1-8 人工極大魔晶と禁術
シルベニアは感情の浮かばない虚無の目で語る。
「魔晶は生物の中に微量に含まれる魔力が土に染み出して作られる。
ならばより多くの魔力を持つモノの死体を一箇所に集めてひたすらに活性化の魔術を唱えれば、ずっとずっと早い時間で作ることができるの」
まだ花を手折る年頃のような少女が、だ。
まるで死神のような言葉を吐いている。
「冒険者を皆殺しにしてその死体をかき集めて折り重ねて積み上げて箱に詰めて腐敗させて。
そうしたらきっと極大魔晶の二個や三個はできるの。
かくして一件落着世界は平和に戻りおめでたく魔王さま方は自分の世界に戻れるの」
シン、とした。
イサギもまた、なにも言葉が出せなかった。
そんなことを考えたものはいない。
極大魔晶を自らの手で作り出すなんて。
それは恐らくこの数千年、誰も考えなかったことだ。
そこまでして作る必要がなかったから、だけれど。
極大魔晶が枯渇した今、それこそが唯一の手段のように思えた。
一体この少女は何者だ。
召喚魔法師、シルベニア。
その小さな体にどれほどの闇を抱えているのだろう。
イサギの目ですら、見通すことはできそうにない。
「つまり」
ヤンキーが口を開く。
「オレらが魔王になって、冒険者を殺せば、元の世界に戻れるっつーことだな」
「ああ」
イラがうなずく。
愁が震えた声で尋ねる。
「むしろ、それ以外に元の世界に戻る方法がないってこと、かい……?」
「……」
シルベニアはなにも言わず、首肯。
おかしな空気が流れてゆく。
突然異世界に連れて来られたと思ったら。
今度は帰るためには人を殺せ、と来たものだ。
「はは、参ったな……人殺し、か……」
愁ももう笑ってなかった。
手を何度も閉じたり開いたりしている。
ヤンキーが椅子を蹴って立ち上がった。
そのまま食堂の出口に向かう。
「どちらにゆくのだ?」
イラが行く手を塞ぐ。
彼はポケットに手を突っ込んだまま告げる。
「王都ってとこだよ。冒険者を殺してくりゃあいいんだろ」
彼はこともなくそう言った。
それはイサギにとっても、相当な驚きだったのだが。
イラは首を振る。
「今のあなたには無理だ」
「ああ?」
「魔王さま方は、まだ力に目覚めていないだろう」
「……どーすりゃいいんだよ」
ヤンキーは睨めつける。
先ほどシルベニアの魔法にも反応できなかったのだ。
「力があればいいのだ」
イラは握った拳をヤンキーの前に掲げる。
「世界四大禁術のひとつ『封術』。
呼び出したあなた方は皆、この移植に耐えることができる。
それさえあれば、並の冒険者に負けることはないだろう」
イサギは左目を抑える。
(禁術って……)
もうなにもかもが20年前と違いすぎる。
いつの間に世界はここまで変革してしまったのだろう。
――世界四大禁術。
それは魔族、ピリル族、ドラゴン族、そしてエルフ族にそれぞれ伝えられる力だ。
決して許されない、人の身に余る力。
使用者致死率99・99%の禁忌。
魔帝戦争の最中ですら、両軍ともにそれを使おうとするものはいなかった。
ただふたりだけを除いて。
正気の沙汰ではないのだ。
だが、それを見事に宿すことができれば、神族と同等の力が手に入ると言われている。
魔帝アンリマンユもまた、禁術師だった。
彼は『封術』によって、絶大な魔力を手にしていたのだ。
そうか。
なるほど。
(だから、“魔王”さま方、か……)
本来魔王とは、アンリマンユに使われる言葉だ。
彼女たちは、自分たちをアンリマンユに仕立てようとしているのだ。
それも、同時に四人――
それほどまでに魔族は追い詰められているのだ。
「力だ。この世界で生きるためには、力が必要だろう?」
イラは四人を見回しながら。
とうとうと雄弁を振るう。
「魔王さま方がどんな世界に生きてきたか、私は知らない。
だが。きっと法の整備された清廉な世界だったのだろうと思う。
あなた方には清廉の匂いがする。この中でもっとも粗野なレンゾウさまですらだ。
我々とは比べ物にもならないような、恵まれた世界で生きていたのだろう」
イラの目はひとりひとりを突き刺す。
そこに宿るのは、怒り。
「どうだ?
この世界で絶大な力を得て、なにもかも思い通りにしてみたくはないか。
私はデュテュさまのようにあなたたちを綺麗に説得することはできない。
だが、生物である以上、その体にはたぎるような本能があるはずだ。欲望があるはずだ」
彼女は訴えかけてくる。
少年たちの魂に。
「欲しいものがあるのなら、遠慮せずに略奪するといい。
人でも金でも食料でも、なにもかもをだ。
邪魔するニンゲンなど、何人殺しても構わない。
どんなことをしても見咎められることはない。
ここにあなたたちを止めるものはいないのだ」
イラの言葉に、誰もが心を奪われていた。
「気に入った女がいたら、犯して自分のものにすればいい。
最愛の伴侶の目の前でその妻を蹂躙すればいい。
なにも知らぬ美しき娘を乱暴し、獣欲をぶちまければいい。
気の向くままに殺し、気の向くままに奪えばいい。
それが魔王になるということだ。それが力だ。
我々の同胞がニンゲンにそうされたように……!」
ヤンキーが、メガネが、愁が、イサギが。
皆、イラの言葉を反芻していた。
肩で息をしていたイラは、やがて力なくうつむく。
「……もし望むのならば、我々のことだって、好きにできるだろう。
『封術』の魔王が四人だ。抵抗することなどはできない。
奴隷に堕ちて奉仕をしろというのなら、従うとも。
姫様にもその覚悟がお有りだ」
デュテュのあの体を好きにできる。
一瞬だけ想像して、すぐにイサギは雑念を振り払った。
彼女たちにはその決意がある。
外部から力を求めるというのは、そういうことだ。
自分たちの社会を滅茶苦茶にされても構わない。
それで人族を倒せるのなら。
いや。
それで仲間の仇を討てるなら、か。
「やってやろうじゃねえか」
ヤンキーは迷わなかった。
その精神の強さがどこにあるのか。
なにが彼をそこまで突き動かすのか。
ヤンキーは人を殺すことを少しも恐れていない。
「オレにその力をよこせ。元の世界に戻るためなら、なんだってやってやる」
断言するヤンキー。
彼は現実世界になにを遺してきたのだろう。
イラは目を見開いた。
それから静かにその場にかしずく。
「……ありがとう」
「勘違いすんなよ。勝手に呼び出しやがって、テメェらにもムカついてんだ」
「それでも構わない」
「あとテメェな」
ヤンキーはギロリとシルベニアを威嚇する。
シルベニアは一瞬びくりとしたが、今度は魔法を撃ってこなかった。
「もう二度とウソをつくんじゃねえぞ。そういうやつは許せねえ」
「……」
シルベニアはそっぽを向いたまま、なにも応えない。
このままでは争いになるかもしれないと危惧したイラが、慌てて割り込んだ。
「感謝する、レンゾウさま」
ヤンキーは舌打ちをしただけだ。
イラが立ち上がると同時。
今まで黙り込んでいたメガネが、手を挙げた。
「ぼ、ぼくも!」
正直、意外だった。
まさか彼までが手を挙げるとは。
「知っているんだ、こういうの……
こういうところで力を手にしておかないと、すぐにあっけなく死ぬって……
そういうお約束があるって……」
そういうものかもしれない。
彼のメガネの奥の瞳に、情炎が宿っているのを感じる。
「とにかく、ぼ、ぼ、ぼくも、ぼくもやる! やるから!」
あるいは彼は、先ほどのイラの語ったような世界に憧れていたのかもしれない。
どんな女を犯しても罰せられず、欲望のままに生きることが許される世界。
己自身の魔王譚を。
そうだ。
絶対強者になれるのなら、人は迷わないだろう。
弱者を虐げられるのなら、人はそう望むだろう。
ここは異世界だ。
メガネの選択を、イサギは責められない。
ヤンキーが心を決めて、メガネも立ち上がった。
ならば。
愁がこちらの顔色を伺うように、尋ねてくる
「……イサくんは、行かないの?」
「俺は」
首を振る。
イサギはすでに“禁術をひとつ所持している”。
それだけで相当な負担がかかっているのだ。
これ以上はきっと持たないだろう。
体は耐えられるかもしれない。
だが、心が砕けてしまうのなら。
そんなことはできない。
「そっか」
すると。
愁はゆっくりとイサギの横を通り過ぎる。
「まさか、お前も」
彼は苦笑いをしていた。
まるで己を恥じるように。
「……別に、誰をどうこうしたいっていうのはないんだけどね。
それでもこの世界、力がなければなにもできないみたいだから」
それは正しい。
どうしようもなく正しい。
イサギだってこの場にいて、何の力も持っていなければ、禁術に頼っていただろう。
すがっていただろう。
だけど。
どうしてこんなに、悲しい気持ちになってしまうのか。
椅子にただひとり座るイサギを残して、イラたちは部屋を出て行った。
「……考えが変わったら、すぐに教えてくれ」とイラは言っていた。
イサギは静かに首を振った。
わかっている。
イサギは魔王を倒しさえすれば、世界が平和になると信じていた。
そのためにただ力を求めて、英雄的行為を繰り返した。
見事魔王を打ち倒し、世界を救ったはずだった。
その末路が。
デュテュの、シルベニアの、イラのあの悲痛な覚悟だ。
これが、イサギの救った世界だというのなら。
こんなに悲しいことはない。
「……お下げします」
しばらく呆けていた。
食堂にはもう、ひとりのメイドが残るだけだった。
彼女はイサギの横から手を伸ばし、皿を掴む。
「うん」
イサギはつぶやいて。
その次の瞬間だ。
少女はつるりと皿を床に落としてしまった。
陶器が割れる音がして、我に返る。
「あ、えと、大丈夫?」
少女と目が合う。
緑色の髪をくくった長い耳の少女。
エルフだ。
少女がイサギを見つめる。
その目は驚愕に見開かれていた。
宝石のように透明なその瞳には、イサギの表情が映っている。
……もしかして、彼女は。
ドキリとした。
その目の端にじわりじわりと涙が浮かんでゆく。
彼女は口元を両手で抑えて、かすれた涙声をあげた。
「ゆうしゃの、イサギおにいちゃん……?」
人工極大魔晶:作れるとシルベニアは言い張る。
禁術:四種類の禁じられた術。そのひとつが『封術』
ヤンキー、メガネ、愁:禁術を得ることを決意する。
エルフの少女:???