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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:8 すべての命の行き着く先は
90/176

8-5 魂を継ぐもの

 

 煌気翼翔は、山での移動にこそ非常に役立ってくれた。

 まだ「飛ぶ」というよりは、凄まじいジャンプ、という感じであったが。


 相当な体力を使うため、限界までは酷使できなかったが、道のりを大幅にショートカットをすることができた。

 竜化ドラゴン族とほぼ変わらないペースでイサギは駆ける。

 

 山脈に囲まれた広大な高地がピリル族のなわばりだ。

 またの名を『日出ずる原(ソウルバーン)』と呼ばれている。

 

 ピリル族はこの場所を自分たちの魂の還る場所として、大切に扱っている。

 どこへ旅に出たピリル族も、死後にはこの地に戻るのだ。

 イサギにはよくわからないが、彼らにとっては聖地のようなものなのだろう。

 

 

 わざわざイサギが元いた日本の言葉で当てはめるのなら、

 ピリル族は敬虔な自然信仰者、ということになる。

 文明化の波に逆らい、遊牧と一族の間で交易をしながら暮らしているものたちだ。


 この時期、族長が率いる大営陣(グラウンドサークル)は、比較的北に位置取っている。

 山脈を抜けた後は、イサギの足なら二日走り続けることによって到着するほどの距離だ。

 

 イサギは走り続け、時に空から目的地を確認し、

 迷うことなく、族長の元へと向かってゆく。

 

 夕焼けを背に、イサギの旅は終点に近づいていった。

 レ・ダリスが待つピリル族の里。その地へとたどり着くのだ。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 イサギを迎えたのは里の門番の、ゆったりとした布を重ね着した熊のような男だ。

 そのまま二足歩行の熊をわずかに人間に近づけたような、荒々しい風貌であった。

 

「何者か」

 

 野太い声で誰何されて、

 息を切らせたイサギは、汗を手の甲で拭き捨てながら答える。


「レ・ダリスがいるのはこの大営陣だな」

「……冒険者か」

 

 熊の目が細まる。彼は一瞬でイサギを敵だと判断したようだ。

 突然、族長を尋ねてくる人間族など、賞金稼ぎぐらいなものなのだろう。

 

 熊は牙を剥き、姿勢を低くした。

 男の身体に闘気が集まってゆく。草原の草が揺れた。


「ここから先、人間は一歩も通さぬぞ……!」

 

 ぶちかましが来る――。

 

 大地を蹴ってまるで岩石のように突撃してきた熊。

 その男に片手を突き出し、イサギは告げる。


「通る、通してもらうさ。

 だが、おまえにも納得してもらってな」

 

 その体当たりを片腕でやすやすと受け止めて。

 驚愕する熊の前、イサギはゆっくりと眼帯を外す。

 その奥には、赤く輝く魔眼。


「この瞳において命ずる。

 ピリル族の者よ。道を開けよ」

「……まさか、その目は……」

 

 男はたじろぎながら後ずさりして。

 その名を呼ぶ。


 だがそれは、

 イサギではない。


「……レ・ヴァリスさま……?」

 

 イサギの眉がぴくりと動いた。

 

 

 

 大営陣の、獣と人で踏み固められた道をゆく。

 辺りを駆けまわる子どもたちや、伝統的な布を編む女たちを横目に、イサギは長の元に案内された。

 

 全ピリル族を治めるレ・ダリスの住まうテントは、

 それひとつがまるで砦のように巨大なものだ。

 

 たった二本の支柱でそれを支えているのだから、

 なにか魔力のような超常的な力が働いているのは間違いないだろう。

 魔具の類なのかもしれない。

 

 そしてこれこそが、大営陣の名そのものである。

 

 ピリル族は戦の際、半日もかからずにこの超巨大テントを折りたたみ、

 そうしてまるで風のように行軍し、突如として現れるのである。

 

 神速を貴ぶ兵を捉えられるものはおらず、誰もがピリル族に翻弄をされ続けていた。

 空を支配するドラゴン族に対し、地を支配するピリル族。

 英雄の時代、青銅の時代を通して、ピリル族を追い詰めたものはただひとつ。魔族帝国のみであった。

 

 

 大営陣の中のいくつもの内幕を抜けたところで、

 イサギはついに族長の間にたどり着く。

 

 案内役の熊は去り、その場に残されたのはイサギと……

 寝台の上に腰をかけた男。

 

 金色のたてがみを持つ獅子だ。

 バハムルギュスによく似た王者の雰囲気をまとう、偉丈夫。

 見上げるほどに身体の大きな彼は、しゃがれた声を煙のように吐き出す。

 

「ずいぶんと、待たせおって……」

 

 その左目には深い傷と、眼帯。

 そして真っ白に染まってしまった右の目をこちらに向けて。

 男は口元をほころばせる。

 

「……のう、勇者よ」

 

 ピリル族の族長、レ・ダリス。

 盲いた王はあぐらをかきながら、イサギを迎え入れた。

 

  

 

 かつての破術使いであり、イサギに禁術の使い方を叩き込んだ男。

 それがこの、獣族の長である。

 

 辺りの空気は乾き、まるで荒野に放たれたときのような緊張感がイサギを包む。

 これがレ・ダリスの発する王の資質だ。

 

 だが、久方ぶりに会う戦友のその姿に、

 イサギは眉をひそめながら問いかける。

 

「お前、その目は……」

「とうに見えなくなってしもうたわ。

 魔力が枯渇してな。

 じゃがな、より鮮明になったこともあるわい」

 

 レ・ダリスは見えないはずの目で、

 確かにイサギの姿を捉えているようだ。

 

「ずいぶんと魂が傷ついたようじゃが、勇者。

 ヌシの目も濁りつつあるぞ」

「……」

 

 改めて告げられると、じわりと背筋から恐怖が這い上がる。

 セルデルにかけられた回復術の残滓は、とうに消えたはずだが。

 魂の傷を直すことは、誰にもできない。


 果たしてレ・ダリスの目に自分の姿はどう映ってるのだろうか。

 彼は睨むようにこちらを見据えている。

 

「あまり破術は使うな。

 あれはヌシの寿命を縮めるぞ。

 俺のこの姿はヌシの未来よ」


 だが、了承することはできない。

 彼の忠告に、イサギは首を振る。


「そういうわけにはいかない。

 持てる力のすべてを振り絞っても、倒せない相手がいるのなら。

 この身が砕け散ろうとも、勝たなければならない戦いがあるのなら。

 使えるものがあるのなら、なんだって使うさ。

 いつかそれが俺を蝕もうとも、先のことなど知ったことか。

 救うべき命はすべて救ってみせる。

 そのために、ここまで来た」

「……」


 あるいは怒鳴りつけられるかと思っていたが。

 レ・ダリスは大きくうなずき、膝を打った。


「至極。まさに勇者。

 カリブルヌスを殺ったのはヌシか」


 彼の言葉に、イサギはわずかにたじろぐ。


「なぜそれを」

「臭いでわかるとも。

 ヌシの魂にこびり付いておるわ。

 他にもいくつか、ヌシを外道界に引きずり込もうとしておるものたちが見えるわい。

 ずいぶんと厄介な道を歩んできたようじゃがな」

「……21年前より、ずっと胡散臭い爺さんになったもんだな、レ・ダリス」

「もうそのようになるか。

 ……なるか。そうじゃな。

 生まれた子が軍を率いるほどか。至極」

 

 レ・ダリスは21年前の魔帝戦争で、

 人間族とともに、魔帝国軍に抗った男だ。


 ピリル族は、エルフ族やドラゴン族と違い、人並みに老いてゆく。

 今の彼にはもう戦う力は残っていないのだろう。

 

「俺を殺しに来たというわけではないようじゃな」

「……冗談を言うな、レ・ダリス。

 お前を倒したところでこの戦争は止まらない。そうだろ」

「至極」


 レ・ダリスはその透明な瞳にイサギを映しながら告げてくる。


「良かろう、勇者。

 ヌシの道を阻むことは、もはや俺にはできぬ。

 ならばせめてな」

 

 ピリル族の族長は、なぜ今このタイミングでイサギがこの場に現れたか。

 それらをすべて理解し、その上でゆっくりと口を開いた。


「我が息子、ヴァリスのことを物語ろう」

 

 

 

 閉じられた薄暗い天幕の中、

 レ・ダリスの声は鉛のように重い。


「魔帝戦争の後にな、

 生まれた“冒険者”は俺たちの敵対者じゃった。

 やつらは俺たちの土地を少しずつ奪ってゆく。

 痩せた土地に追いやられながら、

 ピリル族は長らく復讐の機会を伺っておった」


 彼が語るからこそ意味がある。

 それはピリル族の闘争の歴史だ。


「俺には七人の息子がいた。

 皆、鋭気と才能に満ちた若者たちじゃ。

 そのほとんどが、一族を代表するほどの強者じゃった。

 気勢の荒さも俺譲りよ。

 じゃが、それが災いした。

 上の四人は冒険者を駆逐するため激しく戦った結果、息絶えおってな。

 今でも信じられぬが、事実である」

「……それは」

「カリブルヌスという人間族の手によって、じゃ」

 

 英雄王カリブルヌス。


 ドワーフ族を滅ぼし、エルフの国を破壊し、

 シャハラ首長国連邦を砕き、それだけでは飽きたらず、

 ピリル族の族長の息子たちをも、返り討ちにしていたのだ。

 

 凄まじき暴虐の主。いや、それこそが神剣クラウソラスの力だ。

 レ・ダリスは残る息子たちの行く末を語る。

 

「さらに下の三人じゃ。

 天才と呼ばれ、武術に秀でた五男、

 そして、ピリル族の枠を超越した魔術を誇る六男。

 このふたりが育てば、あるいは冒険者に、

 カリブルヌスにすら打ち勝つことはできよう。

 俺たちはそう思っておった。

 一番下の息子は体が弱く、臆病者じゃが心優しい男であった。

 兄たちが死んだときにも、最後まで悔しそうにしておってな。

 いずれはこの三人がピリル族を背負って立つ器となる。

 それまでは決して人間族に歯向かわず、機を窺うのじゃ……そう言い聞かせていた。

 だが――」


 レ・ダリスは静かに首を振った。

 

「復讐の牙は心の奥で研がれ続けていたのじゃ。

 この俺の目にも見抜けぬ、漆黒の刃がな」


 そう語る族長は、声に悔恨をにじませていた。

 次の言葉に、イサギは震撼する。 


「やつらは手を出したのじゃ。

 ――破術の力にな」


 まさか、という思いと。

 やはり、という思いがせめぎ合う。


 魔世界を修復し、ありとあらゆる術式を打ち消す力。

 四大禁術のひとつであり、ピリル族が秘匿し続けた破術。


 だが、それを身につけるためには、

 何万分の一という確率を乗り越えなければならない。


「ばかなことじゃ……

 禁術に手を出して生きていられるはずがない。

 俺は常にそう言い聞かせてきた。

 勇者イサギがなぜ“勇者”であったか。

 それは“勝者”であったからじゃ。

 ヌシは勝ち取ったものであった。

 だからこそ、歴史に名を残したのじゃ。

 勇者イサギの裏に、一体何十何百という才気溢れる若者が犠牲になっていたことか。

 やつらは奇跡の産物に目が眩み、その幻影を追いかけおった」

「……どうなったんだ」


 イサギの問いに、父であった男は吐き捨てた。


「魂の牢獄に囚われ、死んだわ。

 二度とこの地を踏むことなく、な」

 

 イサギは息を呑む。


 破術を習得するには、仮死状態に陥る必要がある。

 魔世界の迷宮に囚われながら、現世への帰り道を探すのだ。

 

 帰ってこれなかったものは、死ぬ。

 そしてほとんどのものは、現世に戻ることはできない。

 

 イサギは自分が特別だったとは思わない。

 ただ、0・1%以下の確率を一度で成功させたのはきっと、何らかの要因が働いたのだろう。

 あるいは、異世界人であったからだろうか。

 そうでなければ都合が良すぎる。

 

 案の定、レ・ダリスの息子たちは死んだ。

 若く、才能ある男たちが、失敗して無残に死んだのだ。


「じゃが」

 

 レ・ダリスは声の調子を変えた。

 先ほどまでの、悔しさがにじむような振り絞った声ではない。

 

「死を確認した、三日後。

 土に埋めようかというその時に、ただひとり。

 この肉世界に戻った男がおった」

 

 虚無だ。

 そこには何の感情も込められてはいない。


「ふたりの兄があやつを守ったのじゃ。

 魂火(ソウルバーン)を引き起こし、な」

 

 ソウルバーン。

 それはこの地の名ではないか。

 イサギは問う。


「……それは一体」

「ピリル族にのみ伝わる奥義。

 選ばれたものが、一生のうちに一度だけ使うことができるとされておる。

 この地に眠るピリル族の魂を呼び起こし、自らに同化する術じゃ。

 成功したのなら、それは魂世界をも統べる王に変わるじゃろうて。

 ……そのような才能の持ち主が、儀式によって命を落とすとは、皮肉なものじゃがな」

「……つまり」

「戻ってきたのじゃ」

 

 滔々と流れる大河のように。

 レ・ダリスはよどみなく、告げる。


「兄たちの武術と術式。

 ピリル族の憎しみと恨み。

 魂と魔力に満ちた、生きる闘神。

 力に飲み込まれた最強の化物。

 七男――ヴァリスがな」

 

 イサギは思わず眼帯の奥の目を押さえた

 この男が、自らの息子をそのように言い表すとは。

 

「実際に、あやつの魂は三倍近くにも膨れ上がっておった。

 そして……

 あの男は、一族の若者2000を引き連れて、

 人間族を滅ぼすために、旅立ったのじゃ。

 もはや止められるものは、ピリル族の中にはおらぬ。

 この俺とて、この目の有り様よ」

「……その目は、息子相手にかよ」

 

 破術の使用限度を使い切ったのだ。

 それでも勝てなかった。レ・ダリスでは。

 ヴァリス。それほどの男か。


 カリブルヌスも、セルデルも倒したというのに。

 彼らの作り出した悪霊は、すでに誕生してしまっていた。

 

「あやつはすでに族長を名乗っておる。

 俺は今ではただのダリスよ。

 レ・ヴァリス。それが17になる末子の名じゃ。

 勇者よ、やつは強いぞ」

「……そうか」

 

 奇しくも、イサギと同い年ではないか。


 そして。

 魔世界から帰還を果たしたということは、そういうことだ。

 イサギは口内でつぶやく。


「この地上で破術を使う、もうひとりの男か……」

 

 禁術師レ・ヴァリス。

 その名を呼ぶだけで、なぜだか背筋が震えるようだ。


 イサギはダリスに問う。

  

「……戦わずにそいつを止める方法はないのか?」

「2000の若者は、あの男の狂奔に突き動かされておるわ。

 それは、レ・ヴァリスを殺すことでしか止まるまい」

 

 獅子はうなるような笑みを浮かべる。

 

「もはや万事は尽くした。

 それでもあやつは止まらぬわ。

 勇者よ、ヌシにヴァリスを任せるのは、親としてあまりにも情けない。

 じゃが、どうか託されてくれるというのなら、

 あの男を殺してやってくれよ。

 人間族もピリル族も、滅ぼすわけにはいかぬじゃろうて」

「……」

 

 親が息子の殺害を依頼する。

 それはあまりにも悲しいことなのではないだろうか。


 だが、ダリスはひとりの息子よりも、2000の若者の命を取る。

 それが長としての責任だと言わんばかりに。

 

 うつむくイサギの前、ダリスは自らが目につけていた眼帯を外す。

 こちらに向けて、それを放ってきた。

 

「これを持っていけ、勇者」

「……」

 

 片手で受け止めて、見やる。


 それは黒く薄汚れた、古い眼帯だ。

 目玉があるべき場所には、ピリル族の紋章を象った魔晶が取り付けられている。

 

「俺が使っていたものじゃ。

 この世でただひとつの、破術増幅効果を持つ魔具『邪眼バロール』。

 禁術の反動を軽減し、その力を増幅する作用がある。

 それさえあれば、レ・ヴァリスの規格外の破術の性能に押し込まれることもあるまい。

 また、ピリル族の長の証でもある。

 あやつを殺せば、若者たちもそれを持つヌシに従うであろう」

 

 ダリスの覚悟は決まっているようだ。

 しかし、戦友の息子を殺せ。とは。


「あやつを殺せるのは恐らく、勇者ただひとり。

 カリブルヌスが生きていたとて、到底敵うまい」


 その言葉をどう受け止めるべきか。

 イサギは拳を握り締める。

 

 きっと魔族側は慶喜たちがなんとかしてくれる。

 だからイサギは、ピリル族を説得すればいいものだと思っていたけれど。

 

 イサギの両肩にのしかかるのは、まるでこの世界の命運ではないか。

 レ・ヴァリス、それほどの相手か。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。


 だが。

 

 征くしかない。

 もう止まれるわけがない。

 

 慶喜が、廉造が、デュテュが、ロリシアが、

 シルベニアが、イグナイトが、ローラが、マールが、

 バハムルギュスが、アピアノスが、メタリカが、ダリスが、

 死んだバリーズドやセルデルが、イサギの先で待っている。

 

 レ・ヴァリス。

 イサギの前には、その男がいるようだ。

 

 カリブルヌスのように。

 越えなければならぬ男がいるようだ。

 

 骨までも軋むような責任の重圧。

 背骨が折れてしまうような絆の張力。

 

 敗北の恐怖。

 殺戮の罪悪。


 そんなものに両手両足を縛りつけられながら、

 イサギは顔をあげた。


「……ありがとう、ダリス。

 受け取ったさ、邪眼バロールは」

「ああ」

 

 男は膝に頬杖をつき、頬を緩める。


「ヴァリスを倒したその時は、もう一度戻ってこい。

 酒を酌み交わそうではないか」

「悪ぃな、俺は酒は飲めないんだ」

「そうか」

「だから、水でもいいなら、付き合うさ」

「至極。楽しみに待っておるわ」

 

 背を向けるイサギに。

 ……ダリスが告げる。

 

「……ヌシへの借り、返すどころか、

 もうひとつ、重ねてしまったな」

 

 苦みばしったその彼らからぬ言葉。

 21年という歳月。

 万感の念の込められたつぶやきを。

 

 イサギは腕を掲げて、応じた。


 迷いもある。

 ためらいだってある。

 

 けれど。

 

 人に弱音など見せる必要はない。

 絶対不敗、全戦全勝の男でいよう。


 それが彼らに光を与えることができるなら。

 いつだってイサギはそうしてきたのだから。

 

 勇者とは勝者だ。

 ダリスの言うことは正しい。

 けれどわずかに違う。

 勇者とは決して負けぬ者だ。


 負けぬ限り、いつかは勝つ。

 折れぬ限り、希望は繋がる。

 不屈ならば、人は立ち上がる。

 そのうねりが、時代を築く。

 

 だからイサギは。

 いつだってこう答えるのだ。




「いいさ。

 ――任せておけよ」

   



 威風堂々たるその声。

 まさに英姿颯爽――。

 




 

 高地を走るためにシカに似た草食動物――騎乗用のバオバを借りて、イサギは走り出す。

 その背に託されたのは、ピリル族の命運。

 そして、この世界の運命。

 

 たったの一日も休まず、古き戦友との別れも惜しまず、

 振り返らず、立ち止まることなく。

 

 

 ピリル族の長の証である眼帯を身につけて、

 イサギは駆けてゆく。


 ハウリングポートにいるはずの、その宿敵の元へと。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 一方その頃。

 空路を選んだ慶喜たちは、ハウリングポートに到着をしていた。

 

 魔族とピリル族が厳戒態勢を敷く中、その手前に着陸する。

 ドラゴン族を見送った後、慶喜、ロリシア、シルベニアとイグナイトは陸路で港へと向かった。

 

 魔王一行はピリル族の兵に止められたが、

 身分を明かすと、たやすくハウリングポートの内部に招かれる。

 

 

 物々しい雰囲気だ。

 ピリル族の歩哨とゴーレム兵が、ネズミ一匹漏らさぬような態勢であちこちで目を光らせている。


 人間族の暮らしの跡は焼け落ちて、辺り一面が瓦礫の山だ。

 しばらく前にここを訪れたときとは、なにもかもが違っていた。

 

 一体どれほど苛烈な砲撃を受ければ、ここまで破壊されてしまうものか。

 ところどころ街の中に転がっている大岩は、恐らくは魔術の破壊の後のなのだろう。


「……なんだか、臭いね」

 

 顔を歪めながら慶喜はロリシアにつぶやく。

 ロリシアも怯えた顔でうなずく。


「火と死の臭いがします……」

「うん……」

 

 言い得て妙だと慶喜は思う。

 確かにそうだ。ここには死の臭いが充満している。

 内臓を圧迫し、慶喜自身の生気を吸い取ってゆくようだ。

 

 シルベニアもイグナイトも平気な顔で歩いている。

 軍人はすごいな、と今更思う。


 ロリシアは暗黒大陸解放戦線にも参加していなかった。

 だから、慶喜は知らなかったのだが。

 

 先ほどからずっと、少女は小さく震えている。

 ロリシアの目には、幼き頃に体験した景色がフラッシュバックしていたのだ。


「……ここ、ミンフェスに似ています……」

「え……あ」

 

 言われるまで気づかなかった。

 自分はなんてバカなんだろう、と慶喜は己を責める。


 そうだ。ロリシアのいた町は、人間族の手によって攻め落とされたのだ。

 焼けて滅びてゆくその町から、彼女は家族で逃げ出してきて。


 ……そして、たったひとり遺されたのだ。


「そ、そっか……そう、だよね」

「……」

「……ロリシアちゃん」

 

 そっと慶喜はロリシアに手を伸ばして。

 その手を握った。


「あ……」

「え、えと……ぼ、ぼくがついているからさ」

「……」 

 

 ロリシアはうつむいてなにも言わなかったけれど。

 その手を、離しはしなかった。

 



 やがて、魔王一行は仮設の作戦本部へと案内される。

 そこはハウリングポートでもっとも堅牢な建物――冒険者ギルドだった。

 

 足を踏み入れると、どうやら内装は作り替えられているようだ。 

 ピリル族の旗と……そして、かつてアンリマンユが用いていた魔帝国軍の旗が飾られている。


 この目で見るまで信じられなかったけれど。

 話は本当だったのだ。

 

 そしてそこにいたのは……


「デュテュさん!」

 

 赤いドレスを身にまとう王女。

 雪のような肌を持つ金髪の美女。

 紛れもない。アンリマンユの娘、デュテュその人である。


「魔王警護の任、ご苦労様です。

 シルベニア、イグナイト」


 彼女が小さく手を挙げると。

 シルベニアは立ちすくみ、イグナイトはその場にひざまずいた。

 

 かたや慶喜は、興奮した口調でデュテュに問う。


「ど、どうしてこんなことを、デュテュさん!

 ぼくらはうまくいったのに、どうして!」

 

 デュテュは慶喜を一瞥もしない。

 冷厳な瞳でシルベニアとイグナイトをねぎらう。


「あなたたちはわたくしの指揮下に戻りなさい。

 今はゆっくりと体を休めるように。

 これからのことは追って連絡します」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 その視線の間に慶喜が体を割り込ませる。


「ね、ねえデュテュさん!?

 冗談を言っているわけじゃないよね、なんなのそのキャラ!

 ぼく、見えているよね!?」

「……デュテュさま、これはいったいどういうことなんですか?」

 

 そっと前に出たロリシア。

 彼女を、デュテュは見下ろす。

 

 冷たい目だ。ゾッとする。

 こんなデュテュは、見たことがない。


「……どうして、こんなことをしたんですか?

 だって、デュテュさまは争いを嫌がって……

 だからわたしたちを、人間族の元に送り出してくれたんですよね。

 それなのに……」

「ロリシア、そして魔王ヨシノブ」

   

 ロリシアの言葉など聞いてもいない。

 まるで召使いに命ずるように、彼女は告げる。


「ここは魔帝国軍の支配する土地です。

 あなた方はすぐに暗黒大陸へとお戻りなさい」

「え?」

 

 慶喜たちは目を白黒させた。

 

「ど、どういうことっすか……?」

「デュテュさま……」

 

 迷える子羊に神託を授ける巫女のように、

 デュテュは微塵も迷いなく、答えてみせた。


「わたくしは魔族帝国、魔帝デュテュ。

 アンリマンユのその座を継ぐものです」

 

 そうはっきりと本人の口から告げられて。

 しばらく、慶喜たちはなにも言えなかった。


 手紙の内容は本当だったのだ。

 何度もまさかと思っていたのに。


 つまり、デュテュは本当に、

 魔族国連邦から独立した、ということなのか。


 いったいなんのために。

 どうして今さら。


 

 混乱する一同の元に、新たなる声。

 それはまるで突然のスコールのように、強く叩きつけられた。


「――決まってんだろうがよ」

「え?」

 

 慶喜は自らの目を疑った。

 一瞬、彼の姿がイサギに見えたのだ。

 

 改めて見直す。

 なにをどう勘違いしたのか、容姿はまったく似ていない。

 

 イサギは黒髪黒瞳だが、彼は金髪の碧眼だ。

 

 後ろで束ねた金糸のような美しい髪に、まるで猫科の獣のような耳が生えている。

 その蒼い目は鋭く、威圧的である。決して獲物を逃さないという意思を感じた。

 まるで着物のような独特の衣装をまとい、その後ろでは長い尻尾がうねっている。

 

 そして、彼は右目に眼帯を身につけていた。

 あるいはそれが、イサギに見えたのかもしれない。


 しかし、イサギとはまるで違うところがある。

 邪悪だ。彼の存在は。

 

 イサギが光ならば、目の前の少年は闇。

 そんな風に感じてしまう。

  

 危険だ。この少年は。

 後ずさりをする慶喜。


「君は……」 

「――ヴァリス」

 

 距離を詰めながら、顔と顔を付き合わせて。 

 その少年は、ポケットに手を突っ込みながら名乗る。

 

 

「俺様の名は、ヴァリス。

 ダリスの七男にして、ピリル族の族長。

 ――そして三界の覇王、レ・ヴァリスだ」

 

 

 ニィ、と。

 その若者は牙を剥いた。 

 

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