好きではないが、今から行なうことはそれほど難しくないはずだ。

 とりあえずここを破って、ロリシアとデュテュを探すのだ。

  

 そうしてふたりを連れて、ハウリングポートから脱出しよう。

 すぐ隣の町には、廉造たちドラゴン族が到着しているはずだ。

 そこまで逃げ延びれば、どうにだってなる。

 

 シルベニアやイグナイトのことも心配だが、

 あのふたりは自分なんかよりもよっぽど強い。

 なんとかなるだろう。

 

「……よし」 


 雑な計画だが、腹は決まった。

 騒ぎは起こさないように、静かにいこう。

 外にさえ出れば、ハウリングポートの地理はわかる。

 

 慶喜が魔術で鉄格子を破ろうとしたその瞬間。


「やめたほうがいい」


 驚いた。人の気配は感じなかったはずなのに。

 暗がりの中から姿を現したのは、銀鉄の剣を腰に差す男。

 イグナイトだ。

 

 慶喜はハッとした。

 彼は頼りになる男だけれど……その様子がおかしい。 

 それでも、わずかな希望にすがろうとしてしまう。


「い、イグナイトさん。

 助けに来てくれたんすか?」

「そうではない」

「じゃあ、なんでここに……」

「魔王さまに忠告をしにきたのだ」

 

 ぞっとしない言葉だ。

 鉄格子から慶喜はわずかに距離を取る。

 

「な、なんすかそれ……」

「ロリシア殿が人質に取られている。

 魔王さまがここを抜け出せば、

 彼女は即座に処分される手はずだ」

「……は?」

 

 聞き返す。

 意味がわからない。


 ロリシアが?

 どうして。

 

「なんで、そんなことに……」

「魔王さまを脅すためだ。

 魔族帝国は魔王さまの助力を期待している。

 人間族を滅ぼすために」


 イグナイトの言葉は端的だが、

 それゆえに慶喜の耳に強く残った。

 

「……そんな」

 

 魔族帝国側につけば、廉造やイサギと戦うはめになる。

 そんなことができるはずがない。


 だが、ロリシアが人質に取られている?

 自分が戦わなければ彼女を殺すだなんて言われたら。

 

 ずっとそばにいてくれると言ったのだ、彼女は。

 それなのにどうして。

 

 ズルいじゃないか。

 だって、選べるはずがない。

 

 なんでこんなことになってしまっているのか。

 まるでわからない。


 先ほどまでの覚悟が身体から霧散してゆく。

 握った拳は驚くほどに力がなかった。


「だって、ロリシアちゃんは関係ないのに……」

「……」

「そんなの……」

 

 そう言ったところで、答えてくれるものはいない。

 見捨てるなんて論外だ。

 ロリシアが死んだら、慶喜だってひとりじゃ生きていけない。

 

 一体どうすればいいのか。

 牢屋の中で震えていろ、というのか。

 鉄格子を掴んで俯く慶喜に、イグナイトが告げる。


「デュテュさまは本気で人間族を滅ぼすおつもりだ。

 連邦国議長メドレザと袂を分かち、スラオシャ大陸にやってきたらしい。

 メドレザには魔族をまとめきることができなかったのだ」

「メドレザさん……」

 

 メドレザは姉のように、時には母のようにデュテュを思いやり、

 デュテュもまた、彼女に全幅の信頼を寄せていた。

 

 ふたりが仲違いをする光景なんて、想像できなかった。

 いや、それは今のデュテュの姿も一緒か、と思い直す。

 

「ぼくは……」

「……」

「い、イグナイトさんは助けてくれないんすか……?」

 

 慶喜の弱々しい瞳。

 その視線を浴びたイグナイトは、顎を撫でる。


「……魔王さま、今から話すことは、

 魔族国連邦騎士ではなく、ただ一個人。

 イグナイト=サーヴァスとしての言葉だ」

「……な、なんすか?」

「私は、生きることとは、

 なにを捨てるか、だと考えている」

「……?」

 

 なにを言い出したのかわからない。

 イグナイトは腕組みをしながら続ける。

 

「生まれたとき、人には様々な道がある。

 軍人にも農夫にもなれる。

 私のように騎士になることを宿命づけられた身でも、

 その立場や運命を選ぶことはできる。

 だが、選ぶというのは捨てるということだ。

 私は忠義のために家族を持つことを捨てた。

 常に、主のそばにいるため、個を捨てた。

 そして今、デュテュさまとヨシノブさまの間に挟まれて、私は再び捨てる」

「それは……?」

「私の主は永遠にアンリマンユさまだ。

 つまり、その姫君であるデュテュさまに他ならぬ。

 ヨシノブさま。今あなたも、選択を迫られている。

 ロリシア殿か、デュテュさまか。

 あるいはご友人の方々か。誰かを捨てなければならない。

 それが私は生きることだと思っているのだ」

「……」


 イグナイトが言っているのは、とても残酷な話だ。

 だがそれはきっと、この世界――アルバリススの真実なのだろう。


「イグナイトさん……」

「喋りすぎてしまったが、私から言えることはそれだけだ」

 

 イグナイトは慶喜に背を向けた。

 話すことはもう終わったとばかりに。

 

「ヨシノブさま。あなたはこれからここに閉じこめられ、監視され続ける。

 牢を破れば、ロリシア殿が殺されるだろう。

 くれぐれも、おかしなことは考えないことだ」

「ま、待って、イグナイトさん」

 

 慶喜は手を伸ばす。

 その手は届かない、けれど。


「あ、あなたは、デュテュさんが、

 あんなデュテュさんが好きだったんすか!?

 あんな、あんなのが!」

 

 イグナイトは振り返らない。

 様々なものを捨ててきた男に、動揺はない。


「……そんなものは関係はない。

 私はデュテュさまを守る。この命尽きぬ限り。

 それだけのことだ」

 

 彼は歩き出して、すぐにその姿は見えなくなった。


 慶喜は牢の壁に背を預けて、顔を覆う。

 なにもかもがわからない。

 自分がどうすればいいのか、なにを捨てればいいのかも。


「なんだよ、これ……

 もう、ぼくはどうすればいいんだよ……

 ロリシアちゃん……」

 

 その泣き言は、

 誰もいない闇に溶けて消えてゆくのだった。

 

  

 

 ◆◆ ◆◆

 

 

 

 魔王慶喜が捕まり、

 シルベニアとイグナイトが魔族帝国に寝返った今。

 

 ここにもまた、動き出すものたちがいた。

 スラオシャ大陸を横切るようにハウリングポートに向かい進軍する、武装した集団だ。

 

 多くの馬車が土煙を巻き上げながら走っている。

 延々と続く大河のような列であった。


 その中ほどの馬車。

 冒険者ギルド本部の紋章を掲げるその中に、一組の男女がいた。

 

 男は退屈しのぎに口を開く。


「……僕のいた世界にはね、『シユウ』という神がいたんだよ」

「はあ?」


 この世界で神と言えば、創世の女神の他にはいない。


 少女は男を『また始まったか』という顔で見やる。

 男は気にせず続けてゆく。

 

「彼はね、戦争の兵器を作り出した神なんだ。

 それまでの戦いの有様を一変させたんだよ。

 またの名を兵主神。そう、戦の神さ」

「……よくわからないけれど、

 それがどうかしたの?」

「なんだか似ているな、って思ってさ」

「だから、なにがよ」

 

 少女はわずかに苛立った声をあげる。

 ただでさえ長い間馬車に揺られて、気分が優れないというのに。


 男は笑いながら、

 手品の種を明かすように両手を広げた。


「これまでの戦いは、国と国。

 兵と兵で行われるものだった。

 けれど、新たに生み出された『冒険者』という存在は、

 人間の手には余るほどに、強大だ」

「……で?」

「ひとりひとりなら怪物だが、運用すれば兵器となる。

 冒険者はそういうものだ。それならば、僕は彼らを従えよう。

 これこそが、アルバリススで初めての、冒険者を動員した国家間戦争になるんだよ」

「……ゼンゼンわかんないんだけど、

 つまり、アンタは神にでもなろうってこと?」

「さてね」

 

 彼は回りくどい話を好み、肝心なことを口に出そうとはしない。

 アマーリエはそんな彼に「バカ?」と一言だけ告げた。

 

 愁はいつもよりもずっと上機嫌だった。

 まるで戦が始まるのが楽しみで仕方がない、という顔だ。

 

 彼が引き連れるのは、冒険者400名。

 自らを戦の神になぞらえて語る愁は、天神のように笑う。

 

「……うれしいんだよ、僕は。

 この世界の膿を、

 ついに一掃する日が来たんだからね」

 

 

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