8-2 魔帝の目覚める日
その日、砦ではささやかな宴が催された。
宴はブルムーン王国式でもドラゴン族式でもなく、魔族式だった。
新たなアンリマンユに敬意を払っているのかもしれない。
野外での立食パーティーである。
列席者は数多い。
見知った顔があちこちにいる。
その中の、主役。
アピアノスとバハムルギュスに挟まれて、上座のテーブルに立つ魔王慶喜は肩身が狭そうだ。
ロリシアは少し離れた場所で、図体の大きな女将軍たちに包囲まれ、気まずそうに笑っている。
すっかりと魔王の奥方として扱われているようで、余計なことを口走らないように慎重に受け答えをしているようだ。
社交マナーも教育されているのか、その振る舞いにはそつがない。
小さいけれど、もう一人前の立派なレディーである。
廉造は若きドラゴン族の兵たちに囲まれていた。
酒を飲みながら数々の武勇伝を語っている。
廉造の豪快で奔放に見える気質は、若い男たちからの憧れの的のようだ。
彼がなにかを告げるたびに若者たちは口笛を吹き、手を叩いて喜んでいる。
他にも、ワイバーンゲートに残っていたシルベニアとイグナイトも、アピアノスとともにやってきていたようだ。
イグナイトは酒も飲まずに慶喜の近くに控えている。
魔族国連邦の騎士団長イグナイトは廉造と再会するやいなや、廉造の元にひざまずいていたようだ。
自分が廉造に気づかなかった場合、斬り殺してしまうところだったと、彼は語った。
それを聞いた廉造は笑いながら、イグナイトに晶剣ミラージュを突きつけた。
『試してみるか?』と。
あやうく一触即発の事態だったが……
しかし、その言葉にイグナイトは首を振った。
『私かあるいは廉造さま、どちらが倒れても魔族国連邦の損失だ』と。
その言葉に廉造は納得したようだ。
イグナイトに、すまなかったな、と槍で突き刺した詫びを入れ、ふたりは握手を交わした。
果たしてイグナイトのそれが負け惜しみだったのか、真実だったのかはわからない。
だが話を聞いたイサギは、国の剣士を背負って立つ彼の武人としての誇りをかいま見たような気がした。
そんな忠義の男とは裏腹に。
「うへへー、マールー、こいつジュースなんて飲んでやがるぜー」
「ええーっ、今時ジュースなんて赤ん坊しか飲みませんよぉー?
ひょっとして赤ちゃんなんでちゅかぁ~?」
「……」
シルベニアが酔ったマールとローラに挟まれていた。
両端から脇腹を肘でつつかれている。
見た目だけならあまり年は変わらないように思えるが、
シルベニアは魔帝戦争時代から生きている。彼女のほうがずっと年上だ。 その銀魔法師のコップを持つ手がぷるぷると震えていた。
むしろ、よく我慢できているものだ。
「こんなチビが魔法師ねぇ? はぁーん? ふぅーん?」
「よっぽど人手不足なんでちゅねぇ~」
双子は酩酊状態なのか、顔が真っ赤である。
とんでもない絡み酒だった。
「……あの人も、ジュースなの」
少しでも反論しようと、シルベニアはイサギを指さしてくる。
ひとり、離れた場所でぶどうジュースをすすっていたイサギは眉をしかめた。
「仕方ねーだろ……酒が飲めないんだから」
どんなヘマをやらかしてしまうかわからないから、イサギはもう酒を断ったのだ。
しかしそこは、まるで竜の逆鱗に触れることを怖がるかのように、マールとローラが全力でフォローしていた。
「い、いいんだぜ、スーパー兄ちゃんは。なんたって強いから!」
「ジュースを飲む男の人ってちょうかっこいいですぅ!」
酔っぱらっていても喧嘩を売っていい相手とダメな相手はしっかりと区別がついているようだ。
なんてしたたかな娘たちだ。
というよりも、小物感が半端じゃない。
だが、それなら。
「……なあ、マールとローラ。
お前たち、一度シルベニアと決闘してみるか?」
三人が同時にぴくっと反応した。
マールとローラはコソドロのような含み笑い。
「ええー? でもボク、弱いものいじめはするなっておじいさんから言われているしなぁー」
「そうですぅ。こんなおチビさんにふたりがかりなんて、かわいそうですぅー」
誰も1対2とは言っていないのだが……
ちなみに三人の身長はほとんど同じくらいである。
確かに竜化したローラマールに比べれば、遙かに小さいが。
シルベニアはあまり表情が変わっていないが……だが、うずうずしているように見える。
こちらを伺うように問いかけてくる。
「……それって、殺しちゃだめなやつなの?」
「だめなやつだ」
「……むー」
イサギはきっぱりと告げる。
シルベニアは口を尖らせた。不満なようだ。
だが、イサギが重ねて問いかけると。
「じゃあやめとくか?」
「……やる。なめられっぱなしはゴメンなの」
シルベニアはうなずいた。
この小さな魔法師は意外なほどに気位が高い。
両親と兄、そして一族の期待を一身に背負ったエリート術師だ。
そういう意味では、マールやローラと出自はあまり変わりない。
宴の席での決闘は、場違いだと怒られるかもしれないと思っていたが。
意外にも、そこには見せ物として多くの人々が訪れた。
シルベニア対、マール&ローラ。美少女同士の闘いだからかもしれない。
凄惨なことになる前にイサギは止めるつもりだが、果たしてどうなるか。
場所を移して、砦の中の広場だ。
マールとローラは両手を掲げて、すでに獣化準備に入っている。
「へへへー、踏みつぶしてやるぜー!」
「よわいものいじめダメって言われてますけど実は大好きですぅー! あはぁー!」
そのふたりの周囲に魔力が集まってゆくところで……
シルベニアは指先を彼女たちに向けた。
「死ね」
放たれた熱光線は、彼女たちの頬をかすめた。
魔法はわずかに直進し、角砂糖が水に溶けるように空中で掻き消えた。
マールとローラはなにをされたかよくわからないようで、ただ口をあんぐりと開いている。
その肌は切れ、つつー……と血が垂れていった。
ハッ、としたのはシルベニア。
シルベニアはイサギの視線を感じ、慌てて言い直す。
「……じゃなくて、その、
ええと、死ななくてもいい、なの」
両手を掲げて襲いかかろうとしていた姿勢のまま、マールとローラは再び竜化を試みる。
「えっと」
「い、いくぞー、ですぅー」
すると間髪入れずに魔法が打ち込まれる。
今度は開いた指の隙間を寸分違わず射抜いた。
「……えーっと」
「へ、へんしーんー」
さらに閃熱の連射だ。
まるで人型をくり貫くように、マールとローラの周囲をレーザーが走る。
寡黙なシルベニアの意思表示である。
つまり――動いたら殺す。
たまらず、マールが叫んだ。
「ず、ずるいぞー! 竜化させろよー!」
「……なんでなの?」
わけもわからず尋ねるシルベニア。
マールは恥もなく言い返す。
「だ、だって、そっちは魔法使っているのに、こっちは槍も持っていないんだぞ!
そんなのずるいじゃんかよ! だったら竜化してこそフェアってもんだろ!」
「……」
シルベニアはイサギを見やる。
そうなの? と。
仕方ない。このまま負けたところで双子は納得しないだろう。
イサギは渋々うなずいた。
「させてやれ」
「わかったの」
うなずくやいなや、双子はみるみるうちに竜化してゆく。
『ヒャッホウ! ばかめー、かかったなー!』
『さすがマールちゃん、恐ろしい知謀ですぅ!』
語れば語るほど落ちてゆく気がする。
彼女の部下たちは、一体なにを思って双子を見ているのだろう。
巨大化したふたりに、シルベニアは再び指先を向ける。
放った熱光線は、その表皮に当たって弾かれた。鱗を貫通できなかったのだ。
マールは勝利を確信した。
『魔法師恐れるに足りないぜー!』
大きな爪を振りあげる。
シルベニアの小さな体は、その爪の一本で綿のように簡単に引きちぎれるだろう。
しかし、気づく。
シルベニアの足下には魔法陣が描かれている。
それには見覚えがあった。
『えーっと……』
魔王慶喜がバハムルギュスを貫いた魔術――自己増殖詠出術だ。
規模はそれよりも多少小さいが……
シルベニアの銀色の髪がぱたぱたとはためいている。
紫色の輝きが、辺りを蛍光のように照らしていた。
帽子を左手で押さえながら、少女は竜に告げる。
「動いたらその皮を突き破って腸をぶち撒けさせて殺すの。
動かなくてもわたしの魔法が寸分違わず眼球を貫いて殺すの。
……今すぐ降参したら殺さないであげるの」
シルベニアがその言葉を言い終えるよりも早く。
ふたりは竜化を解いていた。
そのまま、ははーっと平服し、こうべを垂れる。
同時に叫んだ。
『すいませんでしたぁー! 姐さんー!』
「手のひら返し早いなオイ」
たまらず突っ込むイサギ。
手で払って、シルベニアは大地に描いた凶悪なコードを霧散させる。
勝負あり、だ。
マールとローラは手揉みしながら彼女に近づいてゆく。
「いやあ強い、強いぜ、姐さん!」
「本当ですぅ! さすが魔法師さまっ!」
「ジュース最高だよな! ボクもジュース飲もうかな!」
「生きているってすばらしいですぅ!」
両隣からキャンキャンとわめかれて。
シルベニアは少し不服そうだった。
再びイサギに上目遣いで問いかける。
「……やっぱり殺しても?」
「やめとけ」
シルベニアの言葉に、ふたりの少女は『ヒイッ!』と震え上がっていた。
慶喜は一息をつく。
ふたりの王に挟まれて、圧迫感と緊張感が尋常ではなかった。
ブラザハスでの暮らしを思い出しながら受け答えしていたけれど、自分は間違ってなかっただろうか。
なにか喋ってはいけない重大な国の秘密を漏らしてしまったかもしれないと思うと、内心冷や汗だ。
ロリシアがそばにいてくれたなら、そのたびにチェックをしてくれるのだが。
自分ひとりではこれが精一杯、というところだ。
少しお手洗いにと言って抜けだした慶喜は、どうしようかな、と考えていた。
このまま戻るのも、なんだか億劫だ。
頑張るとは決めたものの、できることなら楽をしたい。
義務を投げ捨てて、権利だけを声高に主張し続けたい。
それが慶喜のジャスティスだ。
「……とかなんとか、思っているんですよね、慶喜さま」
「ぎくぅ」
悲鳴をあげて体を硬直させる。
振り返ると、ため息をついているロリシアがいた。
着飾っているため、まるできらびやかな宝石のように可憐だ。
「ろ、ろりしあちゃ~ん」
「情けない声を出さないでくださいよ、ヨシノブさま」
「ぼくもう疲れたよぉ」
「わたしだってもうへとへとですよ……
ずーっと愛想笑いしているんですから……ほっぺたの筋肉、つっちゃいそう」
そうつぶやいて、頬を揉みほぐすロリシア。
慶喜も同じように自らの頬を撫でる。
「……これから先、ずっとこんなことしなきゃいけないのかなあ」
「そうですよ。デュテュさまを見習ってくださいよ」
「あの人、すごかったんだなあ……」
どこでもニコニコと微笑んで、誰にでも親切で優しくて。
あれこそが人の上に立つ器というものだろう。
あまり知恵には恵まれなかったかもしれないが……
少なくとも、社交界においてはそれもバレないはずだ。
「ぼくには、うまくできないなあ……」
そんな風に、慶喜が弱音を口に出すと。
ロリシアは励ますでもなく、けなすでもなく。
彼女もまた自信がなさそうな顔で、微苦笑をしていた。
「……できることを、ひとつずつ、やっていきましょう。
ふたりで一緒に、ね」
ロリシアのその、少しだけ大人びた表情に慶喜は目を奪われて。
「……うん」
小さく、うなずいたのだった。
今はまだ、恋人同士ではないけれど。
これはきっとチャンスあるな……などと、思いながら。
◆◆
宴も宵の時となり、祝いの火もくすぶり出した頃。
酔いと弛緩の空気が心地よく風に揺られてたなびく暮夜。
――危急の伝令が届いたのは、そんなときだった。
翼も折れかけた竜はバハムルギュスに手紙を渡すと、
そのまま生き絶えるように昏倒し、治癒室へと運ばれていった。
それだけで、ただごとではないことだとわかる。
すぐにバハムルギュスは、会議を行なった幕営に重要人物たちを招いた。
その中には、本来ならば部外者であるはずのイサギも含まれていた。
一同が揃うのも待たず、切り出す竜王。
「つい先日のことだ」
魔族、人間族、ドラゴン族たちを前にバハムルギュスは告げた。
「――スラオシャ大陸の港、ハウリングポートが陥落した」
一同は騒然だ。
中でも、口を出したのはアピアノス。
「なんだと……あそこには数百という冒険者がいたはずだ……
港の防衛体制は万全だったはず……なにかの間違いではないのか」
「いったい誰が」
イサギの問いに、バハムルギュスは慶喜を見やる。
急に視線を向けられた魔王は胸を押さえた。
「えっ……?」
「……ピリル族だ。彼らの若き長が一族を率いて、陸側からハウリングポートを強襲したのだ」
「あ、え、そ、そうなんだ……」
だが。
その視線の意味を、彼らは知る。
「そして、魔族である」
「え?」
「彼らが海側から砲撃魔術により街を襲撃したようだ」
「……そんな」
今度こそ慶喜の頭が真っ白になった。
ロリシアは小さく悲鳴をあげる。
ピリル族は前々からハウリングポートを攻めるのでないかという噂は流れていた。
彼らはずっとカリブルヌスの死後、機会を伺っていたのだ。
ドラゴン族がワイバーンゲートを襲撃したという情報が伝わったのなら、すぐにでも動いただろう。
だが、なぜ今になって魔族が。
どうしてこのタイミングで。
どんな意図があって。
一体彼らになにがあったのか。
人間族との同盟が成るまでは、メドレザとデュテュがタカ派を押さえ込んでくれているはずだったのに。
もしかしたら、デュテュかメドレザか、あるいはその両方が殺された?
魔族の親しいものたちは最悪の想像をしてしまう。
けれど。
それは最悪はその上をいった。
「魔族は自らを『新・魔族帝国』と名乗っておる。
そしてその頭領――魔帝を継ぐものは……」
竜王は手紙に書いてあるその言葉を、読み上げた。
「――先代魔帝の、その娘だ」
バハムルギュスのその言葉が脳に至るには、少しの時間がかかった。
そしてさらに意味を噛み砕くために、またしばらく。
誰もなにも言葉を発せられずにいた。
信じられなかった。
魔帝の娘といえば、
このアルバリススに該当するものは、ただひとりしかいない。
ピリル族と共闘してハウリングポートを陥落させたその者の名。
アンリマンユの実娘にして、魔族“帝国”を率いる女性。
譫言のようにつぶやいたのは、シルベニアであった。
「……デュテュ、が……?」
一同の間には、
新たな戦火の臭いが漂い始めていた。
◆◆ ◆◆
瓦礫と死体で埋まる道を歩くひとりの女性がいる。
彼女はかつてアンリマンユがまとっていた黒いローブをまとっていた。
双羊角を生やした魔族。小さな翼とうねる尻尾を持つサキュバス。
高いヒールに、長い金色の髪。血だまりを踏みながら優雅に歩く。
その姿は妖艶であり、この世のものとは思えないほどに美しかった。
彼女の元に、ひとりの魔族の将が駆け寄ってくる。
「姫様。ハウリングポートの掃討は完了いたしました。
冒険者もひとり残らず焼き終えました」
女性は振り返らず、眉ひとつ動かさない。
彼に告げる言葉は、冷厳。
「ご苦労です。後はゴールドマンの指示に従いなさい」
「はっ」
再び走り出すその男を一瞥もせず。
焼け焦げた街の中に佇み、海風に髪を揺られながら彼女は――デュテュは空を見上げた。
「……お父様」
祈るように胸元に当てていた手を、今はしっかりと握り締めて。
血の河に、自らの美貌を照らされて。
「この戦の進む道……
すべての命の行き着く先は、
どうか、安寧と幸福に包まれておりますように……」
その目は蒼穹を映しながらもなお、漆黒の輝きを讃えていた。
8-2 魔帝の目覚める日 end
Episode8 すべての命の行き着く先は beginning...