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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:8 すべての命の行き着く先は
89/176

8-4 ゆずれない願い

 

 ローラの翼は並の竜が二日間かかった道のりを、

 半分の一日で踏破してみせた。凄まじい速度である。

 

 さすがにローラもくたびれている。

 最高速度を持続できるのは、一日が限界なようだ。


『ひぃ、はぁ、はぁ……し、しんどいかったですぅ……』

「ありがとう、助かったぜ」

 

 ローラに手を振ってイサギは地上へと落下してゆく。

 彼が浮遊できることは知っているため、ローラも今度は驚いたりはしない。


 小さな翼を生やしたイサギは、いち早くワイバーンゲートに到着した。

 ふわりと風をまとわりながら、音もなく地面に着地する。


 滞在する兵士たちに驚かれながらも、空を見上げると。

 ローラがとんぼ返りし、軽く炎を吐きながら西の空へと消えてゆくのが見えた。

 

 彼女はこれから、廉造たちと合流するためにハウリングポートの方面に向かうのだ。

 どちらも、忙しい旅だ。

 武運を祈るために、イサギもまた指先から火を放った。

 

 

 さて、と。

 一日中、空を駆けていたからか、足元がフワフワとするけれど。

 進もう、ここから。

 トッキュー馬車を確保し、可能な限り急げば、約一ヶ月半ほどで到着するはずだ。

 

 ローラの翼と比べた場合、トッキュー馬車の速度がやや上回る。

 だがローラは最短距離で飛翔することができる。その場合はどちらも同じぐらいのペースになるだろう。

 それでも、ローラひとりに負担をかけるわけにはいかない。

 不眠不休で何十日も飛び続けることなどできないのだから。

 

 それに、長時間の竜化は危険だ。

 もう二度と戻れなくなる可能性だって出てきてしまう。

 

 ワイバーンゲートはいまだ戦の噂が届いていないのか、平和そのものだった。

 これなら馬車の一台は、たやすく調達できるだろう。

 

 ギルドカードを懐から取り出しながら、あちこちを見回る。

 だが、さすがにトッキュー馬車の姿はない。


 やはり一度はブルムーン王国の首都に向かわなければダメか。

 多少遠回りにはなるが、結果的にはその方が早く着くはずだ。

 

 一日や二日のロスは仕方ない、か。


 ローラに首都メンデルゾンまで送ってもらうことも考えてはいたが、

 さすがにここからの道程は危険が伴う。

 

 人間族の住む土地をドラゴン族が単騎で飛翔するのは、どちら側にとっても思わしくはない。

 ドラゴン族によるワイバーンゲート襲撃は、まだ皆の記憶にも新しいだろう。

 もしかしたらローラが魔術師に撃たれてしまう可能性だってある。

 

「……なるべく、良い馬を調達しないとな」

 

 この砦の責任者に助力を願おうと思い、イサギは兵舎へと向かう。

 と、そこでひとりの男に話しかけられた。


「あ、ああっ、イサ殿!」

「……ん?」

 

 見やる。彼は確か、ここに初めてやってきたときに、

 自分がギルドカードを提示した警備隊長だ。

 

「よくぞ無事で!」

「ああ、軽いもんだったさ」

 

 それよりも、彼にこの砦の責任者に会わせてもらおうかと思っていたところで。

 先に警備隊長がイサギに口を開いた 


「いやあ良かった。実はイサ殿の帰りを待つ客人がいましてな。

 いつ帰ってくるんだいつ帰ってくるんだと、少し騒がしくて……」

「……俺を?」


 いくつか心当たりが浮かぶが、どれも薄い線だ。

 あからさまにホッとしている警備隊長は兵舎への道をイサギに譲り、「ささ」と急かした。

 

 

 怪訝そうな顔をしながら、イサギは部屋に立ち入る。

 そこにいたのは……


「ああーもうー、やっと捕まりましたよぉー」


 少し伸びた黒髪を髪飾りで止めた、こざっぱりとした格好の剣士だった。

 黒金の胸当てには冒険者ギルドの紋章が刻まれている。


「メタリカ、来ていたのか」

「ですよー、もー。

 どんだけ足取りを追ってきたと思うんですかー」

  

 彼女はメタリカ。ギルド本部のB級エージェントである。

 だが、専門は争いではない。彼女の主な仕事はメッセンジャーだ。

 

 別名、健脚のメタリカ。

 長身にして痩躯だが、ミニスカートから覗くそのふとももだけは並の女性よりも一回りは太い。

 その名と能力が災いしてか、今では愁の指示で各地を走らされているのだという。


「まったく、ほんっとにシュウさんって人使い荒い……」


 イサギは、メタリカとはもう半年近くの付き合いだ。

 セルデルを倒した後、リアルデで足止めを食らっていたイサギの元にやってきたのが、アマーリエの友人であるメタリカだった。

 

 それ以来、メタリカは伝書鳩のようにふたりの間を行き来している。

 随一の追跡術を持つ彼女だが、なかなかハードな職務だと思う。

 

「悪ぃな。今回はどうしたんだ?」

「これですよ、これ」


 と、メタリカは魔具である肩掛け鞄の封印(ロック)を一時的に解除し、

 その中から一枚の手紙を取り出した。


 ギルド間の遠隔筆記は、どうしても機密性に難がある。

 他言無用といっても、複写するギルド員には見られてしまうものだからだ。


 暗号文を送ろうとしても、今度は受け取る側がうまく受信できなくなってしまう。

 だから愁はこのように、イサギと連絡を交わす際にはより確実な手段を用いていた。

 

 そのためにパシらされるのが、もっぱらメタリカだ。

 有能であるからこその人選だが、本人は常にシンどいシンどいと口走っていたりする。不本意な仕事のようだ。


 それはともかく。

 イサギは蝋印を確認し、その場で手紙を開封する。

 

「今度のも近況報告か」

 

 愁の手紙は内容だけを箇条書きにした、簡素なものだ。

 ざっと目を通す。


 まず、ピリル族とドラゴン族に不穏な動きが見られるから注意してほしい、と書いてある。

 一体いつ書かれたものなのかはわからないが、どちらもすでに起きてしまった事態だ。

 

 次に、他には慶喜が人間族と同盟を結ぶために暗黒大陸を出立したこと。

 廉造が行方不明になってしまったこと、などがあった。

 その二点も、決して他国には漏れていないはずの情報だ。


 相変わらず、信じられないような情報網である。

 あらゆる冒険者の見聞きした情報が、愁の元に集まってきているかのようだ。

 彼はまるでダイナスシティにいながら、この世界の全てを把握しているかのような印象を受けてしまう。

 

 手紙をめくる。

 他には、リヴァイブストーンを使用した冒険者たちの、現在地が列挙されている。

 もちろん移動をしているものたちも多いだろうが、

 この中にはギルド本部エージェントのように、国と契約をしている冒険者たちも多く含まれている。

 彼らはそこから動くことは滅多にない。

 追いつめて殺害するためにも、とても有益な情報だ。

 

 すらすらと手紙を眺めて。

 最後に、目を惹く一文があった。

 

『キミに頼まれていたクラウソラスの修復作業はほぼ完了した。

 メタリカに持たせようと思ったのだけど、さすがにこればかりは心配でね。

 暇ができたら、いずれダイナスシティに取りに来てもらいたい』

 

 思わず、「おお」と感嘆の声が漏れた。

 彼は不可能と思われた神剣の復元を、半年そこらで成功したようだ。

 


「すげーな、愁……」

 

 心情的には今すぐにでも向かいたいが、その前にやるべきことがある。

 メタリカに、礼を言う。

 

「毎回毎回、助かるよ、メタリカ」


 すると彼女は両手を掲げて小さく首を振る。


「いえいえ、お仕事ですからね。

 本部のエージェントはお給料が安定しているのでこちらとしてもありがたいです。

 しいて言うなら、そろそろ良いカレを見つけなきゃいけないんで、

 もうちょっと休みをいただけたらいいんですけどねー……」


 大きなため息をつくメタリカ。


 この世界の結婚適齢期は――種族や国にもよるが――大体、13から18才の間だ。

 メタリカははイサギより確か、3つか4つ年上だったはずだ。


 20才を過ぎて未婚の女性は、大体行き遅れと言われてしまう。

 少し意外だが、メタリカはそのレッテルを不名誉に感じる女性らしい。

 そういった願望はないものだと思っていた。

 

 自分のせいでひとりの女性の未来が暗くなるのは忍びない。

 イサギは軽く笑いながら答える。


「はは、今度愁に会ったら言っておくよ」

「ぜひぜひ。

 いい男の人のご紹介も、いつでもお待ちしておりますので」

 

 笑顔で食いついてくるメタリカ。

 彼女は美しく有能な女性だが、いかんせんプロ意識が強すぎる。

 目の前の仕事を常に全力でこなしてしまうために、隙がなく、出会いの場もないのだろう。


 不憫なメタリカは、

 手のひらを額に当てて、敬礼をしてみせた。

 

「では、役目も終わりましたので、あたくしはこれで」

「ああ、サンキュー。また次回も頼むよ――」

 

 と見送ろうとして。

 慌ててイサギは、メタリカの細い手首を掴んだ。


「ちょっと待ってくれ」

「えっ、きゃ、きゃっ」

 

 勢い余って、メタリカを抱き寄せてしまう。

 柔らかな彼女の感触とその髪の香りに、一瞬ドキッとした。

 慌てて離れる。


「あ、わ、悪い」

「ちょ、ちょっと、だ、だめですよイサさん、

 確かに紹介してくださいとは言いましたけど、

 こればかりはリエちゃんに叱られちゃいますってっ」


 メタリカは、冒険者時代からのアマーリエの友人だ。

 そのアマーリエがなぜ今関係があるのかはわからないが。

 

 なにやら顔をもじもじさせながらこちらを上目遣いに見やるメタリカ。

 それはともかく、イサギは真剣に問う。

 

「お前さ、ここまでなにで来た?」

「え? そりゃあ、ギルド本部の自前のトッキュー馬車ですけど」

「だよな!」


 我が意を得たりと、イサギはうなずく。

 

 健脚のメタリカは御者の名手であり、馬車のメンテナンスだってできる。

 大陸を駆けることにかけて彼女の右に出るものはいない。

 

 彼女の手を握ったまま、イサギは頼み込む。

 

「俺と一緒に来てくれ、メタリカ!」

「えっ、えっ、えええええ……!」


 力強い彼の言葉に、なにかを勘違いしたようなメタリカは、

 顔を真っ赤にして細い声をあげたのだった。

 

  

 

 ◆◆

 

 

 

 トッキュー馬車の御者席。

 二頭の馬を操りながら、メタリカはなぜかむくれている。


「まったく……どうしてそういう軽率な発言を」

「一体なんの話だよ」

「ええ、ええ、こっちの話でーす」

 

 かくして。

 

 イサギとメタリカはスラオシャ大陸を縦断する。

 ブルムーン王国の街道を真南に移動し、

 そこから先はギルド権限で国境をぶっちぎって、ピリル族の里へと向かうのだ。

 

 ピリル族のなわばりに入るまで、一ヶ月半はかかると思っていたのだが。

 メタリカを捕まえられたのなら、あるいはその半分以下で済むかもしれない。

 

 馬を交換しながら、ふたりは南部山脈へと向かう。

 旅は順調に進んだ。

 

 

 

 ◆◆

 

 


 今まで何度か顔を合わせたことはあったが、それも短い間だけだ。

 彼と一緒に旅をしてみて、改めてメタリカは思う。


 愁やアマーリエに聞いていた人物像とは、ずいぶん違うんだな、と。

 

 愁はイサギ――もちろん、メタリカは彼の本当の名を知ることはない――のことを「悪を絶つ剣」と評していた。

 ずいぶんと物々しい名だ。

 その言葉から想像したのは、鋼の意志を持つ審問官のような聖人である。

 

 アマーリエはイサギのことを「勇者そのもの」と語った。

 自分の父親と家族だけを崇拝し、世の中の他の男は、

 剣のサビに過ぎないと思っていた彼女のその代わりようたるや、信じられない。

 

 かと思えば、イサギは決して凛々しい男性ではない。

 その横顔はどこにでもいるような、若さの残る青年である。

 

 彼が村人の服を着て眼帯を外し、黒髪の人混みに紛れたなら、

 そう簡単には見つけ出せないだろう、とメタリカは思う。

 

 強いのだとは聞いていた。

 愁とバリーズドが裏切り者であるカリブルヌスを討った際にも、

 ダイナスシティに滞在しており、そのときに彼らの手助けをしたのだという。

 

 だが、所詮は――『A級』エージェントではないか。

 

 自分より確かに階級は上だが、そこに特筆すべきことはないと思う。

 ギルド本部に雇われている冒険者の中でも、さらに上の、S級と呼ばれるものもいる。

 愁と個人的な付き合いがあるのだろうが、イサギひとりがなぜここまで目をかけられるのか、メタリカにはわからない。

 

 

 先ほどの街で新たな御者を雇い、メタリカも馬車の中で休息を取っていた最中だ。

 小型のトッキュー馬車の中で向かい合って、座る彼の横顔を眺める。

 

 イサギは先ほどからずっと、空中に魔術のコードを浮かべていた。

 非常に複雑で、そして異質な構造のコードだ。

 一体なにを意味するのかも、メタリカにはわからない。

 

 イサギは“変わった術”を使う。

 確か愁はそんな風にも言っていた。

 

「あのー」

「ん」


 ぱっ、とイサギの手の中からコードがかき消えた。

 傷ついた魔世界が元通りに修復されようとしている光景が現実に重なって見える。

 

 あまり人のプライバシーに関与しないのは、この世界で長く生き残る常ではあるが。

 だが、無理矢理、接収されたのだ。おかげで自分の休暇もパーになってしまった。

 これぐらいは許されるだろうと、ついつい尋ねてしまう。

 

「イサさんは一体、ピリル族の里に行って、

 なにをしようっていうんですか?」

「戦争を止めるのさ」

 

 イサギは端的に答えた。

 

 彼が向かう先はピリル族の里だ。

 その手前、南部山脈クー・ドロアの玄関口でメタリカと分かれる予定だった。

 

 ワイバーンゲートを出てから数日が経った。

 すでにハウリングポートに魔族とピリル族の連合軍が攻め込んだことは、世界中に知れ渡っていた。

 

 今、スラオシャ大陸は緊張状態にある。

 第二次魔帝戦争勃発の可能性に、誰もが怯えていた。

 

 けれど。

 

「でもそれって、誰のために……ですか?」

 

 メタリカは問う。


 昔会った冒険者は、戦争を「金の儲け時」と称していた。

 賞金首を持ち帰れば多額の懸賞金がもらえる。

 国に取り立てられることだってあるし、働きがよければ領地だって与えられる。

 それは一攫千金を狙う冒険者の、安定した到達地点のひとつだ。

 

 もちろん、冒険者の誰もがそんな人たちだとは思わない。

 アマーリエなどは呆れるほどに高潔な精神を持っていた。

 ああいう生き方は確かに憧れるけれども、きっと疲れるだろうと思う。


 メタリカの主義は中庸だ。


 戦争をチャンスだと思う人も、争いがなくなればいいと思う人の気持ちもわかる。

 その上で、大きな組織の命令に従いながら生きるのは、メタリカのモットーにも合う。

 

 きっと、今さら戦いを止めるのは不可能だ。

 もう決戦の火蓋は切って落とされたのだから。

 

 だが、イサギは窓の外を眺めながら語る。

 

「誰のためかと聞かれたらな、

 この大陸に生きる全ての人たちのためだ、とでも答えようか」

 

 はー。

 なんとも大層な言葉に、ため息が漏れる。

 

 一体どれほど意識を高く持って生きているのだろう。

 たったひとりの人間が、世界の流れに逆らうことができると思っているのだろうか。

 だとすれば、よほどの変人か、あるいは本物の勇者だ。


 メタリカは再び問う。


「……でもそれって、シュウさんの指示じゃないですよね」

「そうだな。とりあえずはな。

 志はともにしていると思っているが」


 人がなにを願っているかなど、その人にしかわからないことだと思う。

 なぜイサギはそこまで自信満々に言い切れるのか。


「いいんですか? ギルド本部のエージェントが、

 任務でもないのに勝手な行動をして」

「あいつだってきっと、

 俺の立場なら同じことをしているだろうさ」

「むーん」

 

 わからない。

 素直にすごいとは思うけれど。


 たったひとりが戦争阻止のために駆け回ることが、この世界でどれだけの意味を持つのか。

 首をひねるメタリカに、イサギは頬を緩めながら告げる。


「運命はある。そこから抜け出すことは容易じゃない。

 だが想いにも力はあると信じている。

 争いがなくなればいいと思うのなら、そう叫べばいい。

 ひとりひとりの願いは、大きな流れになり、

 いつかは運命の激流をもせき止めることができる」

「はあ」

「俺はそういう場面を、これまでに何度も見てきた。

 だからきっとな、今回の戦いだって、意外となんとかなるもんさ」

「そういうものなんですかねえ……」

 

 年下のはずなのに、まるで兄にたしなめられるような思いがして。

 けれど、あまりイヤな思いはしなかった。

  

 イサギの言葉は間違いなく大言壮語のはずだ。

 はずなのだが……

 

 その言葉には経験による“裏付け”があるような気がした。

 まるでいくつもの戦を越えてきた歴戦の将のように。

 

 彼が一体なにをしでかすのか、

 その先を見てみたいと思う自分がいることに、メタリカは気づく。

 

 なるほど、わかった。

 彼自身が発するその魅力に。

 

 言葉少なげで、謎の多い人物。

 眼帯をつけた奇妙な術を使う若者。

 

 つまり彼は、“ミステリアス”なのだ。

 

「……かっこいいかも」

「ん?」

「いえ、こっちの話です」

 

 メタリカは自らの唇に手を当てて目を逸らすのだった。

 


 

 旅は順調に進んだ。

 

 まるで戦火に包まれているのが、

 遠い国のことのように思えるような旅だった。

  

 

 

 ◆◆

 

 

 

 街から街へ、村から村へと、

 馬車は砲弾のように駆けてゆく。

 

 イサギは自分を寡黙だとは思っていないが、必要ではないことはあまり喋りたがらなかった。

 単純に、女性とのふたり旅という環境で少し緊張している、というのもある。

 

 メタリカとともにいると、どうにもアマーリエとの旅を思い出す。 

 彼女との旅は、まだフランツという少年がいたから良かったのだが。 

 

「……」

 

 やや小さめの馬車の中、ふたりは向かい合って座っている。

 

 沈黙は苦ではない。

 彼女がじーっと自分のほうを眺めていなければ、だが。  

 

「……どうかしたのか?」

 

 たまらず、問いかける。

 彼女は、「あー」と声をあげた。

 いったいなんだろうか。

 

「あのですね、色々と気になることがありまして」

「聞かれても答えられないこともあるぞ」

「リエちゃんとどこまでいったんですか?」

「……」

 

 たどった道のりは、ハウリングポートからダイナスシティまで、だが。

 さすがにわかる。彼女が聞きたいのは恐らくそういうことではない。

 

「何にもなかったよ」

「ええー? 男と女が旅をしているのにー?」

「俺と君も今、一緒に旅をしていると思うんだけどな」

「えっ、あ、はい、そうですね」

 

 急に慌て出すメタリカ。

 なにやら手を膝の上に置いてかしこまり、髪をいじり出したりする。

 

 一体なんなのか。

 それともこの世界は、男は野獣だらけなのだろうか。

 

 生き死にが身近にある環境だから、

 そういうことがあっても不思議ではないかもしれない。

 

 なぜだかわからないが、イサギにはあまりそういうことをする気は起きなかった。

 いや、きっと遠くの地でデュテュが苦しんでいるからだろう。


 それ以上彼女は追求してこなかったため、

 イサギは手帳を広げ出す。

 

 神化病のメンバーが載っているものではない。

 新技についての研究ノートだ。

 

 

 すると、再びメタリカは興味を持つ。


「それ、なにを書いているんですか?」

 

 今度の質問に、イサギは答える必要性を感じなかったようだ。


「……機密事項だ」

「えっ」


 それだけでは不親切だったか、と。

 目を丸くする彼女に、イサギは付け加える。

 

「俺の、秘技だからな」

「そ、そうなんですね」

 

 これも変わった術の一端なのだろうか、とメタリカは考えたようだ。

 窓に反射して、その中身が一瞬だけ彼女に見えてしまった。

 

 そこには、ラストリゾートという言葉が散見している。

 あまり馴染みのない単語だ。


 切り札(ラストリゾート)? 楽園地(ラストリゾート)

 一体なんだろうか、とメタリカは首をひねる。


 

 知れば知るほど謎が深まる。

 そのどれもが、なぜだか魅力的に思えてきてしまった。


 メタリカはいつしか、憧れのまなざしを彼に向けていた。 

 ああ、なんてミステリアスな人なんだろう、と。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 最近、妙にメタリカが自分の周辺をかぎ回っているようだ。

 イサギは用心を続けていた。

 

 自分以外の誰も信じられない……なんて尖っていた時代は卒業したけれど。

 それでもやはり誰彼構わず信用するのは、ただの愚か者だ。

 

 特にイサギは冒険者を殺戮し続けている。

 その中にメタリカにとって縁のあるものがいたとしてもおかしくはない。

 恨みも持つだろう。

 

 だからイサギは宿も別にしてもらっていた。

 そこもメタリカはなぜかわずかに落胆していた気がする。

 

 アマーリエの友人だから、信じたい。

 でも心にやましいことがあるから、信じきれない。

 

 自業自得だろうな、と思う。

 

 イサギは宿の外にいた。

 誰にも見られないように近くの森の中へとやってきていたのだ。

 

 腰にはいつものようにカラドボルグを提げている。

 だが、いつもと違うのは、聖杖だ。

 

 イサギはミストルティンを握っていた。

 

「……ふう」

 

 セルデルが崩壊してゆく姿を目の当たりにした。

 だからもちろん、恐怖はある。

 

 けれど、極術を制御することができれば、

 それは間違いなく、イサギの力となるはずだ。

 

 今までも何度か試みた。

 そのたびに失敗を繰り返してきた。

 

 だが、少しずつ前に進めている気がする。

 あとちょっとでなにかを掴めそうなのだ。

 

 イサギは目を閉じる。

 

 魔力をミストルティンに注ぐのだ。

 自らの体を流れる血が、杖へと伝わるようにイメージする。

 ゆっくりと時間をかけて魔力を込めてゆく。

 一歩制御を間違えれば、セルデルのように体中の魔力が吸い取られてしまうだろう。

 

 だが――

 

 いくら時間をかけたところで。

 聖杖はほんの少しだけ先端に光が点っただけで、

 それ以降、なにも反応がなかった。


 ふぅ、とため息をつく。

 たったこれだけのことで、ひどく疲弊してしまった。


「……やはり、俺の魔力容量では無理なのか」

 

 使えないのなら、海にでも捨ててしまいたいけれど。

 もしかして誰かに拾われ、悪用されてしまうかもしれないと考えると、

 とても手放す気にはなれなかった。

 

 あの大災害を見た後では、とても。

 

「まるで呪われた武具だな……」

 

 セルデルはイサギの体に回復術を刻んだだけではなく、

 こんな厄介なものまで押しつけてきたのだ。


「……ったく、恨むぜ」

 

 イサギはくたびれた顔で宿へと戻る。

 

 バリーズドの剣とセルデルの杖。

 そのどちらも重く、手放すことのできない絆であり……あるいは、呪いかもしれない。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 昼はトッキュー馬車を使い、夜は野宿か宿に泊まり、

 金に糸目をつけず、馬を替え、車輪や馬具を取り替えながら、ひたすらに先を急いだ。

 

 立ち止まっていると、いつ連合軍が動き出すか、気が気ではなかったのだ。

 情報収集は欠かさず行なっていた。

 今のところは魔族もピリル族も、ハウリングポートに留まっているようだ。

 もしかしたら、慶喜や廉造の足止めがうまくいっているのかもしれない。

 今はそう願うより他ない。


 急いだかいもあって、イサギたちは通常の半分以下の日数でクー・ドロアの麓までたどり着くことができた。

 辺りの風は乾いている。すぐ東側にかつてシャハラ首長国連合があった大砂漠があるためだ。

 

「多分ですけどこれ、大陸縦断の新記録を樹立してしまったでしょうね……」

 

 さすがにメタリカの顔にも疲労の色が濃い。

 ここまで無茶な旅は初めてのことだったろう。

 

 イサギは鞄を背負い、馬車を降りる。


「ありがとうな、メタリカ」

 

 彼にはまるで変化がない。鉄人のようだった。

 体の鍛え方がまったく違うのだ。メタリカは感心してしまう。

 

 ここから先、山脈を越えるために馬車は使えない。

 だが、全速力で駆けてゆけば、数日もかからないだろうとイサギは思っていた。

 

 メタリカはそんな彼を見送りながら、尋ねてくる。


「えーっと、でもさ、イサさん。

 これから先どうするつもり?」


 今更だ。イサギは改めて返す。


「ピリル族の長、レ・ダリスに会ってくるつもりだが?」

「違う違う、そこから先」


 手を振りながら聞き返してくるメタリカ。 

 彼女が一体なにが言いたいのか、わからないが。


「今度はハウリングポートに向かうことになるだろうな。

 時間との勝負だ。一分一秒も惜しんで走らなきゃならない」

「だ、だったらですよ」

 

 メタリカはなぜか目を泳がせながら、提案をした。

 

「もう一度足を調達するのも、大変でしょうし。

 あの、あたくしはここで待っていますんで!」


 彼女の言葉にイサギは驚いた。

 メタリカはてっきり、自分を毛嫌いしているものだと思っていたからだ。

 

「それは……助かるが、いいのか?」

「いいですいいです、別に、大丈夫です」

「だが、益にはならないぜ?

 少しのお礼ぐらいなら、たぶん支払えるとは思うが……」

「そういうのいらないですから」

 

 今度こそ、きっぱりとメタリカは告げてきた。

  

「この世界のために、わたしだってできることがあるなら、

 今はそちらを優先すべきだと思います。

 わたしも冒険者ですから」

「……そうか」

 

 そのときイサギは、メタリカの目に誇りを見た。

 さすがはアマーリエの友人だと思う。

 

「馬車を飛ばすことぐらいしかできませんけど、

 わたしがそうすることで、イサさんの道が拓けてゆくのなら、

 多分、これはわたしが思っている以上に、人のためになるんだと思います」

「……」


 またひとつ、絆を託された。

 イサギはそう思って、胸元で拳を握る。

 

 紡ぐそれらが、少しずつイサギの力になってゆくのだ。

 運命を打倒するための、力に。


 イサギは彼女に頭を下げて、歩き出す。


「なるべく早く、帰ってくるからな」

「はい、馬と車を万全の調子で整えて、お待ちしております」

「ああ」

 

 この先の道のりはとても険しい。

 剣山のような山々は果てしなく、イサギの行く手を阻む。

 

 だが、そんなものがなんだ。

 イサギはいつだって障害を飛び越えてきた。

 これまでも、そしてこれからもだ。


「行ってくるぜ、メタリカ」


 体中の闘気を練り上げて、形作るのは二枚の翼。

 金色の、美しき光。

 

 煌気翼翔(ブレイヴウィング)・バージョン2。


 大地から足を離した瞬間、イサギの体は大きく浮かび上がった。

 ローラの高速飛翔を参考にした、新たなる翼だ。

 

 キックの反動による跳躍力を高め、光の翼は風の流れをコントロールすることに重点を置いたため、

 前回のものよりずっと出力も安定し、効果時間も伸びたはずだ。

 

 旅の間に改良を重ねた擬似飛翔は、もはや完成の域に達している。

 のんびりと地を這いながら山を登ることなど、やっていられない。

 

 放物線を描いてどこまでも飛んでゆくボールのように、

 山の頂上から山の頂上へと跳躍と滑空を繰り返し、最短距離を駆け抜けるのみだ。

 


 

 後に残さえたメタリカは、

 はるか遠くの山々にまで続くキラキラと空を舞う黄金色の軌跡を見つめながら。

 

 まるで奇跡を見たような顔で、呆然とつぶやいた。


「人が、翔んだ……」

 

 

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